絶望に暮れるローグタリア 第十話② かつての同盟の意味
神獣王顕現の翌日、今日も今日とて、海上要塞は騒がしかった。
再編成された部隊と、何とか持ち直した兵士たち、ドラゴンたち。幸いにも、憔悴しきっていたアンジュの復活と、一度敗北してなおも希望を失わない総司たちの姿が、兵士たちに活力を与えていた。ヴィクターはそのことに心から安堵していた。
女神の騎士にはほんのわずかでも勝ちの芽がある――――兵士を支える最後の精神的支柱だった。総司の敗北は、それを叩き折ってしまう方向に作用する可能性も十分にあった。そうならなかったのは、同じ日にアンジュが気を持ち直して、総司の敗北を受けても決して落ち込むことなく檄を飛ばし続けたからだった。士気自体は、昨日の朝一番に比べればかなり高くなっていた。
「ソウシを困らせてしまったみたい」
シルーセンの少女・セーレは、司令部の端の方で椅子にちょこんと腰かけて、海上要塞の整備の模様を見守っていた。現状の手はずとしては、神獣王とゼルムの襲撃が来る前に、総司に力を貸してから『歯車の檻』へと引っ込むことになっている。“エメリフィム・リスティリオス”の効果範囲の詳細は判明していないが、エメリフィムでの戦いを鑑みるに、海上要塞と『歯車の檻』の距離ならば問題はないはずだ。
ヘレネは朝一番から、住民が避難して誰もいなくなった首都ディクレトリアを観光がてら散歩している。恐らくは最終決戦の時も、どこかその辺で「流れ弾に当たって死ぬのも一興」なんて笑いながら、お茶でも飲みながら見物していくつもりなのだろう。
「最終的には、折れてくれたけど」
「……奴は、セーレをもう戦いの場に――――命のやり取りの場に置いておきたくなかったのだ。絶望的な体験をして、それを乗り越えてからまだ数日しか経っておらん。出来ることなら、遠ざけておきたかっただろうよ。オレも同じ気持ちがないわけではないが、オレはヤツより現実的でな」
昨夜、セーレが総司に宣言してからの会議は大きく荒れた。
セーレを最前線に留めることに大反対の総司と、使えるものは使うべきだというヴィクターとヘレネの議論はかなりの時間、平行線となっていたが、結局は総司が折れた。最後にリシアが説得したからだ。
“オリジン”も含めて全てを賭ける覚悟を決めた。そして同じように、強い覚悟を決めてやってきたセーレが、力を貸すと言っている。腹を括るしかないのではないか、と。
事実として、神獣王との戦いで“ラヴォージアス”が使えるなら、総司の戦闘能力は相当上がる。海の上で戦わざるを得ない以上、空中を自在に動けない総司はいつも通りの力を発揮できないはずだったが、重力を操る“ラヴォージアス”があれば、空中での自由度が格段に増すのだ。習熟度が足りないことを差し引いても、“ラヴォージアス”の有無は大きな違いとなる。
「ネフィアゾーラは出て来れんと言っていたな」
「ええ。シルーセンで無茶な顕現をしたから……下界で形を保つのが難しいだろう、って」
実は、神獣王が顕現し、その余波がソネイラ山にまで届いた時、セーレはことさら強烈に“あてられて”しまって、意識を失っていた。
その時にネフィアゾーラがセーレの心の中に現れて、「総司に力を貸しに行け」と助言をしたのだ。
――――“私自身”は出られないけれど、“ラヴォージアス”は必ず彼の助けになる。忘れないうちにさっさと借りを返してしまいなさいな――――
「ネフィアゾーラが、神獣王のことも言ってたわ……『生き物と思ってはダメ』と。アレは世界に刻み付けられた呪いのようなものだから、と」
「左様。シルーセンの化け物と同じく、古より受け継がれてきた世界の負債が具現化した存在であろう」
「……あの時も言ってたわね、『今代が返済期限らしい』って」
「……セーレに言っても詮無きことだがな」
ヴィクターは腕を組んだまま海を睨みつけていたが、セーレの近くに椅子を持ってきて、乱暴に座った。セーレはちびちびと水を飲みながら、ヴィクターの次の言葉を待った。
「代々のローグタリアが悪いのだ。オレと、オレの祖先たちがな」
「あら、聞かせてくれるの?」
「たまには愚痴の一つもこぼさんと、オレもやってられん」
「そう。仕方ないわね。聞いてあげるわ、皇帝陛下」
「“オリジン”のことは聞いたな」
「ええ、ソウシたちが集めている各国の秘宝……女神の恵みの結晶、だったかしら」
「そう……ルディラントも含めた六つの国に一つずつ分配された秘宝だ――――間違いなく一つずつな。しかし、我がローグタリアは千年前より、一対の“オリジン”を所有していた」
「……手を加えたのね、後から、ヒトの手で」
「そうだ。千年前、我がローグタリアは『神獣王を制御しようとした』のだ。その為に、女神の恵みを“使いやすいように”分けた。結果として数百年もの間、一対の“オリジン”の片割れ――――人々を魅了する力を持つ“オリジン”を巡って国内で争いが絶えなかった」
「――――面白い話をしてるな」
司令部の入口に、総司とリシアが立っていた。総司がようやく合点がいった、とばかりに納得した表情で、ヴィクターの話に言葉を返した。
「遅かったな」
「続きを聞かせてくれ」
「……良かろう。貴様らにもゆかりのある、歴史の話だ」
総司とリシアにも座るよう促して、ヴィクターは話を続けた。
「ローグタリアが他国に比べ魔法を敬遠する傾向にあったのは、千年前の大事件を――――ロアダークの一件を戒めとするため、というような話を貴様らにはしたと思う。先祖代々この国に伝えられてきた話だ。実際にはそうではない。そんなものは聞こえの良い建前よ。欺瞞に過ぎん。事実としては、ローグタリア自身が欲をかき、手痛い傷を負った歴史があるからだ」
「ロアダークと協力して神獣王を制御しようとしていたのか?」
「いいや。もっと卑怯な目論見だ。ロアダークの狙いに気づき、“横からかすめ取ろうとした”のだ。ロアダークではなくローグタリアが世界の支配者となるためにな」
ヴィクターが下らなさそうに笑った。
「ふたを開けてみればロアダークは“聖域”を一つしか破壊できないまま討ち死に。ローグタリアの手元には、制御のきかない厄介な性質を持つ“粗悪なオリジン”だけが残り、国の内部が荒れる結果になった。自業自得よ」
「……ローグタリアは、ゼルレインの陣営だったはずだよな。今でも形だけ残ってる唯一の『同盟』も、その時に結んだんだろ?」
「ハッハー! ソウシよ、やはりまだまだ青いな。何故『同盟』などというものが必要だったと思う? ルディラントも、エメリフィムも、当時はあのティタニエラすらも、かつてのシルヴェリアと結託するにあたってそんなものを必要としていなかったというのにだ」
「……信用し切れていないからこそ『約束事』が必要だったわけだな」
リシアが口を挟んだ。ヴィクターが頷いた。
「その通りだ。時のシルヴェリアは、ローグタリアのことを信用していなかった。故に『同盟』という形で縛ろうとしたのだ。そして我が祖先は見事裏切ろうとし、厄介な負債を残し……今代でまんまと邪悪な意思を持つ者に利用された……」
ヴィクターはふーっと息をついて、自嘲気味に笑った。
「破壊すべきだったのだ。歴史上の我が国の転換期に、破壊できる機会はいくらでもあった……フン、オレにも確かにその血が流れておる。祖先の過ちを愚痴ろうかと思ったが全て己に返ってくるわ。祖先の誰より『悪用』したのがオレだからな」
忌まわしい過去の残骸は、しかし確かな力を持っていた。多くの人々を魅了し、欲を抱かせ争わせたその力に、ヴィクターもまた抗えなかった。彼の祖先とはまた違う形で、彼はその力を利用してしまったのだ。
禁忌を犯したローグタリアそのものに罰を与えるかのように、千年前の負債は最悪の形で牙をむいた。
「……まあ、シルヴィアの件は――――アンジュさんに怒られただろうし、改めて言うことでもないけど」
総司がぽりぽりと頭を掻きながら言った。
「間違ってるかどうかで言えば間違ってるだろうな。でも『悪用』とまでは言わなくて良いんじゃねえのか。そこまで自分を責めなくても良いだろ」
「……誰かのためであれば、罪を犯しても構わんと言うか」
「そりゃあ事情はどうあれ罪は罪だろうな。でも一般論で言えば、我欲のための罪と誰かのための罪なら、与えられる罰の重さって変わるもんだろ? 情状酌量の余地があるかどうかって。ローグタリアの昔の為政者の罪と、ヴィクターの罪は同列じゃない――――なんて、俺の主観でしかないけど」
総司はすっと立ち上がって、
「重すぎる罰がこれから来る。きっちり倒して、償いといこうぜ」
「ハッ! ヒトを慰めるのが下手だな、貴様は」
「慰めてほしいようにも見えなかったもんでな。それに――――ローグタリアに至るまでカトレアを仕留めきれなかった俺の罪でもある。ヒトに偉そうに言えたもんでもねえんだ、俺も」
「生意気な。フン、馬鹿らしくなったわ。こんな無様、いつまでも晒しておれん」
ヴィクターも力強く立ち上がり、セーレに視線を向けた。
「つまらん話に付き合わせたな」
「良いんじゃない、たまには。シルーセンで会った頃よりはあなたのことが好きになったわ」
「それは重畳! せいぜい汚名を返上せねばな!」
「禁忌を冒したことが、ローグタリアの運命を捻じ曲げた……ヴィクターはそう考えているのかもしれんな」
「あぁ見えて、アンジュさんより参ってたのかもな、ヴィクターは」
総司とリシアは司令部の屋根の上に陣取って、奇襲に備えながら先ほどのヴィクターの話を反芻していた。
「シルーセンの封印に使われていたという “精霊”も、もしかしたら制御して利用できるようにされていたのかもしれんな…… “レヴァンフォーゼルB”を巡る争いがあった時代のローグタリアはそういうことをする国だったと。であれば合点がいくこともある」
「元々から『ヒトが利用しやすい術式』だった、ってか。シルーセンの大人たちはそれを知り悪用しようとして、アニムソルスの横やりが入ったと。ヒトが利用しやすいなら、神獣のアイツはもっと簡単にやってのけただろうな」
「機械仕掛けの海上要塞を見れば、ローグタリアが機械大国であることはよくわかる、が……その実、国のとても深いところに魔法に関連する禁忌を抱えていた。今更責めるつもりもないがね」
リシアは苦笑し、
「図らずも我らは、長年にわたってローグタリアが抱えてきた禁忌を叩き壊すことになる。シルーセンでの破壊は成った。残るは神獣王の首一つ」
「……セーレの安全は気になるが、“ラヴォージアス”が使えるのは嬉しい誤算だ。ただ、今回はネフィアゾーラがいない」
「体を宙に浮かしていられるだけでも随分な違いだ。いてくれれば頼もしかったのは事実だが――――」
『こちらに向かってくる複数の魔力反応を検知したと報告が入った! 各々、戦闘待機!』
司令部から魔法で拡声されたヴィクターの声が轟き、総司とリシアがさっと表情を変えた。
「複数……!」
「ゼルムか」
リシアがすうっと目を細めて水平線の彼方を睨む。まだ姿は見えておらず、神獣王ほどの凄まじい魔力を迸らせてもいないから、総司の察知能力にも引っかかっていない。ローグタリア軍は海の向こう、行ける限り出来るだけ遠い位置まで交代で兵を派遣して、魔力を検知させているようだ。とは言え、『果てのない海』で到達できる範囲は限られている。そう時間も経たないうちに、水平線にゼルムの群れが見えることだろう。
「どう思うよ」
総司が厳しい表情で言った。
「この期に及んで雑兵飛ばして牽制するってか……? 今更そんな真似するもんかね」
「魔法による補助があるとは言えど、こちらの主戦力は要塞の砲塔群だ」
“ジラルディウス・ゼファルス”を展開し、少しだけ浮かび上がりながら、リシアがすぐに状況を分析し始め、総司へと伝えていく。
「先日のアニムソルス襲撃時、砲塔群は見事な火力を発揮したが、撃ち尽くせば再整備に若干の時間を要する。こちらに余裕を与えないという作戦かもしれん……が」
総司のように「今更小細工は必要ないのでは」というスタンスではないが、リシアもまた疑問を抱いていた。
「それが狙いとすれば『早すぎる』。神獣王の姿も未だ見えない現状、ゼルムの群れを一掃してから再整備するまでに神獣王がここに辿り着くとは到底思えん……しかも先日より兵士の士気が相当高い」
「……どのみち迎撃する以外にないが、狙いが読めねえのはなんつーか、癪だな」
「それはカトレアが絡んでいるからだな」
リシアが苦笑して諫めるように言った。
「不気味さではなく苛立ちを覚えるのはお前のカトレアに対する感情の問題だ。冷静さを保てよ」
「わかってるよ。そんじゃまあ、今日のお仕事といきますか」
「ちょうど見えて来たんじゃないか? まだ相当遠いが……」
リシアの言う通り、水平線の向こうに黒い影の群れが点々と見え始めた。姿かたちがハッキリわかるほどの距離ではなく、朧げに「向こうに何かいる」程度だが、総司もリシアも目は良い。
海上要塞の砲塔も準備が整っている。再編成されたドラゴン騎兵部隊の一部も既に飛び立ち始め、海上要塞の空へと陣取り始めている。
「そうだ、一応“ラヴォージアス”を借りてくるよ。使わせてもらうと決めたからには、神獣王が来る前に練習しといた方が良いだろ」
「ッ……急いだほうがいいな」
リシアの表情が険しくなり、総司へ掛けた声も強張っていた。総司は一瞬、怪訝そうに眉をひそめたが、その理由がすぐにわかった。
水平線の向こうに見えていた黒い影の群れは徐々に近づいてきていた。
最初はぽつりぽつりとしか見えていなかったが、近づくにつれて、それが「とんでもない数」であることを知る。
青々としていた水平線はいつの間にか、ゼルムの群れが埋め尽くさんばかりに広がって、黒く染まり上がっていた。まるで雨雲が晴れ渡る空を侵食していくかのごとく、見渡す限りを黒で埋め尽くして、「群れ」どころか「津波」の如く、夥しい数のゼルムが侵攻してきたのである。
「オイオイオイオイ――――!」
「カトレアの狙いはもしかしたら“これで決める”ことかもしれん! 急げソウシ!」
「あんのヤロ……!」
「ソウシ! 使って!」
セーレが兵士の助けを借りて、司令部の屋根の上にいた総司のところに登ってきていた。
「悪い、助かる……!」
パシッとセーレが伸ばす手を取り、“エメリフィム・リスティリオス”を二人で唱える。
シルーセンで力を借りた時と同じように、総司の衣服が漆黒と蒼に染まり、瞳も深い蒼を湛えた。重力と斥力を意のままに操る伝承魔法・“ラヴォージアス”。その力の源泉たる精霊ネフィアゾーラを、“哀の君”マティアは「精霊の中でも特に強い」存在であると称した。その評価に恥じぬ強力な伝承魔法だ。
『イイ感じね。あの時より力強い。体の状態が良いのかしら』
「うお!」
“ラヴォージアス”の力を借り受けた途端、聞き覚えのある声が脳内に響いて、総司が思わず声を上げた。リシアも驚いて総司を振り向いたが、総司が次に口にした名前を聞いてすぐに状況を理解した。
「ネフィアゾーラか……!?」
「なんと……!」
『どうにも“そっち”へ行けそうにないから、私の力で空を飛ぶコツだけ教えておくわ。長くはもたないから、頭に叩き込んで』
「わかった、頼む!」
『私の力を使う時に最も重要なのは“均衡”よ。あなたは筋力も魔力も馬鹿力で、何でもかんでもとりあえず全力でぶっ放しがちなの。だから空を飛ぶ時もふらふらと危なっかしい。魔法を放って推進力にしているわけではないのよ。それと似たようなことはあなただってできるでしょう。そうではなくて、世界の“力”と私の力で均衡を保つ、要は“つり合い”を取るの。自分に働きかける力を繊細に感じ取って調整する。……まあ多分あなたの苦手分野でしょうけど、そこはお得意の気合で何とかしなさい』
「お前割と元気そうだなオイ!」
『残念ながら逆よ、“割と大変”なのに来てあげたの。ありがたく思いなさい。それじゃ、頑張ってね』
本当にわずかな時間だけ声が聞こえただけだった。ネフィアゾーラが別れを告げると同時に、彼女の声はもう聞こえなくなってしまった。精霊と世界の関係性はどうも概念的で、総司には正確に理解できない領域の話だが、ネフィアゾーラはそれなりに無茶を通してわずかな助言をしてくれたらしい。ちょっと皮肉の効いた物言いは、“ラヴォージアス”の真なる担い手であるセーレではなく、総司が度々使うことへのせめてもの抵抗だろうか。自分でセーレに「力を貸しに行け」と言っていたくせに勝手なものであるが、ヒトならざる上位存在なんてそんなものかもしれない。
「力の均衡、つり合い、ね……一朝一夕で出来るもんでもないだろうが、何となくイメージはしやすくなったな……」
総司はさっそくネフィアゾーラの助言を生かし、少し宙に浮いてみた。
自分の力に魔法をかけてぐいぐいと引き上げるのではなく、放つエネルギーを推進力とするのでもなく、力の均衡を保ち、自分の体を任意の場所に留め置く。確かに、がむしゃらに力んで魔法を使うよりは簡単に、宙にいる自分の態勢を維持できる――――気がした。
「うし、行ける……! リシア!」
「先に行く!」
総司とは比べ物にならないほど飛び慣れているリシアが、ギュンと一直線にゼルムの群れへと向かっていく。総司はその後を追いかけて、“ラヴォージアス”を操りながら空へと躍り出た。