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リスティリア救世譚  作者: ともざわ きよあき
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別れ惜しむハルヴァンベント 第三話① 女神の騎士リシア・アリンティアス

「お前の賢さには驚かされてばかりだ」


 総司がイルドクリスと共に奔走し始める頃、リシアはゼルレインを向き合い、そして「戦う気」満々のゼルレインの気配に圧倒されながら、剣を彼女へと向けていた。


 ゼルレインは覇者の気迫を前面に押し出しながらも、リシアに手放しの賞賛の言葉を述べた。


「私に“なんでも質問してよい”時間の中で、敢えて言及を避けていたな。それはお前の中で既に結論が出ているからだ。違うか?」


 ゼルレインの眼差しが、鋭くリシアを射抜く。リシアは油断なくゼルレインを睨みつけながら、問いかけには答えなかった。


「察しの通りだ。お前たちは二つ勘違いしている。そのうちの一つ――――“ハルヴァンベント”への道は一方通行ではない。“通行止め”だ。下界に生きる生命は女神の領域には“辿り着けない”」

「……私のことを買い被り過ぎていらっしゃる」


 リシアが静かに言った。


「もう引き返せないものとは思っていましたが、通行止めとは思っていなかった」

「それも正しい。ここに至った時点で、お前にはもう退路はない」


 ゼルレインの言葉を聞くだけで、リシアは自分の推測が正しいことを悟っていく。ゼルレインの言う通り、既にリシアの頭の中には答えがあるのだ。


「いずれにせよ、“異界の民”だけは例外であるということですね」

「惜しい」


 ゼルレインが微笑んだ。


「異界の民と“女神の騎士”だけは例外なのだ」

「同じことです」


 リシアが冷静なままで切り返す。


「私たちが得た情報は、修道女エルテミナによって齎されたものでした。信憑性については半信半疑と言ったところでしたが、極めて限定的な例外しかないのであれば、彼女はある意味正しかった」

「半分正解で、半分間違いだ。それ故に愚かしく、哀れでもあるがな」


 ゼルレインが苦笑する。かつての敵であり、すなわちかつての知己だ。修道女エルテミナの名は、ゼルレインにとっては今や懐かしむ名前である。


 修道女エルテミナの野望は、彼女が決して“女神の領域”には辿り着けないという前提を知らないが故のものであり、最初から破綻していたのだ。


「異界の民は“ハルヴァンベント”を通り、リスティリアにやってくる。自覚はないかもしれんがな。彼らの“権能”はその時に獲得するものだ。リスティリアの民は例外なく女神レヴァンチェスカに支配されている。その支配を逃れ得る者しか女神の領域には入れない」

「なるほど」


 リシアが納得したように頷いた。


「それ故に愚か――――“ロアダークは知っていて、エルテミナは知らなかった”」

「あぁ、やはり楽しいな」


 ゼルレインが心からそう言って、笑った。


「ロアダークはエルテミナよりは賢明だった。レヴァンチェスカは女神であるが故、下界の民に対して絶対性を持つが――――女神故にこそアレにとって全てが平等だ。女神自身とリスティリアの存続が脅かされぬ限り、その絶対性を以て手を出すことはしない。出来ない、が正しいな。ロアダークはそれに気づいていたから“女神の支配を逃れる”という手段を取った」

「……たとえロアダークが下界を暴力で支配したところで、女神さまにとってそれは“リスティリアの存続が脅かされている”事態とは見なせないから」

「そういうことだ」

「極端なことを言えば意思ある生命が全て滅んだとしても、女神さまにとっては……」


 ゼルレインが頷いて肯定する。


 神獣王アゼムベルムの原初の目的を思い出し、リシアが眉根をひそめた。


 意思ある生命の進化と発展が間違った方向へ進んでいる。そう断じた神獣王は当時の生命を滅ぼそうとしたが、非情に徹しきれず自らの意思を切り分け手放した。荒れ狂う獣となり意思と知性を失った神獣王は当時の英雄たちによって封印されるに至ったが――――リシアの記憶では、その時に女神が手を出したという歴史や伝説は聞き覚えがない。


 たとえその時点で当時の意思ある生命が全て滅ぼされていたとして、女神レヴァンチェスカにとって「世は全てこともなし」。大した問題ではないのだ。いずれまた生まれ出ずるであろう生命の誕生と発展をただ待てば良いだけなのだから。大いなる運命の流れるまま、女神はただ見守るだけだ。


「さて、少々本題から逸れたが、勘違いの二つ目だ」


 ゼルレインが剣をヒュン、と軽く振った。


 それだけでとてつもない気迫と危険性を感じ取って、リシアが体をこわばらせた。


 相対すればなおのことわかる、圧倒的な彼我の実力差。切り結ぶまでもなく勝敗は決している。


「レヴィアトールはお前たちの敵ではないし、特にソウシのことはことさら気に入っているようだ。わかるかリシア――――レヴィアトールは、あの子の望みを叶えてやりたくて、私に協力したんだ」


 リシアの“ジラルディウス”の翼にバチバチと魔力が走った。ゼルレインは目を細めて、その美しい金色の輝きを見守った。


「そして私とも見解は一致した――――ソウシではまだ今一歩、力が及ばない可能性がある。もうわかっているだろうが、つまりは――――」

「わかっているからこそ、受け入れるわけにはいかない!」


 リシアが必死に叫んだ。レヴァンクロスをゼルレインに向け、ゼルレインに負けず劣らずの気迫をみなぎらせて。


「六つの国を越え、ここに至るまで、ずっと! “我らリスティリアの民”はソウシのことをずっと、世界を救うため、自分たちのために“消費して”来たのだ! ソウシは感情のない人形ではない! 心をすり減らしながら、折れそうになりながら、それでも己を奮い立たせて、やっとの想いでここまで来た……! これ以上……これ以上アイツを道具のように使い潰させてたまるか!!」


 決着は一瞬だった。


 リシアの体が一瞬で、凄まじい速度で上空へと逃れたのだが――――


 リシアが動き出すよりほんの少し早く、ゼルレインの腕が軽く振るわれた。


 瞬間移動とも思えるほどの速さで上空へ飛んだリシアの周囲に、雷の槍がいくつも現れて、リシアではなく“ジラルディウス”の翼を捉えた。


 電撃がリシアの体ごと貫いて、リシアの体が落下する。何とか意識を保って着地したリシアだったが、既にゼルレインは満足の動けないリシアの眼前に迫っていた。


 リシアの腹部を、ゼルレインの剣がまっすぐに貫いた。


「かっ……!」

「聡明さが裏目に出たな。余計なことをした」


 ゼルレインが静かに言う。


「私と“戦う”と見せかけるための演技、そのための啖呵。残念だがあまりにお前らしくない。“逃げの一手こそ正解”だという考えに辿り着いていると喧伝しているようなものだ」

「ッ……!」


 ゼルレインが剣を引き抜く。リシアはその場にどさっと崩れ落ちた。“クロノクス”による電撃の余波もあって、魔力による身体強化で血を止めることもままならない。いやそもそもそれが出来たとて、もはや到底治し切れない深手である。


「納得しろとは言わん。だがこれも世界のため……と言うのはまあ、建前だがな。勝手で悪いとは思っているさ。己の不出来を自戒するのには、千年使っても足りなかったほどだ。ここまで来ると、それならそれで開き直るしかなくてな」


 ゼルレインが悲痛な表情をして、静かに言う。


「勝手にお前に託させてもらうよ。奴がこの時をどんなに待ち望んでいたか、もうわかっているだろう。終わりにしてやってくれ。いい加減……見てられん」

「ふざ、け、るな……!」

「……そうだな、全く……ふざけた女で、すまないな」


 ゼルレインがその場を去っていく。リシアは動かない体を、既に感覚の薄れた体を何とか引きずり、這いずって、わずかに残った壁に辿り着き、背中を預けた。


 意識を手放さないよう必死で、何とか痛みと死の気配に耐えようと呼吸を整えた。総司が間に合えば、第三の魔法“ティタニエラ・リスティリオス”がある。治癒の魔法というわけではないが、対象者に“女神の騎士”の力を分け与え絶大な魔力を齎すあの魔法なら、消えかけている命を繋ぎとめられる可能性は十分あるはずだ。だから、総司が来るまで何とか耐えれば――――


 それから数秒もしないうちに、リシアの意識は真っ暗闇の中へと落ちていった。








 覚めないはずの目が覚めた時、リシアは満足に思考を回せず、数十秒もぼんやりと空を見上げていた。


 ぼんやりした意識がわずかに輪郭を帯び始めた。自分の腹部にわずかな重みを感じ取って、それを自覚したからだ。まだはっきりしない意識と視界の中で、リシアはわずかに体を起こし――――


 自分に倒れ込むように覆いかぶさり動かないでいる総司を視界に捉えた時、リシアの意識は完全に覚醒した。


「ソウシ……?」


 茫然として、間抜けな声色で彼の名を呼んだ。


 返事はなかった。リシアの荒い息遣い以外に音もなく――――腹部に確かに重みを感じるのに、温かさはなかった。


「ソウ――――ソウシ!!」


 総司の大きな体をぐいっとどかして慌てて飛び起きて、力なく横たわる彼の隣に跪く。


 仰向けにさせて顔を見れば、なんとも穏やかな表情だった。苦痛を一切感じさせない、まるで眠っているかのような顔だった。


 息をしていないことを除けば、脈がないことを除けば。彼の命が既になくなっていることになど、見ただけでは到底気づけないほどに。


「っ……あ――――」


 涙が溢れて止まらなくなった。リシアは総司の胸元に縋りついて、拳でドン、と総司の胸を叩いた。


「言ったぞ! 私は! ちゃんと言った! それだけはダメだって!!」


 誰も聞いていない叫びを、魂の慟哭を、リシアは構わずぶちまけた。


「『最後にお前が犠牲になる結末』だけは絶対に認めないと――――言ったのに……!!」


 悲愴だけではない、怒りもこみあげてきた。


 総司に対してではなく、自分への怒りだった。


 この結末だけは何が何でも避けたかったからこそ、リシアは絶対に死んではならなかった。


 スヴェン・ディージングを討つ役目だけは誰にも譲りたくない。そう豪語した総司にとっての“唯一の例外”。もしもそれがあるとすれば、自分自身を置いて他にないと確信していた。


 この結末を齎してしまったのは、他の誰でもない、リシア・アリンティアス自身――――それを自覚すればこそ、リシアは自分が許せなかった。


 ひとしきり泣いて、総司に対してありったけの怒号をぶちまけて。


 リシアは涙をぐいっと拭い、空を見上げて大きく息を吐いた。


 誰に教わるでもなく、感覚的に全てを理解した。リシアがふっと魔力をみなぎらせると、蒼銀の魔力がバチバチと迸り、彼女の全身に凄まじい力を巡らせた。


 第六の魔法“ローグタリア・リスティリオス”。“女神の騎士”の命を消費して発動するその魔法は、命潰えて“哀の君”マティアの裁定を受けるまでのわずかな期間にのみ、死者蘇生を実現する。その蘇生を受けた者は、第六の魔法の発動者に代わり“女神の騎士”としての力を受け継ぎ、新たな“女神の騎士”となる。


 リシアはその膂力で以て、総司の大きな体を軽々と抱え上げた。傍らに転がされていた総司の剣も拾い上げて、ゆっくりと城の短い階段を降り、湖畔の水辺に向かった。


 草原の上に総司の体をそっと横たえさせる。その途中で、リシアは総司の体を傷つけないよう細心の注意を払いながら、総司の上着を脱がせて取り上げた。


 始まりの国レブレーベントの国宝。神獣ビオステリオスの体毛で仕立て上げた白銀のジャケット。


 総司の剣をザクっとその辺に突き刺し、総司の上着を肩に引っかけて、リシアはそっと総司の傍に跪いた。


「全く……ヒトの気も知らないで、満足げな顔をする……」


 総司の相棒、総司の味方として、リシアはその死に顔から悟っていた。


 総司は最後の最後まで「彼女」――――夕凪小夜への想いがぬぐい切れなくて、後を追いたくて、この結末を選び取ったのではない。


 きっと彼は――――最近になって、かもしれないが、その傷を乗り越えていた。


 死にたかったから、命を投げ打ったのではない。


 総司が思い描いた望み、どうしてもそうしたいのだと思える未来のため、リシアに全てを託したのだ。これまでの物語は、全てこの時にために紡がれてきたのだと納得して――――リスティリア救世の旅路が、最高の結末を迎えられるように。


 この選択こそが、自分に与えられた救世の使命を全うし、己が望みである“繋がるリスティリア”へ辿り着けるものであると信じたのだ。


「最後の最後まで、私の言うことを聞いてくれなかったな、お前は」


 死人に鞭打つ、というほどでもないが。リシアは軽く、総司の頭を小突いた。


「どこまで考えてくれたのか知らんがな、勝った後まで大変じゃないか。下界に戻って、皆に説明して回るのは私だぞ」


 リシアがため息をつきながら、一人呟く。


「ヴィクターは悲しみながらもまあ、受け入れるだろうが……セーレに伝えるのはあまりに気が重い。ティナ様やベルには泣かれるだろうな。枢機卿猊下もお嘆きになる。ミスティルも案外、誰よりもひどく泣き崩れるかもしれん。アレイン様は……向こう一年は機嫌が悪いぞ、きっと。女王陛下になんてもう、なんとお伝えしてよいやら全くわからん」


 肩に引っかけた上着をばさっと広げて、するりと腕を通す。予想通りぶかぶかである。このままではとても剣を持てそうにないので、丁寧に袖をまくり上げていく。ヴィクターから借り受けた剣を腰から外して、総司の傍らにそっと置いた。流石に三本も剣を持ち歩くのは不便だから。勝った後で取りにくれば良いし、持ち帰らなかったとてヴィクターも怒らないだろう。


 “二人が無事に帰ってくるなら”という枕詞がつくかもしれないが。それはもう、今となっては詮無き事である。


「何より王ランセムだ。亡骸の前にもう二度と立てなくなった。合わせる顔がない」


 いそいそと身なりを整えて、リシアは総司の顔をもう一度覗き込んだ。見れば見るほど、優しく穏やかな顔をしている。


「……まあ、なんにせよ。本当に今まで……よく、頑張ってくれたな。ゆっくり休め。ここならきっと、誰も邪魔しないから」


 総司の額にそっと軽く、優しく口づけを落とす。


 リシアはさっと立ち上がり、突き立てていたリバース・オーダーを手に取った。


 総司に背を向け歩き出す彼女の瞳に宿るのは――――憎悪。


 この結末を齎した運命への。


 或いは不甲斐ない自分への、とめどなく溢れる憎悪の炎。


「あとは私に任せろ。安心してくれ。スヴェンは私が――――」


――――忘れるな。欲して齎される結果が望まれないのなら。それは即ち悪である――――


「私が、殺す」


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