巡り会うハルヴァンベント 第二話① ゼルレインの「理由」
レナトゥーラの元を離れて列車が走り出してから、列車はかなりの時間走り続け、停まることがなかった。体感でしかないが、半日ほどの時間が経ってもまだ目的地にはつかないようだ。出発した時点でゼルレインが「どうやら長くなりそうだ」と言うので、総司はしばらく大人しくしていたものの、ずっと座っているのも退屈だったため列車の中を散策に出かけた。ゼルレイン曰く「危険も面白いものもない」とのことではあるが。リシアはその間、ゼルレインと言葉を交わしていた。長い移動時間だったが、決して無意味な時間ではなかった。
「ルディラントで出会ったスヴェンが“本物”だとすると、恐らくスヴェンは千年前当時のままの姿、精神でこの先にいるものとばかり思い込んでおりましたが、レナトゥーラからするとそれはない、と言った様子でした」
「私も“長らく”ヤツとは顔を合わせていないが、言葉も通じぬ化け物になっているわけではなかろうよ。その点は多少安心して良いと思うが」
「ここに至る前にカトレアと出会い、彼女が『ハルヴァンベントへの道に辿り着くのですら、スヴェンは相当苦労した』と口にしておりましたが、この意味は?」
「お前たちと違って我らは“オリジン”を用いたわけではなかったし、ヤツの目的を思えばレヴァンチェスカにとっての『招かざる客』だ。拒まれることが当然だったと言える。とは言えヤツにとっては、ここへ続く『扉』を破ることは不可能ではなかった。カトレアの言葉通り、簡単ではなかったがな」
「それは『神域に至る手段が“オリジン”以外にも存在する』ということですね?」
「肯定しよう」
「それは魔法ですか?」
「それも肯定だ」
「その魔法は“ネガゼノス”に属するものですか?」
「ほう」
ゼルレインが驚いたように少しだけ言葉を切った。
「見事だ。『それだけ』ではないが、“ネガゼノス”は代表的にして最も端的な手段の一つだ」
「となれば“ネガゼノス”とは、まさに女神さまを害するための魔法……」
「少々飛躍が過ぎるが、その一面も併せ持つ魔法であることは認めよう。“ネガゼノス”の生命に対する攻撃性は群を抜いている。リスティリアに生きる命の天敵と言っていい凶悪さだ。故にこそ継承者の完全覚醒もまた希少。その牙は“伝承魔法”の中で最もレヴァンチェスカに届きやすいだろう」
「ロアダークにその目的があったとお考えですか? つまり、世界と女神さまとを切り離すだけでなく、女神さまを害する“ネガゼノス”を用いて――――」
「ロアダーク自身にそこまでの目論見があったかは定かではないが、お前も知っていような、エルテミナの存在を。アレの目的はレヴァンチェスカそのものだった」
「ええ、しかしロアダークの目的があくまでも『下界の支配』であったとしたら、断片的な情報を整理する限りでは、エルテミナのためにそこまでの行動を起こす気概がロアダークにあったのかどうか、自信がありません。他者の望みを多少なりとも思いやるような性質だったのでしょうか」
「よく分析しているな。同感だ」
「ということは、最初からエルテミナを切り捨てるつもりだった」
「そしてエルテミナはそれを織り込み済みだったからこそ、ロアダークの体を良い頃合いで乗っ取ろうとしたわけだ」
リシアが納得したように頷いた。
「結果、エルテミナの魂胆が見抜かれ、粛清された」
「お前たちが見事解決せしめたカイオディウムの千年来の因縁は、そのようにして始まったわけだ」
「であれば腑に落ちないことが」
「聞こう」
「ロアダークとエルテミナは間違いなく子を成しています。現在の下界にも子孫が――――完全とは言えないまでも、覚醒した“ネガゼノス”の継承者がいる。どういうつもりだったのでしょうか、ロアダークは……エルテミナ側の思惑は多少なりとも理解できます。ロアダークが敗北し死んだとしても、エルテミナは魂を移し替える外法によって生き永らえるのだから、“ネガゼノス”の器として子孫を残す動きは理にかなっている。でもロアダークの側には……」
「非常に聡明だ。頭でっかちな理屈ばかりでなく想像力も豊か。お前の話は聞いていて楽しいよ。しかし少々理性的な考え、完全に筋道立った考えこそ正しいとするお前自身の理想が一番前に来すぎるきらいがあるようだ」
ゼルレインが楽しげに笑った。
「それは、つまり……?」
「肝心なところが抜けている。そもそも生物の目的とは何か。『子孫を残す』こと、『増える』ことだ。“その時点で利があるかどうか”ではない。己の子孫を残すというのは生物が必ず抱える至上命題。極端な話、突き詰めてしまえば生命とはそのためだけに生きている。子孫に己の野望を託すかどうかまではさておき、後世に己の子孫と“ネガゼノス”を残したかったという望みがあったとしても、何らおかしいとは思わんな」
「……確かに」
リシアがふーっと大きくため息をついて、頭を振った。
「仰る通りです。原始的な欲求が思慮の外でした」
「なに、若さが見えてむしろ安心したよ。懐かしの我が祖国はよい人材を雇いあげているようだ。お前は確かカイオディウムの出だったな」
「よくご存じで……」
「“ゼファルス”もまた、スヴェンの手を逃れた“伝承魔法”の一つだ。ヤツの手に“ゼファルス”はない、私の知る限りはな。それはあの戦いにおいて最前線に出ていなかったということを意味する。つまり、お前の祖先はエルテミナの狂気的な洗脳にしっかりと抗った理性的な一族だったのだ。その性質は子々孫々受け継がれ、今私の目の前に在る……あの頃は無意味に生き永らえる意味をさほど感じていなかったが、“長生き”もしてみるものだ」
「恐縮です。私ごときには勿体ない御言葉です」
「お前の思考の組み立て方、思慮の深さ、それは多くの若者が見習うに値する。ソウシに多少なりとも教育はしてやっているのか?」
「私にはヒトに何かを教えるほどの格もありませんので……」
リシアが苦笑する。ゼルレインは呆れたように眉をひそめた。
「甘いな」
リシアがばつが悪そうに目を逸らした。
「あの男に足りないものを自分が持っていることぐらい理解していよう。綱渡りじみたお前たちの旅路の上では、その欠落が――――肝心なところで出る短絡さが致命的となり得ることもわかっていたはずだ。お前のそれは謙遜ではなく逃げだぞ」
「返す言葉もありません」
「しかし幸い、お前たちは無事ここまで辿り着いた。“これから”はもう少し厳しくしてやることだ。何よりソウシのためにな」
ゼルレインが優しい笑みをふっと浮かべる。総司が指摘したように、ゼルレインは総司とリシアの人生が「これから先も」続くことを確信しているような口ぶりだ。彼女曰く、それは「願望」であるとのことだが。
「もう少しお聞きしても?」
「先ほど言った通りだ、お前のような聡明な者との会話は実に面白い。時間の許す限りいくらでも付き合おう」
「ゼルレイン様がスヴェンを止めなかったのは本当に、スヴェンを愛していたからというだけですか?」
「これまた面白いじゃないか」
ゼルレインがくっくっと控えめに笑い声をあげた。
「女のお前が、女の恋慕に疑惑の目を向けるとは。まず問おうか。何故そう思った?」
「“愛”という感情の強さを否定するつもりはありません。ですが――――こうして向かい合ってお話ししてみてもやはり、あなたはたとえ愛という強い感情を秤にかけてでも、正しい判断ができる御方だと思えてならないのです。ですから、そう……信じられない」
「うぅむ、やはり面白い……どちらかと言うとソウシが言いそうな台詞がお前の口から出てくるか。これはちょっと、認識を改めねばならんな」
ゼルレインが一人納得して頷きながら話を続けた。
「さて、付き合うと言ったからには答えよう。然り、お前の読みは正しい。理由の一つではあったが、全てではない」
「では……別の理由とは、一体……?」
「なかなか名演だが、残念ながら私の目には白々しいな」
至極機嫌のいい様子で、ゼルレインが促した。
「短い付き合いだが今となっては、お前ほどの女が何一つ思い当たっていないはずがない、としか思えんよ。さあ聞かせてくれ。お前の予想は?」
リシアを試すようにというより、リシアの答えを楽しむように、ゼルレインが問いかける。リシアは少しだけ間を置いて、言った。
「スヴェンの“目的”が、あなたにとっても叶えたいものだったから」
「見事だ。実に……実に、見事だ」
心底感心し、感慨深げに、ゼルレインが静かに言った。
「つまりお前の私に対する人物評は間違っているということでもあるがな。残念ながら、『正しい判断』はできなかった」
「……客観的な意見は脇に置いておくとして、それをこの場で責めるつもりなどありませんが、であればまた疑問がわきます」
「聞こう」
「あなたは――――どうして、スヴェンの“目的”に賛同したのか。あなたの“理由”が、考えてもわからない……」
「だろうな。それを導き出せるだけの情報はお前の手元にはないだろう。さて、何と言うべきか……いや、既に目論見は外れているのだがな、元々の私の狙いを簡潔に言うとだ。もしかしたらお前には失望されてしまうかもしれんが――――」
ゴウン、と列車が速度を落とし始めた。ゼルレインが言葉を切り、窓の外へ目をやった。
「時間切れのようだ。ソウシはどこに行ったかな。終点ではないが、“旅の終わり”は近いぞ」