別れ惜しむハルヴァンベント 第四話② それが何かを知っているからこそ
反逆者ロアダークの血を受け継ぎ、“ネガゼノス”の真髄に至ったベル・スティンゴルドは、しかし未だ“完成した継承者”ではない。
半身の顕現までしか実現しなかった彼女だが、それだけで彼女はかつて“女神の騎士”の命に迫った。ベル生来の甘さがなければ、その命を奪っていたかもしれないほどにまで肉薄したのだ。
そして今リシアが相対するのは、その“リベラゼリア”の完全体。
しかも、下界で仮初の顕現を果たすのとは一線を画す、既に半ばスヴェンの領域と化した空間における完全顕現。「舞台」の後押しも受けて、ほとんど“精霊そのもの”を顕現させるに等しい。
「これが――――!」
リシアにとっては初めて見ることとなった“リベラゼリア・ネガゼノス”は、まさに圧巻。
千手観音の如く無数の骨の腕を方々へ伸ばしながら、地獄の窯を強引に突き破るようにして“女神の領域”に出現した殲滅の化身は、生命への害意を隠すことなく発散させながら、瞳のない虚ろな窪みをリシアへ向けた。暗がりの赤い光が宿り、瞳の代わりにリシアを射抜く。千年前、世界全てを敵に回してスヴェンとゼルレインの前に立ちはだかった絶望の権化である。
“領域”の周囲を囲む「塔」から赤い稲妻が迸り、絶えず何らかのエネルギーを供給するようにリベラゼリアと繋がる。増幅する莫大な魔力が、女神の魔力をかき消していく。
「――――知らんな、あんなもの」
遠目に見ていたゼルレインが、顔をしかめて久々に見るリベラゼリアを睨みつけた。
「“精霊”を象る魔法に変容などあり得ん。なんだあれは」
『変容じゃないよ。原点回帰だ』
イルドクリスが淡々と語る。ゼルレインが顔をしかめたまま横目でイルドクリスを見た。
「本来の姿に近づいたと? アレがか」
『キミらが語る“伝承魔法の真髄”ってのは所詮魔法の結果だ。下界と比べるまでもなく“精霊”に近いあの場所で行使されたそれは召喚に近い。もちろん近いってだけで、本物ではないけど。そうだねぇ、下界でのあれらはいいトコ“鏡に写った姿”程度のもので、ハルヴァンベントでのあれらはちゃんとした模造品ってところかな』
「……だとすれば、アリンティアスでは届かん」
己の見立てが外れたと見て、ゼルレインが諦めたように目を閉じた。
「“女神の騎士”はついぞ、序列を覆すには至らなかった。あれでは、最早……」
スヴェンの力の全ては既に、ゼルレインの認識をも超えている。手札の全てを知るわけではない。総司では決して届かないと見てリシアに託したが、それすら超える力を持っているのであれば希望はない――――
『何言ってるの。“条件は同じ”でしょ』
「……ほう」
ゼルレインが目を見開いた。険しかった表情に、わずかに楽しそうな、興味をそそられたような色が宿る。
「面白い――――」
リベラゼリアが咆哮した。
呼応するように、リシアの翼が輝いた。蒼銀を纏う魔力の光に黄金が混じり、徐々に黄金が強くなる。
スヴェンが力強く腕を振った。その動きに合わせて、無数の腕が赤黒い魔力の刃を手に、リシアへと襲い掛かる。
単純な巨大さと纏う魔力の強大さが、不可避の破壊を押し付ける。振るうだけで嵐を引き起こす殲滅の斬撃。しかし、リシアには届かない。
「“シェルレード”――――!」
剣に、腕に、魔力を十全に回す。あらゆる生命に対し無二の攻撃性を誇る“ネガゼノス”の権化へ、己に宿る力を正面からぶつける。
「“ゼファルス”!!」
赤と黒の稲妻を纏う無数の刃を迎え撃つのは、黄金に輝き蒼銀を付随する無双の一閃。
“女神の領域”ごと切り裂きかねない、巨人が放ったかのような絶大な斬撃。スヴェンの視界を覆い尽くす凄まじい一撃が、リベラゼリアの腕を派手な爆裂と共に消し飛ばした。
「ハハッ!」
スヴェンが楽しそうに笑った。
「そっちもやる気満々ってわけだな、“ジラルディウス”……!」
今の“女神の領域”がスヴェンのフィールドであることは事実だが、“伝承魔法”継承者であるリシアにとっても、その力の源泉たる“精霊”とは「近い」場所にいる。
そして、スヴェンが自身の手により作り変えた“戦場”の後押しを受けるように、リシアには彼女の背中を力強く支える“女神の騎士”の力がある。イルドクリスが語るとおり、条件は同じ。リシアには正しく、“最後の敵”の前に立ちはだかる資格があるのだ。
消し飛んだ腕が再生し、リベラゼリアが鎌首をもたげるようにリシアにぐいと近づいた。
肌に無数の針を擦り付けられるような、命と魔力を削り取られる不愉快な感覚。“女神の騎士”の魔力を持っていなければ既に膝をついていただろうと直感する。
リベラゼリアの腕が再生した。無数の腕は既に殲滅の赤い雷を湛え、リシアに向けて一斉に魔法攻撃を放つ。
動き出したリシアが瞬時に最高速へ達し、鮮やかに全ての攻撃をかわすついでに、レヴァンクロスをヒュン、と軽い音と共に振りかざした。
軽々しい所作に似合わぬ轟音と共に、リベラゼリアが放った稲妻のような光線のうちの一本が弾き飛ばされ、魔法の使い手であるスヴェンの方へ一直線に飛んだ。
すぐさまリベラゼリアによって防がれたが、リシアは間を置かず畳みかける。
夥しい数の攻撃をかいくぐり、リベラゼリアの眼前へ迫る。蒼銀を上回る黄金の輝きが、リベラゼリアの顔の前で炸裂した。
「“レヴァジーア・ゼファルス”!」
至近距離での強烈な一撃。リベラゼリアは地響きと共に姿勢を崩したが、下界の生命とは機構そのものが全く違う不自然な体躯を持つが故に、態勢を崩すということが大きな隙にはなっていなかった。留まることなく襲い掛かる攻撃は、一撃叩き込んでも全く勢いが削がれない。
リベラゼリアが内包する魔力量は常軌を逸し、それでもなお足りないとばかり、周囲の塔から継続して魔力が注ぎ込まれている。“女神の騎士”の力を得ていなければ、発散される異常な魔力と、呪いのように常に焼き付いてくる“ネガゼノス”の余波だけですり潰されていたかもしれない。
“ただそこに在る”だけで圧倒的――――しかしそれはリシアも同じ。
クリアになった思考が、際限なく高まっていく自分の力を自覚させる。研ぎ澄まされていく蒼銀の魔力が、臆する必要がないと教えてくれる。
届く。
“女神の騎士”の力が、総司の力があれば、間違いなく。
「……うん、まあ、わかっちゃいたけどな」
スヴェンが苦笑し、肩を竦め、一人呟いた。
「俺に出来て今のお前に出来ないはずもねえか……とはいえそれにしても……」
天空から降り注ぎ炸裂する極光、拡散する斬撃の嵐。
規模の格が違う、凄まじい魔力が広がる。“アポリオール・ゼファルス”と蒼銀の斬撃がリベラゼリアを見事なまでに蹂躙した。
莫大な魔力と、呪いのように生命を削り続ける“ネガゼノス”が、同規模とまではいかないまでもそれに準じる魔力を持ち、魔法的耐性が高い“女神の騎士”たるリシアに対して満足に機能していなかった――――という理屈も、なくはないが。
スヴェンとしても想定以上――――“女神の騎士”一ノ瀬総司の実力は十分測れていたつもりだったが、その力がリシアに渡ったことによる「跳ね上がり方」が常軌を逸している。リベラゼリアの勝ちがないことはわかっていたが、ここまで圧倒的で、瞬殺されるとまではスヴェンも思っていなかった。
単純な足し算ではない。この出力の上がり方には、リシアよりも知識があるスヴェンでも満足のいく説明がつけられない。
瞬間的には”精霊”にすら届き得る出力の実現は、”女神の騎士”の力だけでは成し得ない奇跡。
そしてスヴェンは――――間違いなく「悪」ではあるが、しかし生粋の悪人ではなく、ヒトの善性も、醜くも美しい生命の「意思」も、それなりに理解しているから。
力だけでは成し得ない奇跡を起こすモノが何であるかを、知っている。
ゼルレインと同じように、眩しいものを見るように、スヴェンの視線はリシアを追っていた。
だが、忘れてはならない。
現段階では世界最強の近しい魔法だったであろう“リベラゼリア・ネガゼノス”は、“最後の敵”の前座に過ぎないということを。
「スヴェン!!」
リシアが速度を上げて、未だ赤い魔力が霧散する中を突っ切ってスヴェンに迫った。スヴェンは目を細め、変質した槍を軽く振る。
真上に鋭角に進路を変えたリシアへ、赤黒い魔力の槍が襲い掛かる。視界から消えて死角から“アポリオール”を叩き込もうとしたリシアの進路を読み切る完璧な「置き」。リシアはバチッと弾かれたが、ダメージはなくすぐに体勢を立て直す。
「“切り札”で突っ込んでこないだけ冷静だったな」
スヴェンが笑いながら言って、ひょいっと塔の上に躍り出る。
「今撃っても届かないことがわかってる。すっかり落ち着いちまって厄介なもんだ」
「ッ……これは……」
リベラゼリアを打倒したことで生じた赤い魔力の霧が消えない――――どころか。
塔から供給される魔力は未だ途切れることなく、“女神の領域”全体を走り、霧散したはずのリベラゼリアの魔力がむしろ濃度を増している。頬に焼き付くような感覚が時間の経過と共に強まっている。
スヴェンの体から怨嗟の蒼炎が沸き上がった。リシアの反応も早かった。すぐさま魔力の斬撃を飛ばしたが、リベラゼリアにも通じた斬撃がスヴェンには届かなかった。
赤黒い魔力に怨嗟の蒼炎が混じる。竜巻に炎が混じって凶悪な災害へ進化するように、ただでさえ凶悪な魔力が更なる禍々しさを帯びて――――巨大な光の槍を形成した。サリアの槍のようなスマートなものではなく、「ランス」と形容できる巨大な武器がそのまま、天空を侵食する赤紫のソラへと向けられる。
「試しちまって悪かったな。余興はここまで。本題に入ろうぜ」
スヴェンが腕を振り上げて、光の槍が天空に刺さった。
その瞬間、不愉快なキィン、という、頭の内側に直接響くノイズが走って、リシアの翼がふっと消えた。
着地の衝撃などものともしないリシアだが、断続的に響き続けるノイズのせいで動きが止まる。
「ぐっ……!」
甚大な隙だ。スヴェンであればリシアを十回は殺せるほどの無防備を晒したが、しかしスヴェンもまた別のことに集中していた。
光の槍が突き破ろうとする先の「何か」。彼はそこに意識を向けているようだった。
魔力を供給していたらしい塔から、悲鳴にも似た金切り音が響き渡って、塔が一斉に破損した。数千枚のガラスが一斉に割れるような音と衝撃。不快なノイズが掻き消えて、空に波紋が広がり、波紋と共に赤紫の不吉な色が充満していく。
そして、スヴェンによって幻想的な――――理想郷のような姿に変貌した周囲の景色が、不吉に染まり上がった頃。
空に出現した物体を目視し、リシアは言葉を失った。
「俺は神学者でも哲学者でもない」
スヴェンの声が木霊する。
声のトーンが変わった。どこか口調すら変わっているようにも思えた。
リシアが“ルディラントで出会ったスヴェン”を敵視したことに合わせるように、彼はもしかしたら「千年前の己」を演じていただけ、なのかもしれない。まるで別人のようになった彼が、静かに語り続ける。
「しかし考えずにはいられない。『神とは何か』、『世界とは何か』。どうだ、リシア」
体に入った亀裂から怨嗟の蒼炎を滲ませながら、スヴェンが問いかける。
「頭の良いお前と是非とも議論してみたいと思うわけだが、お前も同じ気持ちだろう?」




