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リスティリア救世譚  作者: ともざわ きよあき
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別れ惜しむハルヴァンベント 第三話⑤ リシアの”理由”

 リシアは世界を救済する旅路に、その過程にある戦いに、意味が必要だとは思っていなかった。


 旅の最初は、「そうすることが当然でそうすべきだったから」。意味を求めたわけではない。無意識に当たり前に、命懸けで挑むに足る試練だと勝手に認識していた。


 同じように、“女神の騎士”として図らずも使命を負った男にも、同じだけの気概と当然の義務感を求めていた。いや求めていたというより、持っていて然るべきだと勝手に思い込んだ。


 二つ目の国を越え、リシアは旅路の果てに答えを求めた。今何が起こっているのか、挑もうとしているものは何なのか――――“女神の騎士”が成し遂げるべきことは、一体何なのか。この時リシアは、“女神の騎士”に『救世主としてのあるべき姿』を求めることを、これも無意識に辞めていた。


 もしかしたらこの時初めて、“女神の騎士”ではなくソウシ・イチノセそのヒトのことをしっかりと見るようになったのかもしれない。


 三つ目の国で己と向き合い、図らずも乗り越えた。総司が成長する旅路の過程で、リシアもまた覚醒を遂げ、彼の精神的支柱というだけでなく、実力的にもようやく肩を並べ、同じラインで歩けるようになった。


 四つ目の国で総司の望みを知り、彼の味方としての自分の在り方を確立するに至る。リシアは当然そうするべきだから旅路を進むのではなく、総司の味方として己が「どうしてもそうしたい」から進むようになった。


 五つ目の国で初めて「慈愛の女神」に正面切って反抗した。誰よりも総司の味方であるために、リスティリアの生命としての常識を外れ、彼のために反旗を翻した。


 六つ目の国で総司の味方として――――女神よりも誰よりも総司を想う生命として、総司に「生きてほしい」と伝えた。長い旅路の中で積み重ねた全てがリシアにそれを言わせた。他の何を犠牲にしても、どうか生きてほしい。リシアの望みはそれだけだった。


 けれど、同じように積み重ねた全てが、総司に最期の答えを出させるに至った。


 リシア・アリンティアスが一ノ瀬総司の味方となり、彼を想えば想うほど。


 “この結末”への道が丁寧に舗装された。リシアが「総司に生き残ってほしい」と思うように、総司もまた、「リシアにはどうか生きてほしい」と思うのは当然だ。


 至極当然の帰結だが、「絆」というものは一方通行では成立しない。そんな当たり前のことを見逃して、ゼルレインの思惑に、大いなる運命の流れ着く先に思い至らなかったのはリシアの落ち度とも言えるかもしれない。


 この結末を予期していれば、もしかしたら打てる手があったかもしれない。


 実際に何らか回避する手段があったのかどうかは別として――――総司が「死ぬつもりかもしれない」と予期していながら、「自分がその原因となる」結末に至ったことが、リシアの暗い憎悪を助長した。生真面目な人間が闇に堕ちる時というのは、えてして「自責」がトリガーとなるものだ。


「サリアにもう一度会えたら、最初になんと言葉を掛けるつもりだ?」


 静かで穏やかな魔力が、蒼銀の光を伴って、ふわりとリシアの周囲を旋回する。


 “女神の騎士”の魔力は稲妻のようにバチバチと迸ることもなく、先ほどまで恐ろしいほど発散されていた殺意も引っ込んで、まるで初夏の海風の如く、優しく彼女の周囲を舞った。


 スヴェンが目を閉じ、葉巻から毒の煙を大きく吸い込んで、空へ吐き出した。


「……言われてみりゃ……最初の一言か。考えてなかったな」

「情けないな」


 リシアは笑っていた。


 スヴェン・ディージングの元に辿り着いた時のような、悲愴に満ちた情けない笑顔ではなくて――――決意を固めた、勇ましくも優しい笑みだった。


 その笑みがふと引っ込んで、どこか糾弾するように、鋭い言葉を浴びせかける。


「そしてまた繰り返すのか。『愛している』と言えない日々を」


 サングラスの奥の目が、うっすらと開かれた。


「“意味がないからやめろ”などとは言わん。もとより我欲に意味など不要だ。善悪を越えて己が望みを叶えようとするお前に、今更道理を説く必要もない。だから私も善悪を抜きに言ってやる」


 リシアがリバース・オーダーをヒュッとかざし、スヴェンに向けた。


「千年もの時を費やして、積み上げられた歴史の全てを無に帰すような悪行の果てに、サリアを取り戻そうとしているくせに、未だ愛を告げる覚悟すらない。そんな女々しい男に成し遂げられるとは思えん。お前の言葉は信頼に値しない」

「……手厳しい女だ」

「私とお前が『似た者同士』だと言っていたが、残念ながら違うようだ。私は――――己の後悔のためには戦えない」


 王ランセムは総司のことを、「誰かのためでなければ剣を振るえない」男だと称した。


 その相棒たるリシアもまた同じ。


 後悔だろうが憎悪だろうが、「己のため」には剣を振るえない。総司の相棒として総司と似たリシアだからこそ、彼女の本質に反した剣の振るい方では、“リスティリオス”が応えてくれなかったのだ。


 解除されていた“ジラルディウス”が再度、発動する。


 吹き上がる突風の質の違いを肌で感じて、スヴェンが眉根をひそめた。


 今の彼にとっては、実に不愉快で――――眩しすぎる煌めきだった。


「私への誓いに偽りはないのだろう。私に同情してくれたのは、きっと本心だろう。だからきちんと答えよう。前言は少しだけ撤回するよ。まだ全て納得したわけではないが、女神レヴァンチェスカを斬るのは保留としておこう」


 力強さを増す蒼銀の風の中で、リシアの耳には確かに聞こえた気がした。


 勝負所となった時に力強く気合を入れていたあの声色で、リシアに対し檄を飛ばす声が。


――――さあ行くぞリシア、今度こそだ!――――


 リシアの口元に一瞬だけ笑みが浮かんで、すぐに消える。


 リシアはうねりを上げる風と共に飛翔し、建造物の屋根に腰かけるスヴェンよりも高い位置で、再び二振りの剣を構えた。


「お前を斬り、“リスティリア”を救う――――アイツが『どうしても見たい』のだと想い憧れた、“繋がるリスティリア”を見るために!」


 どうしてもそうしたいのだと望んで、初めて。


 総司の剣は、最後の敵の心臓に届く――――彼が最も信頼した、無二の相棒の手によって。


 凛とした冷涼なる魔力は質を変え、剣に呼応し、翼に広がる。


「そうか」


 スヴェンがゆらりと立ち上がった。


 スヴェンの魔力の質もまた様変わりする。明らかな“イラファスケス”の気配が彼の全身から発散され、“真実の聖域”で見たままだった彼の顔に、ネフィアゾーラが下界に顕現した時のような黒々とした亀裂が走った。


 暴走状態のリシアを「思わず殺してしまいそうだった」と言ったように、スヴェンは本気で戦っていたわけではなかった。


 彼にとって、リシアは唯一「理解者」となれる可能性を秘めていたから。


 大きな情があるわけではないが、スヴェンもまた彼と彼女の物語を知り、歩みを知っている。顔見知りでもあり、最後の最後で最悪の境遇に落とされたリシアに、過去の己を重ね合わせて同情している面もあった。


 だが、スヴェンは遂に乗り越えられず、リシアはすぐさま乗り越えて見せた。


 それは妄執と親愛の差。


 死に別れ遂に応えられなかった後悔と、死に別れてなおも信頼に応えようとする絆。決定的に過ぎる違いは今、二人の間に完全な隔絶を創り上げた。


「アイツが生きる未来は、いらねえか」

「叶うのなら願うとも」


 リシアは強く、清々しいほど強く言った。


「ただ自問しただけだ――――“最後の敵”を前にしてそんなことを願う私は果たして、アイツが最期まで信頼し続けてくれた私なのかと。無論、問うまでもなかった」

「ダ女神の手のひらの上で最後まで踊るか」

「言っただろう、アイツの選択の是非も、我らに課された運命も、全て納得したわけではない。しかし悪いな、スヴェン」


 纏う魔力に違わぬ清々しい笑顔。わずかに好戦的な色すら見えた。何もかも吹っ切った、最早言葉で止められない英雄の顔だ。


「“お前と”議論したいとは思わない。“リスティリア”に戻り、アイツの帰りを待つ皆に全てを伝え――――私の愚痴をありったけ聞いてもらうとする」


 リバース・オーダーを向け、リシアが高らかに謳った。


「お前もまたサリアのために力を振るうなら、説得の言葉など私にはない。 “スティーリア”か“リスティリア”か――――“過去”か“未来”か。勝った方の望みが叶う。それだけだ」

「……そうかい」


 不吉な気配を纏うスヴェンの口元に、呆れたような笑みが浮かぶ。一瞬だけ、彼は心から笑ったように見えた。


「心底羨ましいよ、お前らが」








「余計なことをする」


 スヴェンもリシアも、互いに背負う理由に対して「独りきり」同士の戦いを、中空から見守る者がいた。


 踏み込めないはずの領域を見据え、浮いた瓦礫の端に立つのは、ゼルレイン・シルヴェリア。傍らには、先代の“女神の騎士”を最後に見送った上位存在がいた。


「あの二人の邪魔をしたくないのだが」

『もちろん手は出せないさ。ここは単なる観客席だ。ただ、キミには見届ける義務があると思ってね』


 イルドクリスがいたずらっぽく笑った。ゼルレインは忌々しそうに一瞥し、すぐに視線を“女神の領域”へと戻した。


 覚醒した蒼銀と、千年前よりも強度を増した怨嗟の炎がぶつかって、派手な爆裂を幾重にも引き起こしているのが遠目にも見て取れた。既に決戦は開幕し、互いに迷いのない二人が激突している。


 空間を掌握するイルドクリスが、“女神の領域”と薄皮一枚隔てたような、特別な観客席を用意した。


 スヴェン・ディージングを召喚した魔法使いとして、ゼルレインには事の顛末を最後まで見届ける義務があるのだと。


 リシアを殺した後、世界の滅びを――――或いは救済を待ちながら佇んでいたゼルレインは、強制的に引き込まれ、この観客席に放り込まれた。


『酒もあるよ。下界の逸品を模したイルドクリス印の一点モノだ。今作った』

「……フン」


 ゼルレインはどかっと座って、イルドクリスにずいっと手を差し出した。


「寄越せ」


 ガラス瓶に入った蒸留酒を、イルドクリスが投げ渡す。ゼルレインはぐいっと一口煽って、深く息を吐いた。


『どうよ』

「酒の味を聞きたいのか。それともアレか」

『あっちのことさ。感想は?』


 ゼルレインは鬱陶しそうにイルドクリスを睨み、無視しようとしたのだが、穏やかで無邪気な微笑を見て毒気を抜かれたようだ。


 語る相手が縁もゆかりもない上位存在というのは味気ない話だが、他に語れる者もいない。


「……どこで間違えたかね」


 ゼルレインがため息交じりに言った。


「私とスヴェンも、なろうと思えばあの子らと“同じようになれた”」

『だねぇ』


 ゼルレインの傍らによっこらせと座って、イルドクリスが軽い口調で言った。


『ボクにはわかるけどね』

「ほう」

『知りたい?』

「もったいつけるな」

『ふふん』


 イルドクリスはへらへら笑っていた。


『お互い認めてはいたけど、信頼し合ってはいなかったでしょ』

「……そんなことはない」

『キミは駒としての有用性を、彼は“強いヒト”としての器と価値を、認め合っていたのは間違いない。でもそれだけ。本音も弱音も零せる間柄じゃなかった』


 イルドクリスが横へ視線を流した。


『止められなかったキミと、戦い続けられるリシアとの、決定的な差だ。もしかしたら若さもあるかもね?』

「当時の私とリシアで言えば、十程度しか差がないはずなんだがな」


 ゼルレインが苦笑した。


『ヒトの十年って、結構長くない?』

「確かに」


 続けて酒をあおり、ゼルレインが頷く。


「成熟した大人ぶって偉そうにモノを言うくせに、結局最後は愛に溺れた。情けない二人だ。それに引き換えあの子らのなんと――――なんと、眩いことか」

『いいじゃんいいじゃん。ボク知ってるよ。いつだって若い恋より汚いものだ、大人の愛ってのはさ』


 イルドクリスが伸びをしながら何でもない調子で言った。


『ちょっと頑張れば、一声届かせるぐらいはできるけど?』

「不要だ」

『キミの理由は、もういいのかい』

「ああ」


 酒をちびちびと飲みながら観戦するゼルレインの表情は、いつしか穏やかなものになっていた。


「もういい」

『そっ。向こうでもし会えたら一言ぐらい、ソウシに謝りなよ』

「わかってるさ。会えたらな」



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