巡り会うハルヴァンベント 第二話④ ドタバタコンビの突破劇
“彼女の家”を目指す道中は、総司の記憶にある道のりとは全く異なるものとなった。
何せ普通に道が走れない状況である。レヴィアトールによる空間の侵食は、総司から見て足元から徐々に進行している。総司の足場は必然的に建物の上となった。総司は空を“跳べる”が、速度と距離の加減があまり効かない。臨機応変な対応ができず、空中での動きと咄嗟の判断は決して総司の得意分野ではない。不意に襲い掛かってくる動く水をかわすために、あまり大きく跳躍できないのだ。
「速くはないがそこかしこから来やがる……! しかもこれは――――」
『ボクも思ったんだよね』
イルドクリスが腕を振るった。“ディスタジアス”による銀の爆裂が、四方から襲い掛かる水の群れを消し飛ばす。出力は相当落ちているらしいが、それでもまだ空間の主導権を握り切っていないレヴィアトールの力を弾き飛ばすぐらいは簡単にできるようだ。彼女曰く時間の問題ではあるらしいが。
『レヴィアトールはキミの過去なんて知らないはずだろ? だって言うのになんだいこれは。キミが言う方角から遠ざけられてない?』
「ああ、たまに攻勢が緩む時もあるけど、アイツの家の方角だけはガチガチだ……レヴィアトールが知ってるはずがないんだが……」
『なーに渋い顔しちゃってるのさ。その情報が確かならむしろ最高じゃんか』
レヴィアトールの攻勢がわずかに緩み、仕切り直しの時間が生まれた時、イルドクリスがニッと子供っぽく笑ってみせた。
「え? なんでだ?」
『“知らない”のに、そっち方向に行くのを“邪魔してる”んだぜ?』
「ッ……そうか、じゃあ当たりなんじゃねえか」
『ボクと違って“この空間そのもの”に干渉しようとしてるレヴィアトールだからこそ、重要な場所がわかっていて、キミがそこを目指すことになるとも読めてる。レヴィアトールも焦ってるね、ボクらに与えて良い情報じゃないはずだ』
「……だとすれば、アイツはなんで焦ってるんだ?」
『さあねぇ、そればっかりは。ゼルレインと示し合わせてるみたいだけど、興味なかったんで聞いてないし見てないや』
「まぁ、だよなぁ」
『突破するのに力を割くのが無駄にならない。それがわかってるのはイイことさ』
ヴン、と機械的な音が鳴る。イルドクリスの周囲に銀色の鏡のような板が何枚も出現し、彼女の周りをふわりと旋回し始めた。
「何だそれ……?」
『ふふん。エルフの可愛い子ちゃんが見せたものが“ディスタジアス”の全てだなんて、思ってもらっちゃ困るよ救世主。なんてったってボクってやつは、“ディスタジアスそのもの”なんだからね!』
「その大口はやめといた方が良いな。“空間を掌握する魔法そのもの”のくせに、現在進行形で“空間の奪い合い”を見物してるだけなんだからよ」
『なんでそう水を差すかなキミは!』
ヒュン、と銀の板が周囲へ散る。
『どれでもいい、しっかり見据えて“シンテミス”だ。試してみなよ』
ざあっと水が打ち上がって、総司とイルドクリスを狙う。総司は少し距離のある位置へ飛ばされた銀の板に向かって視線を向けた。
「“シンテミス”!」
総司の体がヒュン、と消えて、イルドクリスが設置した銀の板へと瞬間移動する。
“ディスタジアス”の使い手と、使い手に触れているもの以外にも“セグノイア・ディスタジアス”の能力を疑似的に与えるような魔法。“ディスタジアス”の使い手がコントロールせずとも、第三者が自らの意思で空間を跳躍できるというすさまじい魔法だ。唯一弱点があるとすれば――――
『どうだい、これなら捕まることもないだろ! 終点の位置は変えられるからね、コイツをちょっとずつ目的地の方へ散らしていけば、撹乱しながら確実に――――ん?』
「……ふーっ」
『……アレ、どした?』
「……俺、空間転移の感覚苦手なんだよ……」
『えぇ嘘ォ! さっき大丈夫だったろ!?』
「いや別に毎度ぐらつくわけじゃねえし、最近は慣れて来たんだけど……最初の頃は気を失ったりもしてたもんで……」
『なぁんで“こっち”に来るまでに克服しとかないんだ!』
「しようと思ってできるもんでもねえだろ!?」
『超天才的突破法だと思ったのにさ、キミの調子が悪くなるんじゃ意味が――――おぉっと!』
イルドクリスがびくっと身を竦ませる。水の蛇が“シンテミス・ディスタジアス”の一部を噛み砕いて、その感覚がイルドクリスに伝わったようだ。二人はさっと駆け出しながら言葉を交わした。
『飛ばせる範囲も狭くなってるし、“セグノイア”じゃ建物一つ分ぐらいしか進めないし連発もなーんか感覚が狂う感じがするしさ! なんだよもう、やりにくいな!』
「っつかお前も『奪い合い』ってやつに参加してさ、主導権を奪ったりはできねえの!? “ディスタジアスの化身”ならレヴィアトールよりよっぽどそっちは得意だろ!?」
『外にいれば絶対勝てたけどね、中からじゃ無理なんだよ! さっきも似たようなこと言ったと思うけど、内と外で法則が違うんだって!』
水の蛇を蹴散らしながらイルドクリスが喚いた。
『言うなればボクもキミも盤上にいるんだよ! で、盤外からアレコレ手を出して駒を奪おうとしているのがレヴィアトールだ! しかもボクらという駒の持ち主は体調不良で席を外してると来たもんさ! 空いた指し手の席にボクが座れたらこんなことにはならなかったんだけど!』
「じゃあうっかり入ってきちまったのはマジで致命的じゃねえかよ!」
『ボクもまさかここまでまずい状況になるとは思ってなかったね! 反省!』
イルドクリスが切り開き、総司が蒼銀の斬撃を飛ばしてこじ開けた先へ、二人で一気になだれ込む。力技で無理やり進路を修正し、目的地の方向へ強引に近づこうとしているものの、方角を目的地へ合わせようとするほど「水」の強度が増している。突破しようとして突破しきれず、そのまま捕まってしまう事態になることだけは避けなければならないが、それだと満足に歩を進められない。レヴィアトールの護りが目的地に近づくほど堅牢になるのだとすれば、どこかで無理を通す必要がある。
『いやーでも下界の生命たちの気持ちがちょっとわかった気がするよ。下界から見たレヴァンチェスカとか“精霊”たちの影響力ってこんな感じなんだろうね。抗いようがない理不尽さというか。やな感じだね~』
「アイツにここまで恨まれる覚えはないんだが……いや、あるか」
『あぁ、ルディラントのあの子を斬ったこと? まさかぁ、元々キミが出会った時点であってないような命だったんだろ』
「“アウラティス”の使い手はもう一人斬ってる」
『ないない、どっちもないね。そんな下らないことにこだわるわけないよ、“精霊”だぜ。明確に目的があって追ってきてるだけ。しょーもないことで鈍るなよ』
「なら――――なら、良いがな。で、なんか策はあるか」
『このまま逃げ回っててもじり貧だ。レヴィアトールの勝利条件はボクらを今捕まえることだけじゃなくて、ココの主導権を奪い切るってのもあるからね。そっちが時間の問題なんだから、追い込まれてるのはこっちだ』
「仕掛けるしかねえってことか」
『だね。確認だけど飛ばしても気絶することはないんだね?』
「それは大丈夫になった」
『りょーかい。隙を見て――――』
イルドクリスが言葉を切った。総司もすぐに異変に気づいた。
水が大きく引いている。行く手を阻む水がざあっと引いて、ビルから道路を見下ろしてみても、先ほどまでの浸水の形跡が忽然を消えている。
「……なんだ……?」
イルドクリスがばっと腕を突き出して、魔力を拡散させた。
総司もまた予兆を感じる。決してレヴィアトールは退却したわけではない――――決定的な手を打とうとしているだけなのだ。
彼方から街を飲み込んで襲い掛かってくるのは、総司たちがいるビルの高さなど容易に巻き込んで余りある高さの津波だった。
総司の体が蒼銀の光を帯びて、魔力が増大していく。総司からすれば、レヴィアトールのこの一手は総司にとっての僥倖であり、相手にとっては悪手に見えた。
際限なく襲い掛かってくる水の方がよほど厄介。大技を繰り出してくれるなら、それを突破してしまえばこちらのもの。
『待った! 一つ確認だ!』
「何をだ!」
『キミが今使おうとした魔法をあの子が知ってるのかどうかだ!』
総司が剣を構えたまま言葉に詰まった。その沈黙に対し、イルドクリスが言葉を重ねた。
『あの子も知ってるんだろ、“シルヴェリア・リスティリオス”を! ならそんなの織り込み済みに決まってる!』
イルドクリスが津波を睨みつけながら叫んだ。
『あの波の厚さ、突破されない自信があるんだ!』
「じゃあどうするってんだ、下がったところで無意味だろ!」
『別の方法で突破するのさ、ボクに任せろ!』
イルドクリスの周囲を再び、銀に光る板が周回する。“シンテミス・ディスタジアス”の起点となる魔法の印と同じものに見えたが、わずかに魔力の質が違うのを総司は感じ取っていた。
『さっきも言ったろ、あの子もあの子で焦ってる。ボクらが思ってるよりあの子は有利じゃなかったってわけだ。付け入る隙はあの子の焦り、そしてボクがいるというあの子の誤算だ! ボクを信じて託せ、救世主!』
銀の板がヒュン、と周回しながらイルドクリスを離れて、彼女の眼前に集まる。
この空間内にいるイルドクリスの出力では、総司の体を津波の範囲外の高さまで逃がすことも、津波を越えた向こう側へ飛ばすことも出来ない。今の彼女に許された範囲で、唯一この状況を打破できる起死回生の一手は――――
『“シンテミス・リシュテム・ディスタジアス”!!』
総司の体がぐにゃりと曲がり、銀の板が円形に並んで作り出した謎めいた空間の中に吸い込まれる。津波は勢いを減衰させることなく、イルドクリスのいる場所を一気に飲み込んだ。
イルドクリスは津波に押し流されながらも、その場にとどまり続ける銀の板に向かって腕をかざし続けた。そして――――
「ずあっ!」
ドン、と勢いよく異空間からはじき出され、総司がビルの屋上を滑った。
イルドクリスが作り出した小さな空間に総司を押し込め、津波をやり過ごしたのだ。全開状態の彼女であれば簡単にこの空間丸ごと支配できただろうに、今の彼女では極小の領域を作り出すのが精いっぱいだった。
イルドクリスはその極小の空間に総司を閉じ込め、津波をやり過ごすことを選んだのだ。この空間の主導権を握りかけていたレヴィアトールだったが、完全に掌握する前に仕掛けたせいで、“空間”という概念そのものであるイルドクリスの現時点での全力を打破することが叶わなかった。
上位存在同士の知覚しようのない綱引きは、大方においてレヴィアトールの勝利だったが、局所的にイルドクリスが勝ったのである。早く総司の自由を奪いたいと画策したレヴィアトールの失敗でもあった。
「イルドクリスは……!?」
空間転移の苦手な感覚にわずかなぐらつきを感じたものの、大きな支障はなさそうで、すぐに調子も回復した。そして慌てて周りを見回したのだが、恐らくは津波に押し流されたであろうイルドクリスの姿はない。彼女の本意や動機は何ともつかみどころのないものだったが、短いわずかばかりの時間であっても、彼女は確かに総司の味方だった。
「……ありがとな。無駄にはしねえ――――」
『まだいるけどね!』
ずぶ濡れの状態でひゅーっと飛んで戻ってきたイルドクリスが、そのまま総司に体当たりをかました。
「おぉ。しぶといな」
『なぁにをすっとぼけてるのかな、近づいてくるボクの魔力に気づかないはずないだろキミが! 全く、体を張った恩人になんて無礼な』
「悪かったよ。けど礼は言ったぜ」
『まるで故人を惜しむようにね。つくづく失礼だなキミは』
イルドクリスがふわりと浮かび上がって、周囲を見回した。
『しかしレヴィアトールのヤツ、派手に仕掛けてそのままとんずらとは。あの子もキミに負けず劣らず無礼なもんだね。大技かまして制御が狂ったかな?』
「お前らのそういう駆け引きは、俺には何もわからねえよ」
『まあ理解する必要もないさ。なんにせよ今しかない。さっさと行こうぜ、未練がましいキミの思い出の場所にさ』
「一言余計だっつの」
総司がたっと走り出す。イルドクリスもその速度に合わせて、すいーっと滑るように総司の後に従った。