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リスティリア救世譚  作者: ともざわ きよあき
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深淵なるローグタリア 第七話⑤ 決してわかり合えない二人

 夜の海は不気味だ。昼間はあれほど鮮やかに蒼く、ヒトの心を捕えて離さない美しさがああるというのに、暗闇に溶け込むと途端に不気味で、魔性の気配を感じさせる。


 その真っ暗闇の海へ飛翔したシルヴィアを見失って、もう十分は経つ。ウェルステリオスの背に乗ってシルヴィアを追いかけた総司は、ひたすら首都ディクレトリアとは逆方向へ――――昼間に訪れたフォルタ島の方向へ飛んでいた。


「一日と待たず世話になっちまったな……助かるよ、ウェルス」


 随分と早い再会だった。ウェルスは総司の「共に戦ってほしい」という願いを素直に聞き入れて、どうやらローグタリアの海で待機してくれていたようだった。


 海へ飛び出した総司にすぐさま反応できたのは、ウェルスも総司と同じように感じ取ったからだ。


 海へと飛び立ったシルヴィアが放つ、異様なまでの気配――――“オリジン”が発散する女神の気配を。


「チッ……冷静になってみりゃ、ディネイザも連れてくるべきだった。お前と話が出来た方が良かったよな」


 ウェルスがどこか、笑うように息を漏らした。シルヴィアの異常な気配に対し、総司は誰より鋭敏だった。それが女神の気配であるからには、彼より敏感な存在もいない。


 それ故に最速で追いかけたわけだが、ウェルスの助力があるとは期待していなかった。エメリフィムで体得した空を蹴る移動方法で、飛翔するシルヴィアに追いつこうとした。だが結果だけ見れば、ディネイザさえ連れてきていれば、彼女の体を借りてウェルスの意見も聞けたわけだ。十分以上も時間を無駄にしている現状を思えば、あまりに浅はかな動きだったと反省せざるを得なかった。


 他人の意見を聞くことが出来ない以上は、自分で考えるしかない。


 視界にはシルヴィアの姿はないが、強烈な気配は総司とウェルスの遥か先を変わらず動いているのを感じ取れている。このまま追いかければ、海の中を泳ぐよりも早く。


 恐らくは一時間と経たないうちに、フォルタ島に――――


「ッ……マジかよ……来てくれるとは思ってたけど……!」


 馴染みのある魔力の波動を肌で感じて、総司がバッと振り返った。


 “ジラルディウス・ゼファルス”の翼を背負うリシアが、後方に見える。その姿はぐんぐんと近づいて大きくなった。


「もうウェルスより速いのかお前……!」

「この――――馬鹿者!」


 リシアはギュン、と加速してウェルスの背に飛び込むや否や、総司をどかっと組み伏せ、胸倉をつかんだ。


「ぐっ!」

「緊急事態は理解するがな、勝手に飛び出すんじゃない! せめて私と話してからだろうが、違うか!」

「……すまん」

「全く……! まあいい、状況は」

「シルヴィアを見失ったが、位置は大体捉えてる。っつか、お前も多分……」

「この異常な魔力の出所か。やはりそうなったな……」

「やはり?」

「……こうなったからには、お前にも話しておくべきだろうな」


 リシアは、シルヴィアから発散されているであろう異常な魔力の気配へ注意を向けながら、総司に話して聞かせた。


 自分の仮説を、それをヴィクターに直接ぶつけたことを。


 そして丁度、本心かどうかはともかくとして、ヴィクターが「決断」を下そうとしたところで、今回のシルヴィア逃亡劇が巻き起こったことを。


 リシアの言葉に耳を傾けていた総司が、小さくため息をついた。


「ヴィクターと話して確信を得て……ヴィクターが決断し切らなきゃ、自分でやるつもりだったろ」

「当然だ」


 リシアは迷いなく頷いた。


「シルヴィアを殺し、“レヴァングレイスB”を確保するつもりだった。お前とアンジュ殿への説明は後にして、すぐにでもな。だが結果としては後れを取った――――まるで……」


 ぎゅっと拳を握りしめて、リシアが言葉を切る。総司は、リシアが何を言おうとしたのかを察していた。ちょっといたずらっぽく笑って、信頼する相棒に告げる。


「ムカつくだろ?」

「……私が甘かっただけだ。ヴィクターへの確認も後回しにしてシルヴィアを殺すべきだった」

「出来やしねえし、それが正しいとも思わねえな。お前の仮説が間違ってたら洒落にならんだろ。だからお前は、ちゃんと踏むべき手順を踏んだ……いつも悪いな。お前にばかり苦労を掛ける」

「謝られる道理はない。それよりこの先の話だ」


 リシアが真剣な表情で言う。シルヴィアの気配に変化はなく、ひたすら『フォルタ島』の方角へ突き進んでいる。


「挨拶が遅れて済まない。久しいな、ウェルステリオス。また会えて光栄だ」


 リシアの言葉に、ウェルスがわずかに頷くような仕草を見せた。リシアは一瞬だけふっと笑って、すぐに表情を引き締めた。


「ウェルステリオスの速度で追いつけないなら、私が先に飛ぶ。どうやら私の方が移動速度だけなら上のようだ。追いつけるぞ」

「……どう思うよ」


 こんこん、とウェルスの硬い体を叩いて、総司が訪ねた。ウェルスのわずかな首の動きが、リシアの言葉に対して否定的な反応を示しているように見えた。


「だろうな、俺もそう思う。この速度、多分わざとだ。着かず離れずの距離で『追わせてる』。お前が追えば速度を上げられてしまうだろう。そうなってしまえば、どこを目指してるのか知らんが『目的地』での俺とお前の到着がズレる」

「ふむ……ウェルステリオスがそう思うのならば……」

「それに、この先でシルヴィアと合流するだけじゃ終わらない、かもしれねえぞ」

「……神獣王か……」

「ああ。俺達二人もそうだし、何よりウェルスとは離れない方が良い。あーくそ、マジでディネイザも連れてくるべきだったぜ……! 下手したらこの先で最終決戦だ……!」

「……そうなったら、そうなっただ」


 リシアが言って、決然と先を見据えた。


「首都ディクレトリアから随分と離れた地点だ。むしろ好都合。ヴィクターやアンジュ殿には酷な話になろうが――――この先で仕留めて全て終わらせよう。状況がこれ以上ややこしくなる前に、全て」

「だな。リズのこともカトレアのことも、神獣王さえ仕留めちまえば後回しで問題ねえ。シルヴィアは……」

「……もとより死人だ。まあ、それで全て割り切れとも言えんが」


 総司がぎゅっと唇を結んだのを見て、リシアが言った。


「私に任せろ。お前が自ら手を下す必要はない」

「……そんなに長い付き合いでもねえのになぁ。思えば二日三日じゃねえか」


 総司が苦笑しながら、情けない顔で言う。


「俺から見るアイツは、年相応の女の子に見えて……もうちょっと一緒にいたら、もっと動揺してたかもな、俺も……」

「どのみち“レヴァングレイスB”を内包している以上、その未来はなかったんだ。我々はどうあってもシルヴィアから奪い取らねばならなかった。さっき言った通り、割り切れとは言わん。私の邪魔だけはするな」

「……わかってる。大丈夫だ。状況に応じて、手を下せる方がやろう」

「期待はしていないよ。お前はそういう男だ。それで良いと思っている」


 ぐん、と不自然にGが掛かって、総司とリシアが態勢を崩した。


 ウェルスが軌道を変えた。少し高度を下げたようだ。シルヴィアの動きに合わせたのだろう。


「もう着くのか……? フォルタ島までまだ距離がある気がするが……目的地が違うのか……?」


 海の中を移動していた時より、ウェルスの速度は格段に速い。体感でそれはわかるものの、だからと言ってもう到着するとはとても思えなかった。


 シルヴィアの動きの変化に何か理由があるのか、それとも――――


「おっと、どうした!」


 ウェルスの速度が急激に下がった。やがて「前」への移動が止まり、すうっと空中で旋回する動きになった。


「ッ……! テメェ――――!」


 気づかなかった。


 女神の気配を強烈に発散するシルヴィアの気配に紛れて。


 同質の気配を醸し出すウェルスの圧倒的な魔力に紛れて。


 ウェルスと同質の魔力を持つ存在が進行方向に割って入ってきていたことに、今この時に至るまで気付けなかった。


「何しにきたんだ、アニムソルス!!」

『とーぜん、部外者にお引き取り願うためだよ。久しぶりだね、ウェルス』


 レスディールの姿を模した神獣・アニムソルステリオス。天女のような羽衣を纏う姿で、妖しく笑い空中を舞う。


『ソウシとリシアは通そう。けれどウェルス、キミはダメだ。それじゃ“意味がない”。リシアの翼があれば飛び続けられるだろ?』


 何を言ってんだお前は、と怒声を飛ばそうとして、総司が押し黙った。


 ぞくりと背筋に悪寒を覚え、圧倒的な気配に押し潰されそうになる。


 ビリビリと怒りの気配が発散されているのは、ウェルステリオスから。


 悪ふざけにも見えるアニムソルスの奇行を前にして、ウェルステリオスは言葉を発さずともわかるぐらい、明確に怒っている。


 『この状況で何を言っているのだ』と、神獣同士のやり取りがあったのだろう。アニムソルスが答えた。


『神獣では届かない相手だけど、女神の騎士と手を組んでしまえば話は別だ。キミがいたんじゃ、ソウシがキミに頼っちゃうだろ? わかるだろ、友よ。それじゃあダメなんだよ』


 アニムソルスの言葉を受けても、ウェルスの怒気は消えない。スヴェンによって理性を一時飛ばされ、総司とリシアを襲った時のような、赤黒い魔力が稲光のように迸った。


『……しょーがないね。不本意だけど』


 アニムソルスの気配が変わった。ウェルスがぐるんと体を回して、総司とリシアを振り落とした。リシアがすぐさま“ジラルディウス”を再展開し、総司の体を支えて空中に逃れた。


 総司とウェルスの目が合う。言葉がなくとも通じ合えた。


 『先に行け』と言っている。すぐに追いつくからと。その意味は総司も理解している。


 つかず離れずの距離を保っていたはずのシルヴィアの気配が動き出していた。総司が気配すら見失わない程度に――――「来ないのならもう行くぞ」とでも言わんばかりに。


 まるでアニムソルスの意味不明な行動を後押しするかのように、総司に選択を迫ってくる。ここでウェルステリオスと共闘し、アニムソルスを打破しようとしたら、シルヴィアを見失ってしまう可能性がある。目的地が『フォルタ島』でない可能性も当然、ある。だから択を迫っているのだ。


 アニムソルスの相手をウェルスに託すしかない状況へと総司を追い込んでいる。


「ッ……なぁアニムソルス! 意味わかんねえこと言ってねえで、お前も手を貸してくれよ! 状況わかってんだろ!」

『わかってるよもちろん。だからこそだ。言ったろ、キミとリシアは止めやしない。行きなよ。シルヴィアが待ってる』

「悪ふざけも大概にしろ! テメェの気まぐれに付き合っていられるほど余裕ねえんだよ!」

「止せ、無意味だ」


 にっこり笑うだけのアニムソルスを見て、リシアが険しい顔で言った。


「真意はわからんが、こちらの言葉に応じるつもりなど一切ないぞ、アレは。私たちが推し量れる相手でも、説得できる相手でもない……ウェルステリオスを信じて、進もう」

「ふざけやがって……こんな土壇場でまで訳わかんねえなァテメェはよォ……! 負けんなよウェルス! ぶっ飛ばしてお灸据えてやれ!」


 ウェルスが頷く仕草を見せる。リシアがギュン、と速度を上げて、神獣二体が激突するであろう戦場から離れた。


 二人が十分離れた後、強大な二つの魔力がぶつかり合うのを確かに感じた。赤黒い稲妻と、淡い青の混じる光が弾けるのを見た。


「神獣同士の激突など聞いたことがない……そうまでしてウェルステリオスの足止めをするとは……本当に、何を考えているのかわからん相手だな」

「せっかくウェルスが手を貸してくれてるってのに……! リスティリアとレヴァンチェスカを護るのはアイツにとっても大事なことなんじゃねえのかよ……!」

「……確かに」


 総司を抱えて飛翔しながら、リシアが冷静に考えを巡らせる。


「推し量れる相手ではない、それは間違いないが。たとえアニムソルスの行動原理に、ヒトが理解できない独特のものがあろうと……行動の根底にあるもの自体はお前の言う通りのはずだ。だが今回の邪魔立てはとても、神獣としての存在意義に沿うものとは思えん」

「いよいよトチ狂ってんじゃねえのかアイツ。やっぱ俺も残って一発ぶん殴ってやるべきだったかな!」

「……もし――――」


 もしも本当に――――トチ狂っているというのは乱暴に過ぎる言い方ではあるが。


 アニムソルスの行動に、神獣として「以外」の何らかの意思が差し込んでいるのだとすれば――――


「まさか……」


 シルーセンの村で、一つの悲劇が終わった後。


 ヴィクターが指摘した何らかの意思の介在について、総司とリシアで少しだけ話し合いの場を設けた。


 何らかの意思がシルーセンの村で行われた儀式に介入し、儀式の根底を捻じ曲げて、シルーセンでの悲劇は一層悲惨なものへと変貌した。


 カトレアにそれほどの腕前があるとは思えない。故に、それができるのはアニムソルスではないか、とリシアは推測したが、まさか。


 「アニムソルスにすら牙を剥く」何者かがいて、アニムソルスは既に操られているのではないか――――だとしたら、誰に?


 神獣を操れるような存在がいるはずがない。常識的に考えてそれは「当たり前」。リスティリアの生命の序列を考えればまず不可能だ。だが、リシアは自分の思考を止められなかった。


 可能性がある。リシアは“二つ”知っている。リスティリアの常識を捻じ曲げる可能性のある力――――


 一つには“オリジン”。そしてもう一つは――――


「わかった、かもしれない……!」

「何がだ!」


 アニムソルスへの怒りがまだ収まり切っていない総司が、荒っぽく尋ねた。対照的に、リシアは極めて冷静だった。


「リゼット・フィッセルだ……異世界の民の特権……! そうだ、それなら全て辻褄が合う――――あの女が、“神獣級の生命をすら操る権能”を持っているのだとしたら……!」

『あぁ怖い、怖いねぇ、リシア・アリンティアス。カトレアの言う通り、キミが一番厄介だ』


 真っ暗だったはずの世界が、突如として白に包まれた。


 総司とリシアには読めない古代の文字が、真っ白な世界を旋回する。


 文字が一つの形を成している。巨大な――――あまりにも巨大な、切り立った崖のように刺々しく、大きすぎて全容の見えない、四本足の“獣”の姿。真っ白な世界で、黒々とした文字が形作る山のような獣が、街一つほどもあろうかという巨大な頭を静かに項垂れて、眠っているように見えた。


 巨大過ぎる顔の前に、シルヴィアがいた。赤と水色の魅惑の双眸は虚ろで、生気を感じさせない。


 その後ろに、昼間にあったままの、よれた白衣を纏う姿で――――文字で形作られた獣の頭、その一角に腰かけたリゼット・フィッセルがいた。


 リシアは決して高度を上げてはいなかった。先ほどまで飛行していた高さでは、この巨大な化け物の頭の位置にまで辿り着いてはいない。


 既に異空間化した『果てのない海』の一部に気付かないまま突っ込んで、取り込まれているようだった。


「数時間ぶりだね、ソウシくん。また会えて嬉しいよ」

「リズ……!」

「嬉しいなぁ、まだそんな可愛らしい愛称で呼んでくれるんだね」


 総司の目が、“文字の獣”へ走る。


 想定よりも遥かに巨大。まだ不安定な形故に、魔力の波動をびりびりと感じるわけではないが、それでも。


 神獣すら超える力がこの巨大な体躯に内包されているのだとすれば――――総司とリシアがこの場所でいくら足掻こうが、恐らく何の意味もない――――!


「そいつがアゼムベルムか……!」

「アゼムベルムの“殻”だけってところかな」


 リゼットは楽しそうに、総司の質問に答える。とても機嫌が良さそうだ。


「一応、この空間に“閉じ込めている”状態でね。故に実体がない、が……すぐにでも解放可能だ。ここに最後の『鍵』が揃ったからには」


 シルヴィアの体がすうっと浮かび上がって、リゼットのすぐそばにまで近寄った。


 リゼットは笑みを見せて、シルヴィアの頬を優しく撫でる。


「でも今すぐってわけにはいかない。私にも約束があるからね」


 リゼットの笑みは絶えず、総司の顔は険しくなるばかりだった。


「対の『鍵』はカトレアに預けてある。あの子はキミと決着をつけることに随分とご執心でね……まあ、私としては『誰がやったって良い』んだ。この世の果てが見れるなら、過程なんてどうだって良い」

「“海底神殿”の時よりは、話をする気があるみたいだな」

「うん?」

「聞かせろ。俺と同じ“よそ者”のあんたが、何だってこんな――――よその世界を滅ぼすような真似に手を貸してんだ。意味がわかんねえだろ、何の恨みがあって――――」

「あはははははは!!」


 総司の詰問を受けて、リゼットはこらえきれない、という調子で大笑いした。


「本気で言ってる!? あーびっくりだ、わかっちゃいたけど本当に“破綻してる”! キミ、自分がどれだけズレてるか、心の底からわかってないんだね!!」

「ッ……どういう意味だ……!」

「あー……いや、ごめんごめん。馬鹿にしたような笑い方をしちゃった……考えてみれば当然かぁ、歳が違うもんねぇあたしとは。ファンタジーに心躍る思春期の男の子。それだけじゃない、キミにはキミの過去があるんだろう……でも、常人からズレてる自覚はした方が良いかもね。あたしの性格がもうちょっとキツかったら、この場でブチギレてたかもよ」


 リゼットはふーっと息をついて、冷静さを取り戻した。


「キミの『間違い』を正してあげる。その為にはキミに、あたしを知ってもらう必要があるね」


 リゼットの笑みの質が変わったのを見た。


 楽しそうな笑みから、狂気に満ちた笑みに――――或いは、憎悪に燃える、凄惨な笑みに。



「あたしをこの世界に呼びつけたのは、神獣アニムソルステリオスだ」



 リシアの目が、新たな事実を噛みしめるように細く、鋭くなった。


 リシアが辿り着いた仮説、そこに加えられたリゼット本人の証言。想像で埋めていただけの、ピースの足りないところに、カチッと当てはまっていく感覚。


「正解だよリシア、キミの推察通りだ。異世界人がリスティリアに渡ることで得られる特権があたしにもあった。魔獣、そして神獣すらも……言うなれば、“獣”を御する権能がね」


 立ち上がり、もろ手を広げ、狂気と憎悪の笑みを浮かべたままで、リゼットの口調は荒々しさを帯びていく。


「“当たり前のこと”だ! 平穏な生活を送っていた! 愛する伴侶を得た! 最愛の娘を授かった、実に健康に生まれてくれた! これからだった!!」


 総司はようやく、自分の『間違い』に気付いた。


「あたしを勝手に呼びつけたアニムソルスもまた、“当たり前のように”語ったよ――――『リスティリアの危機を救うため、キミと同じ世界から一人の少年がやってくる。それまでに力を付けて、手を貸してやってほしい』! あたしが元いた世界に帰る方法は? そんなものはないと来たもんだ!!」


 総司の事情は「特殊」だった。


 唯一の肉親が元いた世界にいる。けれど、その肉親が「自分のことは最初からいなかったこととして認識している」と聞いた時――――この世界に来た時点でいろいろと絶望しきっていた総司は、「多少のホームシック」ぐらいは心のどこかにあったかもしれないが、驚くほど早く、現状を受け入れた。少なくとも心配を掛けることはない――――なら、良いか、なんて、容易く。


 そもそもそれが「異常」なのだと改めて言われれば、反論の余地はなかった。リゼットの言う通り、総司はどうしようもないほどズレていたのだ。


 平穏無事に当たり前の幸福を、あるいは、普遍的な「ヒトにとって最も幸福な」人生を歩んでいたリゼット・フィッセルにとって、「リスティリアに召喚された」という事実は。


 ある日突然、理不尽に、自分の力ではどうしようもない事象によって、築き上げた全てを「無」にされたのと同義なのだ。


 リゼットが語るアニムソルスの言い方から察するに、アニムソルスは「女神に先んじて」リゼットを召喚した。女神が最後に縋る希望が「異世界の民」であることを、アニムソルスは読んだ。何故読めたのかはわからないが――――ジャンジットテリオスも知らなかった“最後の敵”の正体を、アニムソルスは掴んでいたのかもしれない。


 千年前から、他の神獣に比べてずっと、意思ある生命に近しいところにいることを好む性質があったアニムソルスだから。ウェルステリオスとはまた違った形で、スヴェン・ディージングの暴挙に気付いていたのかもしれない。


 異世界の民の暴挙に対するカウンターは、異世界の民をぶつけること――――アニムソルスの予想はそのようなものだったと推測される。


 カウンターとして呼び出された異世界の民が何をどう思うかなんて、少しも考えないままに。


「あたしは自分の権能を召喚直後から理解していた。すぐさまアニムソルスを支配下に置いた。ヒトで言う人格の全てまで制御できているわけではないけれど、少なくともあたしの手駒として動かせる程度にはアイツを支配した。どこまで自覚があるんだか知らないけどね。アイツの言いなりになるのだけはごめんだった。いろいろと調べるうちに知った。どうしても帰りたくて、家族に会いたくて、短い時間だったけどね、歴史研究家を名乗れるほどこの世界の過去を調べ尽くして辿り着いたよ。“海底神殿”には元いた世界に帰る道が残されていると……!」


 憎悪に燃える笑みを浮かべた顔に、自分の爪を突き立てて、必死で怒りを堪えるように。リゼットは声を絞り出すようにして告げる。


「笑い話だよなァ笑ってくれよ! その道は『元いた世界に戻りたがっていない』者しか通してもらえないんだとさ! 何となればあの道の存在意義は、異世界から召喚された者が凶悪な権能を得て、リスティリアに牙を剥こうとしたとき! リスティリアの民が縋るための『緊急避難的な奥の手』だからだ! この世界のためだけに用意されたものでしかなかった!! “理不尽に呼びつけられた、故郷に帰りたくて仕方ない異世界人”のためのシステムなんて、この世界にはただの一つも存在しない――――全部! この世界のためだけに存在する!! 考えるまでもなく当たり前だよねぇ、“よそ”のことなんてどうでもいいもんな誰だって!!」


 爪痕から血が流れた。リゼットが気にする様子は微塵もない。憎悪のこもった眼差しは、総司にまっすぐ向けられている。


 「お前さえいなければ」。強すぎる眼差しがそう語っている気がした。


 昼の出来事はリゼットにしてみれば、心底羨ましかったことだろう――――「総司のために」間違いなく道は開き、彼を通そうとしたのだから。


 それを拒んで再び自分の前に現れた総司が、リゼットからすれば意味不明な存在に見えることだろう。


「時間軸も異なるだろう、法則全てが違うこの世界で――――あたしは我が子の成長を見ることも、その行く末を見届けることも叶わない……! 良いかソウシ! 誰もかれもがキミのように、『どうでもいい“よそ”の危機』に命張れるようなお人好しじゃあないんだよ!! なあ教えてくれ、“あたしを知った今のキミ”があたしに教えてくれよ!」


 かつてベルに同じようなセリフをぶつけられた。あの時よりももっと激しい感情と共に、再び同じ言葉がぶつけられた。リゼットの狂気の眼差しは、まっすぐ見つめ返すにはあまりにも強かったが――――総司は目を逸らすことが出来なかった。


 狂気の奥に、どうしようもないほどの悲愴が、嘆きがあるのが、痛いほどよくわかったから。




「あたしのこの憤りは――――憎悪は! “ヒトとして何か間違ってるか”!?」




 総司とて、言うなれば巻き込まれた側の人間である。


 けれどリゼットには関係ないし、リゼットの憎悪は何も総司にだけ向けられたものでもない。むしろ総司は「ついで」だ。


 リゼットは全部憎んでいる。このリスティリアという「異世界」の全てが、憎くて憎くてたまらないのだ。


 言えない。


 それでもお前は間違っている、なんて――――総司にはとても、言えなかった。根本的にズレている総司では、人生そのものを踏みにじられたリゼット・フィッセルという普通の女性の心境を、推し量ることすら出来ないからだ。


「何が女神の危機だ、何が世界の危機だ。知ったことか。滅んでしまえよ、こんな――――あたしたちを使い捨てにするような、腐りきった身勝手な世界なんて」


 リゼットの手がすうっと、総司を「招く」かのように差し出された。


「なぁ、キミだって感じたことがあるだろう? 『使い捨ての駒』のように扱われている理不尽さを。わかるよ、だってあたしもそうなんだから」


 ぎゅっと胸が締め付けられるかのようだった。確かにそういう感情を抱いたことがあった。図星を衝かれた。


「世界を救って、女神を救って、その先に何があるんだよ。命張った先に何があるんだよ。今まで出会った人々はキミに感謝してくれるかもね。それで? 自分たちの代わりに頑張ってくれてありがとう! ハハッ……だから、何だってんだよ、ねえ?」


 頬を伝う血が白衣に落ちた。鮮烈なリゼットの形相が、総司から言葉を奪っていた。


「あたしと一緒に来い。一緒にやろう。あたしたちを使い捨てにするこの腐った世界、ぶっ壊してやろうぜ」

「……世界を救った、その先には」


 声が出た。リゼットに言えることなんて何もないと思っていた。だが、リゼットが総司に投げかけた問いに。


 総司はもう、とっくの昔に答えを出していた。


「憧れたヒトに、胸を張れる自分がいる……気がする」


 リゼットの目がすうっと鋭さを帯びる。


「それに……俺にはもう、“この世界”で見たいものがあるんだ。出来てしまったんだ、“この世界”で叶えたい夢みたいなものが」


 総司は薄く微笑んで、言った。


「“リズを知った今の俺”が答えるよ。ヒトとして何も、間違ってない」


 リシアが何か言いたげに口を開きかけたが、すぐに押し黙った。


 今口を挟むべきではないと確信して。総司に任せるべきだろうと。


 どうせ何を言ったところで、きっと――――


「そりゃあな、だからって世界を滅ぼして罪のないヒトを殺すなんて、とか。正論っちゃ正論だけど、そんなの“俺からリズに”言いたくねえよ。間違ってないと正直に思った。ズレてる俺でも、そりゃ怒るよなって思ったんだ。本音だよ」

「……うん」

「けれど俺の進むべき――――違うな。“進みたい”道とは、俺が見たい未来とは、相容れない。だからその手は取れない。きっと、俺達はわかり合えない」

「そうだね」

「最後だ」


 総司はきっぱりと言った。


「シルヴィアをこちらへ渡せ。アゼムベルムの覚醒を中断させろ。見返りってわけでもねえが……俺がレヴァンチェスカを救った暁には、何とかしてリズを元の世界へ帰せないか頼み込む。いや、何が何でもそうさせる。可能不可能もわからねえ……俺に出せるカードは、それしかない」

「……お人好しだって言われたのはきっと、あたしが初めてじゃないんだろう」

「一国一回は言われてたかも。いや、もっとかな」

「度し難いね。キミの言う通りだ。わかり合える気がしない」

「わかり合える気はしないけど、俺は今、“海底神殿”で出会った時よりずっと、リズのことが好きになったよ」

「それはあたしもそうさ。イイ顔だ……良い出会いをしたんだね、この世界で」

「……交渉は」

「決裂だね」


 シルヴィアの体から光があふれた。黒い文字がシルヴィアを覆い、ずずず、とアゼムベルムの「殻」がそれを取り込んでいく。


 一瞬、総司は飛び出そうとした。だが――――


『来ないで。ちょっとだけ、頑張る』


 シルヴィアの声が脳裏に響いて、ぴたりとその動きを止めた。


 口を開きかけたアゼムベルムの「殻」が、ぐっと押さえ込まれるようにして、止まった。


 文字の群体のままで、未だ目覚めぬ巨大なだけの塊として、微動だにしなかった。


「……ただの人形ではない、か。それともやっぱりキミのせいか。多少、時間が要るかもなぁ」


 アゼムベルムの「殻」を眺めて、リゼットがため息交じりに苦笑を零した。


「仕切り直しだ。近いうちに攻め込むよ。カトレアと一緒に、キミごと世界を踏みつぶす。勝負だ、救世主」

「リシア!!」


 リシアが総司の体をパッと離した。


 総司はそのまま空を蹴り、莫大な推進力を伴って、一気にリゼットへと突撃する。


 リゼットがすうっと手を翳した。そして――――


「つくづく嫌な世界だよ。あたしの最大の怨敵がキミみたいな……まっすぐな男だなんて」


 白い世界が弾けて、真っ暗な海が視界に戻ってくる。総司の突撃は虚しく暗い空を突っ切り、リシアがギュンと追いついて総司の体を拾った。


「……大丈夫か」


 口を挟まず、ただ黙って事の成り行きを見守っていたリシアが、静かに声を掛けた。


「……おう」

「……お前にも……リゼット・フィッセル、彼女にも……私には掛ける言葉がなかった」

「お前にとっちゃ、このリスティリアは“よそ”じゃない、大事な自分の世界だろ」


 総司が努めて気楽な調子で、リシアの懺悔にも似た言葉に答えた。


「テメェのために気合を入れろ。あのデカブツとやり合うんだぜ、これから」


 総司を抱えるリシアの手に力がこもった。


 ただ抱えるだけでなく、抱きしめるように。


「すぐにヴィクターに報告しなければ」

「おう、帰りは頼むぞ。ウェルスも気になる。負けるはずがないとは言い切れないからな……同格の相手なんだから……」


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― 新着の感想 ―
[一言] なるほどたしかに、普通はリゼットくらい怒っても無理ないですよね…… ずっとソウシ視点だったから盲点でした
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