絶望に暮れるローグタリア 第九話① 前哨戦の終わり
『退けリシア! 片を付ける!!』
魔法によって拡声されたヴィクターの怒号が響いて、リシアがアニムソルスから距離を取る。
ディネイザの魔法とリシアの戦闘能力で、アニムソルスとの空中戦は拮抗していた。
当然、拮抗していた理由の最たるはアニムソルスが手を抜いていたからに他ならない。ヒトの姿を模しているだけで、かの神獣の力はまさしく、下界において最も強靭なる生命のそれだ。莫大な魔力の奔流でリシアの突撃を阻止しながら、魔法の弾丸で弾幕を形成し、巧みにリシアを追い込んでいた。
ディネイザは海上要塞の防御を担当しながらも、どうしてもリシアの援護に意識の大部分を割くことになり、ゼルムの襲撃に対するフォローが手薄になり始めていた。戦闘が激化するほど不利になるのは必定だったが、その前にヴィクターが手を打っていた。
「機械大国の本懐よ――――なめるなよ、我がローグタリアの底力を!」
海上要塞に所狭しと配備された様々な形の砲台すべての準備が整った。
爆裂を伴う砲弾と、色とりどりの魔法の弾丸が空を埋め尽くさんばかりに海上要塞から放たれて、ディネイザの魔法の範囲外にいるゼルムまでまとめて撃墜する。
魔力量だけは人並み外れたヴィクターを起点として動かすことのできる砲台群ではあるが、今回は兵士を動員してそれぞれの砲台を個別に起動させた。奥の手を使うほど追い詰められているわけでもない、という判断だった。
これはあくまでも前哨戦なのだから。
数も火力も申し分なく、まさに難攻不落の要塞たる防衛力を発揮した。それ自体は見事だった。
「ハッハー! 想定以上の成果というやつだ! 流石は我が技術士たち、出来栄えは文句のつけようがないな!」
司令部から満足げに空を見上げて、ヴィクターがもろ手を挙げて喜んだ。
「備えはしておくものだな全く! ……とは言え」
次々に撃墜されて海へ散っていくゼルムの群れの中で、未だ健在の神獣を見やり、ヴィクターの笑みが誇らしげなものから好戦的なものへと変わる。
「やはり別格か、神獣め……!」
“ゼグラネスカ・ディアメノス”が光となって霧散した。
宙に浮いて、海上要塞から襲い掛かった弾幕の全てを魔力の壁一つで防ぎ切ったアニムソルスの周囲に、夥しい数の小さな魔法陣が出現する。
『おっと。来たな“ディアメノス”!』
閃光と化したアニムソルスが、ディネイザが放った魔法の範囲外に逃れる。
全開の総司を上回る速度だったが――――
今のリシアは、総司よりも速い。
『速いね』
アニムソルスの動きに追いついて、躊躇いなく剣を振るうリシアへ、惜しみない賞賛を送る。
「そちらの雑兵は全滅だ。残るは貴殿だけだぞ」
『もちろん理解しているよ。そしてリシア、キミもまた理解してる。そうでしょ?』
アニムソルスの気配だけで、リシアの動きがビタッと止まって、咄嗟に距離を取る。
刺すような魔力が凶悪に過ぎる。
『雑兵を幾千と倒したところで、何の戦果にもなり得ない。私を落とさない限りはね』
「……退く気がないなら、望み通りにここで落とす。それだけだ」
『良い気迫だ。それでこそソウシの相棒だ。さあ、続きを――――』
アニムソルスがぴくりと、何かに反応した。リシアの動きでも魔力でもなく、ディネイザの魔法にでもない。
空へ――――遥か天空へ視線を走らせ、意外そうに目を細めた。楽しそうな笑みが、一瞬だけ陰った。
『随分と逸るもんだねぇ……今日決着をつけるつもりかい――――?』
アニムソルスに遅れて、リシアも気づいた。
空から何かが近づいてくる。びりびりと充満し始めた強烈な魔力の気配。『果てのない海』の異変の監視は、海上要塞が襲撃を受けたことで中断されている。それ故にリシアやディネイザといった高次元の魔法使いが感知できる距離に近づくまで、異変を察知できなかった。
「ヴィクタァーーーー!!」
リシアが叫んだ。その叫びが聞こえたかどうかは定かではないが、ヴィクターもまたリシアに遅れて異変に気づき、すぐさま指令を出す。
「障壁を展開する! 全軍要塞へ降りろ、出来る限り司令部に寄れ!!」
皇帝の号令を受けて、兵士たちが慌ただしく動き始めた。
突然の号令でも皆の反応は悪くなかった。しかしあまりにも突然過ぎた。誰もかれもが予想だにしていない状況で――――
空から絶望が降ってくる。淡い赤薔薇の如き鮮烈な稲妻を迸らせた巨大な『岩の塊』が――――隕石の如く、海上要塞の直上から落ちてくる。
リシアがアニムソルスを無視して、一気に高度を上げるのを、アニムソルスは止めなかった。
『勝負を決める一手だけど……悪いねご主人、“それはまだ早い”』
海上要塞を金色の魔力障壁が包み込む。だが、ヴィクターはすぐに悟った。
「強度が足りん――――!」
魔力を纏った隕石だが、脅威となるのは纏う魔力そのものではなく単純な質量だ。魔力障壁は海上要塞を護るために整備した防御の要であり、当然物理的防御能力も有するが、しかし今回の攻撃はあまりにも「重すぎる」。
正面から受け止められる質量ではない。これでは決戦の日を待たずして、ローグタリアは滅びる――――
「“ジゼリア・ディアメノス”!」
銀の楔が隕石へ無数に打ち込まれた。ディネイザの詠唱が響き、隕石が纏う赤色の閃光がふわりと消える。
纏う魔力を霧散させ、物理的強度そのものを下げる。ディネイザの魔法はゼルムの耐久力を大幅に引き下げたように、魔力のみならず物体の強度にも干渉していた。
それでも足りない。隕石へと肉薄したリシアだったが、強度が下がっていても、リシア単独の攻撃能力では満足に破壊しきれないと悟る。
カイオディウムで天空聖殿“ラーゼアディウム”が墜落しかけた時、リシアの魔法は硬い岩盤を破壊し、島一つを砕くまでの威力を誇った。だがそれは大聖堂デミエル・ダリアの魔力と、総司の“ティタニエラ・リスティリオス”の効力による後押しがあってこその話だ。
「くっ――――!」
何もしないまま、隕石の追突をただ見ているわけにはいかない。せめて見てわかる綻びがあれば、そこに最大火力をぶつければ何とかなるかもしれない。
リシアが一瞬悩み、動きをわずかに止めた時。
蒼銀の流星が凄まじい速度で、隕石に横合いから突撃した。
「“シルヴェリア・リスティリオス”!!」
連鎖しながら爆裂する蒼銀。真横から一気に突き抜けた閃光と、その後を追うように連なる爆裂が、隕石を内側から砕いていく。
ディネイザの魔法によって強度の下がった隕石は、総司の一撃で何とか粉砕できた。
散り散りになったとして、一つ一つの大きさは半端なものではない。魔力障壁で防いでいるとはいえ、いくつかは防御を砕いて海上要塞に墜落していた。波も高く上がり、海上要塞へ押し寄せている。
『っとォ――――!』
レスディールの姿を模したアニムソルスの右腕が吹き飛んだ。
隕石を豪快に砕いて突破した勢いそのまま、総司がアニムソルスへとまっすぐに突っ込んで、剣を振り抜いたのである。
流石に想定外だったのか、アニムソルスはすんでのところでかわしたものの、腕を失う手傷を負った。とはいえ、当たり前のようにすぐさま再生したが。
「アニムソルス!」
『イイ頃合いで来るもんだ。流石、運命に愛されてるね』
空中を蹴り、凄まじい速度で、総司がアニムソルスに迫る。アニムソルスは巧みにいなしながら距離を取ろうとしたが、総司の追撃が想定以上に苛烈で、満足に捌けていない。
距離を開けてしまうと、空中では直線的な動きしか出来ない総司ではアニムソルスを捕まえきれない。不意を衝いて肉薄できた今が好機だった。だが、神獣を相手にそこまで容易く事は運ばない。アニムソルスが衝撃波のような不可思議な魔法を繰り出して、総司の体がドン、と海へ飛ばされた。
「んのヤロッ……!」
「ソウシ!」
リシアが追いついて、総司の体を拾い上げて再び空へ向かう。
「ワリィ、遅くなった!」
「いや、助かった……! 私ではとても砕けなかった……!」
「あれはアニムソルスの攻撃か?」
「いや、そういう雰囲気ではなかったな……恐らく――――」
「半覚醒状態のアゼムベルムを使ってリズが飛ばしてきたってところか……“その程度”なら指示できるのか……? アイツの権能もよくわかんねえな……!」
「……何故、カトレアではなくリゼットだと思うんだ?」
「その話は後だ」
総司がリシアを突き飛ばして、自分も空を蹴って進路を変える。
アニムソルスが放つ魔力の閃光が、二人の間を駆け抜けた。
「コイツの首を飛ばしてからにする」
『……時間切れかな。ご主人も引き際はわきまえてるらしい』
何らかの指示が飛んできたのか、アニムソルスがふっと笑った。
総司がもう一度突っ込んだ。アニムソルスはそれを受け入れて、魔力を纏った腕で今度は斬り飛ばされることもなく、総司の剣をがっちりと受け止めた。
空中での動きが不得手らしい彼の体を、拮抗することで支えて話をするために、敢えて少し低い位置で受けて。
『それにしても遅かったね。もう少しで全てが終わるところだった』
「テメェと無駄話する気はねえよ!」
『つれないなぁ。嫌われちゃったね』
総司を弾き、リシアをかわして、アニムソルスの姿が霧に包まれ始める。
『ま、前哨戦はこんなもんさ。キミの力も再確認できた――――“ディアメノス”を引き入れたことと言い、キミの天運は大したものだ。ただ運だけで勝ってもらっちゃ困るよ、我らが救世主』
弾かれた総司がもう一度跳躍し、アニムソルスの上を取るが、間に合わない。
再度の突撃は空を切る。アニムソルスの姿が消え、総司はそのまま海のすぐ上まで落ち、そこから海上要塞に向かって跳んだ。