眩き希望のローグタリア 第十一話⑤ 神獣王が「敵」と定めたのは
神獣王が動き出せば、希望が潰えかねない。はじめからわかっていたことだ。
ローグタリア陣営の勝利条件は、「ディネイザの魔法により神獣王の行動が制限されているうちに仕留めきること」。
対するカトレアの勝利条件は、「神獣王の弱体化が解けるまで粘ること」。
当たり前の話だが、両者の条件を認識しているのがローグタリア陣営のみであるはずはない。
『“油断”したね』
ビオスとウェルス、二体の神獣を相手取り互角の戦いを演じることは流石に叶わず、アニムソルスは少し引き気味の姿勢を見せた。
その機を逃さずビオスは神獣王へ飛び、総司をその膝元まで送り届ける働きをした。女神の騎士による見事な一撃が――――アレインから言わせれば「足りない」とは言え――――神獣王に手傷を負わせたその光景は、戦場に臨む多くの兵士たちを魅了した。
兵士たちのみならず、神獣たちをも。
総司の攻撃がどの程度神獣王に響いたのか、それを受けてアレインがどのような手を打つのか、誰もかれもがそれに興味を惹かれたものだ。直後に突撃したリシアの大立ち回りも目が離せない展開だった。
“意思を愛でる獣”にとって実にわかりやすい「心」の動きだ。
『ヒトってのは本当に面白い。気持ちの浮き沈み、勢いのあるなし、よくわからない微妙な違いで簡単に、できないことができるようになったり――――できていたことが、できなかったりする。まぁ神獣も一緒か。今回の戦犯はどっちかって言うとウェルスだろうし、意思ある生命の摩訶不思議ってやつ?』
神獣王の後方、わずかに離れた位置で宙を漂いながら、アニムソルスはピン、と指で何かを弾いて弄んだ。
くすんだ銀の腕輪――――ティタニエラの秘宝、“レヴァンディオール”を。
『王女サマは君達にとって希望の光だろうけど、ちょっと眩しすぎたね。あの子がいなきゃあ、“私から注意を逸らす”なんて馬鹿な真似するほど、気が緩むこともなかっただろうに』
神獣王の頭蓋が、蛇が鎌首をもたげるように、ぐっと持ち上がる。
封じられていた魔力が、染み出すようにして溢れ始める。
『さあ行こう、この物語の最終章だ!』
三隻の飛行艇の内、神獣王に程近かった二隻が一瞬で薙ぎ払われる様を、誰もが茫然と眺めていた。
神獣王がこれまでの緩慢な動きからすれば信じられないほど素早く、巨大な口から凶悪な魔力のブレスを放って、ゼルムの群れもろとも飛行艇を薙ぎ払ったのである。恐らく、中にいた兵士や操舵の技術士も、脱出は不可能だろう。
不幸中の幸いと言うには甚大な被害だが――――ディネイザが乗っている飛行艇ではなかった。ヴィクターの窮地に一度海上要塞へ戻ろうとした動きがあったおかげで、他の二隻とは少しばかり離れていたのだ。
それで救われた、と言えるほど楽観はできない。明らかな「変容」が戦場全体に伝播している。兵士の犠牲を悲しむ暇すらなかった。
「まさか――――」
ヴィクターがすぐに思い至る。
明らかに魔力の質が違う。ただでさえ強烈だった魔力が更に増大し、神獣王の雰囲気が急変している。
「“ディアメノス”の魔法が解けたのか!?」
弱体化の魔法が解けて、力が戻った――――いや、むしろ、弱体化の魔法を行使する前よりもずっと凶悪なものに変貌しているようにも思えた。肌に刺す力の質が、遥か水平線からゆっくりと歩いていたあの時点のものよりもずっと恐ろしい。
「なんだこれは……一体、何が――――」
「ソウシはビオステリオスに高度を上げさせろ!」
アレインが号令を飛ばす。神獣王の異様な魔力にあてられていたヴィクターがハッと我に返った。
誰しも茫然と眺めていた、というわけではなかった。何か異常が発生したこの場において、アレインだけが思考を回し続けていた。
「リシアはウェルステリオスと合流! 陛下、兵を全て下げてください!」
『アレイン様!』
リシアがアレインの指示に対して焦った様子で答えた。
『弱体化の魔法が解けたということでしょうが、しかしウェルステリオスと合流と言うのはどういう意図で――――』
「アニムソルスを見失ってる!!」
リシアがハッと息をのんだ。アレインは既に、戦況の変化の根幹に気づいていた。それは半ば直感でもあったのだが、見事に「原因」を当てていた。
「何をしたのか知らないけど、野放しにはしておけないわ! ウェルステリオスにもう一度抑えてもらう必要がある! ただ神獣王が動き出したからには、私とソウシとビオスで相手をしなければならない! 神獣同士の力は“互角”よ、そちらの勝敗はあなた次第になる――――いけるな、我が騎士よ!」
『お任せください!』
「あと説明の時間がもったいないから、とにかく私の指示通りに動きなさい! 二度と聞き返さないこと!」
『はい!』
「ソウシもよ、わかった!?」
『わかってる! とりあえず上がるぞ!』
「よろしい。ここが勝敗の分岐点よ、きっちり働け二人とも!」
アレインは指示を飛ばし終えて、軽くため息をついた。
「全く……まさかアイツじゃなくてリシアにこんなこと言わなきゃならないなんて……まだまだ鍛えがいのあることね」
残った飛行艇と騎兵隊の戦線を下げさせながら、ヴィクターは改めて驚愕する。
ローグタリア陣営にとって、これは最悪のシナリオだ。神獣王の弱体化が終わり、かの王の真の力が発揮される前に叩くという唯一の勝ち筋がほぼ潰えた。いかにヴィクターと言えど、受け入れがたいその事実に一瞬思考が飛んだ。最初から絶望的な戦いだとはわかっていたが、手が届きそうに見えた「勝利」が一気に遠のいたことで、流石に気持ちが折れかけた。
だがアレインは違う。ヴィクターはアレインの覚悟を見誤っていた。
そもそもアレインは、世界の危機についてはビオステリオスに知らされていたものの、戦場に到着してリシアから戦況を聞くまで、神獣王が古代魔法により力の制限を受けていることなど“知らなかった”。
つまりアレインは最初から、“本気の神獣王と戦うつもりで”ローグタリアの救援に駆け付けたのだ。そして偶然にも、彼女の到着時点では古代魔法による制限が機能していた。それは彼女にとって嬉しい誤算であり、この戦場におけるローグタリア陣営最強の一手だった。その最強の一手の継続はアレインにとっても望ましいが――――根本的な心構えが違う。
枷から解き放たれようとしている神獣王の絶大な気配は、アレインの想像をも超えているが――――「想像を超えてくるだろうと想定していた」アレインにしてみれば、動きを止める理由にはならなかった。
「さて」
ゴキリと指を鳴らして、アレインが挑戦的に言う。
「神殺しといきましょうか」
「ヤバいな」
総司が言うと、ビオステリオスが同意するように短く吼えた。
神獣王の雰囲気は、水平線に姿を現した時とも比較にならないほど「危険」だ。総司はその理由にすぐ思い当たった。
首都ディクレトリアから見える距離に現れた時点と、現時点での大きな違いは一つ。
カトレアが弱っているという点だ。“レヴァングレイス”と一心同体となった制御者が弱ったことで、ディネイザの魔法と言う枷とは別に、もう一つの枷も外れかかっている。
レヴァンチェスカが語った神獣王アゼムベルムの存在意義――――「滅ぼさなければならない」と本能で断じた現生人類への攻撃性。カトレアによってその攻撃性は封印され、単なる兵器としてローグタリア陣営との決戦に臨んでいたわけだが、今やその封印も風前の灯火だ。
意思ある生命が跋扈する世界へ太古の昔から引き継がれた「呪い」。カトレアの存在はある意味では、総司たちにとっては有益なものだったのかもしれない。
最初からカトレアの制御なしで本能のままに暴れ回っていたら、ローグタリアはとっくに滅んでいた可能性が高い。
いくつもの偶然と奇跡が重なって、ローグタリアのみならずリスティリアはまだギリギリで滅んでいないだけなのだ。
「けど、まだ最悪ってわけじゃないらしい」
魔法の気配に敏感な総司は、希望の芽がまだ潰えていないことを理解していた。
古代魔法“ディアメノス”の効力は著しく低下している。それは間違いない。だが、その枷もまた「外れかかっている」だけで、完全に外れてしまったわけではない。
術者であるディネイザは「長くはもたない」と言っていたが、彼女なりの謙遜だったのだろう。未だディネイザによる全力の“ディアメノス”は、神獣王を繋ぎとめて離していない。
ただ、術式の核となっていた”オリジン“が一つ欠けている。このせいで大幅に効力が低下し、神獣王がほとんど解放されかかっているのだ。
アレインの見立てでは、そう仕向けたのがアニムソルスだと言う。そちらはリシアの仕事になった。総司とビオステリオスの力は、そろそろ本格的に暴れ始めそうな神獣王へと向けなければならない。
いつまでも“オリジン”の復帰を待っていたって、状況が良くなるとは限らない。元の位置に戻したところで“ディアメノス”が再び、これまでのような効力を取り戻す保証もない。
ならば、わずかでも弱体化の効果が残っているうちに、何とかして神獣王を仕留めるしかない。
「とりあえず――――やるか!」
ビオステリオスがまた吼える。総司がヒュン、と剣を構えて、神獣王を睨んだ。
神獣王の獰猛な眼差しが、高度を上げた総司たちをぎらりと見据えていた。
殲滅の衝動を解き放たれ、破壊の権化として世界に牙を剥かんとする神獣王アゼムベルムがこの場で「最たる敵」と見なしたのは、アレインではなく総司だった。