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リスティリア救世譚  作者: ともざわ きよあき


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別れ惜しむハルヴァンベント 第三話④ 総司の”理由”

 千年の時を経てなおも、スヴェン・ディージングはよく覚えている。


 最後に交わした会話は、色気も味気もなかったと。


 いや――――色気も味気もないものに、自分が敢えて落とし込んだのだと。


「メルズベルムで合流するそうですね」

「耳が早いな」


 深緑の外套の下に簡素な鎧のようなもの――――プロテクターじみた防具を装着するスヴェンの姿は、サリアにとっては珍しい光景だ。


 緊張高まるスティーリアの情勢下においても、大きな動きがない時期だった。ルディラントに常駐していたスヴェンが臨戦態勢を整えているというのは、初めてのことだ。珍しく葉巻もくわえていなかった。


「柄にもなく“急ぎの指令”なんてものを寄越してきやがった」

「確かに、ゼルレイン様にしては珍しい」


 にわかに世界に対する牙を剥き始めようとしていたカイオディウムだったが、その首魁たるロアダークが、シルヴェリア王女を何よりも警戒しているというのは、半ば公然の事実だった。


 滅多に国を開かないティタニエラとすら連帯し、世界の情報を仕入れていたゼルレインだったが、最初に緊張が高まるのがシルヴェリアとカイオディウムの国境に位置する「メルズベルム」になろうとは思っていなかったようだ。ロアダークがそれだけは避けるだろうと踏んでいたためである。


 最初の激突が起きるとすればルディラントが舞台になるだろうと想定し、スヴェンを配置していたゼルレインだったが、その目論見が外れた形だ。


 ゼルレインの情報網では、この時はまだ仕入れられていなかった。


 同盟まで組んで動きを制限しようとしたローグタリアから、スティーリアにおいては最新鋭の技術がロアダークに与えられているという情報が、他ならぬローグタリアによって封殺されており――――カイオディウムの戦力の総量と機動性を見誤った。


「カトレアを置いていく。どこまで役に立つかは知らねえが」


 バチン、と装備を装着して準備を整え、スヴェンがサリアを見据えた。


「こっちは頼んだぞ」

「言われなくても、もとよりルディラントの守護は私の仕事です」


 サリアがきっぱりと言った。


「あなたは自分の仕事に集中してください」

「可愛げねえな」


 スヴェンが苦笑した。


「わかっているでしょうが、ゼルレイン様の身に万が一のことがあったら全てが終わります。あなたの方が到着は早いでしょうから、あの御方が来られる前に決着をつけてしまってもいい」

「そのつもりだ。向こうは軍勢率いて来るはずだからな。スッキリ準備を整える前に片をつける。ま、アイツは気に入らねえだろうが」

「ですが」


 サリアが真剣な声色で続けながら、スヴェンの外套の袖元を掴んだ。


「もしロアダークが出てくるようなら一目散にルディラントまで逃げてきなさい。二人で迎え撃ち、ゼルレイン様の軍勢と挟撃する形に持ち込むのです。くれぐれも一人でやり合おうなどと思わないように」

「わーかってるよ、心配すんな」


 サリアの手をピッと振り払って、スヴェンが面倒そうに言った。


「お前も知っての通り、俺はそこまで勇敢でもねえし、男気もねえんだよ。敵の大将と一騎打ちなんざ願い下げだ。お前も準備は怠るなよ。下手したら一気に始まるぞ」

「ええ、わかっています」


 サリアが頷き、そして意を決したように、言った。


「スヴェン?」


 出立しようとするスヴェンの背中を、サリアの声が追いかける。


「何だ」

「戻ってきたら話があります。少しばかり時間を取って――――」

「やめとけやめとけ」


 スヴェンが歩き出しながら遮った。


「戦争の前にそういう『無事に帰ってきたら』みたいな話をするとな、結局達成できないってのがお決まりなんだよ。何事もない可能性だって十分あるんだ。改まるこたぁねえよ」

「……ふふっ」


 サリアが笑った。スヴェンは振り返らなかった。


「そうですか。では、また後日。サボらないように」


 ひらひらと手を振って去っていくスヴェンを、サリアが微笑みながら見送る。


 最後の会話は、このようにあっさりと終わってしまった。


 スヴェンが自ら終わらせた。


 サリアが何の話をしたくて、スヴェンとの約束を取り付けようとしたのかを察した上で。


 彼女の想いをすげなく流した。


 己の心のうちに気づいていながら、彼を知る誰しもがそう評するように女々しく抵抗し、先延ばしにして。


 結局それが、千年を超える呪いとなった。




「――――わかってるさ。俺がどうしようもねえヤツで、とんでもなく下らねえ望みを抱いてるってことぐらいな」


 自嘲的に言って、スヴェンが煙を吐き出した。


 硬直したままのリシアが話を聞いていようがいまいが、スヴェンはお構いなしだった。


「理屈じゃねえんだ。お前がさっき言ってたのと同じだよ。俺も“そうしなければ収まらなかった”。善悪なんざ論じるまでもねえ。俺は悪だ。世界の敵で、女神の敵で、今を生きる生命全ての敵だ」


 火のついた葉巻の先をリシアに向け、スヴェンが言う。極めて真剣で、かつ親しみのある声で。


「でも、お前の敵じゃない」


 総司の亡骸を目にして、その死を理解した時と同じように、全身が冷え込むような感覚がリシアを襲っていた。


 衝撃的なスヴェンの目論見が、リシアの戦意のことごとくを奪っていた。


「アイツと最後に交わした言葉はなんだったか、最後に見たアイツの姿はどんなだったか、お前は覚えてるか」


 レヴィアトールに分断されようとして、ゼルレインに捕まり、リシアが総司に「自分ごとやれ」と叫んで、総司は迷いなくリシアに従った。


 培った信頼関係を互いに確認し合うように、視線が交錯した。生きている総司の姿としては、それが最後。再会した時には、彼は物言わぬ亡骸となっていた。


「詳しいことは知らねえが、それが最後で、よかったと思うか」


 良いはずがない。


 命懸けの旅路であったことは百も承知だ。これまでも総司の命が脅かされたことはあったし、必ず生きて達成できる旅であるなどという保証はどこにもなかった。その意味では、総司が死ぬかもしれないという未来への覚悟が、リシアには足りていなかったのかもしれないが――――


 たとえ命懸けの旅路であることが、前提であったとしても。


 「まるで大いなる運命が筋書き通り導いたように」、総司の命をただ消費して旅が完遂されるだけとなれば、話は別。だから、リシアはスヴェンも女神も、この世界すらも許せなくなった。


 そんなリシアにとって、あまりにも蠱惑的だった。


 時間を巻き戻し、スティーリアの時代までさかのぼり、総司がリスティリアに召喚されたという事実そのものがなくなるのだとしたら――――


 予定調和の如く一ノ瀬総司を消費した、この最低の旅路すらも、なかったことになるのなら。


 既に「世界そのものをすら滅ぼそうと」決意を固めたリシアにとって、リスティリアがどうでもよくなったリシアにとって、スヴェンの提案は魅力的に過ぎた。


――――もし本気でそれを実現しようとするなら、とんでもない責任が伴うんだと思う。責任を取るにはどうすればいいか、なんてのは、まだ何も見えてないけど……それでも俺は――――


 虚ろに沈むリシアの目に、わずかに光が宿った。


 リバース・オーダーを握る手に、レヴァンクロスを握る手に、力が入る。


 スヴェンがぴくりと反応した。流れる空気の変化を感じ取っていた。


 図らずも――――衝撃的な話をスヴェンがぶつけ、暴走状態にあったリシアが留まり、蠱惑的な提案に思考が一度沈んだことで。


 生来生真面目で、聡明で、そして何より「総司の味方」であるリシアが、クリアな思考の中で鮮明に思い出した。


――――繋がるリスティリアを見てみたい。それが俺の、今の望みだ――――


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