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リスティリア救世譚  作者: ともざわ きよあき
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巡り会うハルヴァンベント 序章③ 同じ妄執に囚われているだけのくせに

「遠縁だかご先祖だか、要はお前のルーツなんだろ。このティタニエラは。俺なんかに付いてねえでいろいろ回って来いよ」

「お忘れではないでしょうね、ディージング」


 妖精郷ティタニエラの大老の居住区である神殿。その洞窟の中に造られた、湧き水の泉が美しい客間にて。


 よれた深緑の外套を羽織ったまま椅子に腰かけて葉巻をふかすスヴェンと、他人行儀ではあるもののどこか親しみのある口調で話しながら、手すりに体重を預けるカトレア。時が止まったかのような穏やかな空間で、二人はただ二人きりで言葉を交わしていた。


「私の入国は非公式なものですよ。観光がてらふらふら出歩くなんてできるはずがないでしょう」

「大老ラフィールは知ってんだから、別に目立たねえようにしときゃ何も言われねえだろ」

「エルフの血が濃ければともかく、残念ながら」


 カトレアは自分の耳を示して、ため息まじりに言う。


「一目でわかる身体的特徴も出ておりませんので。里の皆さんも、あなたとサリア様以外にヒト族はいないと認識しているはず。遠目に眺めるだけにしておきます」

「チッ」

「今舌打ちしましたか」

「いいや?」

「わかってますよ。追い払いたいだけでしょう」


 カトレアが皮肉げに笑うと、スヴェンは大仰に煙をふかして顔をしかめた。


「よりにもよってなんでこんなクソ生意気な見張りを付けてくれてんだアイツは。っつかおかしくね? まだ見張りいる? 俺に? 信じられんぐらい働いてるけど? “向こう”にいた頃の俺なら発狂してるぜ」

「あなたが“来た”当初、何度も脱走を試みたせいでしょうが」


 不満げなのはスヴェンだけではなく、カトレアも同じだ。


「ゼルレイン様を出し抜くなんてこの世の誰も不可能です。それをあなたと来たらあの手この手で逃げ出そうと――――」

「待て待て考えてもみろよ」


 スヴェンが葉巻の火を消して外套の内ポケットにしまいながら、「落ち着け」とばかりジェスチャーをしつつカトレアの言葉を遮った。


「いきなり訳もわからねえまま見知らぬ土地に飛ばされて、そんでもって目の前にいて偉そうにあーだこーだ言ってきたのが“アレ”だぜ? 誰だって身の危険感じて逃げるっつの」

「……私からは何とも」

「あ、テメェこういう時だけ! ほらお前も言えよ、ビビるに決まってんだろ、なぁ?」

「慎みなさい。何がきっかけで不敬がバレるかわかったものではありませんよ」

「意味不明なぐらい鋭いのもムカつくよなアイツ」

「私はそうは思いません」

「嘘つけよ、深夜のつまみ食い見透かされて拗ねてたくせに」

「貴様」

「おぉい冗談じゃねえぞ、外交先で殺人なんて! 武器を下ろせ武器を!」


 そんな風に油断しているものだから、二人とも気づかなかった。スヴェンに与えられた客間に、もう一人の道連れが近づいていることに。


「入りますよスヴェン」


 客間の扉を開けて、ルディラントの守護者サリアがスタスタと入ってきた。


「クローディア様からうかがったのですが、大老が明日の朝一番で話したいことがあるそうですので、あなたも同席を――――」


 サリアの視線がカトレアに走った。今にも取っ組み合いになりそうな二人を見て、サリアの表情がさっと変わった。


「賊ッ……!」

「いや違う! じゃれ合ってただけだ、落ち着け! 敵じゃない!」


 殺気立ったサリアとカトレアの間に割って入って、スヴェンが慌てて説明した。


 カトレアはスヴェンに付けられた「見張り役」であり、ゼルレイン・シルヴェリアの部下の一人である、と。


 これがカトレアと――――“総司とリシア”とはまた違う、「運命の二人」との出会いである。









「ほー。カトレアと言うのか。これはこれは、なかなか」

「陛下?」


 ルディラントの王宮にて、サリアによって王ランセムと引き合わせられたカトレアが緊張した面持ちをしている。


 興味深そうにカトレアににじり寄るランセムへ、王妃エルマが冷たく声を掛けた。ランセムはすぐに体を引いた。


 ランセムの視線がスヴェンに移り、小ばかにしたような面持ちになった。


「お前さんの飼い主も扱いに苦慮しておるようだ。見張りが付くのも道理よな、放し飼いには向いとらん」

「だから会わせたくなかったんだよ」


 スヴェンが苦々しそうにサリアに言った。サリアは澄ました顔で、


「ルディラントにいるあなたの見張り役として、これまでも隠れ潜んでいたのでしょう。発覚したからには、王への報告は当然の責務です」

「わざわざ改めて言わなくたって、知ってんだろこのおっさんは」

「……そうなのですか?」


 ランセムはわざとらしく肩を竦めて見せた。


「ま、ゼルレイン殿下から話だけは聞いておったよ。こちらに迷惑は掛けんとな。しかし姿を見たのは初めてだ。なかなか達者な隠密らしいな」

「達者なもんかよ、しょーもない形でサリアにバレちまって。なんだかんだお前もティタニエラに入って浮かれてたんじゃねえか」


 カトレアが火の出るような目でスヴェンを睨んだ。スヴェンがすいと視線を逸らす様を、エルマが笑いながら見ていた。


「ルディラントとしては特に問題もない。これからは過剰に隠れんでよろしい。有事の際はお前さんのことも、我が国の戦力と数えさせてもらうが、構わんな、カトレア?」

「もちろんです陛下」


 ランセムは満足げだったが、スヴェンは何とも言えない表情をしていた。


「何だ飼い犬、言いたいことでもあるのか」

「犬って言うのやめてもらえませんかね。まあお許しが出たんで言わせてもらうとだ」


 スヴェンが軽く咳払いして、


「ぶっちゃけ戦闘の腕前は微妙ッスよ、コイツ」

「なんと、そうなのか?」

「あなたやサリア様に比べればというだけです!」


 カトレアが憤然と声を上げた。


「正面から殴り合うだけが戦の作法ではないでしょう。役に立って見せますとも」

「だそうだ。これから特に重宝することになるだろう。ゼルレイン殿下も良いものをくださった」

「……気ぃ遣ってやったのによ。コキ使われるぜ、お前」

「……あぁ、そういうことでしたか。軽率でしたかね……」








「まだ恋仲になってなかったんですか?」

「うるせえ」

「呆れた。クローディア様も仰ってましたけど、存外に女々しいのですね」

「うるせえっつの」

「“故郷”に未練はないのでしょう。こちらで身を固めれば良いではないですか。サリア様では不足ですか?」

「余計なお世話だ」

「私のために言ってるんですよ」


 場面が変わって、ルディラントの時計塔の上。屋外に出て風を浴びるスヴェンと、その傍に姿を現したカトレアが言葉を交わしていた。先ほどの場面から、それなりに日にちが経った後だろうと思われる。


「あなたの見張りである以上、サリア様と共にいる場面も見張っているわけで。目の毒と言うかもどかしいというか。何も思わないんですか逆に」

「……子どもが色気づいてんのを本気にする大人にロクなヤツはいねえんだよ」

「せいぜい六つ七つの歳の差で偉そうに。サリア様も子どもという歳ではありませんし、何より精神的にはサリア様の方がよほど大人でしょうが」

「どういう意味だテメェ」

「言葉通りですが、繰り返しましょうか?」


 軽口と視線でバチッと火花を散らすのもいつものこと。海風が吹き抜ける時計塔の上で、二人は海を見た。


「……後悔しますよ。この平和、もう間もなく崩れるでしょう。因果なことですが、ティタニエラと我々が縁を繋いだことで、カイオディウム側の動きも加速しているようです」

「調べて来たのか。そういや数日いなかったな」

「既にシルヴェリアにもルディラントにも報告はしておりますが……異様な気配でしたよ。洗脳という一言では片づけられない、何か……もっと異常なものを感じました」

「エルテミナだっけか。ロアダークの後ろにいる修道女……人心掌握に長けた女だろ」

「どうすればあれほどヒトを突き動かすことが出来るのか見当もつきませんよ。ある意味ではロアダークよりも厄介です」


 二人の会話には不穏な気配がまとわりついている。


 後にカイオディウム事変と呼ばれ――――しかし、偽りだらけの語り継がれ方しかしなかった戦い。


 ルディラントが滅亡することになった大事件の幕が上がろうとしているタイミングの会話だった。


「カイオディウム以外の全ての国で包囲網を敷くことは無意味ではありません。ですが押さえ込むべきは『ヒト』です」


 カトレアが険しい表情で、海を眺めるスヴェンの横顔を見据えた。


「数を揃えたところで、ロアダークを相手取れるのは四人しかいません。あなたとゼルレイン様、サリア様、そして大賢者レナトリア。どれだけ準備を整えて世界ぐるみでカイオディウムを追い詰めたところで……あなたもサリア様も、最終的には最も危険な役目を担うことになる」

「……ハッ」


 スヴェンは苦笑して言った。


「お前は眺めてるだけか」

「流石に弁えていますよ。同じ場所に立ったところでお役には立てませんので、もう少し建設的な動きをしておきます」

「へえ、例えば?」

「そうですね――――」


 ずっと険しい表情をしていたカトレアも、ようやく微笑んだ。


「目に焼き付けて記録でもつけておきましょうか。後の世で本でも書けばよく売れるかもしれませんし」

「やっぱ眺めてるだけじゃねえか」


――――言い表すとすればあの方々の物語を、眺めているだけの存在だった――――


「まあ何にしてもだ……負けなけりゃ良いだけの話だろ。その先もちゃんと考えるさ。お前も認めてくれてるみたいだしよ、ここはひとつ、お兄さんに任せとけって」

「気に食わない物言いですこと」

「お前こそどうなんだよ」

「はい?」

「王サマと王妃サマが随分とお前のことを気に入ってるじゃねえか。聞いたぜ、見合い組まれそうになってんだろ」

「ッ……誰から聞きました?」

「サリアから」

「言わないでくれとあれほど……!」


 カトレアがガシガシと頭をかきむしった。


「“アウラティス”のことを知ってから、どうにもサリア様も何というか、距離が近いというか……! シルヴェリア側には伝えていないでしょうね!」

「言ってねえよ。けど良いじゃねえか。ものは試しだ、受けとけよ」

「客将であるあなたとは事情が違います……! 『ルディラントに対するもの』ではないとはいえ、諜報員の身分で訪れている国で、しかもこの状況で見合いなんてできるわけがないでしょう」

「ま、それもそうだが。受けるだけ受けといてやれって話だ。こういう時だからこそな」

「……というと?」

「お前意外とこういうことには鈍いのな」


 スヴェンが呆れたような顔で、葉巻を取り出し火をつけながら言った。何とも気に入らない表情に苛立って、カトレアは拳を固めた。


「この緊張感と嫌な予感、肌で感じてんのは何も俺らだけじゃねえんだ。明るい話題の一つも欲しいって話。わかるだろ」

「……ランセム陛下とエルマ王妃には、もちろん、あれから随分とお世話になっておりますが」


 カトレアがため息交じりに言った。


「あのお二方は私をただの、ルディラント国民の若い娘だと勘違いしておられませんかね。事情が変われば敵になることもある、隣国の兵士の一人に過ぎないのですが」

「そういう気質なんだよ。お前の堅物さはサリアに通じるところがあるからな。被っちまってほっとけないんじゃねえの。余計なお世話と切り捨ててやるな。恩着せたくてやってるわけでもねえんだから」

「そこまでは言いませんけど……」


 カトレアが腕を組み、仕方なさそうに笑った。


「断るにしても言葉は選びますし……一応、考慮はしておきますので、ご心配なく」

「そうかい。ならいい」

「……あなたに諭されるのは腹が立ちますけど」

「いちいち文句言わねえと会話が締められねえのかお前は。んじゃ、先に戻るぜ。お前も早めに戻れよ。どうせまた一緒に飯食えって言われるんだから」


 葉巻をくわえたまま時計塔の中へ戻って行くスヴェンの後ろ姿を見送り、カトレアは呆れたように、少し不満そうに呟いた。


「……鈍い、などと。よく言えたものですね、あなたが」






――――無謀です! なんの意味があると言うのですか!――――

――――失われた命は二度と戻らないのです! ようやく巨悪を討伐し、これから世界は再生へ向かうと言うのに……あなたとゼルレイン様がいなくて、一体誰がそれを導くのですか!?――――

――――王も、王妃も、サリア様も! あなたがルディラントに呪われることを望むわけが……!――――

――――……わかりました。決意が固いと言うのなら、せめて私も共に。それが叶わぬと言うならこの場で殺してください。私を殺せばあなたも手に入れることが出来ますよ。あなたが愛したサリア様の力を――――






「もういい」


 リバース・オーダーがまっすぐに、もうヒトの体でなくなったカトレアの胸のあたりを貫いた。


 血が噴き出すことはなく、カトレアが痛みにうめくこともなかった。


 あの時と、全く同じ――――ルディラントの守護者を貫いた時と、全く同じ構図。


 とどめを刺すのなら首を飛ばすだけで事足りたのかもしれないが、総司は、きっとこうするべきだと直感していた。


 リシアが止める暇もなかった。総司がカトレアにとどめを刺すことは、総司の心に深い傷を残す結果になるかもしれない――――だからいざの際には自分が斬ると、リシアは決意を固めていた。その為に、彼よりも一歩前に進み出ていた。


 どうやら杞憂だったようだ。総司は迷いなく、過去の幻想が流れる空間を突っ切って、カトレアに剣を突き立てた。


 きっと、語り尽くせないほどのストーリーが、カトレアにもあった。


 傍観者でしかなかったと自分を卑下する彼女にも、ここまで身を捧げるだけの感情の動きが、それに足る物語があって、彼女の根底に横たわって――――抑え切れない情動が、彼女を突き動かしてきたのだろうが。


 その全てを総司とリシアが知る必要はない。カトレアが話す気もないそれらを二人が知ることは、勝手な「女神のお節介」でしかなく、ともすればカトレアへの侮辱である。


 ここまででもう、十分だった。


「休め」

「……なんですか、その声は。なんですか、その顔は」


 カトレアの体から、黒い霧が吹きあがる。


「憎たらしい……彼と同じ景色を見て、彼と同じように“あの方々”に気に入られて……それでもここまで、進む道が違いますか、あなた達は……」


 カトレアは、残る片腕を動かして、総司の上着の胸元を――――ルディラントの紋章が刻まれたあたりを、強く、強く握った。


「同じ妄執に、囚われているだけのくせに……」

「互いにな」

「……まあ……あなたではディージングにもゼルレイン様にも勝てないでしょうし」


 カトレアの体が崩れ始める。ヒトの形を失った彼女の顔には、笑顔はなかったが――――恐らくは千年ぶりの穏やかさが、ほんの少しだけ戻っているように見えた。


「すぐに全て無に帰すことになる……早いか遅いか、それだけのこと」

「だとしたら気づくのが遅かったみたいだな。シルヴェンスで出会ったあの日にそういう心境でいてくれりゃ良かったんだ」

「友好的な関係になれたかもしれない……とでも?」

「……ハッ。あり得ねえか。根本的に合わないんだろう、俺達は」

「フン……呪う気力もありませんが……」


 カトレアの体が崩れ落ち、黒い魔力が霧散した。


「一足先に行くとしましょう。あなた方の無駄な足掻きを見守るのは、役立たずの女神だけで良い」


 跡形もなく消え失せるその姿を見送り、総司は目を閉じる。リシアは“ジラルディウス”の翼を消し、総司の横に静かに歩み寄って屈み、カトレアが消え失せたあと、寂しく落ちた“レヴァングレイス”の片割れを拾い上げた。


 斬るべき相手を斬る選択を。サリアの時と同じく――――カトレアを斬った自らの選択には今、後悔はなかった。


「……同情はしてねえよ」


 薄目を開けて、リシアが持つ“レヴァングレイス”を見据えて、総司が呟いた。


「ローグタリアでは何百人と殺してまで、自分の情動に殉じて死んだ。客観的に見りゃもっと苦しむべきだったかもな。それだけの大罪人だ」

「そうだな」

「リズほどの汲むべき事情があったわけでもない。リズはリスティリアでの行動自体はよくないものだったけど、自分では止まれなくなるほどの憎悪の発端となった出来事は、リズにとって回避しようのない、理不尽以外の何物でもなかった。カトレアは違う。最初から最後まで、やろうと思えば我欲を抑えて止まれたはずだ――――傍観者だったんだから」

「その通りだ」

「けど、まあ……悪人だし、同情の余地もねえし、別に好きでもなんでもねえけど……そろそろ休んでも良いんじゃねえかと。つい思っちまった」

「わかっているとも」


 リシアが優しく頷いた。


「お前から王ランセムへの心付けだ。かつてあの方が気に入っていた女の介錯をしただけ……カトレアへの情があったのではない。ルディラントへの情があるのだ。だからこそ、この先は気を引き締めることだ」


 リシアがトン、と総司の胸を小突いた。


「お前以上にルディラントへの情を持つ男との対決だぞ。放っておいても死ぬ女に最後の手向けをくれてやった程度のこと、いつまでも引きずるなよ」

「心配すんな。引きずってもいねえし、後悔もない」


 ガゴン、と大きな音がした。


 二人がいる広間の床が徐々に下がり始めた。レブレーベントから続いたカトレアとの因縁に片がついたと見て、「次」へ進む段階に入ったのだろうか。


 カトレア自身が口にしたように――――スヴェンですら“ここ”に辿り着くまでに相当苦労したという話があったように、本来、総司とリシアが辿り着いたこの場所までやってくることは不可能に近い所業だ。


 結局のところ、カトレアがここまで来れたのは「女神の導き」によるものと説明するほかない。“レヴァングレイス”を持ち、“悪しき者の力の残滓”をその身に取り込んだカトレアは、この場所に至る資格を持ち合わせていたと考えて良いのだろう。かつてアレインが整えようとした「条件」とよく似ている。


 総司が“レヴァングレイス”を見据えるその目は少しだけ冷ややかだったが、特に言及はしなかった。


「さて……何が出てくるかな、この先」

「ヒトにとって未知の領域だ……予想のしようもないが、油断だけはするな」









「……今頃、逝った頃合いか」


 “隔絶の聖域”の入口となっている灯台の元に、花束が二つ置かれていた。


 不吉な黒装束姿の男――――ディオウは、暗雲立ち込める空を見上げ、一人呟く。


 一つは、わずかな間だが協力者であったリゼット・フィッセルへ手向ける花束であり、もう一つは、長きに渡り自らの雇い主であったカトレアへの手向けである。


 雇われの戦士として生きてきた彼は、雇い主への情などさほど持ち合わせる機会がなかった。


 だが、カトレアだけは異質だった。ディオウがこれまで雇われてきたどの雇い主よりも強い目的意識があり、雇い主自らが尋常ならざる身の捧げ方をしていた。荒くれ者の組織にせよ、身辺警護を求める要人にせよ、「誰かを雇って自分の代わりに荒事をさせる」立場の者には滅多に見られない精神性。


 割とドライな仕事観を持つディオウであっても、時折痛々しくなるほどの「献身」だった。意思ある生命の大原則、わが身が何より優先される原始的な生存本能をかなぐり捨てているかのような命の使い方。ディオウに限らず、それなりに人生経験を積んできた者であれば知っている――――ヒトにそこまでさせる原動力はこの世に一つしかないことを。


 時に美しく、時に歪み醜く光るそれは、いつの時代も、どの世界でも、多くの生命をはぐくみ、或いは狂わせてきた。カトレアもまた、その情動から逃れられなかったのだ。


「愚か。身を捧げるほどの“愛”をせめて今に向けられていれば、まだしも幸福であったろうに」


 カトレアの容体はわかっていた。既に風前の灯火、生きているのが不思議なくらいの状態だった。放っておいてもそろそろ死ぬ頃合い。首尾よく女神の騎士に会えたとて、まともな戦いになるはずもない。


「……仕事の割に少々貰い過ぎた分は、それで返したことにしてくれ」


 自分で買いそろえた花束を見やり、ディオウが静かに言った。


「さらばだ、哀しく優しいヒト。願わくはその死出の旅路が、穏やかであらんことを」


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