別れ惜しむハルヴァンベント 第四話① 覚醒する蒼銀・迎え撃つ赫雷
サリアの槍はスヴェンの魔力を受けて変容し、巨大化し、イラファスケスの影響かどす黒く変色している。
纏う魔力は絶大で、物理的な大きさで言えば比較になるはずもないのに、まるで神獣王アゼムベルムを相手取っているかのよう。
千年前の最強の魔法使いロアダークをすら殺し切り、その力を我が物としたばかりでなく、戦場にいた名だたる戦士たちの全てを奪い尽くしたスヴェンの能力は、総司とリシアの懸念通り下界に顕現したレナトゥーラの力すらいくらか取り込んで、既にヒトの身を大きく逸脱した常識外のものへと昇華された。
“精霊”であるレナトゥーラの力をも取り込めるスヴェンの権能は、その事実から察するに対象がヒトに限定されない。恐らくは魔獣の力をも奪い取り、ヒトの身で使えるものは問題なく使えるのだ。
存在としての格がそもそも、下界の生命と一線を画す「上位」。それに加えて、スヴェンには総司にない才能があった。
彼と同じく「異界の民」であり、スヴェンにとっても魔力と魔法は「後付けの道具」でしかないはずだが、生来総司よりも要領が良く、そして器用なのだろう。多すぎる手札を掌握し使いこなすばかりでなく、それらの力を元の使い手以上に十全に引き出す才覚。
ロアダークを撃破する前から、既に「将」としてゼルレインから一定の信頼を得ていたのは、スヴェン自身に才能があったからだ。
才能か、或いは経験か――――スティーリアに召喚される前からもしかしたら、命のやり取りに慣れていた可能性もある。
「……強いな」
そんなスヴェンが、ぽつりと呟いた。
“女神の領域”を蹂躙する勢いで荒れ狂いながら激突する二つの力。地の利を生かせるほど複雑な地形もなく、小細工なしで力と力が正面からぶつかり合うほかない戦場で、絶対的な力を以てしてなおも。
新たなる“女神の騎士”の勢いを止められない。蒼銀と黄金の突破力が、当初の小手調べの時と比較にならない。
「ついさっき“成った”ばかりだろうが――――当たり前に使いこなすんじゃねえよ、天才め……!」
怨嗟の蒼炎を突き破って、リシアがスヴェンに肉薄する。“女神の領域”を囲む柱の上で、スヴェンが槍を構えてリシアを迎え撃った。
衝撃波が広がる。リバース・オーダーとサリアの槍がぶつかって、つばぜり合いとなった。
明らかな膂力の上昇。“ジラルディウス”による魔力のみならず物理的なブーストが、スヴェンの体を軋ませる。下界の生命であれば容易く粉微塵になるほどの暴力。
“女神の騎士”の力とリシアの間に在る親和性は、既にスヴェンが語った通りだが、それだけではない。
若い身で“ゼファルス”の真髄に至ったように、リシアもまた「時代の傑物」。天才的な才覚の持ち主であり、女神救済の旅路の中で死線を潜って、その才能は更に磨かれ成長した。
そして何より、“女神の騎士”を誰よりも近くで、誰よりも長く見守ってきたのだ。高い親和性のみならず、彼女は“女神の騎士”の絶大な力を「最初から自分のものであったかのように」使いこなしている。
スヴェンの前に現れた当初は、それが出来ているとは言えなかった。彼女らしからぬ負の感情が、彼女の力と不和を生み、常のリシアらしからぬ力押しが彼女本来の実力と全く折り合っていなかった。
今は違う――――“女神の騎士”の力も“ゼファルス”も完全に調和し、それらの手綱をリシアが完璧に握っている。
まるで「二人」を相手取っているかのような錯覚に陥る。リシアの背中を押す幻影すら見えそうな、何をしても止められない未来しか見えなくなりそうな、破竹の勢い。
“見ていた”はずのスヴェンすら目を見張る。「これほど」だったかと。
凄まじい膂力に驚きながら、しかし片手でリシアの突撃を受け止めて、スヴェンが指で不可思議なサインを作った。
リシアが見たことのない所作。経験がないなりに、リシアは咄嗟に身をかわした。
怨嗟の蒼炎が無数の槍を形成し、リシアを串刺しにせんと襲い掛かる。リシアは鮮やかに身を翻して全て回避し、リバース・オーダーを振り抜く。
蒼銀の斬撃がスヴェンを襲い、スヴェンもまた容易くいなす。
リシアの目が鋭く彼の動きを捉えていた。激化する戦闘の中でも、既に分析は済んでいる。
「この期に及んで何のつもりだ?」
「おっ?」
スヴェンがひょいひょいと柱の上を跳び回りながら、リシアの言葉に反応した。
「別にその指の動きがなくても魔法の行使は問題ないんだろう。それで私を惑わせるつもりか」
「可愛くねえな」
スヴェンが苦笑しながらヒュッと槍をかざす。
目にも止まらぬ速度で赤黒い閃光が走った。詠唱も予備動作もなく発動した“ネガゼノス”がリシアの顔面に飛んだが、リシアは首を軽く傾げるような動きだけでかわす。
そのままリシアの姿が掻き消えて、一瞬でスヴェンとの距離を詰めた。スヴェンは口元に笑みを浮かべて、再びリシアを迎え撃つ。
再び前触れもなく発動した“ラヴォージアス”がリシアの体を襲うが、しかし今度は止まらない。
リシアが剣を振り抜いて、スヴェンが遂に片手では受け止めきれず、大きく後ろへ弾かれた。
「チッ――――流石にもうちょい気合入れねえと無理か」
速度を重視して発動した魔法では、今のリシアを止められない。下界の生命の大半をそれだけで殺せるような威力の魔法も、彼女の前ではほとんど無意味と言っていい。
スヴェンが大きく槍を振りかぶった。
これまでの戦闘からすればあまりに大きすぎる動作。その隙をリシアが見逃すはずもない。一気に突っ込んだリシアがスヴェンの懐へもぐりこむ――――はずだったが。
不自然な距離の開きがあった。既に首を刎ねて余りあるほどの距離を移動したはずなのに、近づけない。時間が奇妙にゆっくりと流れるような錯覚。スヴェンが振りかざす槍が振り下ろされるまで、ひどく長く感じた。
「よいしょぉ!!」
巨大化し、槍と言うよりは「戟」の様相となったサリアの武器を、スヴェンが思いきり振り下ろす。二振りの剣で受けたリシアだったが、強すぎる威力に留まり切れず、大きく弾かれ旋回し、距離を取ることになった。
「……マジで天才かよ。アイツの力がなくても普通にゼルレイン級じゃねえか……?」
反撃したはずのスヴェンが真面目な顔でリシアを見やる。
今の攻防で「決められる」とまでは思っていなかったが、少なくともリシアは「誘いに乗った」。距離と時間間隔を誤認させる幻惑の魔法の一種だが、“女神の騎士”に継続的な効果がないのはわかっていた。
それでもほんの一瞬、リシアの動揺を誘う程度の効果があれば十分以上だった。
だが、初めて体験する奇妙な状況の中で、リシアはすぐさま対応し、スヴェンの攻撃を防いだ。
完璧ではないまでも、スヴェンが晒した隙に「何か仕掛けがある」と読んで次の行動を幾重にも想定している。“ラヴォージアス”を乗せた一撃も問題なく受け切れる。
しかし――――
「やりにくい相手だ」
飄々とした調子で嘯くスヴェンを睨みつけ、リシアは思考を巡らせる。
リシアの力がスヴェンの“想定を超えている”とすれば、リシアから見たスヴェンは“逆”だ。
魔力量は膨大で、魔法使いとしてはこれまで出会った誰よりも強い――――はずだ。魔法の発動はほぼノータイムで、小細工じみた指の所作を除けば予備動作も「予備の気配」も感じさせない。そのくせ威力は一級品以上のそれだ。絶対的に強いのは間違いない。
形容しがたい感覚ではあるものの、魔力と気配には不釣り合いなほど肌で感じる「脅威性」に欠ける。未だ本気でないというだけかもしれないが、それでもぬぐえない違和感がある。
一瞬、静寂。
ピリッと研ぎ澄まされた二人の間の空気がわずかにざわついた瞬間、リシアの姿が消えてスヴェンの真横に突っ込んだ。
スヴェンが正面へ発動した“ネガゼノス”を紙一重で回避し、潜り込むような形になる。だがスヴェンも「リシアが攻撃を見てから反応して飛び込んでくる」ことを読んでいて、“ネガゼノス”の発動に槍を使っていなかった。
さっき槍を使って魔法を発動して見せたのが撒き餌だ。腕をかざして魔法を発動し、槍を持つ手を自由にして近接戦闘で迎え撃つ。
リシアの姿が再び消えた。超高速で後ろへ飛び、距離を取る。
同時に、リシアの方へ向き直ったスヴェンの横合いから無数の“ランズ・ゼファルス”が突っ込んできた。
スヴェンは舌打ちしながらそれらを魔法の盾で防ぐが、リシアが飛び去った方向からも次々にマシンガンの如く“ランズ・ゼファルス”の嵐が撃ち込まれてくる。
暴走状態にあった時の戦闘も含めて、「餌」を撒いているのはスヴェンだけではない。二振りの剣による戦闘を撒き餌にしながら打って変わって“ゼファルス”による遠距離攻撃で攻める。元々総司とは比べるまでもないほど「魔法」の取り扱いに秀でていたリシアだが、“女神の騎士”と成ったことでその才覚が更に研ぎ澄まされている。
「一応歴戦だってのに、あっさり読み合いで勝つんじゃねえよ俺に」
「本気を出さないつもりか?」
声が聞こえる距離でまた間合いをはかりつつ、リシアが冷静な声で問いかけた。
「なぁに、お互いまだ探り合いだ。お前だってそうだろ? 出さねえじゃねえか、例の“アレ”を」
覚醒したリシアの姿を見れば、“シルヴェリア・リスティリオス”が発動可能な状態にあることはスヴェンにもわかる。
魔法発動の予兆を感じさせないスヴェンとは対照的に、“シルヴェリア・リスティリオス”の予備動作は大きい。余裕のあるスヴェンに撃ち込んだところで容易く回避されるか、或いはリシアの把握していない手札で熾烈に反撃を受けかねないことは明らか――――それ故にリシアも探りを入れている状況ではあるが。
リシアにはスヴェンほどの手札はないのだ。スヴェンが望めば状況は動かせるはず。動かされた戦況の中でも優位を取る自信があるリシアだが、主導権そのものはスヴェンが握っていると言っていい。
「確かに探っているところではあるが……思っていたより『ヒト』の戦いだ。少し意外だった」
リシアが率直な感想をぶつけた。スヴェンが楽しそうに笑った。
「多少見てくれは悪くなったが、ちゃんとヒトだよ、俺だって。けどまぁ、そうだな」
スヴェンが何気なしにふわりと両手を広げた。
「“最後の敵”にしちゃ派手さが足りねえと言われれば今のところその通りだ。ひとつ期待に応えてやるよ」
“女神の領域”の周囲を取り巻く光景が、一気に様変わりした。
青空の只中に浮かんでいた六角形の街並みが、凄まじい風のうねりと共に幻想的な大自然の上空へ放り出された。棚田のように段上に連なる白亜の大地がコバルトブルーの泉を湛え、瞬く間に広がる木々の緑と水の調和が浮世離れした見事な世界を形成する。
リシアがハッと気づいて、街を取り囲む柱へと視線を移した。
朽ち果てた遺跡にあるような柱が、赤黒い「塔」に変貌している。大自然へ様相を変えた“領域”全体の景色と不釣り合いな塔が、不吉な輝きを放っていた。
「……もうこの空間はお前のものというわけか」
油断なく周囲の状況を見回し、分析しながら、リシアが険しい声で言う。
「ほぼほぼ、な。最後の仕上げってところでお前が来た。もちろん見てくれだけじゃないぜ」
スヴェンに宣言されるまでもなく、リシアも理解している。
空間が変貌を遂げたのと同時に、充満する魔力も明らかに変わった。景色が変わっただけでなく、この空間は何らかの形でスヴェンを「後押し」する性質を伴っている。
十分過ぎる魔力を更にブーストするだけ、というような効果とは考えにくい。「塔」の色味と魔力の質を加味すれば、この舞台は――――
「前提条件の話だ。少なくとも“あの日の俺”を越えてないヤツに本気なんざ出す価値もない。ってことでまずは見せてもらおうか。コイツを倒せるかどうかをな」
「塔」同士が赤と黒の稲妻で繋がり合う。スヴェンは顔の前に手をかざし、唱えた。
「“リベラゼリア・ネガゼノス”」