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リスティリア救世譚  作者: ともざわ きよあき


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別れ惜しむハルヴァンベント 第五話④ 勝利”は”確かに

「“女神の騎士”の力は、あなたが下界に戻ると同時に失われるわ。同じくリバース・オーダーも下界には戻さない」


 ゆっくりと、レヴァンチェスカを含む五名で、唯一停車中の列車へと歩を進める。


 その歩みの一歩一歩が、別れに近づく行いであると理解しながら。


「でも一応教えておくわ」


 列車の近くまで来た。足を止め、レヴァンチェスカがリシアに向けて言う。


「“ルディラント・リスティリオス”。あの力だけはどうやら、失われることはないみたい」


 総司が目を細め、リシアがきゅっと唇を強く結んだ。その名前と力に――――運ばれてきた海風の香りに覚えのあったスヴェンも反応し、わずかばかりの笑みを浮かべている。


「とは言え、“女神の騎士”としての魔力抜きで発動できるかは怪しいけれどね。あなたならいずれやってのけてしまいそうだけど」

「……では何故教えてくださったのです?」


 リシアが小さな声で聞いた。レヴァンチェスカの表情は実に情けないものだった。


「せめて誠実でありたいと思っただけよ。今のあなたに」

「今更の話ですね……ソウシにそうであってほしかった」

「私としては“この上なく誠実なつもり”だったのよ。けれどそれがどうやらズレているらしいことは、散々指摘されてきたわ」

「ついぞ改善の兆しもないがな」


 ゼルレインが下らなさそうに口を挟んだ。レヴァンチェスカは悲しそうに微笑むだけだった。


「ソウシが今ここにいてくれるのも、あなたの心遣いですか」

「そうね。あなたがどこまで理解して言っているのかわかりかねるけど、端的に言えばそうよ」


 レヴァンチェスカはその手にふわりと光を灯しながら、静かに語る。


「何を以て生命の“死”と断ずるか。さっき言った世界の数だけ“死”の定義も変わる。リスティリアにおいては、“下界で生命活動を停止すること”は、厳密に言えば“生命の終わり”にはまだ少し達していない――――種族によるけれど」


 総司があぁ、と思いついたように言った。


「マティアの裁定か」

「そう、リスティリアにおける意思ある生命の終焉は、遠きマーシャリアにおいて“哀の君”マティアの裁定を受けて初めて訪れる。わかるかしら、これも言語による理解は難しいかもしれないけれど……マティアの裁定はヒト族や亜人族、エルフたちしか受けられない。生命の種によって、終焉の形が少しだけ違うの。総司やスヴェンのいた世界とはそこが違うかもね」

「わかりゃしねえな」


 スヴェンが肩を竦めた。


「俺もコイツも、向こうで死んだことがないんだから」

「あっちには魔法も魔法みたいな現象もないから、仮に夢の中でマーシャリアみたいなところに行ったことがあったとしても、『現実だったのかも』なんて思わねえだろうしな」


 総司が笑いながらスヴェンの言葉に同意する。その間も、リシアは硬い表情を崩さなかった。


「厳密に言えば三人ともまだ明確に“死”を迎えてはいない。総司の体があるのは、さっきリシアが言った通り私が――――まあ、ちょっとした掟破りをしたから。スヴェンが死の寸前にリシアを “ココ”に引き入れ、私が持たせてるってところかしら。既に私は力を取り戻しているから」


 レヴァンチェスカは総司、スヴェン、ゼルレインの顔を順に見据える。


「この三人はそれぞれ“状態”が違うけれど……あなたの理解している“死”に最も近しく、そして取り返しのつかないところにいるのは、他ならぬ総司なのよ。厳密に言えば他の二人は、あなたの理解している“死”にはまだ達していないから」


 リシアがきっと目を細める。


 致命傷を負い死ぬ寸前には違いなかっただろうが、ヒトの身を逸脱して“女神の領域”を侵食して力の一端をも奪い、人外となったスヴェンと――――厳密にはそもそも死んでいないが、最早下界に戻る資格もなく、千年の時を経て下界における生命の理から外れ、スヴェンと共に果てようとするゼルレイン。


 レヴァンチェスカの言う、“リスティリアにおける『死』の在り方”に倣って言うなれば――――厳密には違うかもしれないが――――リシアが理解している“死”を明確に迎えているのは、この場において総司ただ一人なのだ。


 聡明で、且つ理屈ばかりでなく感覚的な理解も尊重できるリシアには、レヴァンチェスカの言っていることが、レヴァンチェスカの想像以上に理解できてしまう。


「あなたの疑念も尽きないでしょうし、憤慨もそのままでしょうけど、あいにく、全てを明かす意味も時間もないわ。どうあれ終わったのだから……せめて“帰り”にロスト・ネモにもう一度寄っていくと良い」

「“忘却の決戦場”に……?」

「知りたいことの一端が知れる……かもしれないわ。今ならね」


 女神が下界に干渉し、そして去る時の、不快なノイズのような音がリシアの脳内に響いた。キィン、キィンと、つんざくように。


 リシアの背後で、ミュンヘン中央駅のホームに不釣り合いな、光輝く扉が現れる。周囲との調和など度外視した空間を開く穴。


 リシアだけが通ることを許された帰り道。


「……やはりわかりません。何故それを私に教えるのです? 何をお考えなのですか」

「……言った通りよ。救世が完遂された今、意味のないことばかり、だけど」


 レヴァンチェスカがリシアの目を見つめて、悲しそうに、呟くように、言った。


「せめて道中、“結果を伝えて回る”以外の目的があった方が、いくらか救われるかもと思っただけ」

「あなたは――――!」

「“わからない”んだから“わかろうと”するんじゃねえよ」


 スヴェンが冷たい声で口を挟んだ。


「手遅れかもしれねえが、これ以上嫌われる前に黙るこったな、レヴァンチェスカ」

「……ええ、そうしましょう。私でもわかるわ。無粋だものね」

「フン」


 光の扉は、輝きを増す。


 自分の意思ではその方向へ進もうともしないリシアを、捕まえようとしているかのようだ。


 そして彼女の前に、総司が再び静かに立った。


「お別れだ」

「ッ……お前も連れて行けばいいだけのことだ……!」

「どこに?」

「どこにって――――」


 やはり頭の回転が速いリシアは、すぐに気づいた。


「見えて、ない、のか……!」

「……つまり迎えが来てるってことだな」


 リシアを再び下界へ招き入れようとする光の扉が、総司には見えていない。


 レヴァンチェスカが語った“生命の定義”、その差。リシアと総司の間にある明確な隔たり。その扉を通る資格のない総司には見えないもの。つまり――――腕を捕らえて引っ張りこんだところで、何の意味もないことの証左。


「今まで本当にありがとう。俺にとっても世界にとっても幸運だった。俺にリシア・アリンティアスという最高の相棒がいてくれたことが、何よりも!」

「……何度か、言った覚えがある」


 明るい笑顔の総司とは対照的に、涙をこらえる表情で、リシアが言った。


「礼を言うのは、こちらの方だ……世界の皆に必ず伝える。お前の偉業を。ソウシ・イチノセと言う男の生き様を……!」

「要らねえ、やめてくれ」


 総司がもう一度、リシアを力強く抱きしめた。


「お前が知ってて、認めてくれてれば、それでいい。元気でな。無茶しないようにな。幸せになってくれよ。ついでに俺の夢も、託したぞ」

「注文の多いことだ……あぁ、任せておけ……!」


 時間がなく、互いの言葉は今生の別れにしては少ない、が。


 それでも十分に互いの想いが伝わる。ほとんど抱きしめるだけで十分と言っていい。


 彼らの心は十分に通じ合っているのだから。救世主とその無二の相棒、固い絆は、多くの言葉を必要としなかった。


 光の扉はリシアを待たず、彼女を巻き込んでいく。


「別れ際ぐらい、せめて笑ってくれよ」

「無茶を言う……」


 総司の視点では、リシアは光の扉に巻き込まれ、今にも攫われようとしているようには見えていなかった。リシアの視点で言えばもう、総司の笑顔は眩い光に阻まれて、ほとんど見えなくなっていた。


 その最中、リシアが何とか微笑んで見せる。ありったけの感謝を込めた笑顔を見て、総司が「じゃあな」と別れを告げた瞬間。


 リシアの体はその場から消え失せる。総司はおっと、と軽くバランスを崩して、ため息をついた。総司からすれば唐突にリシアが消えた形である。彼女の笑顔はしっかりと目に焼き付けたが。


 その様を見て、スヴェンが声をかけた。


「なんとなーく達観してるように見えたが……さすがに効くか、相棒の泣き顔は」

「……ルディラント以来だなァ、アイツが泣いてるところ見たのは……確かに効いたわ」


 腰に手を当て、上を見て、総司がおどけた調子で答えた。ゼルレインは既に、唯一停まっている列車に乗り込んでいた。


「さーていよいよ終わり際だが……ハハッ、どうだオイ、ソウシ」


 スヴェンが自分自身と総司とを交互に指さして、笑みを浮かべながら言う。


「全部終わってみれば、力を持ち過ぎた余所者がきれいさっぱりいなくなるだけ。“リスティリアを救う物語”としちゃあ完璧な着地じゃねえか。ローゼンクロイツって言ったか? 俺と同郷のお婆さんは生かしておいて良いのかよ、レヴァンチェスカ」

「誓ってそんな意図はないわ。最後の最後まで恨み言ね、スヴェン。だからいろんなヒトに言われるのよ、女々しいって」

「死の間際に丸くなるとでも思ったか?」


 憎悪と怨嗟の炎を燃やし、しかし燃え尽きる寸前だったスヴェンだが――――レヴァンチェスカに向ける視線は相変わらず怜悧で、それでいて燃え盛る怒りを湛えている。


「自分の愚かさなんざ百も承知だ。反省の念もなくはない。が……最後までテメェを呪うことに変わりはねえ。覚えとけよダ女神。いつかお前に届く牙がリスティリアに現れる。俺以上の鋭利な牙がな。その時もいてくれると良いなァ、どっかの誰かみたいに命張ってお前を助けてくれる、頭のトんだお人好しが」


 死にゆく憎悪の化身の、最後の悪あがき、精一杯の皮肉。レヴァンチェスカは悲しげに微笑んで、“最後の敵”のありったけの憎悪を、正面から受け止めた。


「そうならないよう尽くすわ」

「出来やしねえよ、お前には」


 スヴェンはパッと表情を変えて、総司に向き直った。


「負け惜しみはここまでにしとくか。で、お前はこれで良かったのか? 本当に」

「……良い人生だった、って言えるほど生きてもいないけど」


 総司がにっと笑った。


「幕引きに限って言えば、文句はねえよ」

「……そうかい」


 スヴェンが列車に向かって歩き出す。総司もその後に続いて、てくてくと歩を進めた。レヴァンチェスカが寂しげな表情で、二人の背中を見送った。











 リスティリア全土を覆う紫色の不吉な暗雲が、フォルタ島の方角から消し飛び始め、世界が青空を取り戻したその瞬間。


 ローグタリア皇帝ヴィクトリウスは丁度、『果てのない海』を臨む防壁の上で作業の指示を飛ばしているところだった。


「はーっはっはっは!! きたきたきたきたァァァァ!!」


 青空の波が押し寄せるかの如く。


 暗雲が鮮やかに消え去っていく様を見上げ、両手を広げて、ヴィクターは高らかに笑う。傍らで口元を手で覆い、驚愕を顕わにするアンジュ・ネイサーに向けて彼は言った。


「アンジュよ、飛行艇を飛ばせ! オレの読みが正しければフォルタ島まで必ず辿り着ける! 英雄の帰還だ、迎えの一つもなくてはなァ!!」

「か、勝った……勝ったのですね、お二方は……! あぁ、本当に……! で、ですが陛下、お二方が戻って来ているとは――――」

「たわけたことを抜かすな!!」


 涙を目に湛えて喜びをあらわにしたものの、「勝っただけで帰ってきているかどうかはわからないのではないか」という疑問を口にしたアンジュに、ヴィクターがビシッと言った。アンジュとは対照的に、彼の顔にそのような疑惑、迷いの色はほんの少しもなかった。


「“当たり前に”帰ってきておるわ、あの二人の何を見ていた! 貴様もよくよく知っているはずだ、まさしく我らの目の前で不可能を可能にした英傑であろう!」


 二人の英雄の帰還を信じて疑っていないヴィクターの、晴れ晴れとした表情が、取り戻されていく青空によく映えていた。


「オレはばあやのところに行く! ありったけの肉を用意させねば! ソウシはただでさえ健啖家、世界救済の後となれば十人前でも足りまいよ! そら、さっさと動け!」

「は、はい、すぐに!」


 アンジュが慌てて駆け出していく。兵士たちや首都の民衆も気づいているようで、そこかしこから歓声が上がっている。


「始まりもド派手なら終わりもド派手よ、全く……! よくぞ果たした! 今日はリスティリア全ての生命の記念日だ!!」






 ローグタリアから少し遅れて、隣国エメリフィムでも、暗雲が次々に消え去って、青空が取り戻されていく。


 その瞬間、王女の側近であるジグライドとシドナは丁度、王城の回廊を歩いているところだった。


「わあああああ!」


 シドナがいの一番に気づき、喜びの悲鳴を上げながら回廊の手すりに駆け寄った。


「やったんだ……やったんだわ、あの二人が! やり遂げたのよ!! ねえジグライド、あなたも見――――」


 シドナがぱっともう一人の側近を振り向いた時。


 ジグライドは、手近な柱の一つにどっと背中を預け、大きく息をついているところだった。


「……ふーっ……いや、まだ……“最後の敵”とやらを討ち果たしただけで、無事帰還できているかは定かでは……」


 それなりに一緒にいる時間の長いシドナも見たことのない表情。安堵と疲労感に塗れたジグライドの顔というのは、相当希少なものだった。


「……帰ってきてるわ、きっと。やり遂げたのは明らかなんだし、やり遂げたってことは女神さまが自由になったってこと。無事で帰さないわけがないじゃない!」

「うむ……楽観的過ぎる気もするが、まあ、そうだな。ここまで来たら無事も信じねば」

「あったりまえでしょ! っていうか意外ねぇ、あんたがまさかそこまで心配してるとは――――」


 ジグライドが力の抜けた体をぐいっと奮い立たせて、ビシッと姿勢を正し、袖で顔をぐいっと拭っていつもの表情に戻った。シドナが胡乱な顔をすると同時に、すぐ近くの『紅蓮の間』から王女ティナが飛び出してきて、二人を見つけて駆け寄った。


「ジグライド! シドナ! 空が!!」

「ええ、見えておりますとも。そう大きな声で言われずともね」


 涼しい顔で王女ティナを出迎えるジグライドに、シドナが呆れかえった視線を向けた。


「あのさぁ……」






「フロル、見てる!?」


 デミエル・ダリア大聖堂の枢機卿の執務室に勢いよく飛び込んだのは、ベル・スティンゴルド。空の変容を目の当たりにして一目散に駆けこんできた彼女が見たのは、窓の傍でへなへなと崩れ落ちているフロル・ウェルゼミットの情けない姿だった。


「静かに入りなさいといつも言っているでしょう……もっと言えば入室の許可を得てからにしてほしいものですが」

「いや威厳も何もないけど。大丈夫?」

「ええ、問題ありません……」


 ベルが笑いながら駆け寄って、フロルをぐいっと立たせた。フロルは口元を手で覆い、流れる涙を隠そうともしていない。普段纏う厳格な雰囲気に相反して心配性な彼女は、総司たちが歩みを進めたという情報を掴むだけでハラハラしていた。暗雲が世界を覆い尽くしてから今日にいたるまで、休まることなどなかったに違いない。


「勝ったのですね……あの二人は……!」

「だね。絶対大丈夫だと思ってたけど!」

「無事に帰ってきているでしょうか……怪我などしていないと良いのですけど……」

「……そうだね」


 ハルヴァンベントに渡った者は、下界には戻れない。


 ベルの中に残ったエルテミナの記憶の断片からそれを知るベルは、フロルの言葉にすぐには反応できなかった。


 しかしそれでも、気持ちはフロルと同じ。何が何でも帰ってくる、そう言ったあの男の言葉を信じている。


「ま、とにかくやり遂げたことは確かなんだし! その内カイオディウムにも寄りに来てくれるでしょ! 今夜はフロルの部屋で宴だね!」

「……そうですね、少し気が早いですが、ささやかであれば前祝いも良いでしょう。ひとまずは世界救済を祝して、ということで……本格的な宴席はあの二人が来た時に。あぁ、であればせっかくですからオーランドも呼んで――――わかりましたからそんな顔をしないの」






 妖精郷ティタニエラにおいては、空が晴れ渡るより前に、竜が吼えた。


 神獣ジャンジットテリオスの喜びと賞賛の咆哮。神獣の懐で包み込まれるようにしてうとうとと昼寝していたミスティルが、ぱっと飛び起きたのと同時に、ティタニエラの空も晴れ渡る。


 ミスティルは立ち上がって両手を広げ、吹き抜ける風と久しぶりの青空を数秒、目いっぱい感じ取って楽しんだ。


「……あなたのことですから、どうせまたドタバタと、行き当たりばったりだったのでしょうけど」


 皮肉混じりに、安堵の滲みを隠せない声で、呟く。


「きっとリシアさんが、無謀で無茶なあなたの手綱を握って、何とかしてくれたのでしょうね。目に浮かぶようですが……どうあれ結果が全てです。勝利は見事ですが勝っただけでは、約束は半分ですよ」


 微笑む顔に、一抹の不安を宿して。


 鈴の鳴るような美しい声に、わずかな不安を滲ませて。妖精は一人、言葉を風に乗せる。


「『また会おう』と確かに言った。『勝利の報告を持っていく』と確かに言った。忘れたとは言わせない――――待ってますからね、引き続き……」






「あら」


 千年の時を経て未踏の地となった、かつてルディラントのあった海岸線で、王女アレインは間の抜けた声を出した。


 煩わしい暗雲が消し飛び、青空が広がっていく。誰の目にも明らかな、運命の二人の勝利を祝う福音。


 アレインはレブレーベントへの帰国の途中でルディラントの跡地に立ち寄り、誰もいない砂浜の一角、とある偉大な王の白骨の前で膝をつき、静かに祈りを捧げていたところだった。


 空を見上げて、微笑みながら呟く。


「帰国する前にケリがつくなんて……随分と仕事が早いのね。存外、拍子抜けの相手だったのかしら」


 青空から白骨へと視線を戻す。


「見ておられますか、ルディラント王……あなたが誇りを授けてくださった救世主は、どうやら見事やり遂げたようです」


 アレインは穏やかな笑顔をふと引っ込め、憂いを秘めた表情を顔に貼り付けた。


「……本来、彼を“正しく”導くのは、レブレーベントの――――私の役目でございました」


 誰にも明かさなかった懺悔を、たった一人の今だから、彼の憧れの相手に向けて語る。


 ローグタリアでの決戦後、その勝利の夜、アレインは総司の口から語られたルディラントでの冒険譚を聞き、彼がそこで何を得たのかを知っていた。


「私が幼稚であったばかりに、あなたのお手を随分と煩わせたと聞きます……きっと大いに失望されたことでしょう、レブレーベントの不手際に。お許しください。私が弱かったのです」

『騎士が騎士なら主君も主君だ。よう似ておる。無礼ながらヤツもあなたも、年端のゆかぬ少年少女でありましょうに』


 海風がひときわ強く吹いた。


 砂浜の真っ白な砂が巻き上がり、砂塵がアレインと白骨を包む。アレインがかっと目を見開いた。


 吹きすさぶ砂塵の最中で、アレインの目には、確かに――――


『我らは我らのやりたいようにやっただけ。そしてソウシも、己の望みのため戦った。次はアレイン殿下の番だろう。“そうあるべき”という枷をたまには外してみることだ。つまらん後悔をする前にな』

「王、ランセ――――」


 風が吹き抜け、アレインの視界を奪い、そして唐突にシン、と止んだ。


 物言わぬ白骨が佇むだけの景色が、アレインの視界に戻った。アレインは彼女らしからぬ所作でべちん、と自分の頬を強めに叩いた。


「……ご助言痛み入ります。いずれまた」


 最後にもう一度頭を下げ、アレインは颯爽とその場を去る。穏やかな海風が彼女の背中を軽く押して、優しく見送った。






「お体に障りますぞ、陛下。あなたらしくもない……昼間から飲み過ぎです」

「堅いことを言うな宰相! 今日と言う日に飲まずしていつ飲むというのだね! アレインが間に合わなんだのだ、付き合ってくれ!」


 レブレーベント王都・シルヴェンスの城、その一番高い塔にて、女王エイレーンは最高級のワインをとんでもないペースで飲みふけり、空が晴れ渡ってからものの数分で良い調子に酔っぱらっていた。


 騎士たちの宴の席に同席した時にも、ほろ酔い未満で抑えていた女王には珍しい姿。傍らに控えるビスティーク宰相は軽くたしなめつつも、強引に止めることはしなかった。女王が手ずから注いでくれる酒を程よく楽しみながら、冷静に告げる。


「勝利は確かでしょうが、しかしながら帰還も確かとは言えますまい。二人とも五体満足だったとして、帰還するのはアリンティアス一人やもしれません」

「構わん構わん! それならそれで――――無事ならそれで良い。ソウシが帰還するのが“あちらの世界”であったとしても、幸せになってくれるなら、それ以上何も望むまい。だが……」


 酒を飲み進める女王の手が、ふと止まる。


「もしも万が一のことがあろうものなら、私はどんな手を使ってでも女神をぶん殴りに行くぞ」


 勝利が確かであるならば、次の不安が女王を苛む。


 総司が、リシアが、無事であるのかどうか。祝いの酒というばかりではない、そう遠くないうちにわかる「現実」への不安をかき消すための酒でもあるのだ。


「……この老骨、荒事は生来得意とするところではございませんが」


 ビスティークがふっと笑いながら答えた。


「その時は是非お声がけくだされ。不肖ビスティーク、お供する所存」

「はっはっは! らしからぬのはお前もではないか! おうとも、その時はよろしく頼む! さあ、続きだ!」




 縁を繋いだ人々が、運命の二人の帰還を待ちわびる。


 その誰しもが「もしかしたら」という一抹の不安を抱えながら、押し殺しながら。


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― 新着の感想 ―
みんなが無事に帰ってくるって信じてるの嬉しいし悲しい…… ほんとに何満足げに逝ってるんですか!!!
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