眩き希望のローグタリア 第十二話③ 決着
戦局は既に、当初の予定を大きく逸脱していた。
世界を滅ぼさんとする巨悪に、リスティリアを代表してローグタリアが挑む。たとえ国が滅びようとも、神獣王を「ここ」で止める戦い。ヴィクターも兵士たちも、その覚悟で臨んでいた。
「えぇい、こちらに見向きもせん……!」
彼らの覚悟と気概をあざ笑うかのように――――神獣王の興味はもう、海上要塞には向けられていなかった。
総司が最も重要な役割を担うことになるというのは、最初からわかっていた。それでも、現在の“女神の騎士”対神獣王という構図は、ヴィクターにとっては最も避けたい展開だった。あくまでも「ローグタリア陣営の誰を犠牲にしてでも総司の力を通す」のがヴィクターの望みであり、狙いだった。
海上要塞の全火力を神獣王へ叩きつけて、成果として外殻の一部をはがすことにも成功しているというのに、神獣王は意にも介さない。
ビオステリオスと共に、山のように巨大な神獣王を相手取って全く引かない総司の背後に、ウェルステリオスが加わったのが見えた。神獣二体が神獣王を迎撃する構図となり、総司の斬撃がところどころで炸裂しているが、それも決定打にはなっていない。
当初の予定とは逆になっているが、総司が引きつけている間に何らかの決定打をヴィクター達ローグタリア陣営が打たねばならない状況だと言うのに、海上要塞の火力がまるで意味を成していない。
神獣王の莫大な魔力が影響して、騎兵隊たちは神獣王に満足に近づけない。それ故に海上要塞の砲塔制御に兵士の大部分が回っており、おかげでヴィクターが無理をしなくても大火力を維持できるようにはなったが、それだけだ。
ゼルムの数は相当減った。空を覆い尽くさんばかりの軍勢はいつしか、神獣王がわずかに纏う程度の小規模な群れへ姿を変えている。
神獣王はほぼ無尽蔵にゼルムを生み出す能力もあったのだろうが、暴走状態に入ってからそれも行っていないのだ。ひたすらに、国一つ滅ぼして余りある力を、総司に叩きつけることだけに固執している。
「ぬぅ……アンジュ、何か良い策はないか!」
「……情けない限りですが」
よろめくヴィクターの体を支えながら、アンジュが首を振った。
「もはや我々が介入できる次元を超えています……策を弄して何か意味があるとは、とても……」
「ぐぬぬ……見ていることしかできんとは……!」
「ですが要塞の攻撃は、決して意味のないことではありませんよ」
アンジュが促すまま、ヴィクターはアレインへと視線を送る。
少し離れた位置で、ゾルゾディアの頭上に乗ったまま目を閉じて集中しているアレインは、未だ微動だにしない。ゾルゾディアも恐ろしいほど静かだ。
「アレイン殿下がご自分の魔法に集中できるだけの時間は十分作っています。この調子ならゼルムに邪魔をさせることもないでしょう」
「……しかし、神獣二体をも寄せ付けぬ神獣王に、どんな魔法をぶつけるというのだ……? 殿下の力がオレの常識の範疇に収まらんのは承知しているが……」
「……さて、私にもわかりかねますが……」
アンジュがふと空を見上げる。
分厚い雲が立ち込めて、日の光すら遮っている。
これは一つの「天変地異」――――ヒトの身を超えた“精霊”級の所業だ。
「もしかしたら、我々もここから離れた方が良いのかも――――」
「むっ? 何だ!?」
ヴィクターが目を見張って声を上げた。
神獣王から離れた位置を旋回していた飛行艇、最後の一隻から、ドン、と金色の閃光が飛び出すのが見えた。リシアの“ジラルディウス”の輝きだ。
リシアはそのまま一直線に海へ突っ込んでいった。水飛沫が高く上がったのを見て、ヴィクターが慌てて通信機を操作する。
「何事だリシア! どうした、翼の制御を誤ったのか!」
リシアからの返事はなかった。
代わりに、海の中から光の柱が立ち上る。三角形の頂点を成すように空へ打ち上がったそれらは、分厚い暗雲に刺さるように高く煌めいた。
「……あれは……」
『大して回復もできていなくてね。もって三分だ。決めてくれよ』
通信機を持つ全員に、ディネイザの声が届く。そして――――
『ありがとう、任せろ!』
総司が力強い声で答えた。
神獣王の巨大な体を、再び銀の楔が襲う。全身から吹き上がっていた絶大な魔力がみるみる縮小していき、総司を追いかけようと持ち上げられていた頭がガクンと下がった。
“オリジン”三つを利用した、ディネイザの“レヴァジーア・ディアメノス”。彼女が最後の力を振り絞って再発動した古代魔法の楔が、神獣王の力を再びそぎ落とす。
万全の状態で力を注ぎ込んだ最初の“ディアメノス”とは違う。わずかに回復した力で無理やり発動した魔法だ。ディネイザの言葉通り、すぐに効果は切れてしまうだろう。全てが決まる数分が始まる。総司が叫んだ。
「上へ!」
ビオステリオスが飛翔し高度を上げる。ウェルステリオスもぐんと体を浮かせて総司たちについていく。
総司の動きは直感的なものだった。だが、立ち込める暗雲とアレインの魔法の性質を鑑みて、「雲の上」に出ておくべきだと判断した。
そして海上要塞では、アレインが遂に準備を終えた。
カッと見開かれた両目には紫電の稲妻が宿り、アレインが目を開くと同時にゾルゾディアが咆哮した。
その迫力たるや、神獣王に勝るとも劣らぬ圧巻のそれ。そしてゾルゾディアの咆哮に共鳴するように、立ち込める暗雲の中で雷鳴が轟き始める。
アレインがそっと、手のひらを上に向けて片手を前方に差し出した。
稲妻が迸り、黄金の雷がその手のひらの上で踊る。掬い上げるように軽く持ち上げて、アレインが唱えた。
「“レヴァジーア・クロノクス――――ゼノグランデ”」
雷がアレインの手を離れ、空へと打ち上がっていく。
小さな雷の塊が分厚い雲に吸い込まれ――――吸い込まれた途端、轟く雷鳴が激しさを増した。ゾルゾディアが再び咆哮し、ゾルゾディアの周囲にも稲妻が走る。そして――――
空を覆う暗雲から、巨大な稲妻が雨のように降り注ぎ、神獣王を襲った。
稲妻は神獣王の外殻を蹴散らしながらその体躯の全身を駆け巡り、雷撃で神獣王を蝕んでいく。雷の雨が降り止む気配はなく、神獣王が苦悶の叫び声を上げた。
山のような体躯を持つ化け物の体を雷撃が駆け巡り、化け物が叫ぶさまは、まさにこの世の終わりを現しているかのように不吉そのものだった。
ゾルゾディアが消え、アレインが落ちる。彼女にしては珍しく、ダン、と着地した瞬間に不格好に態勢を崩し、膝をついた。
一対一の戦闘の中ではとても晒せないような隙を晒して、長時間かけて魔力をため込み、しかも放った後も体の自由がきかなくなる。使い勝手としては最悪の魔法だが、威力は抜群。
しかも、倒れ伏しそうなぐらい疲弊しながらも、アレインは「まだやる」つもりだった。
ふらつく足で立ち上がり、両腕をがっと前へ突き出して、「次」の魔法を使う。
「“ドラグノア”――――!」
降り注ぐ「雷雨」の一部が寄り集まって、巨大な雷の塊を神獣王の上に形成した。アレインがブン、と腕を振り落とした。
「“クロノクス”!!」
雷の塊から、神獣王の体躯を丸ごとかみ砕きそうなほど巨大な竜の頭が飛び出した。
胴体に噛みついたそれがバリバリと神獣王の体を食い破り、更に雷撃の余波を広げていく。神獣王の苦悶の叫びが、再び大きくなった。
だが、それでも殺すには至らない。アレインの魔法が、アレインが想定していた以上に神獣王を弱らせた。それはひとえにディネイザの“ディアメノス”のおかげだが――――
対神獣王としては、“オリジン”の助力も込みで凄まじい効力を発揮した“古代魔法”と、リスティリア下界最高峰の使い手による“伝承魔法”の合わせ技をこれでもかと食らってなおも、神獣王の命には届かない。
アレインの体ががくんと落ちた。膝をつき、意識を失う寸前まで追い込まれたが、ギリギリで持ち直す。
「終わらせなさい」
呟くように言う。返事はなかった。
言葉の代わりに、立ち込めた暗雲の更に上空から、蒼銀の光が突き破って現れる。空を覆う暗い雲を爆裂しながら消し飛ばし、一条の光が神獣王へと突っ込んだ。
「“シルヴェリア・リスティリオス”!!」
神獣王の体に激突した蒼銀の輝きが、膨らんで弾けた。
アレインの渾身の一撃とディネイザの魔法で脆くなった外殻が消し飛び、上空から突っ込んだ総司が神獣王の体を突き破っていく。
「おおお――――らあああ!!」
ズドン、と重い破壊音と共に、総司が神獣王の体を貫通し切って、下の海へと落ちていく。
総司が突き抜けた道筋に蒼銀の爆裂が走り、神獣王の巨大な体が砕け始める。雷撃による黄金の輝きが蒼銀へと置き換わっていき、体が保てなくなっていく。
それでもまだ、完全な消失には至らない。まだ原形を留めようとする体から魔力が漏れ出している。
総司の体がバシャッと海へ落ちた。普段の戦いなら、“シルヴェリア・リスティリオス”一撃で魔力の全てを消費するわけではないが、戦い続けた末に全身全霊の一撃を撃った後で、すぐに体を動かすことが出来なかった。
総司の代わりに、二体の神獣が追撃を仕掛けた。
ビオステリオスが翼を広げて風を巻き起こすと、風は海の上を走る巨大な竜巻となって、神獣王の残った体を削り取っていく。
ウェルステリオスも赤と黒の魔力の砲弾を連射して、トドメを刺そうと攻撃を重ねた。
その猛攻の最中を、金色の光が駆け抜けていく。
リシアが神獣たちの攻撃をかいくぐるようにして神獣王に辿り着き、総司の攻撃によって大きく開いた空洞へ飛び込んだ。
飛び込んだ先で、不可思議な空間に入り込む。
満天の星空のただなかにいるような、上下左右の不確かな空間。だが、リシアは迷わなかった。
その手に持つ“オリジン”が、行くべき場所を教えてくれていた。剣に引っ張られるようにして進んだ先で――――
「お疲れ。おめでとう」
もろ手を広げて、シルヴィアが待ち構えていた。
リシアは眉根をひそめ、しかし口元には微笑を浮かべて、言った。
「ソウシじゃなくてすまないな」
「“運命に抗ってみせた”ってことでしょ。有言実行だ」
ズン、と一突き――――リシアの剣が、シルヴィアの体を貫いた。
「姉さんに伝えてほしい」
光がシルヴィアの体から溢れて拡散し、不可思議な空間を覆っていく。
「今までありがとって」
「心得た」
シルヴィアの体が消え、リシアは光の海にさらわれた。