絶望に暮れるローグタリア 第十話① 最後の切り札
「こちらの砲撃や魔法攻撃を神獣王が気にせず突き進んでしまえば、そもそも我らに抵抗の術はありません」
夕食を終えた後の夜の司令部にて、総司たちを集めたアンジュが、海上要塞周辺の地図を前にしながら自らの策について語り始める。
総司とリシア、ヴィクター、そしてディネイザの四名が地図とテーブルを囲んで、アンジュの言葉に耳を傾けた。
「そして報告を聞く限り、神獣王にはそれが可能です。遠距離の砲撃でもわずかも歩みを止められないのなら、姿が見えてからほんの1・2時間程度で、この海上要塞も踏み潰されて終わりでしょう」
「間髪入れず砲撃を続ければ、多少なりともその場にとどまって海上要塞を何とかしようと攻撃を仕掛けてくる……そう思っていたが、オレの見立ては外れているか」
「可能性がないわけではないが、個人的にはアンジュ殿の見立ての方が正しいと思う」
リシアが冷静に、ヴィクターの言葉に対して意見を返した。
「足を止めないことにはやりようがないが、砲弾の雨を浴びせるだけで止まってくれるかという根本的な問題がある……言われてみれば、その通りです」
「幸い、ディネイザさんがいらっしゃいますので」
アンジュがディネイザに視線を向けた。
「万物に制限を課す古代魔法……アニムソルステリオスの動きをすら一時的に止めるほど、強力なものであると聞いています」
「おっと……それはちょっと、荷が重いなァ」
ディネイザが情けない顔をしながら、正直に言った。
「朝の気配だけでも、格の違いは肌で感じてる……私の実力じゃあ、一秒すら止められないね。悪いけどさ」
「誰であっても、神獣王に直接的な影響を及ぼす魔法の行使など難しいでしょう」
アンジュが頷きながら、地図に魔法の光を灯してマーキングし始めた。
「海上要塞の火力が届く距離に神獣王を押し留めたい。性質としてはそれが可能な魔法の使い手が我が陣営にいる。しかし、足りないのは魔力、或いは存在としての“格”……であれば、それらを届かせましょう。可能なはずです。一つでも奇跡を引き起こせる“オリジン”が、あなた方の手元には複数ある」
「そうか――――“オリジン”をディネイザの魔法の礎にするってことか!」
「はい」
リシアがさっと巾着をテーブルに乗せ、中にしまってある四つの“オリジン”を順に取り出した。
「エメリフィムの“レヴァンフォーゼル”は、一度破壊されてしまったために力を失っています。ローグタリアの“聖域”にて力を戻せるか試すつもりでしたが、まだ叶ってはいません。レブレーベントの“レヴァンクロス”は私が武器として使っていますが、必要ならば差し出せます。つまり、アンジュ殿の策に使用可能な“オリジン”は最大四つです」
改めて、自分たちが集めた秘宝を見据えながら、リシアが感心したように頷いていた。
「確かに……たった一つの“オリジン”が起こしたすさまじい規模の奇跡を、我々は目の当たりにしている……魔法の礎としての“オリジン”の力は、疑うべくもない……」
「なら、この三つ全部使おう」
ルディラントの“レヴァンシェザリア”、ティタニエラの“レヴァンディオール”、カイオディウムの“レヴァンフェルメス”。三つの秘宝をずいっと差し出して、総司がきっぱりと言った。
「俺達も“オリジン”それぞれの特性を全て把握してるわけじゃないんだけど、少なくとも“レヴァンクロス”には魔力を吸収する効果があると知ってる。魔法の礎として使った時に邪魔になるかもしれない。ルディラントの“オリジン”は、魔法の礎として機能していた事実をこの目で見た。残りの二つも……それを使っていろいろやらかそうと思っていた奴らがいたからな。それだけの“力”は十分にあるはずだ」
総司は三つをパッと手に取って、ディネイザに手渡した。
「その内の一人は、ディネイザと同じエルフだった。だったらディネイザにだってできる! ……気がする! どうだ、いけるか」
「へえ……興味深いね。そんな子がいたんだ。いずれ詳しく聞いてみたいね……さて、私にその資格があるかどうかだけど……」
ディネイザは三つの“オリジン”を手に、意識を集中して目を閉じる。優れた魔法の使い手にしかわからないであろう、高次元の何らかの感覚を手繰り寄せるように、静かに魔力を通わせて、じっと動かないままで数秒を過ごした。
「……一つだけならば間違いなく。特にこの『腕輪』は、私と相性が良さそう」
やがてディネイザがぽつりと言った。総司が少し感動しながらディネイザに声を掛ける。
「まさにその腕輪――――”レヴァンディオール”はティタニエラの秘宝だよ。すごいな、ディネイザはそれをきちんと認識できてる……ハッタリじゃねえらしい。流石だ」
「まぁね。ただ、三つ全ては制御し切れるかどうか自信がない。全く不可能とも言い切らないけど」
どうする? とでも言いたげに、ディネイザが総司を見る。総司はすぐに頷いた。
「三つでいこう」
「ん、了解だ。せいぜいがんばるとしよう」
「いや待て」
ヴィクターがさっと表情を変えて二人の会話を遮った。
「ディネイザが失敗した場合はどうなる。何も起こらないのであれば良いがな、万一“オリジン”が破損などしてみろ。貴様らのこれまでの苦労が全て水の泡となるのだぞ」
「そもそも神獣王に勝てなければ全て終わりだ」
ディネイザから返された“オリジン”をしまいながら、リシアが言った。
「破損した“オリジン”が、その力まで含めて完全に修復できるかはわからない、が……ここに来て安全策を取るようでは“先”はない。命も含めて全てを賭ける――――秘宝すらも。私に異論はないよ。お前は?」
「ない。ガワだけならエメリフィムに引き返して、リック族にまたお願いしようぜ。誠心誠意頭下げればきっと応じてくれる。中身っていうか、“力”については確証はないが、元々“レヴァンフォーゼル”も俺が何とかしなきゃならないわけだし」
「しかし……」
ヴィクターはローグタリアにおける決戦のみならず、その先に控える最終決戦のことも憂いて渋っている。女神の騎士を神域へ送り出すべき最後の為政者としての責務が彼を躊躇わせているのだ。総司も当然それは理解しているが、持ちうる戦力を出し渋って勝てる相手ではないことは、相対した経験のある総司とリシアが誰よりわかっていた。
「“オリジン”使って神獣王を従えるカトレアに俺達が唯一勝っている部分だ。『持ってる“オリジン”の数』ってのはな。必死こいて集めてきた最後の切り札……ここで使ってこそだ」
「出番はもう少し先と思うがな……」
ヴィクターは諦めたようにため息をついて、仕方なさそうに頷いた。
「構わん、“オリジン”は既に貴様ら二人のものだ。貴様らの判断を尊重しよう」
「お二方の偵察によって判明した神獣王の進行速度を考えると、明日一日の猶予はあります。準備が必要であれば明日の内に」
アンジュがそういうと、ディネイザが地図の上に異なる色の魔法の灯りをともして話し出した。
「出来ることなら、三つの“オリジン”を巨大な三角形の頂点となるよう海中に配置してほしい。それらを起点に“ディアメノス”を使った方が、私にとってはやりやすい」
「心得た――――誰かおらんか」
ヴィクターが司令部の壁に付けられた受話器のようなものに声を送ると、すぐに兵士の一人が司令部の入口に現れた。
「海底に沈められる籠を三つ、大至急準備せよ。『ヴィンディリウス号』の格納庫に使えそうなものがあったはずだ」
「ハッ!」
兵士が足早に去っていく。
ヴィクターがよどみなく言った。意見は違えたものの、従うと決めたからにはその判断に基づいて最善を探る。この切り替えの早さは相変わらずさっぱりしていて小気味いい。
「指示はリシアに一任する。神獣王の実際の大きさを知る貴様に兵を三名与える。上空から指示を飛ばして適切に配置せよ」
「多少範囲が広くなっても構わないよ」
ディネイザが地図上の点を動かしながら言った。
「多分真正面から来るんだろうし、進路はおおよそ掴めるけどね。広く取っておくに越したことはない」
「そうしよう」
「それはそれとして一つ思ったんだけどさ」
ディネイザが総司を見て、関連する疑問をぶつけた。
「ソウシが使うって選択肢はないのかい? 昨日今日の戦闘を見るだけでも君の力は破格だ。“オリジン”の補助があれば相当な攻撃力になりそうなものだけど」
「あー……表現しにくいんだけど……」
「ソウシには“魔法の素養”があるわけではない」
言いよどむ総司の姿を見て察したリシアが代わりに答えた。
「言うなればディネイザ、貴殿のような“器用さ”がないんだ。魔法の礎として使用できる魔力の塊を前にしても、それから力を引き出す術を知らない――――普通の魔法が使えない男だからな」
「なるほどね……ま、付き合いは短いけど、なんか“らしい”って感じ」
「オイちょっと馬鹿にしてんな?」
「褒めてるんだよ」
ヴィクターがパチン、と指を鳴らして快活に言う。
「ともあれ、見事な立案である! うむ、 “オリジン”を失う危険性にはこの際目をつむるしかあるまいな。神獣王の動きを止め、その間に総力を以てこれを撃滅する!」
「頭上にいる操縦者を殺すことに大きな意味はない可能性があると仰っていましたね」
明るいヴィクターとは対照的に、アンジュは冷静だ。リシアが彼女の言葉に頷いた。
「『止まらない』かもしれません。ただ制御を失うだけで」
「ハッハー! 構わん、神獣王そのものを討伐せしめるのみだ! 部隊の再編成は叶った。それに朝は動けなかった兵も続々と復活しておる。残念ながらここに来るまでに神獣王を削る当初の計画は破綻したが、わずかな光明ある限り諦めはせん! それこそが我らの――――」
「失礼いたします!」
「えぇい今来るか!」
格好よく口上を述べ切る前に、兵士の一人が司令部に飛び込んできた。先ほどヴィクターが籠の用意をするよう命じた兵士だった。
「無礼をどうかご容赦ください。火急の案件――――陛下への来客であります故」
「来客? 客だと? こんな夜に? 一体どこの礼儀知らずが――――」
「おやおや」
カツン、と杖が無機質な床を叩く音がした。
司令部に現れたのは二人――――ヘレネ・ローゼンクロイツと、シルーセンの悲劇の少女・セーレの二人組だった。
「随分とまたご挨拶じゃないか、皇帝陛下。あんたに礼儀を説かれるようじゃあいよいよお終いだね」
「ヘレネさん! セーレも!」
総司が思わず大声を出した。セーレが遠慮がちに小さく手を振った。
「ローゼンクロイツ……!? こ、この馬鹿者め、何をしに来た!」
「朝の“とんでもないの”はソネイラにも届いていたよ。ついに来たんだろう、決戦の時が……」
ヘレネがふーっと大きく息をついて、リシアが差し出した椅子によっこらせと腰かけた。
「老体に鞭打ってソネイラくんだりから馬を走らせてきてやったんだ。この子がどうしても行くと言って聞かないもんだから」
「セーレが……? いや、でも、ダメだ」
総司が首を振り、厳しい表情を作った。
「ここは危険すぎる……! 朝もとんでもない攻撃がここへ直接向けられた。今夜の内にまた来ないとも限らない。ヘレネさん、ご足労いただいて申し訳ありませんが、今すぐソネイラに引き返してください。あまりにも――――」
「まあ少し落ち着くことだ。聞いてやってくれ。確かに無謀には違いないが、この子の考えは決して愚かではないよ」
セーレがすすすっと総司とリシアに寄った。自然と、総司もリシアもさっと屈みこんで、セーレの視線を自分たちの目線を合わせていた。初めてマーシャリアで出会ったあの時と同じように。
「思ってたより早い再会ね。無事でよかったわ……朝のあの魔力、もしかしたら二人が……なんて、最悪の想像をしてしまったもの」
「心配はありがたいがな、セーレ、無茶が過ぎるぞ」
リシアの声も厳しかった。
「ソウシの言う通りだ。首都ディクレトリアは敵の攻撃にいつ晒されるかわからない最前線。住民も皆、内陸へ逃げてもらった……君も、海から出来るだけ離れなければ」
「どこへ逃げたって同じよ。早いか遅いかだけ。あなた達が負ければね」
「そう、俺達が負ければの話だそれは」
総司が首を振って、強い声で言った。
「俺達は勝つ。だから内陸にいれば安全だ。そこまで神獣王が来ることはない。でも、ここにいたら流れ弾とか、建物の倒壊とか、不測の事態に巻き込まれる可能性がぐーっと上がっちまう。わかるだろ?」
「強がってるわ」
「……んなことねえよ」
「シルーセンの時とは違う……“アレ”よりよほどとんでもない相手なのよね」
総司がわずかに言いよどんだ。リシアはフォローするように口を挟もうとしたが、セーレがすっと手を差し出したのを見て、言葉を引っ込めた。
セーレの意図するところを、ようやく察したからだ。リシアにしては随分と鈍かった。それだけセーレを心配する気持ちの方が強かったのだろう――――「何故彼女がここへ来たがったのか」を考えるだけの思考のリソースを割いていなかった。
「あなたに貸しに来たのよ、私の“ラヴォージアス”を。付け加えるとね、これは私だけの意思じゃない――――ネフィアゾーラも、そう言ってる」