絶望に暮れるローグタリア 第九話⑤ 偵察と敗北
戦力がいくらあっても足りないことは理解していた。
昨日の隕石のような攻撃、そして今日の先制攻撃。いずれもヒトの身では達成し得ない絶大な力によるものであり、正面衝突で勝ち目が薄いのは必定。しかし既に決戦の火ぶたは切って落とされ、最早正面から戦う以外に選択肢もなく、覚悟を決めるしかなかった。
その覚悟が鈍るほどに――――神獣王アゼムベルムの姿は、絶望そのものを体現していた。
フォルタ島沖に聳え立つ岩山のような巨大な体躯は、崖のような足を四本、海へ沈めてゆっくりと歩いている。海底までの深さがどれだけあるかはわからないが、既にフォルタ島を大きく離れており、浅瀬というわけでもないはずだ。
その水底に足を付けても体が沈む様子は全くない。それだけ巨大なのか、それとも体が全て沈みこまぬよう足元に魔法陣の足場を展開するだけの器用さすら兼ね備えているのか、空中から見る限り定かではない。
遠方からその姿を捉えるや否や、総司が剣を振るおうとした。しかしそれはリシアが止めた。竜巻のように周囲を旋回する大量のゼルムの群れが射線を阻んでいて、遠距離から仕掛けたところで何の意味も為さないことは明らかだった。
だからと言って、至近距離から攻撃をぶち込むことに「意味がある」とも、とても思えないが。
「ッ……何だ……?」
リシアの手を離れ、空中を蹴り大きく跳躍することで高度を保っていた総司の足元に、ふわりと魔法陣が展開された。足場となったそれにひとまず着地してみると、すぐにその出所がわかった。
「……アニムソルス……!」
『やあ。昨日ぶりだね』
ギュン、と空間がねじ曲がって、レスディール・スティンゴルドの姿をしたアニムソルスが総司の前に現れる。
『どうだい、我らの王をその目で見た感想は』
「……今更お前と世間話する気分にはなれねえな」
既に臨戦態勢となった総司の魔力が、危険な気配を帯びる。研ぎ澄まされたそれを合図に、リシアもすうっと剣を構えた。
『世間話ではないよ。キミにとって有益な話だ』
「チッ……!」
総司が露骨に嫌そうな顔をして舌打ちした。
この時に至ってなおも、アニムソルスの本心は明確に推し量れてはいない。シルヴィアが“オリジン”として覚醒し、総司の元を離れていった時の「ウェルスとの会話」を思い出すに、アニムソルスには「アゼムベルムと総司を戦わせたい」意図があるらしいことはわかる。
それだけが目的にしては、随分と回りくどい真似をしている。レヴァンチェスカが語ったような「ヒトの感情の発露」を味わいたいアニムソルスの真意がどこにあるか見定められていない以上は、かの神獣が語る「有益な話」をむげには出来ない。
「無駄な話」だと断じればその時点で開戦だ。総司は油断なく剣を構えながら、いつ足場が消えても対応できるよう気を張って、アニムソルスを睨んだ。
『見ての通り、我らの王は既に顕現した。キミらにとっては残念なことに、これをすれば何とかなる、なんてわかりやすい弱点はない』
各国の“聖域”に満ち溢れていたよりも更に莫大な魔力を感じる。その魔力が、根本的にサイズも桁違いな化け物に備わってしまっている。わずかな突破口も望めそうにないのは、はた目にも明らかだ。
『ありがちだろ? ああいう強大過ぎる神話上の怪物なんてのには弱点がつきものだ。かつて討伐したことのある伝説の武器がどうのとか、唯一対抗できる魔法がこの世界に残されていてどうのこうの、とかさ。でも現実はそう都合よくはいかないものだ』
アニムソルスは微笑みながら口上を述べる。
『神話の英雄に倣うのでなく、神話の英雄に“なる”必要がある。キミが神域に至るための最後の試練だ。存分に力を振るってくれ』
「ひとっつも――――!」
リバース・オーダーに蒼銀の魔力が宿る。総司は迷わず剣を横薙ぎに振り抜いた。
飛ぶ斬撃がアニムソルスへ突撃し、アニムソルスが魔力を纏わせた腕で弾き、軌道を逸らす。
「有益な情報がなかったなァ! 付き合った俺が馬鹿だったよ!」
『そうかな? 小細工を弄するだけ時間の無駄。十分に有益だったでしょ』
「ふざけてんのかテメェ――――」
総司の言葉が途切れる。
叩きつけられるような圧倒的な魔力の気配。神獣王から発散されるそれに言葉を奪われた。
世界を侵食するようにして襲い掛かってくる凄まじい魔力の中に、総司は覚えのある魔力の気配を感じ取る。
「ッ……レナトゥーラ……?」
神獣王アゼムベルムの背から、六枚の翼がべきべきと音を立てて、ゆっくりと広がっていく。形が何とか「翼」であることを思わせるだけで、無骨な岩の刃と称した方が近しいかもしれない。
どう考えても、あの巨体を空へ浮かべるには足りない。飛翔のための機能ではない。
その翼の一枚一枚に集約していく魔力の中に、“怨嗟の熱を喰らう獣”の残滓を見る。
翼がぐわっとはばたくように動いた。
勢いよくはためいたそれは突風を巻き起こし、風に乗って“蒼炎”がまき散らされる。
アゼムベルムの正面に放たれた竜巻がレナトゥーラの蒼炎を纏い、横向きに放たれた炎の魔法のような攻撃となって、総司とリシアに襲い掛かった。
アニムソルスに気を取られ――――そしてアゼムベルムの挙動から「何をしようとしているのか」が推測しきれず、回避が遅れた。巨体から放たれた攻撃故に、反応が遅れた状態では範囲外に逃れられないほど攻撃範囲が広い。総司はぎらりと蒼炎纏う風を睨みつけ、左目に魔力を集中させる。
「“ルディラント・リスティリオス”!!」
白の強い虹の光が、総司を中心として広がっていく。
球形に広がるそれが蒼炎とぶつかり合って、蒼炎は霧散する。全てが消し切れたわけではなかったが、総司の体を燃やし尽くせるほどの火力を保つことは出来なかった。
だが、襲い来る風は留め切れない。魔法によって発生した現象ではなく物理現象だ。総司とリシアの体は風圧で吹き飛ばされた。
「ぐっ……!」
大きく吹き飛ばされた後、リシアが総司の体を捕まえてアゼムベルムの正面から逃れる。
ヒトのサイズからすれば「近い」というほどの距離でもないが、アゼムベルムにとっては違うらしい。
「もう気付かれているらしいな……!」
次の攻撃を警戒しながら、リシアが言う。
「あくまでも情報収集だ、ここで仕掛けるのは得策ではない!」
ある程度は空中での移動能力を獲得していると言えど、総司の空中戦における戦闘力は決して、足場を使いながら戦う状況と同次元ではない。
万全の状態であってもわずかの勝機すら望めそうにないような相手に、条件の悪い状態でぶつかるわけにはいかない。二人がここに来たのはあくまでも偵察のためだ。
神獣王の攻撃範囲はすさまじく、ゼルムの防御もあって近づけそうにはないが、動き自体は緩慢だ。朝方に見せたような大規模な魔法の砲撃も行ってくる気配はない。この戦線を離脱するだけなら不可能ではない。
「わかってる! けどあと少し近づきたい!」
「何故!」
「カトレアだ! アイツがどこにいるのかだけでも見ておきたい!」
「なるほど……! だが容易ではないぞ、あの攻撃範囲では近づくほどかわせなくなる……!」
総司はヴィクターから渡された通信機を触って、海上要塞に残るヴィクターとの通話を試みる。
「ヴィクター!」
『聞こえるぞ! 状況はどうだ!』
幸いなことに、通信機はきちんと機能を果たしているようだ。
「神獣王の姿を捉えた。今しがた攻撃を仕掛けられたところだ。二発目の気配は今のところない。とにかく信じられないぐらいでかい。『歯車の檻』の何倍もだ」
『そうか……他には?』
「四本足の獣で、頭部の形状はドラゴンに近い。岩みたいな外殻で多分相当硬い。体の周りに数えきれないぐらい大量のゼルムが旋回してる。翼が六枚あったけど、多分飛ぶためのものじゃないと思う。動き自体は遅いけど、問題にならないだろうな、向こうにとっちゃ。それから――――」
『あぁ、良い、良い、残りは戻ってきてからだ! 危険を冒してでも先に見ておく価値はあったと考える。ひとまず撤退せよ!』
「カトレアの姿が見えるかどうか試してから帰るよ」
『なに!?』
ヴィクターは驚いたようで、しばらく黙っていたが、やがて言った。
『良かろう……ただし、無茶はするなよ。まだその時ではないぞ』
「わかってる。後で会おう」
通信を切り、総司はすぐにリシアへ指示を飛ばした。
「二手に分かれて狙いを分散させる! お前は左からだ!」
「わかった!」
リシアが総司を離した。総司は空を蹴り、神獣王に向かって右側から凄まじい速度で近づいていく。リシアは指示通りに、左側からギュン、と神獣王に向かって飛んだ。
雲に届きそうな高度でようやく、神獣王の頭よりも上に出ることが出来た。
近づくまで、神獣王からのアクションはなく。
取り巻きのゼルム達もぐるぐると群れを成して旋回するばかりで、総司に仕掛けてくる様子はない。そして――――
「おや。善意の警告代わりだったのですが、伝わらなかったようで」
まだ距離があるものの、総司はハッキリと、神獣王アゼムベルムの頭の上に立つカトレアを捉えた。そして恐らくは、目が合った。
「まさかと思いますがここでやりますか? 女神の騎士、いえ――――ルディラントの亡霊よ」
神獣王の魔力にあてられて倒れた者、動けなくなった者を『歯車の城』で休ませ、動ける者で部隊を編成し直し、魔力障壁を展開する装置を再整備する。
総司とリシアが偵察に向かった後、ヴィクターは海上要塞で陣頭指揮を執り、決戦に備えて忙しく働いていた。手が足りない上に、ヴィクターは全てを纏め上げる指揮官としての役目と、今にも士気が崩れ落ちてしまいそうな軍を鼓舞する役目を一手に担っていた。
アンジュ・ネイサーは、『歯車の檻』が神獣王による攻撃の余波を受けた時、ようやく正気を取り戻して海上要塞へ入った。
入った先で見たものは更なる絶望だった。勇敢な兵士たちが戦意を失い、次々に『歯車の檻』へと運び込まれていく。皇帝の号令の下で迅速に動き回る兵士や技術士たちの中にも、既に絶望感に打ちひしがれた表情の者がいた。
だが――――朧げだった破滅が現実味を帯びて襲い掛かってきた現状で、それでも人々は懸命に働いていた。絶望に打ちのめされてなおも、終わりの時まで足掻き続けようとする者たち。アンジュは無表情に、海上要塞の救護棟からその様を眺めていた。
『ソウシたちが戻ってきたよ!』
神獣王顕現の日、午後に差し掛かった頃。
海上要塞の上空に陣取り、周辺の警戒に当たっていたディネイザの報告が入り、ヴィクターがぐっとガッツポーズした。
「無事逃げおおせたようだな……途中で返答がなかった時はまさかと思ったが……!」
アゼムベルムと邂逅した時、総司からヴィクターへ報告の通信が入っていた。
だが、しばらく経った後にヴィクターから「カトレアは見つけられたのか?」と問いかけても返事はなかった。それ以降も何度か通話を試みたのだが、ついぞ返答はなかったのである。
最悪の事態も想定したが、総司たちはちゃんと撤退できたようだ。
『……様子がおかしい。見てくる!』
ディネイザの声色がさっと変わった。ヴィクターは笑顔を引っ込めて、急いで司令部から飛び出した。
リシアが総司を抱える形で海上要塞の端に着陸した二人。ディネイザはすぐにそこまで飛んでいった。司令部まで飛んでこなかったこと自体が、何か異常事態が発生していると告げている。
「リシア!」
「くっ……!」
ディネイザの呼びかけに応じようとしたリシアだったが、しかしうまく言葉が紡げないらしい。二人の姿を見てディネイザはハッとした。
バチバチと二人の体から、淡い赤と黒が入り混じる魔力の閃光が迸っている。神獣王アゼムベルムによる何らかの攻撃を食らってしまったことの証左だ。
リシアは衰弱こそみられるものの、意識があるようだった。だが、総司は微動だにしない。神獣王の魔力を全身に纏わりつかせたまま、ぐったりと突っ伏してしまっている。
「“レヴァジーア・ディアメノス”!」
総司とリシアの体に銀色の楔がズン、と打ち込まれた。と言って、物理的に体に風穴を開けているわけではなかった。神獣王の魔力を減衰させるべく、ディネイザが打ち込んだものだ。
銀色の楔は途端に赤黒く変色し、稲妻を迸らせてバギン、と砕け散った。
「ダメか……!」
「……いや……!」
リシアが何とか体を起こし、総司の肩に手を回してぐいっと抱え上げた。
「助かった……幾分かマシになったよ。ありがとう……!」
「いいよ、私が担ぐ」
ディネイザが総司の体を受け取り、リシアにも手を貸そうとした。リシアは首を振って言った。
「私は良い。ソウシを頼む」
「生きてはいるようだね」
荒い息遣いではあるが、致命的なダメージを受けているわけではないらしい。ディネイザは少しだけホッとしたが、すぐに気を引き締めた。
「じゃあ先に行くよ。大丈夫なんだね?」
「ああ……自力で救護棟まで戻る。行ってくれ」
「わかった」
ディネイザが総司を担いで跳んだ。リシアはふーっと大きく息をついて、総司の剣を拾い上げ、体を引きずるようにして司令部へ向かって歩き始めた。