眩き希望のローグタリア 第十二話① 焦がれこの身が滅びようとも
神話の英雄が如き所業に挑むと、皇帝ヴィクトリウスは言った。
命を賭して戦いに挑む兵士たちを鼓舞するための言葉であり、また彼ら一人一人を英雄として讃えるための言葉だった。ローグタリア陣営は持ちうる全ての力を以て、一丸となって世界の危機に立ち向かい、一人ひとりが英雄と成るのだと。
決戦の最終局面に入り、改めてヴィクターは思い知る。
全ての兵士の戦いは、犠牲は、未来永劫讃えられるべき偉業である。それは間違いない。
しかし、いみじくもヴィクター自身がそう言ったように、この戦いの勝敗は「彼」に委ねられている。思わぬ援軍であるアレイン・レブレーベントは例外として、この戦いで真なる英雄として戦えるだけの力があるのは、女神の騎士しかいなかったのだ。
「ビオス!」
リシアの“ジラルディウス”をも上回る超高速の飛翔。上下左右に目まぐるしく動く常軌を逸した戦闘の中で、ビオステリオスは見事に神獣王の攻撃をかわしている。
神獣王は“ディアメノス”の枷から解き放たれつつあるが、既にその標的は海上要塞から総司へと切り替わっていた。見るからに様相の変わった獰猛な気配と眼差しが、全て総司へと向けられている。
足を数歩踏み出せば、海上要塞にその巨体が届くだろうに、神獣王は周囲を飛びまわって攻撃を仕掛けてくる総司にしか興味がないようだった。
これまでとは比較にならない、巨大な蒼銀の斬撃が飛んだ。ズドン、と重い音を立てて神獣王の体を直撃したそれは、やはり深い傷を与えられないが――――
明らかに威力が上がっている。神獣王の力が増すにつれて、比例するようにして総司の力も増している。
神獣王が放った無数の魔力の弾丸を軽やかにかわし、ビオステリオスが神獣王の眼前に肉薄した。
総司がビオステリオスの体を一瞬離れて、ここぞとばかりに剣を振り抜く。蒼銀の斬撃が神獣王の顔面を直撃し、鮮やかに爆発した。
まるで効いていないかのように、神獣王が外殻の鞭で総司を迎え撃つ。ビオステリオスが高速で総司の体を攫って、総司の斬撃が鞭の軌道を逸らして、神殺しのコンビが辛くも逃れていく。
ゼルムの群れによって、“シルヴェリア・リスティリオス”を撃ち込む隙までは見つけられなかったが、神獣王の危険な覚醒はゼルム達にとっても厄介そのものとなっていた。
海上要塞からの砲撃がヴィクターによって再開されているのも一因だが、何よりも敵味方問わず破壊し尽くさんばかりの神獣王の攻撃が、かの獣を護るはずのゼルム達すらも粉砕している。
凶暴な覚醒を遂げてから、あらゆる行動の合理性が欠如している。戦略的に言えば今このタイミングで総司に固執するのは悪手だし、ゼルムの群れの「厚み」を失うのも神獣王にとって極めて不利に働くはずだ。
それら全ての合理性をかなぐり捨ててでも、女神の騎士を叩き潰す。それは危険を察知する神獣王の本能によるものか、それとも中途半端に外れかかった枷を御するカトレアの固執によるものか。
いずれにしても、その動きがアレインにとっても予想外であり、そして僥倖でもあった。
発動後に動けなくなるほどの大魔法を行使するための時間が、十分に稼げる。アレインは総司とビオスのコンビと連携して神獣王を相手取らなければならないと考えていたが、総司の期待以上の踏ん張りで、今助力をする必要がなくなった。
『そのままいける?』
「ああ、いける」
アレインの言葉に、総司がすぐ答えた。
「俺史上最高に調子がいい。どっかでぶち抜きにかかってみようか」
『逸るな。全開で攻撃するのは私の後よ』
アレインの声が厳しさを帯びる。
暗雲が空を覆い、世界の終わりに相応しいおどろおどろしい光景が、ローグタリアの海に広がりつつあるが――――これはアレインの全身全霊が近い証拠だ。見た目とは裏腹に、世界にとっての希望の兆しである。
『一手も誤ってはならない。冷静さを保て』
「了解」
“イラファスケス”の力を帯びた突風が総司へと襲い掛かる。総司の左目が輝いた。
「“ルディラント・リスティリオス”!」
白の強い虹の光が“イラファスケス”を消し去っていく。風に巻き込まれて大きく吹き飛ばされたが、ビオステリオスがすぐに立て直した。
神獣王が海上要塞と首都を破壊しにかかれば、今の状態では止める術がないが、総司との戦いを望むのであれば、距離を保って引き付けながら回避することは不可能ではない。
カトレアにしてみれば時間の無駄と言っていい。それでも神獣王の動きが変わらないのは、彼女がまともに制御できていないことの証左だ。
ただでさえ総司の調子が上がってきている現状、研ぎ澄まされた状態の総司とビオステリオスだけに固執するなど愚行である。
もしかしたらもう既にカトレアは――――
「……ん?」
離れた位置から、神獣王の頭上に立つカトレアの姿が見えた。まだ力尽きてはいないらしいが、異変がある。
「……リズがいない……?」
「やられた……」
“隔絶の聖域”の入り口にもなっている岬の灯台付近に放り出されて、リゼットは呆れたように呟いた。
総司が神獣王の眼前に迫り、攻撃を仕掛けてきた時、リゼットは咄嗟に身を翻した。
その時、ほとんど動けなくなってうずくまっていたカトレアの方へ移動したのだが、そこで腕を掴まれた。
カトレアの持つ“レヴァングレイス”が内包する力――――空間転移の魔法が発動し、リゼットは抵抗する間もなく飛ばされてしまったのである。
――――あなたは生きて――――
別れ際の力のない言葉が耳に残っている。
この先、リスティリアで生きるつもりはないと、リゼットははっきり告げていたはずだ。しかし、カトレアはリゼットの決意を聞いた時、「それでいい」とは言っていなかった。
「……救いようのない頑固者だ」
リゼットはどさっとその場に腰を下ろして、苦々しい表情で言う。
カトレアが悟っているのは自分の死期だけではないことが、この行動一つでわかってしまう。
恐らくは「敗北」の予感すら感じ取っている。
カトレアが死んで神獣王が暴れまわったとして、それを総司が止められないのなら、リゼットを逃がしたところで生き永らえることなど出来ない。少なくともローグタリア沿岸にいる生命は全て消し飛ばされるだろう。
リゼットを神獣王の傍から逃がすことが、生かすことに繋がるとカトレアが考えているなら――――
それはすなわち、神獣王が「討伐される」未来を予見しているということだ。
“ディアメノス”の枷から解かれればカトレアの勝ちだと思っていたが、そのあてが外れた。その時点で、カトレアはこの決戦の勝敗をある程度察したのだろう。
最後の最後で、もう残り少ない力を使って、リゼットを逃がした。
「はぁ……ま、見届けさせてもらうよ、愛すべき共犯者。散り様を嘆く者が誰もいないのは寂しいだろう」
くわえたタバコに火をつけて、リゼットが仕方なさそうに笑った頃。
神獣王の頭上で立ち上がったカトレアの目には、再び戦意が宿っていた。
体中から、煙のように漆黒の魔力が滲み出る。視界がふらついて、意識の端から神獣王の圧倒的な力に侵食されそうになるのを感じながらも、強い意思の力でそれを何とか留めさせて、空を舞う怨敵を見据える。
カトレアの戦意が戻ると同時に、神獣王が吼えた。
吼えるだけで波が荒立ち、周囲を旋回するゼルムも、ゼルムと交戦する騎兵隊たちも吹き飛ばされた。
彼女の怨敵は、あらゆる生命が震え畏れる咆哮に、少しも怯んでいなかった。
「ッ……ふっ……!」
溢れ出る力、蝕まれる意識、命を削り取られていく感覚。地獄のような苦痛の最中にあってなおも、カトレアは歯を食いしばって戦いを続ける。
敗北の予感が脳裏をよぎろうとも、それに気づかないふりをしながら。
全ては――――遥か遠き思い出の日々のために――――
「ふ、ふっ……ふふっ……」
笑みが零れる。空を舞う怨敵の顔を見て、カトレアが笑った。
眉根をひそめ、弱った相手を見てにこりともせず静寂な眼差しを向ける、忌々しい怨敵の顔が、吐き気を催すほど気に入らなかった。
リゼットがいない理由も全て察しているかのような、何とも言えないその表情が、本当に鬱陶しかった。
「何ですかその顔は。同情ですか。憐れんでいるのですか」
聞こえるはずのない呟きだった。カトレアにとっては唾棄すべき偽りの善性だ。斬ると決めた相手が苦しんで見える程度のことで、「そんな顔」をするなんて。
「あぁ、つくづく……最後の最後まで気に入らないヒトです……私が焦がれるほど欲した“それ”を胸に掲げて――――そんな目で私を見るなんて」
時計の文字盤を模した紋章を視界に入れると、幻聴が聞こえた。
――――どうだ、おい。このあたりで止めにしとかんか。お前さんでは……――――
「……どうか……お許しください」
黒く立ち上る瘴気のような魔力の奥で、美しい笑みを浮かべて、カトレアが決然と言った。
「あなたごと世界を踏み潰す――――リゼットの望みは叶わないようです。ですからせめて私の望みを……あなただけでも、踏み潰す」
神獣王が再度吼え、「最後の戦い」の幕が上がる。