眩き希望のローグタリア 閑話 娘と母/王女と女王
王都シルヴェンスの城にある天然の牢獄、「水晶の間」は、アレインにとってすっかりお気に入りの場所となっていた。
レブレーベント魔法騎士団を統べる立場として肩書を与えられ、既に幽閉は解かれているが、最近では自室にいる時間よりも、かつて自分が閉じ込められていたこの牢獄にいる時間の方が長かったりする。
特別なことをするわけではない。自室で休むが如く、適当に寝転がって本を読んだりするだけだ。
運命の日の夜も、アレインは水晶の間にいた。アレインの体にフィットする座椅子のような、ちょうどいい形の水晶の区画があって、アレインはそこに座って、月明かりを頼りに書物を読みふけっていた。
「……ん……」
風の音がわずかに変わった。同時に、決して強く発散されているわけではないが、何か尋常ならざる気配が城の近くに在るのを感じ取った。
むくりと体を起こし、アレインは目を閉じて気配を探る。
「賊……ではないか……」
敵意はなさそうで、危険な力は感じられない。しかし捨て置くわけにもいかない。アレインはパッと上着を羽織ると、水晶の牢獄から足早に出て行った。
そして、出会う。
レブレーベントに住まう神獣・ビオステリオスと。
月光の中に佇むかの神獣は、出来るだけ自分の力を抑え込みながら、城の裏庭の目立たない場所で、アレインが出てくるのを静かに待っていたのだった。
「ビオステリオス……!?」
バチっと稲妻が迸った。想定外の来客を目の前にして、一瞬で臨戦態勢を取ったのだが、ビオステリオスにはやはり敵意はないようだった。
穏やかな眼差しをアレインに向け、ゆっくりと近づいて頭を差し出してくる。
まさかそんなことがあるのか、と疑問に思いつつも、アレインはそっとビオステリオスの頭を撫でた。いかにアレインと言えども、神獣に触れるのは人生で初めての経験である。意外にも柔らかい体毛の手触りについ気分を良くしながら、アレインが静かに問いかけた。
「珍しい――――いえ、初めてではないの……? あなたが城に来るなんて」
ビオステリオスは、アレインに頬を撫でられてからも満足せず、ぐいぐいと頭をアレインの方へと押し付けてくる。
「ちょっと、何……? どうしたの」
ビオステリオスの意図するところがわかりかねたが、乱暴に扱うわけにもいかず、押し付けられるまま、アレインの頭にビオステリオスの鼻先がコツンと当たった。
その瞬間、アレインの脳内に一気に映像と言葉が流れ込んできた。
それはビオステリオスの同胞、ウェルステリオスからの救援要請。
ローグタリアで今起こっていることと、ローグタリア皇帝よりレブレーベント女王へ、増援を望む手紙が出されたこと。鳥に託された手紙が間に合うはずがないから、ウェルステリオスが途中で預かって内容をあらため、その内容をビオステリオスへと伝達したこと。
ウェルステリオスから託されたビオステリオスが、レブレーベントにおいて「最も伝えるべきヒト」へと、ローグタリアで起きている全てを伝えに来たこと。
神獣の意思疎通をヒトが受け取ることは困難を極め、普通の人間であれば下手をすれば発狂してしまうぐらいに危険な行為だった。”女神の騎士”を相手にする時ですら、彼らは出来る限りヒトに影響の少ない方法で意思疎通を図ろうとしてきた。だが、今回は急を要したため――――相手がアレインだから問題ないと判断した。
とは言え流石のアレインもがくんと膝をついてしまったが、そこはやはり“アレイン”である。
流れ込んでくる情報の全てを整理し、神獣の圧倒的な魔力すらも自分の中で消化しきって、すぐに顔を上げた。
「……あなたも行くつもりなのね」
ビオステリオスが軽く嘶いた。
ビオステリオスは、かつて女神の騎士と交わした約束を今こそ果たすべく、戦場へと赴くつもりだ。
「少しだけ待っていてくれる? 必要なものを揃えて、すぐに戻ってくる」
神獣であれば、凄まじい速度でリスティリアの空を駆け抜けることが出来るだろう。レブレーベントからローグタリアまで、言うなれば下界の端から端であるが、休まず飛び続けることだってできるはずだ。間に合うかどうかは定かではないが、大聖堂デミエル・ダリア級の空間転移魔法を除けば、下界において最も速い移動手段だ。
硬い水晶の上でも眠れるアレインである、座った姿勢であろうが空の上であろうが眠ることぐらい容易いが、しかし飲まず食わずでは流石に、到着してすぐに戦線に加わることが出来ないかもしれない。
アレインは急いで自室に戻り、城に何かしらの緊急事態が発生した場合に備えて自室に用意しておいた非常食と真水を、適当に布袋に投げ入れた。
手早く準備を整えて部屋を出て、裏庭へ再び向かおうとしたところで、ぴたりと足を止める。
「行くのか」
「……母上」
レブレーベント女王・エイレーンが、回廊の暗がりでアレインを待ち構えていた。
「ちと待っておれ」
回廊の窓枠に羊皮紙を置いて、何かさらさらと書き記しているようだ。アレインは短くため息をついて、冷静に言った。
「気づいてたの」
「お前よりもヤツとの付き合いは長いのでな」
エイレーンは微笑みながら、アレインに聞いた。
「最後の国でついに、お前の力が必要となったのだな」
総司とリシアがエメリフィムを超え、最後の国へと歩みを進めたことまでは、女王も把握している。間に挟まったマーシャリアとシルーセンでの事件は把握してはいなかったが。
ローグタリアで今何が起きているかまでは、女王も知らない。アレインとて、ついさっきビオステリオスによって知らされたばかりだ。そして、事細かに説明している時間も惜しい。
「ええ。そうみたいね」
「そしてお前は、迷いなく行くのだな」
アレインが少しだけ目を見開いた。
「ソウシの助けとなりに、迷いなく。己の立場はわかっているだろうな? 軽々に勝手に、死地へと向かっていい身分ではないぞ」
「……何? 止めたいの?」
「いいや、まさか。そら、土産だ」
女王は「ローグタリア皇帝への書簡」をまとめてクルクルと丸め、アレインに手渡しながら告げた。ビシッと厳しい顔つきになっていた。
「王女アレインに勅命を与える。“女神の騎士”の救援に向かえ。そして窮地に立たされているであろうローグタリアを救ってこい」
アレインは書簡を持ったまま、すっと胸の前に手をかざし、軽く頭を下げた。
「仰せのままに」
「忘れることなかれ、汝は我がレブレーベントの最高戦力であり、同時に王位継承者である。その名に恥じぬ戦いをすること、決して死なぬこと、いずれも必ず達成せねばならない。わかっておるな」
「無論でございます、陛下」
アレインがいたずらっぽく言うと、女王の顔がほころんだ。
「ふっ、ならばよい……事が終わったら休暇を過ごしても良いぞ。ソウシとリシアがローグタリアの次に待ち受ける最後の試練に挑み、戻ってくるその時までな。その後三人で、世界を歩きながらゆっくり帰ってきたらどうだ?」
「流石にそれは遠慮しておくわ。ローグタリアで役目を終えたら、さっさと帰ってくる」
「なんだ、面白くない……」
「……この先どうなるかなんてわからないけれど。もしも二人ともが女神の領域からこのリスティリアに、生きて帰ってくるのだとしたら」
アレインがほんの少しだけ微笑んだ。
「その後の『凱旋』はあの二人だけのものよ。私は私で一足先に、勝利の報告を持って帰ってくるわ」
「はっはっは! 確かにその通りだな。意外にも、お前はそういう気遣いが出来る娘よなぁ」
「一言余計よ。行ってくる」
「うむ。思う存分暴れて来い」
アレインが女王を通り過ぎ、裏庭へと消えていく。アレインは振り向かず、女王もその背中を目で追うことはしなかった。
ビオステリオスの羽ばたきの音が女王の耳に届いた。女王は感慨深げに窓から月を眺め――――くぁぁ、とあくびを一つ、「さて、寝るかね」と、自室へ引き返していった。娘が激戦必至の死地へ向かうであろうと気付いていながらも、娘の勝利と帰還を露ほども疑っていなかった。