巡り会うハルヴァンベント 第一話③ 叶うならどうか負けてほしいと
ヒトの気配があろうがなかろうが関係ない、とても静かな駅に入った。
既に列車が停まっていて、扉を開けたまま乗客を待っている。列車はミュンヘン中央駅とガルミッシュ・パルテンキルヒェン駅を結ぶ路線を進むようだ。
駅も列車も初めて目の当たりにするリシアが、ぽかんとした表情で周囲を眺めていた。「駅」とは何か、「列車」とは何か、総司が簡単に説明している間にも、ゼルレインはさっさと乗り込んでいく。
ハルヴァンベントへの「道」の最中に再現されたこの街が、どこまで「本当の歴史」を再現しているのかは不明だが、少なくとも総司の目の前にある列車は「蒸気機関車」ではなかった。近代的な「電車」だ。やはりスヴェンの記憶にあるガルミッシュ=パルテンキルヒェンは1900年代――――ミュンヘン・ガルミッシュ=パルテンキルヒェン線を走る列車の電化が達成されたのは1930年以降であることから、スヴェンはそれ以降の世代の人間だ。
「要するに機械による移動か……」
総司の説明を聞き終えたリシアが、真剣な表情で言った。
「警戒したって仕方ないとは思うけどな」
リシアの疑念を読んで、総司が率直な感想を述べる。
「この列車に乗る以外に、先へ進めそうな方法も思いつかねえし……ゼルレインが『罠』を張るような人間に見えないのはお前も同じだろ?」
「同意見だが……この先の想像がつかないのが何ともな」
リシアが苦笑しながら首を振る。
「ゼルレイン様は『先客がいる』と仰った。心当たりはあるか?」
総司も首を振る。
ゼルレインは総司と戦うつもりではいるらしい。彼女の立場や心境の「本音の部分」はまだ総司にもリシアにもわからないが、世界の敵としてスヴェンと共に事を起こした以上は、救世主である総司と敵対することが自分の人生のけじめとでも思っているのだろう。
そのゼルレインが「譲る」相手。まさかランセムやサリアが控えているはずもない。わずかに残った彼らの魂の残滓は、総司たちがマーシャリアを越えた時に、哀の君マティアの選定によってこの世界を離れてしまっているはずだ。
「……考えても仕方がない、か」
リシアが意を決して言った。
「覚悟を決めよう。行くぞ」
「おう」
列車に乗り込み、ゼルレインが気楽な様子で座るコンパートメントへ入る。日本の電車と違って「個室」に近いような形で、仕切られた座席がある。ご丁寧にもコンパートメントの入口には「予約席」の表示まであった。
「興味深い乗り物だ」
総司とリシアがコンパートメントに現れたのを見て、ゼルレインが笑いながら言う。
「『電気』と言ったかな。我が“クロノクス”が御する雷を、お前たちの世界では機械を動かす動力源としているとか?」
「流石に“クロノクス”と比べられるもんじゃないが……まあ、そうだな。俺も詳しくはないんだけど。その辺の原理とか、仕組みみたいなのはふわっとしか知らない」
「不勉強だな。私には理解できん」
ゼルレインがここで初めて、少しだけ辛辣に、まるで総司を叱る教師のような口調になって、ビシッと言った。このあたりもアレインを彷彿とさせる、決して甘くはない性格が垣間見える。
「自然現象でもない『ヒトが御するヒトのための力』、それでいて自分の持つ力を超える現象を達成する何かが身近にある。そんな力が『正体不明』と言うのは気味が悪いとは思わんのか?」
身近にあった「科学技術」の類に対し、そんな感想を抱いたことはなかった。総司は思わず言葉に詰まった。
「お前の世界には魔力も魔法もなく、ヤツによれば『科学』の力とやらで魔法に似た現象を『誰もが簡単に』達成できるのだろう。であれば原理原則も体系化されたものが示されているはずだ。そうでなければ普遍性を持たないからな」
「そう、だな?」
「勿体ない。私がもしお前の世界に渡ったなら、体系化したそれらを調べ尽くしたことだろう。リスティリアに来てしまった今となっては後の祭りだ。お前がどんなに望んでも、もうその知識を仕入れることはできんのだぞ」
「……そう言われるとなんか、本当に勿体ないことしたなっていう気持ちになるな……」
「フン、こちらに来てからは特に、どうせ誰もおらんかったのだろうな。日々“怠るなよ”などと、リスティリアのためその身を捧げるお前に言える者が……リシア、お前も随分とこの男には甘いようだしな」
ゼルレインの苦笑に対してなんと返せば良いのかわからず、リシアは無言だった。やがてゼルレインは自嘲的に言う。
「まあ、お前が“その身を捧げる”事態に陥ってしまった原因である私だ。どの口がと思うだろうが適当に聞き流せ」
「いや……俺自身、こっちに来てから気づかされることも多いし、あなたの言葉は正しいと思う」
「そうか、であれば……年の頃は17・8だったか? アレインとそう変わらんな?」
「17だ」
「まだ若い。私の言葉に多少なりとも価値を感じたなら、これより先は精進せよ。お前は“女神の騎士”としての力はもとより、頭もそう悪くはない。まだ研鑽が足りんだけだ」
「……その言い方だと、まるで」
総司が率直な感想を口にした。
「俺に“これより先”があると確信してる、みたいだ」
「……いいや、少しだけ違う」
列車が静かに動き始めた。ゼルレインの声は列車が動き出した物音に紛れても、はっきりと二人に聞こえていた。
「確信ではない――――願望だよ」
残念ながら、列車の旅は「あちらのいた頃のスヴェン」の記憶を辿り、総司が行ったことも見たこともない「ガルミッシュ=パルテンキルヒェンからミュンヘンまでの道のり」を見せてくれるものではないようだ。
駅から出発してものの数分で、窓の外は満天の星空に染まり、ところどころに流星の如く、恐らくは高濃度の魔力と思しき光が流れている。
幻想的で、まるで夢の中にいるようで――――それでいて、少し不気味。最初こそ圧倒されたものの、変わり映えのしない景色をいつまでも眺め続けられるわけもなく、総司はゼルレインへ視線を戻した。
ゼルレインは、総司とリシアの注意が窓の外から自分へ戻ってくるのを確認してから、再び話し始めた。
「さて、救世の英雄たちよ」
大仰な切り出し方に、総司が思わず姿勢を正した。しかし、ゼルレインは拍子抜けする言葉を発した。
「ことここに至って、しかもこの私が目の前にいる。聞きたいことの一つや二つあるだろう。せっかくの機会だ、私の記憶と知識が及ぶ限り答えてやろう」
「よいのですか?」
リシアが目を丸くした。『ハルヴァンベントへの道』で出会ってからのゼルレインは、総司たちの予想に反して饒舌だったが、話の中身の大部分は彼女が一方的に喋るだけだった。ゼルレインが持つ覇気が、軽々に質問することを許さなかったというのもある。特に――――彼女にとっても「傷」になっているであろう、千年前のことについては。
「構わん」
「では」
リシアがすすっと居住まいを正した。
「まずは私の仮説を聞いていただきたいのですが」
「仮説、と来たか……興味深い。聞かせろ」
リシアが話したのは、女神レヴァンチェスカの「目論見」に対する仮説。
カイオディウムでリシアが総司に話して聞かせた、総司とリシアの旅路の「裏」。
救世主たる総司が歩む道を、かつて王ランセムは「千年前を辿る旅路」と予想した。その言葉の真意はもしかしたら、「ロアダークの辿った道」であるかもしれない――――各国の聖域をほとんど全て、旅の過程で破壊して回ったという結果から、以前そのように予想したのだが、というものだった。
リシアの話を聞きながら、総司は顔に出さないように気を付けつつも、少し意外に思っていた。リシアが「私の仮説」と言い出した時――――総司はてっきり、『歯車の檻』で湯船に浸かりながら聞いた、「スヴェンの真の目的」に関する疑問をぶつけるのではないかと思ったからだ。
「最終的には、各国の“聖域”は神獣王アゼムベルムの力を封じる枷であり、ロアダークの狙いの一つにも『神獣王の解放と制御』があったのであろうと推測しています。ゼルレイン様はどうお考えですか?」
「ふむ……まず、私の記憶から。神獣王の解放と制御がロアダークの目的の一つであった、と言うのは正しい。ま、そこがヤツの愚かな部分でもあったがな」
「……というと?」
「アレインの活躍を見たお前ならわかるだろう?」
ゼルレインが試すように言って、リシアの思考を促す。リシアはすぐに答えを出した。
「あなたも含む当時のスティーリアの戦力であれば、神獣王アゼムベルムとも十分渡り合えたはずだと」
「然り。これは私の知識からだが、そもそも“聖域”を破壊して回ったところで、女神と下界を完全に断絶することなど出来ん。あくまでも“聖域”とはレヴァンチェスカにとって『便利な出入り口』というだけだ。あぁ、ついでに言えば一応『聖域でしか会えない』としておいた方が、レヴァンチェスカにとっても都合が良いしな。どこにでもふらりと散歩しに来ると思われては格が落ちよう?」
総司の知るレヴァンチェスカが考えそうなことではある。
「しかしなるほど、それでは腑に落ちんという話か」
「はい」
リシアが頷き、ゼルレインは既に察している。総司は残念ながら二人の共通理解にまで考えが及んでいないので、口を挟まず黙って続きを待った。
「お前たちに『ロアダークの“予定していた道”を辿らせた意味』……ふぅむ」
ゼルレインが考え込むように一人呟いたことで、ようやく総司も追いついた。リシアがゼルレインの意見を仰ぎたい議題は、「何故女神はロアダークが辿ろうとした道を総司に辿らせたのか」。
ロアダークの目的がリシアの推測とゼルレインの証言の通り、「アゼムベルムを解放し御すること」にあるなら、それを今更総司にやらせた意図は何なのか。総司を排除しようとするカトレアの大本命でもあった秘策を、わざわざ「ぶつけられる側」の総司に辿らせた。
ローグタリアの奮戦、そしてアレインの救援がなければ、総司の敗北と死も十分にあり得た大決戦であった。それを回避しようとするならばともかく、敢えて「アゼムベルムと戦うように仕向けた」とも取れるこの旅路は――――
「前提が違うように思うが」
「……前提……」
「リシア、お前の考えの根底には、お前たちの旅路の全てが“レヴァンチェスカに仕組まれている”とする先入観がある」
リシアが顔をこわばらせた。
「あのダ女神の肩を持つわけでも、アイツを庇うわけでもないがね。レヴァンチェスカが仕向けたわけではないというのが私の結論だ。アイツですら逃れられぬ“大いなる運命”の流れ着く先が、『アゼムベルムの復活』という結果だっただけ……お前たちももう、気づいているかもしれんが」
ゼルレインが軽く笑った。
「特にお前たちの前では大袈裟に女神らしく振る舞っていたようだが、その実ポカの方が多いんだ。抜けているところが多く、アレもまた必死に抗おうとして、しかしうまくいかぬこともある。お前にとっては納得のいかん話かもしれんが……女神の意思ではなく世界の意思。アゼムベルムと現生人類の因縁の決着をお前たちに委ねると、女神ではなく世界が決めた」
総司はローグタリアで女神レヴァンチェスカと邂逅し、その際に彼女の――――恐らくは、だが――――本心を聞いた。女神は女神で必死だったのだと。それがどこまで本当か、総司にはわからなかったが、ゼルレインの見立てを聞く限りでは、あの時レヴァンチェスカが吐露した心境は本音だったのだろう。
そしてリシアは、カイオディウムで総司の慟哭を目の当たりにしたその時から、一貫して総司の味方であり、エメリフィムでは遂に面と向かって歯向かう程度には、女神レヴァンチェスカに対して猜疑的でもあった。逆にリシアの方が、そういう意味では「女神を疑ってかかる」という先入観が根付いてしまっていたようだ。
「……よくわかりました。次の問いを」
「聞こう」
「かつてスティーリアと呼ばれていた世界は、一度『ストーリア』という名に改められて、その後リスティリアという名前に変わり、今日まで続いていると聞きました」
それまで至極真面目に、しかし余裕のある表情でリシアの話を聞いていたゼルレインの目がわずかに見開かれた。
「『聞きました』と来たか。……ハハッ」
誰から聞いたのか、という質問をする前に、彼女はすぐ答えに至った。
「ランセムめ……千年経っても食えぬ男のままであったか。お前たちと出会った時点で気づいていたのだな……スヴェンの悪行に……」
「……世界の名の変遷には、スヴェンが関係していると?」
ゼルレインの言い回しにすぐに引っかかりを感じて、リシアが鋭く言った。
「……そうだな。 “スティーリアからストーリアへ”名前が変わった経緯だが、これは簡単だ」
ゼルレインが言葉を選びつつ、答えた。
「スヴェンが女神に口を滑らしたのだ。ルディラントの“真実の聖域”で茶飲み話の如く……アイツの元いた世界における『ラテン語』という言語において、スティーリアとは『氷柱』を意味する単語であり、世界そのものの名前としてはあまり相応しくないんじゃないか、とな。重ねて言うが『茶飲み話』だぞ。相応しくない、なんて感想もあくまでもスヴェン個人のものであって、重く受け止めるような場面ではなかった。本当に何気ない日常の雑談みたいな一幕だったんだ」
聞いてみれば、随分と下らない話である。かつては現代より気軽に女神と交信できた時代に、他ならぬスヴェン・ディージングが余計なことを言ったのだ。
「その時、聞こえのよく似た単語としてスヴェンが提案した。私ももう国名までは覚えていないが、スヴェンの故郷の近くにある国の言語で、“歴史”を意味する“ストーリア”という単語があって、それなら違和感も少なく世界の名前としても品格があるんじゃないか、と。女神はこれ幸いと“ストーリア”を広めようとしたが、残念ながらその名で世界が歴史を刻む前に『事』は起こり、そして――――以降の名は“リスティリア”となった」
「……では、世界の名前が“リスティリア”になったのは、“カイオディウム事変”の後、スヴェンとあなたがこちらへ渡ってからだということですか」
「さて、これ以上は」
ゼルレインが話を遮るように言った。
「私よりも相応しい語り手がいる。辿り着いたなら、聞いてみると良い」
「いや、十分だ」
総司が言った。リシアが驚いたように総司を見た。
「ソウシ?」
「大体わかった。リシアの推測が正しいこともな」
「……それは、どういう――――」
「おっと、残念だが」
列車が速度を落とし始めて、ゼルレインが言った。
「時間だ。話の続きは“この後”にしておこう――――列車に戻ってきた時のお前たちにまだ、その気概と元気があればの話だがな」