別れ惜しむハルヴァンベント 第五話② 理想の具現化
「やめとけ」
「ッ……」
スヴェンはリシアを捕まえたまま、レヴァンチェスカに陽気に声を掛けた。口調は軽やかだが目は笑っていなかった。
「よぉレヴァンチェスカ、久しぶりだな。お前もお前で薄情じゃねえか。千年も顔を見せてくれなかったのに、今更出てくるなんてよ」
「自分を殺しに来た存在が自宅の前で門を開けろと騒いでいたら、あなたなら顔を出すの?」
「そりゃそうだ」
リシアを押さえる手が緩められない。伝わる力が抜けていないのを感じる。
「いつでも止まれたでしょう、スヴェン……何故、自分を止められなかったの」
「こいつらに言われるならともかく、テメェに言われる筋合いはねえな」
スヴェンが辛辣に吐き捨てた。レヴァンチェスカは首を振る。
「あなたには生きる道がちゃんとあったのに。きっとサリアも――――」
「いっぱしの口を利くじゃねえか。ヒトの心の機微が理解できるとは驚きだ。俺は“無意味だから”リシアを押さえてるだけだぜ、レヴァンチェスカ。気持ちはコイツと同じだが、そこまではわからねえらしいな?」
その先を言うなと、暗に脅すように。スヴェンが冷たい声でレヴァンチェスカの言葉を遮る。レヴァンチェスカはため息をついた。
「総司と戦うことになったなら、あなたは“自分の願いを口にする”ような真似はしなかったでしょう」
スヴェンは答えない。レヴァンチェスカは構わず続けた。
「けれどあなたと似た境遇となってしまったリシアのために、あなたは手を差し伸べようとすらした。己の矜持を捻じ曲げてまで……わからないわ、最後まで。“そうできる”あなたが、それでも止まれなかったことが、確かに……私にはわからない」
「同じだ」
スヴェンが言葉少なに言った。
「お前が今更気にすることじゃねえよ」
「……良いわ。満足したのならそれで」
「ああ、下らねえ問答だ。それよりこいつらに何か言ってやることはねえのかよ、女神さま」
リシアが二人の手を振り払って立ち上がり、レヴァンチェスカと相対した。レヴァンチェスカはふっと笑って、聞き覚えのある台詞を放った。
「言いたいことを言って良いわ、リシア」
「ッ……あなたはエメリフィムで、確かに仰いました」
拳を握り固め、抑え切れるはずのない激情を何とか抑え込もうとしながら、リシアが言葉を紡ぐ。
「ソウシを“世界救済のための駒”として扱ったことなどないと、絶対にありえないと、確かに……!」
「ええ、覚えてる。そして偽りはないわ」
「では“第六の魔法”は何だというのですか!」
こらえきれず、リシアが怒鳴った。
「神域の魔法“リスティリオス”は、あなたがソウシに授けた魔法です! それも聞き及ぶ限りでは、“救世の旅路が始まる前に”全ての魔法はソウシに授けられ、ソウシの成長に合わせて解放されるようあなたが封印を施した!」
「正しい」
「であれば何故、『命を犠牲に命を与える』などという悲惨な魔法をあてがったのですか! あなたはソウシの事情をご存知だったはずだ! あなたがこの世界に呼びつけた当初のソウシの精神状態も! であれば容易に想定できたはずでしょう、ソウシにあんな魔法を与えてしまったらどうなるかぐらい!」
「それが救世を為す総司へ私が提案した、協力への対価だったからよ」
リシアが総司を振り返った。総司はケルシュビールをひとまず飲み干し、頷いた。
「そうだな、レヴァンチェスカの言う通りだ。俺は自分の命を、レヴァンチェスカを救うために使う。その代わり――――」
「総司はこのリスティリアで“必ず死に場所を見つけられる”。そう保証したの」
レヴァンチェスカは総司とリシアに交互に視線を送った。
「第六の魔法は厳密に言えば、神域の魔法“リスティリオス”ではないわ。というより、私も想定していない変容を遂げた……総司が得た“異世界の民の特権”と結びついた」
「へえ、そうだったのか。知らなかった」
「でしょうね。敢えて言うことでもなかったし」
総司の軽い口調につられるようにして、レヴァンチェスカも軽い調子で返した。
「第六の魔法が有する本来の能力は、あなたとの約束を果たすために私が与えた、“自分の命を使う魔法”だけれど……本来の力は“女神の騎士としての命を譲渡する”ものではなかった。命を消費して“あなたが思い描く通りの魔法”へと変貌し、発動され、旅路の果てにあなたが思い描く『何か』を実現する……理想を具現化する魔法。あなたが『何を』思い描くのかまではわからなかったけれど、それが褒美になればと思って、そういう魔法を与えたの。もちろん、その魔法をスヴェンとの最終決戦で使う可能性も大いにあるとは思っていたわ」
レヴァンチェスカの言う「総司の死に場所」とはつまり、総司が何が何でも叶えたい願いを見つけ、「命を使えば大抵のことは叶えられる」という状況下であれば、総司にとってそれは願ってもない「死に場所」になるだろうという意味だった。
己の命が確かに価値あるものを生み出すのだと満足させて、安らかに旅立てるように。総司がきっとそれを望むだろうから、と。
根本的にリシアとはズレているのだ。レヴァンチェスカは死を望む救世主に対し、要らないのならばその命を寄越せと言って、その代わりに救世主が望む「死に場所」という対価を与えるために行動した。
無論、これは決して、「救世の旅路の結末が総司の死である」こととはイコールではない。総司が救世を成し遂げたあとも生き続け、続いた人生の中で第六の魔法を使いたいと思える場面に遭遇する可能性もあった。レヴァンチェスカはあくまでも、総司が「望んだとおりの死に場所を選べる」力を与えたに過ぎないのだ。
ヒトであれば――――そして他者に少しでも情を持てる者であれば、「無意識下で自死を望む少年」に対して当たり前のように「諭す」ことを考えるはずだ。しかし女神はそれをしない。女神にとってもそれこそ「当たり前」に、救世を為す英雄へ褒美を――――英雄が望んだままの褒美を与えた。
慈愛の女神に違いない。彼女は彼女の言葉通り、リスティリアに生きる全てを愛している。その言葉に偽りはないが、致命的なズレがある。リシアの憤慨とその理由を理解していてなお、女神の在り方が変わることはないのだ。
「世界を渡って獲得する力は、私の制御の外にある。あなたの願望がまた別の形で具現化したような力……“命を与える”権能と“第六の魔法”が結びつき、“女神の騎士としての力も譲渡する”能力へと変貌した」
レヴァンチェスカは頭を振り、リシアに向けて真剣に言う。リシアに届くかどうか定かではない、彼女の本音を。
「誓って、最初から“リシアが救世主になる”筋書きを用意したわけではないの。そうね、でも……全てが終わった今、客観的に評すれば……総司にとって、それが最も『美しい終わり方』だったでしょうね」
リシアの目がかっと見開かれ、そのままレヴァンチェスに詰め寄る。総司がぱっと立ち上がってリシアを止めようとしたが、リシアが暴力を振るうことはなかった。
「あなたはこの世界で唯一、死者蘇生が可能な存在ではないのですか」
「……できない。それだけは、できないの」
「何故ですか。あなたの理屈で言えば“既に一度褒美は与えた”はずだ。あなたは約束を反故にするわけではない」
「できないの。わかって、リシア」
レヴァンチェスカも、リシアと同じく懇願するように繰り返す。
「今この時、総司に仮初の肉体を与えたのは、せめてもの心づけよ。もしかしたらこれすらも、本来は許されないことかもしれない……でも、どうしてもそれだけはできないの……“私にはできない”のよ」
「ッ……あなたの心のうちがどうあれ、結果としてこれだけソウシをいいように使っておいて、そんなっ――――!」
「そこんとこ、興味あるんだよな、俺も」
激昂するリシアに対し、掛ける言葉がなく黙り込んでいる総司に代わって、スヴェンが口を挟んだ。
リシアとレヴァンチェスカの会話に、リシアが納得するような落としどころは決して得られない。これ以上リシアの心が疲弊する前にやめさせたい総司だったが、原因が自分にあるとなると強く諫めることもできない。その心の機微を汲んだスヴェンの助け舟である。
「その神妙なツラをどこまで信じて良いのかわかりゃしねえが、多少なりとも詫びの気持ちがあるなら語っていけよ。結局のところ、“お前は何なんだ”?」
「……んん?」
総司がきょとんとしてスヴェンを見た。
「どういう意味だ? レヴァンチェスカが……何なんだ、って、なんだ……?」
総司を同じくスヴェンの方を振り向いていたリシアに向かって、スヴェンがちらっと目配せした。リシアはまだ肩を怒らせ納得していない様子ではあったが、仕方なく総司に向き直った。
そして彼へ語って聞かせた。スヴェンがリシアに話した「女神の真実」、この世界の核にいついた“外来種”であるという、スヴェンの説を。
「――――要するに、この世界における『神』とはつまり何か、っていう考察か。ハッ、さすがに千年は暇すぎたらしいな、スヴェン」
リシアから話を聞いた総司が、笑いながらスヴェンに言った。
「神学だか哲学だか、細かい違いはわからないけど、少なくとも、そんなことに想いを馳せるスヴェンの姿が致命的に似合ってないのは間違いない」
「うるせえな、自覚してるさ。でもお前だって興味はないか?」
スヴェンが煙を吐き出しながら軽い調子で言う。
「俺達の世界では多分、未来永劫誰も辿り着けない答え。何せおしゃべりできる神様なんて現実としていねえんだから。だがどうだ、今は目の前に答えが“いる”」
「……まあ、確かに。いや、知ったところで意味はないんだけど」
総司が苦笑し、レヴァンチェスカに視線を移した。
「どうだ、話す気はあるか?」
レヴァンチェスカは、総司の問いかけを受けて少しの間、じっと押し黙った。話すべきかどうかを思案しているのか、それとも、総司たちには及びもつかない思考を巡らせているのかは定かではなかったが――――やがて、ゆっくりと口を開く。
「……言語による伝達がどこまで齟齬なく情報を伝えられるのか、自信はないわ」
この場にいる三人の内、二人はほとんど死んでいるようなもの。あの世とこの世の境で漂う、命が“まだあるけれど既にない”ような、半端な存在。
その二人は別にいいとして、レヴァンチェスカにとって問題はあと一人。
唯一の生き残り、救世の旅路の勝者であるリシアに、女神に関する核心ともいうべき情報を与えることが果たして“世界にとって問題とならない行動”なのか。
それらを思案した末に、レヴァンチェスカは「伝わりそうなこと」は伝えようと決めたようだ。
「けれど、良いでしょう。知りたいというのであれば、少しだけ私のことを話すとしましょう」