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リスティリア救世譚  作者: ともざわ きよあき
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絶望に暮れるローグタリア 第九話② 第六の魔法/もし全てが終わったら

「どうやって勝つと言うのですか」


 アンジュの静かな声に、皇帝ヴィクトリウスは答えなかった。


 神獣アニムソルスと、かの存在が率いるゼルムの襲撃は、それだけなら被害はほぼ無し。大勝利と言っていい状況ではあった。


 最終的に海上要塞が損害を受け、兵の一部が手傷を負って、決戦の日までにはとても復帰できない状態へ追い込まれたのは、最後の一手が原因だ。飛来した隕石は女神の騎士によって砕かれたが、その余波は「普通の人間」には大きすぎた。


 魔力障壁の内部へ入り切れなかった兵士たちは重傷を負ったし死傷者も発生し、障壁自体も一部が機能しなくなった。発生した高波が要塞の端に設置された砲台に損傷を与え、要塞の攻撃力もそぎ落とされた。急ピッチで整備が進められ、恐らく決戦の日には間に合うだろうが――――それはこの先、毎日のように襲撃がなければの話。


 “いつでも潰せる”というメッセージを叩きつけるための奇襲だったとしか思えない。それがアンジュの見立てであり、ヴィクターも何ら異論は唱えなかった。


 ヴィクターは要塞再整備の計画図面を机の上に所狭しと並べ、足を組んで座ったまま思案している。アンジュの言葉に答える気はないようだった。


「小手調べでこの損害です。神獣一体でこれほど苦戦します。更に格上の存在が出てくるのです。どうやって勝つのですか」

「慎め、アンジュ」


 ヴィクターがようやく口を開き、静かに言った。


「貴様はオレに次ぐ指揮系統の二番目だ。そのように弱気では困る」


 アンジュは歯を食いしばり、机にドン、と手を置いて、ヴィクターに詰め寄った。


「今すぐここを離れてください。隣国のエメリフィムへ逃れてください。敵の狙いは“女神の騎士”です。あなたがここにいる必要はない。これは救世主たる彼の戦いでしょう」

「たわけたことを。ソウシの報告を聞いておらんのか? 敵の狙いは“リスティリアそのもの”だ。逃げ出したところで、結果は変わらん」


 アンジュの眼差しをまっすぐ見つめ返して、ヴィクターが呆れたように言った。


「あまり失望させるな。貴様は子どものような駄々をこねておる。『何故ローグタリアばかりがこんな目に』と。実に下らん」

「ッ……偶然……偶然彼らの、最後の地であっただけで、何故あなたがここまでのものを背負わなければならないのですか……! こんな勝ち目のない負け戦を……!」

「馬鹿者め」


 ヴィクターは厳しい声で言った。


「オレも貴様もリスティリアの民である。リスティリアの民として、ソウシとリシアにこれまで“どれだけ背負わせてきた”。下界の民が等しく背負うべきものをたった二人で見事に背負いきって、彼奴等はここまで辿り着いたのだ。ソウシが挑むべき戦いには違いないが、オレが逃げ出していい道理はない。いい加減腹を括れ」


 ヴィクターの言葉は正論そのもので、アンジュは口をつぐんだ。


 理不尽な絶望が目の前にある。アンジュの心境もわからないではない。ただでさえ、シルヴィアの件で精神的にもダメージを負っている状態で、カイオディウム事変以来の未曽有の危機に立ち向かわなければならないという事実に直面しているのだ。


 神獣王アゼムベルムはローグタリアに襲い掛かり、その後リスティリア全土へ牙を剥く。ここで逃げ出したところで意味はないし、ローグタリアの為政者として逃げ出すわけにもいかない。ヴィクターの言葉は正しいが、アンジュがどうしても一縷の希望すら見出せない心持ちでいることもまた、致し方ない。誰もかれも、ただ正しいことのためだけに動けるわけではないのだ。


「手紙の件もそうです……先を見据えて手を打っておられたことは理解しますが、それでも間に合うはずもありません。他にどんな策があるというんです?」

「フン。今更策を弄したところで、大した意味もあるまいな」


 ヴィクターは事も無げに言った。


「最終的にはソウシが勝てるかどうかだ。我々は道を開くことに全ての力を注ぐ。最後に立っているのがソウシだけでも構わんのだ。本人にも言ったとも。我らの屍が作った山の頂で高らかに勝利を謳えとな。そして道を開くだけならば、出来ることは多い」


 要塞の図面を見据え、ヴィクターが続ける。


「神獣王には通じずとも、雑兵には十分通じた。雑魚にかまけてソウシが消耗するのは何が何でも避けねばならん。武器も兵の命も、全てを使って露払いをする。首都ディクレトリアは四日後には跡形もないかもしれん。しかし構わん。最後に勝つのが女神の騎士であるのならば、構わんのだ」


 ヴィクターがすっと立ち上がり、アンジュの目の前に立って、未だ憤る彼女の瞳を再び見つめ返した。


「……オレを恨んでいるか」

「……いいえ」

「妹の命を弄んだに等しい。それでもか」

「はい。そのようには思っていません」

「変わらぬ忠誠があると」

「もちろんです」

「では、覚悟を決めろ」


 ヴィクターがアンジュの肩に手を置いた。


「最後まで前を向いて雄々しく戦うのだ。たとえ命潰えようと、わずかな希望を紡いで託す。残り四日だ。悔いの残らぬよう、準備は怠るな」

「……かしこまりました、陛下」








「想像で埋めるしかない部分に想いを馳せるのは、全てが終わった後にしよう」


 “海底神殿”で、総司が女神と語らい、その後にカトレアと出会ったこと。


 その件について大まかな報告を聞いたリシアが、バシッと言い切った。


「お前の話の中で最も重要な部分は、『“オリジン”を掌握したカトレアは簡単には殺せない』という事実だ。彼女の背景にまで想いを馳せる余裕は、現時点ではない」


 総司の半端な情がカトレアに向きかけていることを、リシアは見抜いているようだ。そのうえで厳しく言い放ち、総司が頷くのを見届けた。


「お前が正しいよ」

「そして打開策はある」


 腕を組んで話を聞いていたディネイザへ視線を向け、リシアが即座に答えを出した。


「ディネイザの魔法は神獣にすら影響を及ぼした。同質の魔力を持つ“オリジン”にも一定の効果はあると考えて良いはずだ。つまり、“オリジン”による加護を獲得したカトレアであっても、ディネイザの魔法の影響下であれば刃が届く可能性は十分にある」

「“魔獣の活性化”みたいな力の増幅もあった。アイツ自身の戦闘力もこれまでとは比較にならねえ」

「条件が厳しくなったのは間違いないが、かと言ってまだ詰みというわけではない。どのように厳しさが増したのかを共有しておくのは重要だ、と思うだけだ」


 リシアの声も口調も、そして思考も極めて冷静そのものだった。皇帝の前で取り乱した様子を隠そうともしなかったアンジュとは対照的に、リシアは今日の戦闘や総司の報告から得られる限りの情報を得て、それらをきちんと分析し、来たる決戦に備えて着々と考えを纏め上げていた。


「リゼットの“獣”を操る権能は、アゼムベルムに全く機能しないというわけでもないらしいが、結局、カトレアが戻れば制御の主導権はカトレアが握るのだろう。リゼットの役割はその補佐、と読むのが『まっすぐな見解』だ」

「含みがあるね?」


 ディネイザが楽しげに笑うと、リシアが頷いた。


「それで終わるとは思えん。今日の奇襲もリゼットの策と思われるが、恐らく『脅し』ではない」

「宣戦布告以上の意図があったってことか?」

「お前には話したと思うが、リゼットはお前の排除という至上命題の達成に最も近づいた存在だ。昨夜は親しげに話しているようには見えたがな、その実、彼女は冷酷で頭がよく回る。恐らく気づいているのだろうな――――アニムソルスが完全な支配下に置けていないということに」

「試したってことか」

「そうだ。最後のあの大規模な攻撃は我々に対してのものではなかった。アニムソルスの出方を見るための大仰な仕掛けだ」


 意図の読めないアニムソルスが張り巡らす、正体不明の策謀。女神曰く、「意思ある生命の感情の発露」と、それが引き起こす事象を観測したいがために、かの神獣は意味不明な動きでローグタリアを混乱させている。それに巻き込まれているのは総司たちだけではなく、リゼットとカトレアも同様だ。


 だがリゼットは甘い相手ではなく、自分が神獣の身勝手な意思に翻弄されていることにしっかりと気付いている。そのうえで神獣の意思の暴走すらも掌握して利用するために、リゼットは手を打った。それがリシアの見立てだった。


 敵陣営はてんでバラバラで、それぞれが絶妙なパワーバランスの元で駆け引きを行いながら、しかし共通の目的のために――――神獣王を制御し世界へぶつけるという目的のために動き、それはもうすぐ達成されようとしている。複雑化した敵陣営の関係性は総司たちにとっても非常に厄介だが、最後に行き着くところが見えているだけ救いがある、と言ったところか。


「一番厄介な相手はアニムソルスではなくリゼットかもしれん……無論」


 リシアがふと間を置いて、


「既に自分の役目は終わったと見て、最後は眺めているだけの可能性もあるがな。正直――――気の毒なことだが、まともな感性はもうないだろう。どう出るのか最終的にはわからない、というところは、アニムソルスとも共通している」

「行動原理がハッキリしてるのはカトレアだけだな」


 総司がふーっと息をついた。


「どうあれアイツは俺を何とかして殺したい。それだけは確かだ。ま、こっちも同じだがな。どのみちアイツとは殺し合うしかねえし」

「……リゼットが発案したであろう奇襲の余波はまだ続くぞ。決戦まで暫定四日を切ったこの状況で、我々はここに釘付けにされたのと同義だ」


 リシアが変わらず冷静に言う。


「ゼルムはともかく、アニムソルスは我々でなければ相手にできない。アニムソルスに、国を滅ぼす意図はない、とも断言できない。下手に離れるわけにもいかなくなった」

「ま、俺の用事も終わったしな」


 総司が気楽に言った。


「もう離れることはないし、そこは別に良いんじゃねえの」

「……そう言えば」


 リシアがふと思い出したように呟いた。


「最後の魔法は返していただけたのか?」

「それなんだがな」


 総司が顔をしかめて、自分の手をじっと見つめる。


「結論から言えば『間違いなく返された』んだが……いつもと違って、“使い方がわからない”」

「何だと?」


 総司もリシアも、互いに怪訝そうな顔ではたと見つめ合う。


 ディネイザは二人が何を話しているのかわからなかったが、別に詳しく知る必要もないだろうと、ひとまず口を挟まなかった。


「これまではどういう魔法なのか、返してもらった時点でだいたいは把握できてた。今回はそれがないんだよ。使ったら何が起きるのか全くわからないまま、返されたという実感だけがある。薄気味悪いことにな」

「……ふむ」


 リシアはしばらく思案したが、すぐに結論を出した。


「ではひとまず忘れるとしようか」


 総司は戸惑ったように目を丸くしたが、リシアは微笑んで言葉を続ける。


「第四の魔法のように得手不得手がハッキリしているものであったり、第五の魔法に見られるように、何らかの制限を伴う可能性もある。お前の魔法はどれも強力無比なものだ。それ故に影響も大きいから、軽々に試すのも憚られる。ならば、元からないものとして、手札には数えておかない方が賢明だ」

「……確かにな。役に立たねえ話だ」

「女神さまに何らかの意図があると考えるのが妥当だろうが、使い方がわからないのなら使わないようにすると私が判断することぐらい、女神さまもわかっておられるはずだ」


 レヴァンチェスカはリシアの力を認めている。救世主の相棒としてこれまで総司を支え続けたリシアが、総司とは段違いの思考能力と判断力を持っていると知っている。そのうえでわかりやすく「隠ぺい」しているからには、第六の魔法が神獣王との戦いで必ずしも「鍵」とはならないのだろうという予測。


 絶対に必要だというのならば、効力を隠すのは不合理に過ぎる。リシアはそのように読んで、第六の魔法を戦力として数えることを切り捨てた。


「カトレアの件と同じだよ。戦いの後で考えるとしよう」

「……わかった。お前に従う」


 ディネイザがパン、と手を叩いた。


「さあ、お話しはこれで一区切りってことで。絶望的な状況でも腹は減るもんさ、お二人さん。夕食の時間だ。次なる襲撃に備えて、まずは英気を養うとしようよ」







 『歯車の檻』の食堂は大賑わいだった。総司たちはこれまで、兵士や技術者たちとは時間帯をずらして食事を摂っていたものだから、彼らと食事の席を同じくするというのは初めての経験だった。


 神獣アニムソルステリオスの襲撃を退け、今回の奇襲を押し返した立役者たる三人である。兵士たちは三人に気づくや否やどやどやと詰めかけて歓迎し、三人の席を設けて囲んでくれた。


一国の護りを担う前線の兵士たちとこうして雑多に食卓を囲むというのは、思い返してみればレブレーベント以来のことだった。レブレーベントで騎士見習いとしてリシアの下についた時は、こんな風に食事を摂ったこともあった。アレインと飲み比べをして派手に負けたのも総司はよく覚えている。その直後に彼女とは殺し合う羽目になったが、それも込みで良い思い出と言っていいだろう。


「被害はどんなもんだったんスか?」

「死傷者は3名、重傷者は20名程度。負傷した者はもっといるが、戦闘に支障はない。神獣の襲撃があったということを踏まえれば大金星だ!」


 カーライル分隊長は努めて明るい口調で言った。


 「軽微な被害」とは言えない。もしもこの規模の損害が、例えば既に三日後に迫った決戦の日まで毎日続くようであれば、単純計算で80名以上の戦闘不能者が出ることになる。ローグタリア皇帝軍の規模は、前線で戦う兵士や砲台の整備・起動を担う技術兵を全て合わせれば千人を超えるが、決して余裕のある状態ではない。


 大量の兵器を稼働させて敵を迎え撃つからこそ、人員の確保は必須。次の襲撃があると仮定するなら、被害はもっと抑えなければならない。


 兵士たちは、皇帝ヴィクトリウスより「神獣アニムソルステリオスは世界を滅ぼそうとする悪党一味に加担している」と聞かされているらしい。


 神獣王アゼムベルムの件も、既に全軍に共有されているそうだ。これまで兵士たちは、ヘレネの予言を受けて軍備を整え続けてきた皇帝の動きから、漠然と「大変なことが起こる」という予感だけを胸に抱えて、しかし皇帝の命に異を唱えることなく、言われた通りに仕事をこなしてきた。


 軍備の理由が世界を滅ぼそうとする強大な敵を迎え撃つため、と聞かされて、兵士の士気は高かった。総司としてはむしろ、絶望的な巨悪を前にして士気が下がる方が自然の流れではないかと思ったのだが、カーライル分隊長は総司の懸念を笑顔で否定した。


「末端の者に至るまで、陛下は貴殿らの使命のことも伝達してくださった」


 総司が驚いて水を噴き出しそうになった。リシアもそれは予想外だったのか、食事を口に運ぶ手を止めた。


 これまでの国では、総司とリシアが背負う使命――――女神レヴァンチェスカを救うという至上命題を、誰もが知っているという状況ではなかった。


 リシアは思考し、そして納得する。恐らくは総司が抱いた懸念を払拭するため。強大な敵を相手に兵の足がすくむことのないよう、これは国のみならず世界を護るための戦いなのだと――――総司とリシアが生き残ったうえで勝利することが絶対的に必要な戦いなのだと納得させるために、全てを伝えたのだ。


 総司とリシアが先に進めなければ、どのみちローグタリアだけでなくリスティリアそのものが滅ぶ。この戦いは避けては通れないことを兵士たちが知っている。それでも逃げ出そうとする者はいるだろうが、腹を括った者も大勢いるだろう。もとより、罪なき民の盾となるべく皇帝軍に属している勇敢な者たちだ。


「そして今日皆が見せてもらった。希望を託すに値するその強さをな。厳しい戦いになることなど百も承知。だからと言って逃げ出すことも無意味とくれば、これはもう覚悟を決めるほかあるまい! 無用の心配だ、若人よ!」


 非常事態につき酒を飲んでいるはずもないが、まるで酔っぱらっているようなテンションで、カーライル分隊長がバシバシと総司の背を叩いた。


「陛下が仰るには、最後には貴殿らに頼るほかないとのことだ。祖国の未来を異邦人に託すしかないというのは歯がゆい想いもある。しかし、貴殿らにしか出来んということも確信した。最後まで共に戦うとも。頑張ろうではないか」

「もちろんです」


 総司が力強く言った。


「でも、俺にもあなた方を護る余裕なんてないと思います。ただその代わりに……あなた方の屍を踏み越えてでも、神獣王を必ず倒します」

「それでこそ、陛下の仰っていた通りの英傑だ。さあ、乾杯といこう! 酒ではないのが残念だが、それは勝利の宴に取っておこうな!」


 緊張感を保ちつつも、楽しい食事の席を終えて。


 総司は一人、『歯車の檻』に連なる高い防壁の上に出た。


 ここにも砲台が並び、『果てのない海』から来る絶望を迎え撃つべく準備が進められていた。襲撃が昼日中にしかない保証は当然どこにもないから、当番制で兵士が配備されており、総司は軽く挨拶を交わして、壁の真ん中あたりで暗い海を見やる。


 海上要塞が一望できた。まだ技術兵たちがせわしなく活動しているらしく、魔法の光でライトアップされた要塞から喧騒が聞こえる。昼間の襲撃で損害を受けた兵器を整備しているのだろう。


「――――お前は私の判断をいつも尊重してくれるし、私を頼ってくれる」


 リシアの静かな声が響いた。総司に動揺はなかった。これまで以上に気を張った状態で、慣れ親しんだ相棒の気配を察知できないはずがない。総司は何も言わなかった。


「それは私にとって誉れ高いことだ。けれど一つだけ。『嘘をつかない』という約束事だけは、守られることもあれば破られることもあったな」

「……悪い」

「もとより無茶な誓いだ。お前と女神さまの関係性を思えばな。そもそも、この誓いはお前がこの世界に来た直後に立ててくれたものだ。あの頃、お前自身も思ってもみなかったことだろう。女神さまを救済するこの旅路が、これほど様々な要素が複雑に絡み合った、難解なものになるだなんて」

「体がきついとか命の危険があるとか、そういうことしか頭になかったもんでな。とんでもない力を与えられたから、それをうまく使って頑張れば多分何とかなるんだろ、みたいな甘い心境でいたと思うよ。あの頃の俺は今以上にずっと馬鹿だった」

「そうは言わんよ。リスティリアに来たばかりだったんだ。先が見えないのは当然のことだろう」


 総司が苦笑した。


「ルディラントでようやくわかった。そう単純なもんじゃねえってことが……」

「蓋を開けてみれば、お前がただ『強い』だけで何とかなったことなど、ほとんど一度もなかったな」


 リシアが笑う。


「その強さは間違いなく不可欠だったが、それだけでは乗り越えられないことばかりだった。きっと今回もそうなのだろうな」

「……かもな」

「……本当はわかっているんだろう、“第六の魔法”の力を」


 薄く微笑んだまま、リシアが核心をついた。


 総司の横顔が険しく歪んだ。


「此度の決戦の役に立たない力というだけなら、私に隠す意味はないよ」

「……リシア」

「二つに一つだ」


 リシアが静かに、極めていつも通りの口調で言った。


「お前の命に関わるものか、お前の元いた世界に関わるもの。それ以外ならば私に伝えているはずだ。使うことでお前の命が脅かされるのか、それとも“第六の魔法”そのものが、お前が自分の世界へ帰るために必要な魔法であるのか――――違うか」

「ッ……特に最近だ……怖いぐらい鋭いんだよ、お前は……」

「後者であれば、判断はお前に任せる」


 総司の愚痴を無視して、リシアが言った。


「私は、お前はもうリスティリアの民だと思っているし、リスティリアで幸せな人生を送る資格が十分あると思っているが、お前の意思を無視して押し付けるものではない。私の願望だけは伝えておく。最後の戦いが終わったら、二人でレブレーベントに戻り――――いや、道中全ての国に立ち寄り、二人で戦勝を報告して回る。それが私の望みだ」

「最高だな。俺もそうしたいね」

「ただし前者であるならば、お前の意思は一切無視するぞ」


 総司の隣に立ったリシアが、総司を見た。総司は『果てのない海』へ体と視線を向けたままだった。


「絶対に使うな。良いか、絶対にだ。たとえ使うことで『お前以外の全ての命が救われる』ような状況になろうともだ」

「……お前は今、リスティリアの他の全ての命より、俺の命を優先しろって言ってんだぞ」

「そう言った。正しい受け取り方だ」

「他ならぬ俺に。救世主にだ」

「その通りだ」


 総司はリシアを見なかった。


 鋭すぎるリシアに、問答を受けながら視線を合わせてしまえば、全て見透かされてしまうとわかっていたから、努めて視線を合わせないようにしていた。


「……わかってはいたが、強い女だな」

「ふふっ、そうだ、雑談ついでに私の勝手な見立てだがな」


 リシアがくすっと笑った。


「お前は『意思の強い』ヒトが好きだ。男女問わずな。だろう? 自分にないものだと思っているからな」

「そこまで来ると本当に怖いぞ! 何だその鋭さ!」

「付き合いが長くなったからな。大体わかるよ、お前のことは」


 リシアが訳知り顔で、


「お前はベルやミスティルより、アレイン様やフロル枢機卿の方が気楽に話せるのだろうな。精神性が明確に自分よりも完成されている相手の方が好ましいと思っている。女性の好みもそのまま当てはまるのか」

「知らねえよ……当たってる気もするけどよ……いや、ベルもミスティルも別に、好きだけどな俺は。大事な友達だ。好きっていうか、大好きだって言っていいね。一緒に死線を潜ったり……まあ、殺し合いになった仲でもあるし。あれ、そう考えるとあんまり健全じゃねえな……」

「まあ、アレイン様はお前にとってあまりにも印象の強い方だったからな。別格なのかもしれん」

「別格で言えば誰よりお前だけどな」

「今更私か?」

「……まあ、うん。なんだろうな」


 総司がぽりぽりと頬を掻いた。


 この話題の転換がリシアの優しさだと理解している。“第六の魔法”について、先ほどまで以上の追及をせず、和らいだ何でもないような話題に持って行ってくれている。だから、総司としても乗らないわけにはいかない。


「もうほとんど一心同体だとは思ってるよ」

「フン。大きな隠し事を抱く身でよく言うものだな」

「ぐっ……」

「同じ想いだよ。お前にその選択肢が与えられるのかどうかは知らんが、最終的にリスティリアに残るというのなら事のついでだ。私と一緒になるか?」

「気楽なもんだが、今更お前、俺と恋愛なんかできるか?」

「恋慕の情など通り過ぎているよ。恋人としての情がなければ夫婦にはなれんのか? 私はそうは思わないが」

「……まあでも、一番良いかもな、それが」

「私としては、お前がアレイン様と一緒になって、私がそれに仕えるというのも悪くないんだがな」

「はあ!?」


 リシアとこんな浮ついた話をするのは初めてだったが、総司としては思っていたより心地の良い会話で、悪くないと思っていた。リシアが当たり前のように、「リスティリアに残るならついでに家族になるか」と言っても、総司は全く違和感がなく、むしろそれが一番良いとすら思った。もしも本当にリスティリアに残ることになった時、総司にとって第二の家族と言える相手がいるとすれば、リシア・アリンティアスをおいて他にいない。それは間違いのない事実だ。


 が、総司のパートナーとしては想定外の人物の名前が飛び出してきたものだから、思わず動揺してしまった。


「アイツと? 俺が? 何の冗談だよ。仮に俺がアイツのこと口説いてみろ、次の瞬間黒焦げだぜ」

「……どうかな」


 リシアはふっと微笑んだ。


「あの御方が感情を露わにした相手など、男女問わずお前以外に覚えがない。お前にとってそうであるように、あの御方にとってもお前は特別だ。憎からず思っていらっしゃるようにも見えたが」

「えぇー……っていうかそもそも、王女様の相手なんてもっと由緒正しい生まれとかじゃないと無理だろうに。そういう意味ではアイツがどんな男と結婚するのかには興味あるけどな」

「世界を救った英雄以上に、王女に相応しい相手がいるかどうか。そもそも結婚を御認めになるのは女王陛下だぞ? 相手がお前だったとして反対されるとはとても思えないが」

「……面白がりそうではあるな、陛下は。でもあの人が面白いだけだぜ。俺はヤバいよいろいろと」

「ふふっ、確かにな。まあ、先の話だ」


 リシアがぱっと踵を返した。総司に背を向け、気楽な調子で言う。


「私の想いは伝えた。結局どれだけ言ったところで、最終的にはお前の意思に委ねるしかない。ただ心に留めておいてほしい。私は、『最後にお前が犠牲になる結末』だけは絶対に認めない」


 総司自身が、エメリフィムで同じようなセリフを吐いた。


 女神に対して、「リスティリアの民の人生を犠牲にするような選択」をさせないでくれと願った。


 総司が抱いた想いを、リシアも抱いた。「総司がこれ以上犠牲になることは許せない」。それがリシアの結論だ。


「お前がその未来を選ぼうとするなら、私は初めてお前の意思の敵になる。ルディラントの海岸で立てた誓いを反故にしてでも、私はお前の敵になるぞ」


――――私はお前の――――お前の意思の味方だ。いついかなる時も――――


 王ランセムの亡骸の前でリシアが立てた誓い。リシアはこの誓いを反故にしたことがない。いつだって総司の意思の味方であり、総司の味方であり続けてきた。


 彼女にとっての鉄の誓いを破ってでも、総司が自分を軽んじて、犠牲にすることだけは許容しない。


 さらりと言っているように見えて、今までリシアが言葉にして発してきた中でも特に強い意思表示だ。


「……ありがとな、リシア」

「お前からは礼も謝罪も要らないよ。では私は戻る。夜が平穏無事とは限らんが、休める時に休んでおけよ」


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