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リスティリア救世譚  作者: ともざわ きよあき
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深淵なる/眩き希望のローグタリア 終話① 次なる意味を見出せなかったヒト

「これでようやく眠れる」


 リシアがハッと気づいた時、彼女は海に落ちているわけでも、空に浮いていたわけでもなかった。


「お前たちには感謝しなければ。すまなかったな、手心の一つも加えられなかった――――遥か昔に、そう言ったものを手放したのでな」


 満天の星空を足蹴にする異空間には覚えがある。シルヴィアと“夢”の中で話した時、同じような場所にいた。


 リシアの目の前にいるのは、シルヴィアの形をした「何か」。それがシルヴィアでないことは一目瞭然だった。


 砕けた体を無理やり繋ぎ合わせたように、体には随所にヒビが入り、声色も全く違う。不自然に反響する声は、性別を断定できない深い低音。シルヴィアの魂の残滓は既にこの世を去り、恐らくその見た目だけを借りているに過ぎない存在だ。


「見事であった、救世主の右腕よ。お前の働きを見届けていた。アニムソルスを鮮やかに出し抜いたところもな。陰で動くのが好きな割にツメの甘い子よ。我が子らしいと言えばそれまでだが」

「……アゼムベルム、か……」


 リシアが小さく尋ねると、シルヴィアの姿をした神獣王がふっと笑う。


「意思の全てを手放した“アゼムベルムという器”の底に、わずかにこびりついた汚れのようなものだ」

「……ようやく眠れる、と言ったな。ソウシに聞いた話では、貴殿は――――」

「止せ。詮無き事だ」


 神獣王は鬱陶しそうに手を振る。


「私はかつて選んだのだ――――己の命でも使命でもなく、お前たちヒトの未来をな。幾星霜の年月を経てようやく、お前たちが片をつけてくれた。うむ、語ろうと思えばいろいろとあるとも。聡明なお前が興味を持ちそうな、なかなか立派な物語が太古にあったわけだが……」


 シルヴィアの腕がボロボロと崩れた。


「多くを語る時間もないし、意味もない」


 実に人間らしい所作で肩をすくめて、神獣王が苦笑する。


「礼だけ言おうと思っていたのだが、せっかくだ。救世主ではなくお前が来てくれたことだし、『神獣王討伐』の褒美を一つくれてやろう」


 シルヴィアの足が崩れた。だが神獣王はバランスを崩すこともなく、静かにその場に佇んだままだった。


「ハルヴァンベントでは、救世主から目を離さぬことだ。体を貫かれた故わかることもある――――アレは恐らく……」

「……ああ」


 リシアが頷いた。


「知っている」

「ほう」

「ソウシには、自分の望みを叶える権利がある。けれどきっと、もう彼の望みは変わっている……と、信じている」

「……無粋だったな」


 決然とした表情のリシアを見て、神獣王が楽しそうに笑った。


「許せ。遠い過去の遺物が、今を生きる命に余計なことを言うべきではなかったな」


 神獣王は残った腕で軽く手を振った。


「お前たちは神獣王アゼムベルムに勝ったのだ。恐れるものは何もない。レヴァンチェスカをよろしく頼むぞ」

「……さようなら」

「うむ、さらばだ」









「リシア!」


 ビオステリオスに拾われた総司は、蒼銀の光の粒となって霧散するアゼムベルムの中から落ちてきたリシアを捕まえて、目を覚まさない彼女へ声を掛け続けていた。


 ようやく意識を取り戻し、目を開いたリシアが、総司の腕の中で少しだけ体を起こす。


「……勝ったのか」

「ああ、勝った」


 ローグタリアの兵士たちの歓声が聞こえる。淡い光の中で、海上要塞の狂喜乱舞の様子が見えた。喉がちぎれるほど叫んでいるヴィクターの声も聞こえた。通信機を通して叫んでいないのは幸いだった。


 しかし、総司の顔は決して晴れやかではなかった。


「どうした?」

「カトレアもリズも見失った……カトレアはもう死んだかもしれないけどな」

「……“レヴァングレイス”の回収ができないな。まあ……」


 リシアがすっと、右手に持った“レヴァングレイスB”――――シルヴィアの肉体の核となっていた“オリジン”を差し出した。


「一つは確保できたようだが」

「カトレアがその辺に浮いてんじゃねえかと思ってさっきから探してるんだが、全然ダメだ。ビオスはどうだ?」


 ビオスが短く嘶いた。どこか沈んでいるような、否定的な声色だ。


 リシアの持つ“レヴァンクロス”は、シルヴィアのところへ――――つまりは“レヴァングレイスB”のところへと導いてくれた。だが、今は何の反応も示していなかった。


「見つからない以上、仕方あるまい」


 リシアがため息をつきながら言う。


「海の中の“オリジン”を回収して一度戻ろう。ヴィクターの喉が潰れてしまう」

「そうだな。あんなに叫んで大丈夫なのか。重傷だったろ確か」


 リシアが“ジラルディウス”を展開して“オリジン”を手早く回収して回り、二人が海上要塞に戻ると、歓声は更に大きくなった。


 未だ消え切らない光の粒が降り注ぐ中で、総司とヴィクターがバシッと手を叩き合う。その直後にヴィクターはへなへなと倒れ込んでしまった。どうやら既に限界を迎えていたらしく、アンジュが慌ててその体を支えていた。


 兵士たちとも肩を叩き合いながら勝利の余韻に浸ろうとして、瓦礫に背中を預けて座っているアレインを見つける。総司がたっと駆け寄ると、アレインが短く言葉を発した。


「疲れた」

「……だろうな」


 アレインの前に跪き、総司がじっとその顔を見つめる。


「お前が来てくれなかったら、勝てなかった」

「でしょうね。だから来たのよ」

「……助かったよ」


 レブレーベントとローグタリアの形骸化した同盟の契りなど、建前に過ぎない。


 アレインはただただ総司とリシアのために、まさに死力を尽くして戦ったのだ。本人は口が裂けてもそんなことは言わないだろうが。


 感謝の気持ちをどんな言葉にすればアレインに伝わるのか、総司にはわからなかった。何か言おうとして言葉が見つからない総司を見かねたか、アレインはため息をついて、ちょいちょいと総司を手招きした。総司が近づくと、アレインはその肩にがっと手を回した。


「回復までもう少しかかりそう。任せる」

「はいはい」


 ぐいっとアレインを抱えて、リシア達と合流する。


 リシアはアンジュに、シルヴィアの最後の言葉を伝えていたところだった。


「……そうですか」


 アンジュは悲痛な表情を浮かべながらも、気丈に微笑んで見せた。


「最後に笑っていたのなら、よかったです」


 それ以外に言えることもないのだろう。アンジュに支えられたままのヴィクターも、何とも言えない表情をしている。リシアはわずかに会釈をして、二人の傍を離れ、総司とアレインの元へ向かった。かける言葉が見つからなかったからだ。


 兵士に体を支えられながら、ディネイザも海上要塞に降りてきて、神獣王アゼムベルム討伐の立役者たちが一堂に会した。


「あなたがディネイザ? 初めまして。不格好で申し訳ないけど」

「とんでもない。お会いできて光栄です、アレイン王女」


 ふらつく足取りながらなんとか自分で立ちつつ、ディネイザが笑う。


「それより良いのかい、ソウシ」

「ん? 何がだ?」

「帰ってっちゃうよ?」


 ディネイザが海を指さす。


 ビオステリオスは海上要塞の端に着陸して佇んでいたが、ウェルステリオスは違った。ほとんど音も立てずに海の中に入り、すいーっとどこかへ去ろうとしていた。


「ウェルス!」


 総司が叫ぶと、ウェルステリオスが動きを止めて、顔の部分だけくるりと回して総司を見た。


「ありがとう!」


 総司の言葉に、ウェルステリオスがこくんと頷く仕草を見せる。だがその姿は――――表情が読めるわけではないが、どこか物悲しそうにも見えた。


 ウェルステリオスが姿を消した。笑顔で見送る総司の顔を見上げ、アレインが目ざとく言った。


「また会おうとは言わないのね」

「え? あぁ、そりゃ――――まあ、本来滅多に会えるヤツでもないだろ?」

「……そうね、確かに」


 意味深な間を置いたものの、アレインはそれ以上何も言わなかった。


「陛下」


 兵士の一人がヴィクターの元へ駈け込んで来た。


 ヴィクターは兵士の言葉を聞き、すぐに総司たちを呼んだ。


「ソウシ!」

「どうした?」

「どうやら勝利の宴を開く前に、貴様には見てもらわねばならないようだ」









 “隔絶の聖域”へ繋がる灯台の足下に、リゼット・フィッセルは座っていた。


 穏やかな表情で目を閉じて、微動だにしていなかった。口元には一筋、血が流れた跡がある。


 リシアが歩み寄って傍に屈み、そっと首筋に手を触れた。そして総司を振り返り、首を振る。予想はしていたが、脈はなかった。


 神獣王とカトレアの敗北を見届けて、用意していた毒を飲んだのだ。理不尽に晒され、行き場のない憎悪に溺れて凶行に手を貸した「同郷」の女性は、異界の地でこの先も生きる道を選ばなかった。


 かつて顔見知りだったわけではなく、明確に敵対していたヒトだ。それでも境遇を知った時から、総司はリゼットのことが決して嫌いではなかった。


「兵から報告があってな。発見した時には既に」


 ヴィクターが静かに言う。


「貴様らの話を聞く限り、汲むべき事情があったのは認めるが……哀れなことよ。最初からこうするつもりだったのだろうな」

「……アニムソルスはどこに行ったんだ」

「わからない。結局何が見たかったのか、何をしたかったのか……多少予想できる部分もあるが」


 リシアが苦々しげに言う。


「理解はできないだろう。我々ヒトには、一生な」


 少しばかり体力が戻り、総司の腕を離れていたアレインが、総司の気配の変化に気づく。


 拳を固めて激情を抑えているのが、はた目にもすぐにわかる。


 アレインも、リゼットに関する情報はリシアから軽く聞いていたし、ここに来るまでの道中でも話は聞いた。総司が怒りを覚えるのも無理からぬことだと理解している。


「……まあ……どうせ何言ったって、リズは『この結末』しか望まなかっただろうな」

「……そうだな。我々の言葉に耳を貸したとは思えん」


 総司がヴィクターに向き直った。


「リズが罪人ってのはわかってるけどさ。晒し者になったりはしない、よな……?」

「言ったろう、汲むべき事情があったと」


 ヴィクターが首を振る。


「例えば賊の首を晒す行為があるが、あれの持つ意味は二つ。一つには見せしめ、一つには討ち取った『敵』を晒すことによる兵の士気の向上。いずれの意味も持つまいよ。とは言え貴様の言う通り罪人には違いない。丁重に弔うことも出来ん。人目に付きにくいとは言え、民がふらりと訪れることがないとは言えぬ場所である。遺体を適切に処理するのみだ」

「……そうか、よかった」

「聞かなかったことにする」


 ヴィクターはフン、と鼻を鳴らし、踵を返した。わずかな兵士たちがバタバタと、リゼットの遺体の回収に動き出した。


「戻るぞ」

「……おう」


 リゼットの遺体に向かって手を合わせ、小さく祈りを捧げて、総司もその場を離れた。運命の歯車を狂わされてしまった存在。狂わされた運命の中で、次なる意味を見出せなかった。生きる意味の全てを奪われて、憎悪しか残らなかったリゼットにはもう、次へ踏み出すエネルギーがなかった。


 女神がリゼットを元の世界に帰すと約束したのだと総司が説得したところで、彼女の考えはきっと変わらなかっただろう。総司の言葉も女神のことも、リゼットにとってみれば信じるには値しない。


 いや、リゼットは“総司のことは”信じてくれたかもしれない。だが、総司から彼女に言えるはずもないのだ――――女神レヴァンチェスカを信じてやってほしい、などと、決して。


 あるかもしれない希望に縋ることすらもう、疲れてしまっていたに違いない。


 思い返すにつけ、どうにもならなかったとしか思えなくとも。


 総司の心には少しだけやるせなさが残る。


 せっかく出会えた「同郷」のヒト――――だが、出会った時にはもう、道が明確に分かれたあとだった。どこかで何かが違ったら、と思うことすらできないほど、総司とリゼットは相容れなかった。


「今更どうしようもない“赤の他人”のあれこれを慮る余裕があるなんて、もう全て終わった気でいるのかしらね」

「……わかってるよ」

「どうだか」


 アレインが下らなさそうに言う。


「自ら死を選ぶことの難しさ、身に染みて知っていると思っていたけど。並大抵の覚悟でないことぐらい、最初からわかっていたのではないの?」


 アレインの鋭い指摘に、総司は言葉に詰まってしまった。


「決して美徳ではないわ。決してね。潔いとも思わない。それでもあのヒトは選んだのでしょう。褒められた『強さ』ではないけれど、その強さがあるヒトに、“赤の他人”でしかないあなたが何をしたところで結果が変わることなんてないわ」


 半ば辛辣に、そして力強く、叩きつけるようにアレインが言う。


「半端な憐みは愚弄に等しいと知りなさい。優しさと甘さ、善と偽善、境は曖昧だけど見誤ってはならないものよ。私から言わせればあなたもリシアも、そのあたりがだらしなさ過ぎる」


 流れ弾が飛んできて、リシアが申し訳なさそうにうつむいた。


「前にも手紙に書いたけど、国に帰ったらその辺は私が直々に叩き込んであげる。楽しみにしておくことね」


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