深淵なる/眩き希望のローグタリア 終話⑤ 別れはさっぱり爽やかに
『歯車の檻』にある皇帝の執務室には、昨日の決戦の功労者たちが集まっていた。
全快とは言えないまでも、十分に体力を回復したディネイザは、アレインの求めに応じて改めて握手した。簡単な別れの儀式だ。「為政者としてのヴィクター」と総司たちの話が込み入る前に離れようとしているのだ。ここから先の話に入るべきではない、と即座に断じて行動に移せるところは、すっきりした性格のディネイザらしい。
「根無し草なら良い条件で雇うけど」
アレインが真面目な口調で言うと、ディネイザは笑いながら首を振った。
「王女殿下の誘いは光栄だけど、自由奔放が性に合っていてね。気ままな中でたまに昨日みたいなことがあるから面白い」
「そうは言っても、褒美の一つぐらい受け取っていかんか」
ディネイザは、最初に総司から受け取ったわずかばかりの金のほかに見返りを求めなかった。ヴィクターがローグタリア皇帝として、国を護った英雄への報償を用意すると言っても固辞した。
「さっき言った通り、十分面白いものを見せてもらったよ。金に困ったら食堂にお邪魔するさ」
「無欲なことよ。我がローグタリアは貴様をいつでも歓迎する。また顔を見せに来い」
ディネイザは軽く頭を下げて、総司とリシアに向き直った。
「世話になったな、ディネイザ」
「前に聞いた話だと、君達の旅もそろそろ終わりだったっけ」
「ああ。次で終わりだ」
「昨日ほどのとんでもない戦いになりそう?」
「……どうだかな」
総司が困った顔で笑った。
「そればっかりは、行ってみないとわからねえや」
「そっか。短い付き合いとは言え知らない仲じゃあないんだ――――無事を祈ってる。どんな物語があったか、また今度聞かせてくれよ」
「ディネイザも、元気でな」
総司と軽く抱擁を交わし、リシアとも固く手を握り合ってディネイザは颯爽と、驚くほどさっぱりと去っていく。最後の最後まで爽やかな女傑だった。
執務室から去っていく彼女を全員で見送った後、総司とヴィクターが視線を交わす。
「改めて、昨日の働き、実に見事であった――――と、通り一辺倒な挨拶は最早不要であろう」
ヴィクターが言うと、総司もすぐに頷いた。
「礼も賞賛も、昨日の祝宴でおなかいっぱいだ」
「ハッハー! 話が早いではないか。しかし少し待て。最早気心の知れた貴様らはともかくだ……」
ヴィクターの視線がアレインに向けられる。アレインがすぐに気づいて首を振った。
「一国の為政者と“為政者候補”では格が違います。どうかお気遣いなく」
ヴィクターはふっと笑みを見せた。
「ありがたい言葉だが、殿下、そうもいかん。まずはこちらを。エイレーン女王陛下への書簡だ。レブレーベント最高戦力の派遣について、謝辞を伝えたい。言うまでもなく直接お会いして然るべきだが、あいにく我がローグタリアにはまだ、その余裕がない」
アレインはヴィクターの傍に歩み寄ると、丸められた書簡を確かに受け取った。ヴィクターはその場でアレインとがっちり握手した。
「アレイン王女殿下の参戦に改めて感謝を。まさに死力を尽くしたご活躍、まことに痛み入る。我が国が今日も在るのは殿下のおかげだ」
昨夜も言葉を変え散々伝えられてきた謝辞を、形式的とは言え改めて受け取って、アレインが頭を下げた。
「レブレーベントとは今後とも、よき関係であるよう願いたい。女王陛下にもよろしく伝えてほしい」
「間違いなく。お任せください」
言葉少なに、アレインがすすすっと後ろへ下がる。本題ではない単なる「形式」。アレイン自身もさしたる興味がない。もとより皇帝から感謝されるために命を賭けたわけではないのである。「早くお前たちの話をしろ」と言わんばかりのアレインの視線を受け、総司が苦笑し、ヴィクターもにやりと笑った。
「さて――――休む間もなく、次へ。最後の試練へ進むのか、ソウシよ!」
ヴィクターはアレインの前で取り繕った皇帝の仮面を数分と経たず取っ払い、大袈裟な身振り手振りで元気よく言った。少しばかり元気よく動きすぎたせいで、背中の傷が痛むのか顔をしかめたところまで、総司とリシアの知るヴィクターらしい所作だった。
「ああ。ここまで来てだらけるのも違うと思ってな」
「然り、なれば――――まずは“レヴァングレイス”だ。ローグタリア皇帝として、“女神の騎士”へ、この秘宝を確かに預ける! 好きに使え!」
ヴィクターが差し出す“レヴァングレイス”を受け取り、そのままリシアへ渡す。いつも通り、保管はリシアの役目だ。
「目指すは『フォルタ島』で間違いないな! 残った飛行艇を貴様らのために使おう。既に準備はできておる。貴様らを乗せていれば問題なく『果てのない海』を超え、『フォルタ島』まで辿り着けるだろう」
「ありがとう。それともう一つお願いしたいことがあるんだけど」
「良かろう、何でも言え」
リシアがすっと進み出た。
「この剣と同じ程度の長さの剣を一本いただけないだろうか。寸法も重みも多少違っても問題ない」
レヴァンクロスを差し出しながら、リシアが軽く頭を下げた。
「兵士の訓練用のものでも、誰も使っていないような古びたものでも何でも構わない」
「……確か貴様の剣は、女神がレブレーベントに齎した秘宝そのものであったな?」
ヴィクターが顎に手をやって真剣な口調で言った。
「無論、リシアもまた我が国の英雄である。剣を貴様に与えると言うのはむしろ誉れよ、こちらは全く問題ない、が――――我がローグタリアにあるどんな逸品であろうと、その剣には及ぶまい」
「この剣は確かにすさまじい性能を持つ武器だが、それはヴィクターの言う通り“オリジン”だからだ。そして“オリジン”は、女神さまの領域へ至るための『鍵』だ」
「ッ、おお、なるほど! ハッハー! やはり最後まで抜け目のない女だなリシアよ! あいわかった、アンジュ!」
「すぐに戻ります」
アンジュがすぐさま執務室を出て行く。ヴィクターは腕組みしたままうんうんと頷いた。
「『鍵』としてどのような形で役割を果たすのかは未知数だが、もしも『消費する』形式であったときに貴様は武器を失うことになるわけだ。フン、オレもそこまで考えてはおらんかった」
「剣を借り受け次第、ここを出る」
総司が言った。
「飛行艇には乗らないよな?」
「見送りたいのはやまやまだがな、今オレが遠方に離れるわけにもいかん。ここでお別れだな。アレイン殿下は乗り込んでいただいて構わんぞ。レブレーベントまで送らせよう」
「いえ、結構」
アレインが微笑んだ。
「女王陛下からはしばしの休暇もいただいております。エメリフィムとカイオディウムに立ち寄ってから帰りますよ。いずれの国も我が騎士たちが世話になったようですので」
「む? そうか、なるほど。旅行の邪魔をしてはならんな」
ヴィクターが愉快そうに笑った。
「……長いようで短い付き合いだ。今はまだな。しかし、我らの縁はこれからも続く」
「もちろん。話はまた今度だ」
「必ずや勝利を――――と、リスティリアに生きる為政者として言っておく。しかしオレ個人から貴様ら二人に贈る言葉は少々違う」
「……聞かせてほしい」
「どうか、悔いのない選択を」
総司がハッと目を見張った。対照的にリシアは一瞬だけ目を閉じた。二人の表情の違いを、アレインが全て察したような顔で見据えていた。
「ソウシだけではない、リシアもだ。貴様らがこれまでの旅路で何を見て、何を知り、何を思ったのか、その詳細をオレは知らん。最後にどんな結末が待ち受けているのかも、推し量ることすら出来ん。だが――――ここまで頑張ったんだ。せめて貴様ら二人とも、後悔だけはないように。貴様らの『友』である『ヴィクター』として、望むのはそれだけだ」
「……ありがとう」
総司は本心からそう言って、頭を下げた。
「心に刻んでおく。また会おうな、ヴィクター」
「私たちが戻るまでに、ディクレトリアが日常を取り戻していることを祈っているよ」
「任せておけ。このオレがいるのだ、こちらのことは心配するな」
アンジュが執務室に戻って、リシアは『歯車の檻』に保管されていた中で最も上等な剣を受け取った。そして二人はわずかな手荷物を持って、巨大な壁の上から飛行艇へと乗り込んだ。
その様子を、アレインとヴィクター、アンジュが見送る。総司たちは乗り込んだあとすぐに甲板に出て、見送りに応えた。
「行ってくる!」
「お世話になりました!」
総司とリシアの言葉に、アレインがすうっと目を細めた。ヴィクターは背中が痛むだろうに、ブンブン手を振っていた。
「ハッハー! 無事の帰還を待っているぞ、二人とも! 存分に暴れてくるがいい!」
「私は陛下ほど甘くはないから」
厳しくも優しく、アレインは告げる。
「昨夜言った通りよ。他に言うことはない」
「わかってる! アレインもまた今度、ゆっくり話そう!」
飛行艇が少しずつ高度を上げ、『歯車の檻』を離れていく。速度を上げてしまえば飛行艇は驚くほど早く、すぐに水平線の彼方に小さくしか見えなくなっていった。
「ふぅむ、こざっぱりとした別れよな。ま、ソウシの言う通り、一日二日と滞在したところで、何も変わらんか」
ヴィクターが寂しそうに言う。アンジュがくすっと笑った。
「まさか昨日の今日で出立とは思っていらっしゃいませんでしたか」
「若さを侮っていた。回復の早いことよ……殿下はあの程度で良かったのか」
「ええ、あのくらいで」
アレインはさらりと言った。
「言いたいことは昨日の内に言いましたので」
「ハッハー、そうかそうか、それは重畳! さあ、中へ戻ろうではないか!」
「え? いえ、私もこのまま――――」
「殿下の旅は急ぎでもなし、せめて昨日は入れなかった浴場ぐらい覗いていってくれ! アンジュ、案内を頼むぞ!」
「かしこまりました」
「あ、あの――――」
「さあ、いよいよだ」
甲板に立ったまま、総司が決然と言う。『フォルタ島』はまだ遠いが、それでも飛行艇であればそう時間は掛からないだろう。
「多くのことがわからないまま――――仮説と推測のままだ」
リシアが真剣な口調で言った。
「もしかしたら、私たちが旅の過程で得た『疑問』には『答え』がないまま、この旅は終わるかもしれん」
女神が運命を整えているかのように思えた旅路の中でも、総司とリシアは全ての疑問に答えを得ていたわけではなかった。しかし、リシアは「答えがあることが重要ではない」と語る。
「しかし決してブレてはいけない――――この旅は、我らが全ての『解』を知るための旅ではなく、『世界を救うための旅』だ。積み上げてきた全てがそのためにある。私たちが答えを得ることも、結末に『納得』することも、重要ではない」
意味深な言葉で、総司に釘を刺すように。
「最後の最後まで、忘れるなよ」
「……わかってるさ。ありがとな、相棒」
ポン、とリシアの肩を叩き、総司が笑った。
「最後の最後まで、頼りにさせてもらうぞ」
「無論だ。これまで通り、死力を尽くすとも」
強気な言葉を裏腹に――――リシアの表情はどこか、悲愴感が漂う打ちひしがれたようなものに見えたが、それも一瞬のことで、総司は気づかなかった。
六つの国を超え、これまでで最大の障害すらも乗り越えて、“女神の騎士”と“運命の相棒”は遂に七つ目に至る。
今を生きるリスティリアの生命が誰一人として知らない女神の領域。そこで何が起こるのか全てを知れる由もないのだが、待ち受ける男がいることだけは知っている。
彼は“女神の騎士”にとって間違いなく不倶戴天の敵であるが――――もしかしたら、他の誰より総司の到着を待ち望んでいるのまた、彼なのかもしれない。