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リスティリア救世譚  作者: ともざわ きよあき
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絶望に暮れるローグタリア 第九話⑥ 彼女の笑顔は月光に映えて

 女神の騎士が手痛い攻撃を受け、辛くも逃げ帰ってきたという事実は、ローグタリア皇帝軍に衝撃を与えるかに思われた。しかし、一度大きく下がっていた兵士たちの士気は持ち直し、迅速に、神獣王アゼムベルムを迎え撃つ準備を着々と整えていた。


 勝ち目の薄い相手であることを覚悟し直していた、というのもあるが、何よりも大きかったのはアンジュ・ネイサーの復活であった。


 海上要塞の救護棟から『歯車の檻』へ担ぎ込まれた総司と入れ替わるようにして海上要塞に入った彼女は、皇帝の補佐役としての手腕をいかんなく発揮し、シルヴィアを失う以前と同じかそれ以上の敏腕さで以て、動揺走る兵士たちを統括し、難航しかけていた部隊の再編成も含めて瞬く間に完遂した。


 シルヴィアの一件で心がふさぎ込んでいたところへ、神獣王の顕現の余波と先制攻撃が届き、更には偵察に向かった女神の騎士が敗北するという事態が重なった。既に折れかかっていたアンジュの心はついに折れたのかもしれないと、付き合いの長いヴィクターですら半ば諦めていた。その予想は覆され、アンジュはテキパキと指揮官補佐役として仕事をこなし、ヴィクターが一人で奔走するよりもずっと見事に、海上要塞を統括して見せた。


 鬼神の如き働きぶりにはヴィクターも舌をまくばかりで、下手に指示を出すのは逆効果であろうとアンジュの好きにさせていた。アンジュも、敢えてヴィクターと言葉を交わすことはなく、自分の仕事に邁進した。


「少し休憩をいただきます」


 日が落ちて月が輝く頃合いになってようやく、アンジュが静かに告げた。


「構わん。一度戻るのか?」

「ええ。ソウシさんの容体が気がかりです。リシアさんの見立てでは、致命傷ではないとのことでしたが」

「……わかった。今夜はそのまま休んでも構わんぞ。よく働いてくれた」

「いえ、しばらくサボっていましたので」


 アンジュは首を振り、微笑を浮かべて言う。


「すぐに戻ります。お話ししたいこともありますから」

「心得た。オレはこれから先ここに留まる。戻り次第、会議の場を設けよう」


 絶望の淵に立つ現状に変化はない。しかし、勝ち目が薄いどころか、ほとんどないと言っていい決戦を目の前にして、アンジュの心は不思議と晴れやかだった。


 『歯車の檻』の回廊を歩きながら、アンジュは深く息をついて、ぎゅっと拳を固めて決意を新たにする。


 いつまでもふさぎ込んでいられないと割り切れたことは確かだが、それ以上に心境の変化を齎すものがあった。


 凶悪な先制攻撃を受けて、力の差をこれでもかと思い知らされてなおも、即座に切り返すようにして海へ飛び立っていった英雄たちの姿を見た時、アンジュの覚悟はようやく決まったのだ。


 あの瞬間、ヴィクターの言葉の意味をようやく、実感として思い知った。


 神獣王アゼムベルムを迎え撃てるのはローグタリアだけ――――それ故に、どうして祖国がこんなにも絶望的な状況に直面しなければならないのかと憤った。しかしヴィクターの言う通り、総司とリシアはこれまでからずっと背負い続けてきた。


 今回もそうだった。強大な力を目の前にして当たり前のように、世界を背負う戦いへ諦めることなく身を投じる。きっとローグタリアに来るまでも同じようにしてきたのだろう。アンジュが知らないところで、彼らは命を懸けて挑み、苛酷な試練を跳ね除けて、ローグタリアまで辿り着いたのだ。


 自分だけが子どものように駄々をこねて、落ち込んでいるばかりではいられない――――頭ではわかっていても心がついてきていなかった。心がようやく理性に追いついたのだ。


「失礼します。……おや」


 『歯車の檻』の医務室に入ったアンジュが、もぬけの殻となったベッドを見て目を丸くする。


「お帰り。あの子たちなら外に出とるよ」


 食堂を取り仕切るばあやが、ニコニコしながらアンジュを出迎えて言った。


「外に? 要塞の方へですか?」

「多分壁の上じゃないかね。ソウシがあそこから見える景色を気に入っとるようだから」

「……ソウシさんは大丈夫でしたか?」


 ばあやが医務室にいたのは、魔力による影響を受けているらしい総司の看病をするためだ。シルヴィアの“魅惑の双眸”に魅せられた者を正気に戻したように、ばあやの魔法に対する知見は深い。流石に神獣王の攻撃を受けた者の面倒を見るのは初めてだっただろうが、今の様子を見るにうまくいったようだ。


「問題ないね。話にゃ聞いていたが大したもんだよ。当たり前だけど、普通は死んでる。頑丈な体をしとるよ」

「そうですか」


 アンジュはぺこりと頭を下げて、医務室を去ろうとした。その背中を、ばあやの優しい声が追いかけた。


「ちったぁマシになったようだね」


 アンジュはふと足を止めて、一瞬だけ、きゅっと唇を真一文字に結んだ。しかしすぐにほころばせた。


「ええ、少しだけ」

「そうかい。何よりだね」









「いたな。頭の上に」

「ああ。堂々としたものだったな」


 『歯車の檻』の両翼に長く展開された壁の上で、総司とリシアが言葉を交わす。神獣王の攻撃を食らって大きなダメージを受けていたものの、致命的なものではなかった。


 カトレアは力を誇示するためか、それともその場で決着をつけるためか、ゼルムの群れを総司にぶつけることなく、総司の接近を許した。


 総司がカトレアの姿を捉え、目が合ったと思った時には、神獣王が岩のような外殻の先から魔力の砲弾を全方位に乱射して、そのうちの一つの直撃を食らった。リシアほどには空中を自由に動けない総司の弱点をつかれた形だ。


 リシアも総司を助けるために無茶な機動を取ったものだから、少し掠めてしまった。何とか砲弾の雨を潜り抜けて範囲外に出た時、追撃はなかった。


「心が折れてはいないな?」

「まさか。ここまで来て早々折れてたまるかよ。お前は?」

「もちろん彼我の戦力差は非常に厳しいものがあるが、むしろ多少希望が見えたと思っているよ」


 腕を組み、リシアは相変わらず冷静に言った。総司が思わず笑って、


「へえ。そいつはちょっと強がりが過ぎねえか?」

「今日の小競り合いで三つ確信が得られたからな」


 リシアが腕を組んだままビッと指を三本立てて、きっぱりと言う。


「まず一つ、お前が“神獣王の攻撃を受けても死ななかったこと”。無論、広範囲への攻撃だ。一発の威力は低いものだったのかもしれんが、どうやら神獣王であってもお前を殺し切るのは手を焼くようだ。朝に襲ってきたような一点集中型の攻撃や、あの巨体で押し潰されるような物理攻撃は流石にまずいのだろうが」

「“女神の騎士”の体は、俺が思ってたより頑丈だったらしいな」

「防御力故か、それとも本質的に同類であることに起因するのかは不明だが、図らずも大きな収穫だった」


 リシアが総司の言葉に頷きながら続ける。


「次に、“神獣王の攻撃には間隔が発生すること”。お前は気絶していたが、あの無数の砲弾を放った後、神獣王の全身から煙のようなものが吹き上がっていた。あの様子では連発は出来んと見て良いだろう」

「それ、ヴィクターには――――」

「報告済みだ。そして最後に、“カトレアの執着は予想以上だった”ということ。お前にこだわっているらしいのは知っていたが……敢えて姿を晒したところを見ても、私が思っていたよりはるかに執着しているようだ」

「そうでなきゃ、ゼルムをけしかけて追い払えば良かっただけだからな」

「神獣王を討伐する方法は二つ。カトレアを殺すか、神獣王の核となっているシルヴィア――――改め、“レヴァングレイスB”を破壊せしめるか。とは言えこれまでの流れを鑑みるに、カトレアを殺しても『制御を失う』だけに留まる可能性は捨てきれんが……仕留められるなら、それに越したことはない。ここに辿り着いた時にも変わらず頭上にいるだろうよ」


 顔合わせとなった今朝の戦いは無様に敗北した。しかし、二人にあきらめの色は微塵もない。


 天に届くほどの巨体を前に、「勝てない」という負の感情がよぎらなかったわけではないが、二人ともが、「それはそれとして」勝ち筋がないものかと考えを巡らせ、闘志を燃やしている。


 絶望する時間はとうの昔に通り過ぎていて、決戦は避けられない。ほんの少しでも希望を繋ぐために出来ることは何か。


 世界を背負う二人は、海を見据えてまだ足掻こうとしている。


「ほんのわずかも諦めないのですね」


 そんな二人に、アンジュが声をかけた。総司が驚いたように目を見開いて、彼女の方へ体を向ける。


「体は大丈夫なんスか? 結構、参ってたように見えましたけど……」

「ええ、万全です。むしろソウシさんの方が心配されて然るべきでしょうが……問題なさそうで、何よりです」


 今朝の時点で、アンジュは目に見えて憔悴している状態だった。神獣王顕現の余波にあてられたのも、常の彼女であればあり得なかった話だ。酷な状況にあるのは総司も理解していたし、戦意を失っても仕方がないとさえ思っていた。


 今、目の前にいるアンジュは違った。ある意味では達観しているようにも見えたが、決して折れてはいない。


「リシアさんの報告を聞きました。予想通り、手強そうですね」

「ええ。簡単な相手ではない」

「しかしそれにしては、お二人ともやる気に満ちておられます」


 総司が苦笑し、気楽に言った。


「逃げる選択肢もないですからね」

「わずかな突破口も見えている。我々は勝つつもりですよ」


 大真面目なリシアの言葉を受け、アンジュもまた微笑を浮かべる。


 悲しそうな笑みに見えた。総司が言葉を続けようとすると、アンジュがそれを遮った。


「可能かどうかはわかりませんが、神獣王を倒すのに役立つかもしれない策を思いつきました」

「……本当ですか」

「夕食は?」

「まだッス」

「では食事を摂られた後、海上要塞の司令部へお越しください。そこで陛下も交えて話します。ただ――――偉そうに策などと言いましたが、あらゆる意味で更なる負担が掛かるのはあなた方です。ですので、判断はあなた方と陛下に委ねます」

「それは気にする必要もない」


 リシアがすぐに答えた。


「もとより命も含めて全てを賭ける所存です。むしろありがたい話だ」

「……では後ほど、海上要塞で会いましょう。どうか少しでも体を休めてくださいね。あなた方はローグタリアに残された最後の希望なのですから」


 すっと踵を返して去ろうとするアンジュの背中に、総司が声をかけた。


「正直、アンジュさんはもう諦めてると思っていました」


 アンジュの足が止まる。


「そして俺は……それも仕方のないことだよなって、勝手に納得してた。失礼な話でしたね。申し訳ない」

「……いいえ、間違ってはいません。我が国の不遇を嘆いて、己の不運を嘆きました。けれど……世界を背負う人々が、決して折れないままでいてくれるから。このままではいけないと思ったのです」


 肩越しに少しだけ振り向いたアンジュの微笑みには、確かな悲観が貼り付いている。彼女の言葉通り、不運への恨み節が彼女の心の内には確かにある。それは間違いない。


 けれどそれだけではない――――絶望に暮れながら、それでも健気に。


 いっそ清々しいほど爽やかに、彼女は笑ったのだ。


「きっと勝ち目がないのでしょうけど、誰も助けに来てくれないのでしょうけど……あなた達がいてくれるから、私も諦めずにいられるのです」


 去っていくアンジュの後ろ姿に、総司もリシアも声を掛けなかった。


 総司もリシアも、そしてアンジュも、ヴィクターも。誰しも決して聖人君子ではない。


 抱いても何も変わらないかもしれないが、アンジュが不運への恨みを抱くのは致し方のないことだ。理不尽な現状を嘆く彼女の心境を、誰が咎められようか。


 そしてそんな想いを抱いてなおも、決戦の日を目の前にして、彼女は決然と「諦めない」と言い切って、笑って見せたのだ。


 月夜に輝く一瞬の、あまりにも悲しく、そして美しい笑顔に魅せられて、総司とリシアは一時、言葉を奪われたままアンジュの背中を見送った。


 海へと視線を戻し、総司が静かに呟いた。


「……リシア」

「ん?」

「勝たねえとな」

「当たり前だ」


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― 新着の感想 ―
[一言] 六章始まったときは、あの台詞はセーレのものかと予想しながら読んでいましたが、 まさかアンジュだったとは途中まで思いもしなかった... いよいよここからの絶体絶命の極致をどう乗り越えていくの…
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