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リスティリア救世譚  作者: ともざわ きよあき
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深淵なるローグタリア 第七話④ 許されざる禁忌の所業

「知っていることを話して、姉さん」

「……そう呼んでくれるのはいつぶりでしょうね。これがなければ――――」


 首筋に当てられた刃物をとんとん、と指で叩いて、アンジュが静かに呟く。


 総司がディネイザと話し込み、その後ヴィクターのところへ召集を受けるまでの間、シルヴィアは行動を共にしていなかった。


 首都襲撃という大事件が一応の終息を見た後で、シルヴィアは姉のアンジュの私室にいた。


「心から喜べたでしょうに」

「はぐらかすな!」


 袖に仕込んで操る伸縮自在の暗器は、一度は取り上げたものの、シルヴィアが総司に協力するために必要なものとヴィクターが返した。


 当然、肉親にそれが向けられることは、ヴィクターとしても予想外だ。“海底神殿”で何が起こるのか、彼が全て予期していたわけではない。


 漠然と、何かが起きる可能性は感じていただろう。それ故にこそシルヴィアを同行させた。しかし「事の顛末」はヴィクターの予想を超えたものだ。シルヴィアが自分自身に対し疑念を持ち、その疑念をヴィクターと――――彼に最も近しい者へ向けるというのは、極めて自然な流れであった。


「私がこれまでしてきたことを考えれば、手放しじゃあ私のことを信じられないだろうね。でも私は本気でソウシに協力するつもりだった――――けど、姉さんとアイツはそうじゃなかった!」


 魅惑の双眸に怒りの炎を燃え上がらせて、シルヴィアが唸る。


 シルヴィアは“海底神殿”の最深部で起きたことについて、記憶が飛んでいるわけではない。ウェルステリオスが総司に語った詳細までは知らずとも、自分に起因して事故とも呼ぶべき事象が発生し、総司に予想外の――――しかもあまり歓迎されない展開を齎してしまったという事実を、きちんと覚えている。


「知っていることを話せ。“私について”、姉さんが知っていることを全部!」

「……出会って間もない上に、大して縁を繋いだわけでもないヒトに、随分と入れ込むものですね」

「だから、話を逸らすなって――――」


 ギギギ、と、耳障りな金属音が響いた。


 目に見えないほど細く、鋭く伸びたアンジュの髪が、シルヴィアの仕込み武器の刃先をがっちりと捕え、離すまいと縛り上げる音だった。


「ッ……このっ……」

「あなたにとっては初めての……その瞳の力が作用しない男性。手放したくないのでしょう。気持ちがわかるとまでは言いませんが、気持ちを汲むことは出来ましょう」


 シルヴィアの手から武器をぴっと取り上げて、しかしシルヴィア自身に攻撃を仕掛けることはせず、アンジュは椅子を引いてシルヴィアに声を掛けた。


「かけなさい。多少なりとも冷静になってくれれば、あなたの質問に応じます」


 シルヴィアはしばらくアンジュを睨みつけていたが、どかっと乱暴に椅子に座った。アンジュはにこりともせず、紅茶を注ぎながら話し始めた。


「まず前提として、“私は知りません”」

「そんな話を信じられるわけない……! 姉さんが知らないなら、一体誰が――――」

「より正確に言えば、あなたに関する“何らかの事情”を陛下は隠していらっしゃいます」


 苛立つシルヴィアと対照的に、極めて冷静に、アンジュは続ける。


「そして、私は断片的にその“隠し事”の一部を掴んでいる。ですから知っているわけではなく、自分なりの推測を持っている。そういう意味です」

「聞かせて」


 シルヴィアがすぐに言う。アンジュは少しだけ間を置いて、言った。


「あなたの瞳に宿る力は、“レヴァングレイス”――――ローグタリアの秘宝の影響で発現したもの、と推測されます。わずかな記録を辿ってみると、“レヴァングレイス”にはあなたの瞳と同じように、ヒトを魅了する力があったとか」

「……へえ、まあ、いいや。それで?」


 カトレアから「国の秘宝」という情報を与えられた以外には、“レヴァングレイス”に対する知識も何もないシルヴィアが、間の抜けた相槌を打ちつつ、先を促す。


「“オリジン”と総称される秘宝は、女神さまの恵みが形となって下界に齎されたとされるものであり、特殊な魔力や魔法の源泉です。あなたはその影響を受けたということですが……では、『何故そのような事態になったのか』……これが、陛下が私にもあなたにも隠していらっしゃることであり、あなたが今知りたいことに繋がると思います」


 紅茶を飲みながら、アンジュは正直に話す。姉が嘘をついていないことは、シルヴィアにも伝わっていた。


「陛下は間違いなく、『何故そのような事態になったのか』という部分をご存じ――――いえ、陛下自身が関わっていらっしゃるのであろうと考えていますが、しかしながら私にはそこがわかりません。どのように関わり、あなたがその瞳を持つに至ったか……私にも皆目見当がつかない」

「……この目のせいでいろいろと苦労してきたよ、私。知ってるだろうけど」

「ええ」

「全部アイツのせいってこと?」


 シルヴィアがぎりっと歯を食いしばる。


「……悪意を持って、何かをしたわけではないでしょう。しかし結果的にあなたを苦しめることにはなっている。そして今回のこと――――あなたと“レヴァングレイス”の繋がり、その真なる部分を知っているからこそ、陛下はあなたを“女神の騎士”に同行させ、“海底神殿”へ赴かせた。私の個人的な感想としては――――」


 シルヴィアが何か言おうとしたのを遮るように、少し声を大きくして、アンジュが無理やり自分の話を続けた。


「陛下ご自身も、あなたが話すような『事故』じみた展開になるのは想定外だっただろうと思います。詳細はわかりませんが、取り返しのつかない事態になっていた可能性もある……ですから今回のことを受けて、陛下は私に話してくださるだろうと勝手に期待していました。しかし、私の問いに対する陛下の返答は……」


 アンジュが悲しげに首を振る。シルヴィアががたっと立ち上がった。


「問い詰め方が足りないんだよ。姉さんは優しいから。私がやる」

「脅しが通じる方でないのは知っているでしょう。それに陛下に刃を向けようものなら――――忘れてはいないでしょうね、陛下の傍に控えているのが誰なのか」


 神獣王が放つ尖兵“ゼルム”を事も無げに薙ぎ払った総司の姿を思い出す。


 シルヴィアとて理解している――――総司はシルヴィアの事情をある程度汲んで、そしてヴィクターの望みも叶えるために、カトレアに雇われていたシルヴィアによる襲撃の件を許しているわけだが、何も理由はそれだけではない。


 総司とリシアの実力からすれば、シルヴィアの戦闘能力そのものは取るに足りないレベルだからだ。それよりもずっと魅惑の双眸を脅威と見なしている。凶悪なまでの幻惑能力によって自分たちの目の届かないところで暗躍される可能性を嫌って、常に見張れるよう傍に置いているのだ。


「彼は今のところはあなたに優しいでしょうね。しかしその優しさの意味を履き違えてはいけません。あなたもわかっているはずです」


 総司にとっては――――シルヴィアもあずかり知らぬところではあるが、彼の他者との距離感は多少なりとも破綻しているところがある故に――――シルヴィアは個としては弱く、人生の背景に暗い事情を抱えていることから、庇護の対象となっており、ありていに言ってしまえばそれ以上の感情はない。


 対等以上に思い尊敬の念すら抱いたアレインはもちろん、体を張ってでも止めたい相手と見なしたミスティルやベルとも全く違う関係性。


 シルヴィアは今、総司のためにこそ、“海底神殿”で起きた異常事態の真相を聞き出すため動こうとしているが、総司はローグタリアでの一連の事件においてシルヴィアの手を借りる気も、共に手を取り合う気もないのだ。言うなれば既に親しい関係を築いたヴィクターのために、危なっかしいおてんば娘の子守りを引き受けたようなものである。


「でも姉さんだってわかってるでしょ! 普通じゃないことが起きたし、原因がわからないんじゃあこれからも起きる! ソウシの旅にはその“オリジン”が重要っていうのは、ちょっとだけど知ってる……! 私の目と“オリジン”に何か関係があるんなら、ソウシにだって知る権利がある!」

「それを誰より理解しているのは陛下のはずです」


 アンジュは冷静に言った。疲れているようにも見えた。


「そしてその陛下が、いくらでも話せる機会はあったでしょうに、彼に話していないのです。あなたがどう動いたところで、陛下の御心を動かせるとは思えません」

「でもっ……!」

「この話はここまでです」


 アンジュが少しだけ語気を強くして言った。シルヴィアがぐっと押し黙った。


「明日は陛下もソウシさんもお忙しくなります。最終的にあなたが好きなように動くのを、私は全て止められるわけではないけれど……あまりあの方々の邪魔をしないように。良いですね」










「ソウシを省いてオレと二人で話したいとは、随分と大仰ではないか。もしや愛の告白か? ハッハー、モテる男の辛いところよ!」

「色気のある話は出来そうもないが、そうだな――――」


 作戦決行は明日未明。太陽が昇るより前に出立し、暗い海の上を進んで神獣王を――――本当に海の先にいるのかどうかはわからないが――――叩く。


 ヴィクターが勢いよく立案し、そのまま解散となった作戦会議の後、リシアは皇帝の元に一人残って、今まさに彼を問い詰めようとしていた。


 鋭すぎる彼女が得た一つの解が、どこまで真に迫るものかを確かめるために。


「皇帝陛下とではなくヴィクターと話したい。良いか」

「……無論だ。そも、貴様とソウシの前ではいつだって、俺はただのヴィクターだ」

「そうだったかな」


 リシアは肩を竦めて苦笑した後、きゅっと顔を引き締めた。ヴィクターはどさっと椅子に腰かけて、リシアに話すよう促す。


「シルヴィアについて何を隠しているのか聞かせてもらうぞ。既に取り返しのつかない事態が起こりかけた。これ以上看過できない」

「……これ以上というからには、これまでは看過してくれていたということか」

「そういうことになる」


 リシアがふーっと息をつく。


「罪の清算として任務を与えるにしても、シルヴィアの戦闘能力で我々に同行させるのは我々にとって負担でしかない。そこに口を出さなかったのは、貴殿に何らか、シルヴィアを“海底神殿”に向かわせたい意図があると思い、それを汲んだからだ。結果的にそれは悪手だった」


 シルヴィア・ネイサーというイレギュラーは、リシアにとってみれば「もっと警戒すべき」存在だった。


 シルヴィアの魅惑の双眸は特筆すべき特徴ではあるものの、それが総司には何ら影響を与えないこと、そしてシルヴィア自身が総司とリシアにとって脅威足り得ず、むしろ傍に置いておいた方が様々な点で被害が少なく済みそうなこと――――リシアとしては、突如として降って湧いたシルヴィアというイレギュラーに対し、最もリスクの少ない方法での接し方を選んだつもりではあった。


 シルヴィアの双眸に耐性のない者とシルヴィアを長く一緒にいさせることで、『歯車の檻』の内部、ローグタリアの中枢が引っ掻き回されれば、総司とリシアの旅路にも支障が出かねない。故に、ヴィクターの提案を飲んでシルヴィアを総司の傍に置いたのだ。


 その判断は間違っていた。リシアは「シルヴィアの目」が内包する特異な能力を警戒したが、警戒すべき対象を見誤っていたのだ。


 シルヴィア・ネイサーという存在自体が警戒すべき対象であり、ローグタリアにおいて鍵を握る存在――――そしてその「鍵」の秘密を知るのは、本人ではない。


「シルヴィアの瞳に“オリジン”の影響がみられることと、“海底神殿”に同行させたことの因果関係を教えてくれ。私ならそれで――――」

「全ての解に辿り着けると。相変わらず聡いが、それ以上に小賢しい」


 ヴィクターは大きく息を吐き、常の彼らしからぬ静かで抑揚のない声で、リシアに言った。


「オレの証言などなくとも貴様は既に辿り着いている。違うか」

「仮説の域を出ない」

「甘い女だな。“情を持ちすぎる”きらいのあるソウシに気を遣っている。貴様が辿り着いた解は、ヤツの歩みを止めかねないとな。あえてヤツのいないところで答え合わせをしようとするのも――――伝え方を考える時間が欲しいからだ。苦労するな、リシア」

「ヴィクター」


 リシアが強い声でヴィクターの話を遮った。


「ごまかすな」

「……貴様の仮説は?」


 リシアが探るような目を向ける。


 リシアの仮説がもしも、ヴィクターが抱える真実とわずかにズレていた場合――――この場でリシアの仮説を話すと、ヴィクターに都合の良い逃げを許す可能性がある。リシアの仮説が何であれ、それに同調しながら肝心なところをはぐらかす――――そんな煙に巻くような逃げが――――



「シルヴィア・ネイサーは“オリジン”の『影響を受けた』のではなく、彼女は“オリジン”を『内包している』。恐らくは『命の代わり』だ。何故そうなったのかの秘密をヴィクターが握っている」



 一切の逃げを許さないよう、リシアは自分の中に持つ仮説の中で、最も苛烈なものを選び、叩きつけた。


 ヴィクターの目が見開かれ、リシアのまっすぐな視線を真正面から受け止めた。


「……そこまで、か。いや、あり得ん」


 ヴィクターはうわごとのように震える声で囁いた。


「いくら何でもそれは“見え過ぎている”。与えられた情報の整理だけでその解に辿り着く道理はない……貴様」


 ヴィクターはふと思いついて、リシアに対し恐れを抱いたようにこわごわと言った。


「“想像で埋めた”とでもいうのか……? そんな思考をどうやって……!」


 ヴィクターの反応に確信を得て、リシアは小さくため息をついた。


「同じようなことをエメリフィムで言われたよ。私の思考は狂気的だと……ただ、言わせてもらえれば、これは経験に基づくものだ」

「あり得ん」

「あったんだ。形は違えど――――“オリジン”を礎にして、数え切れないほどの『命の代わり』をやってのけたヒトがいた。魔法を行使する者の素養だけではない、類まれな強い意思の力によってそれを達成する――――女神さまの奇跡“オリジン”は時としてそれほどの力を持つ。規格外の強い意思によって、達成不可能な所業を可能としてしまう……現実を捻じ曲げるほどの力を発揮する時が、間違いなくあることを、私は知っていた」


 史上最も「死者の蘇り」という世界の禁忌に近づいた所業――――それを達成した千年前の為政者。


 強すぎる意思の力に“オリジン”が応え、論理的な説明が出来ない事象を巻き起こした。


 リシアにとっても悲しく美しい思い出――――宝物のような幻のひととき。


 それ故に辿り着いたし、覚えがあった。『最後に辿り着くべき結末はわかりきっているけれど、敢えて回り道をさせている』。ヴィクターのやり方は、リシアが人生でたった一度だけ経験した「それ」にとても良く似ていた。


 しかし、根底にある信念は全く似ていない。むしろかけ離れていると言っていい。


 ヴィクターは結末を先延ばしにしているだけだ。


 ヘレネの予知を「百発百中などと信じていない」ときっぱり言い切った時のように――――必ず訪れる一つの結末から目を背け、その時が訪れる瞬間を一秒でも長く先送りにしようとしている。


「……恐らくだが、シルヴィア・ネイサーは既に……」


 ヴィクターはがたっと鋭く立ち上がった。観念したように諦観の色を浮かべた表情で、脇にある戸棚の引き出しをごそごそと漁り、ガラスケースに入った新聞記事の切り抜きを取り出して、リシアに投げて寄越した。


『首都の名家襲われる――――強盗殺人・当主とその妻惨殺』


 十年も前の記事だ。


 首都ディクレトリアにおいて、皇帝の一族とも近しい関係性であったネイサー家が強盗に襲われ、一家の主とその妻が惨殺されたという事件。リシアはそれを見るだけで事情を察した。


「……この時にか」

「そうだ」


 ヴィクターは体を投げ出すようにして再び椅子に座ると、手に顔をうずめた。


「貴様の見立て通りだ。シルヴィアはこの時、両親と一緒に“絶命している”。その絶対の終わりを捻じ曲げたのがオレだ」









 リスティリアに生きるヒトにとっても、死は不可逆の終わりだ。


 シルヴィア・ネイサーは十年前、確かにその短い生涯を終えている。


 だが、人格をそのままに、失われたはずの命がまるで「まだ存在している」かのように再現されてしまった。


 他ならぬ皇帝ヴィクトリウスの手によって。


 ローグタリアにおける禁忌とは、現代の皇帝によるルール違反。生命の法則を捻じ曲げたことにより、ローグタリアの歯車は狂う。


 かつて人々を狂気的なまでに魅了した“レヴァングレイス”の片割れが埋め込まれたシルヴィアは、仮初の意思を発現し、生前と同じ人格でリスティリアに存在し続けることになった。代償として、元々の“レヴァングレイス”が保有していた特性を劣化させた状態の異能――――異性を虜にする能力をその身に宿しながら。


 ルディラントの“レヴァンシェザリア”との大きな違いは、あちらがあくまでも「魔法」の礎であったことに対して、“レヴァングレイス”は命そのものの代替として機能している点だ。


 ヴィクターとしても、藁にもすがる想いであったことは改めて語るまでもない――――国宝に秘められた力の全てを知る由もなく、ただわずかな可能性に賭けてシルヴィアの体に埋め込んだそれは、ヴィクターが縋った通りの効力を発揮した。


 かくして“オリジン”の器と変貌したシルヴィアは、今日に至るまで本人が気付かないまま過ごしている。かつてシルヴィア・ネイサーとしてこの世に生を受けた少女の、あったかもしれないIFの姿。


 無論、“オリジン”が齎した特異性によって、彼女の「人生」そのものは特殊な道筋を辿ることになっており、今を生きているように見えるシルヴィアが果たして幸せかどうかは定かではないが――――


 禁忌に手を染めてでもヴィクターは願ってしまった。


 他ならぬアンジュ・ネイサーのために――――あり得ないIFを、何とかして現実にと。


 家族を惨殺され天涯孤独の身となってしまったアンジュの心を救うために、シルヴィアが「助かっていた」未来を無理やり作ってしまった。


 マーシャリアからの短い付き合いではあるが。


 弱り切ったヴィクターの姿をリシアは初めて見たし――――驚くほど、見るに堪えないものだと素直に思った。


 誰にも悟らせず一人で抱え込むには、あまりに重い。


「……シルヴィアの内に眠る“オリジン”は、神獣王を御する最後の鍵だ。対の“レヴァングレイス”がカトレアの手に渡れば、災厄は覚醒する。そしてその未来は既に予見されている。貴殿はその未来に抗おうとしているのだな」

「ローゼンクロイツの予知を信じぬと言ったのは本心だ。あの時語った通り、手放しで全てを肯定する道理がそもそもないからな」

「その考えを否定するつもりはない」


 リシアが頷いた。


「貴殿の方針は理にかなっているし、その点に反論はないよ。だがわかっているだろう。あくまでもそれは、今のシルヴィアをこの先も生かす……いや、保つために最も理にかなった道でしかない」


 リシアの声は厳しかった。


 弱り切ったヴィクターを見て、リシアが非情になり切るにはすさまじい意思の強さを要した。


「対の“レヴァングレイス”がヒトの姿をしているとは、カトレアも思うまい。それ故にシルヴィアを容易く手放した。私とて、過去の経験があったからこそ辿り着いた解だ。図らずも貴殿の“失策”は、“レヴァングレイス”を悪しき者の手から護ることに寄与したが――――『だからこの先も安全だ』とは決して言えない」

「……だろうな」

「そうなる前に私たちが手に入れる……ヴィクター、遅かれ早かれそうなる。我々が“レヴァングレイス”を求める限りだ」


 カトレアには、リシアが得られただけの情報が与えられていない。


 それでもシルヴィアという希少な力を持つ手駒を容易く切り捨てたのは悪手だったろうが、総司の想定外の襲撃に際してカトレアが打てる手も限られていた。


 異性を幻惑する特異性を持つ爆弾のような存在が捕まってくれるだけで、自分が総司の強烈な敵意から逃れられるなら安いものだという損得勘定は、シルヴィアの中に“オリジン”が眠ることを全く想定していないなら判断としては悪くなかった。切り捨てるために、金でだけ繋がる関係だったのだから。『歯車の檻』内部を引っ掻き回せる可能性も鑑みれば、カトレアは布石を残しつつ撤退出来る状況にあった。その選択肢に飛びついてしまったのはやはり、彼女が未熟であることの証左でもある。


 総司とリシアにとっては幸運そのものだ――――シルヴィアを殺し、“レヴァングレイス”を取り出すことが出来れば、少なくとも対のうちの一つは救世主の手中に収まり、神獣王の完全制御をも阻止できる。


 その先の想定としては、カトレアが“レヴァングレイスB”の確保を断念し、制御の不完全な状態で神獣王を覚醒させることになり――――総司とリシアは神獣王の打破とカトレアの持つ”レヴァングレイスA“の奪取を目指す。


 リシアとて理解している――――リシアの想定は、ヘレネ・ローゼンクロイツの予知からズレたもの。総司から聞いたヘレネの予知の内容は、


『一人の少女がかの王を呼び覚まし、世界にというよりは、お前に挑む。女神救済を望まない者による最後の妨害だ。その戦いの勝者が、この世界の行く末に対する決定権を持つことになるだろう』


 リシアにはどうしても、カトレアが神獣王を“従えている”ようにしか思えない。


 だから今必要なことは――――


「予知に抗えるとしたら、ここなんじゃないのか、ヴィクター」


 ヴィクターを説得し、凶悪なまでの意思の力、その結晶を、他ならぬ彼自身の手で終わらせること。


 ヒトの強すぎる想いが“オリジン”と呼応して生み出された状況、そこから連続する未来。ヘレネが見た未来がその礎の上に成り立っているというなら、きっと。


 未来を変えることにもまた、強い意思が必要なのではないかと。


 リシアが「解」に辿り着いてからすぐ、シルヴィアの殺害に挑まなかったのは、ひとえに理屈だけではどうにもならない「力」が渦巻いていることを感じ取っていたからだ。


 これまでの旅の経験が彼女にそうさせた。


 大いなる運命の流れに抗ってきたリスティリアの人々への敬意が、リシアに理屈だけではない直感を与えた。


 彼女の甘さ――――ただ聡いだけであれば、リシアの人生はむしろ楽だったろうに、心を鉄にできるだけで、最初から心が鉄のようではないから、気苦労も多いが。


 きっと笑顔で讃えてくれるだろう。これまで彼女が出会ってきた者たちならば。


 ただし――――


「……そうだな……」


 世界は、運命は。


 女神が与えたもうた、大いなる運命の流れは。


「世界の法則に抗い、ごまかしてはいけないものをごまかして今日に至った……貴様の言う通り、そろそろ潮時なのかもしれん」


 リシアがこれまで出会ってきた、敬愛すべき人々ほどには、リシアにも総司にも甘くない――――世界が辿り着くべき未来に向かって、ただ大きなうねりを上げて流れ続けるだけなのだと。


「せめてオレがこの手で終わらせよう。余計な手間を掛けさせて――――」


「陛下ァ!」


 改めて思い知ることになる。


「何事か!」


 リシアへの言葉を切り、飛び込んできたアンジュに向かってヴィクターが吼えた。


「シルヴィアが――――!」


 リシアが目を見開いた。


「シルヴィアが突如、その……! なんと言ってよいかわかりませんが、海へ……! 海に向かって、“飛び立って”しまいました……!」


 何故か、リシアの脳裏には。


 カイオディウムにおけるとある一幕が思い起こされていた。


 デミエル・ダリア大聖堂の『核』に落ち、総司と共に駆けまわった時の記憶。


 整えられた運命の中で、失意に沈みかけた総司の慟哭。


 『誰を犠牲にしてでも何より最優先に、救世主に目的を達成させる』。そんな意思が見え隠れした現実の中で、一度は膝をついてしまった総司の弱々しい姿が、何故か頭にちらついて、リシアは知れず拳を握り固めていた。


「これが……」


 ざわっと、リシアからこれまで発せられたことのないような気迫が――――オーランドを前にした時よりも危険な気迫が発散されて、ヴィクターが思わず目を見張った。


 『あの時』の総司の気持ちが、実感としてわかった。


 リシアが気付き、ヴィクターと話し、まさにヴィクターが運命を変えようと決断したその瞬間に、リシアにもヴィクターにも最も都合の悪いことが、最悪の事態が。


 どうしても思わずにはいられない。


 ここまで全て、計算通りなのではないかと。


 何が何でも、完全覚醒した神獣王と総司を戦わせたいかのような――――より苛酷な選択を、皆に迫るかのような――――


「それを受けて彼も……! どこからともなく現れた魔獣と共に、海へ……!」

「いかん――――待てリシア!!」


 ヴィクターの制止の声は届かず。


 リシアはアンジュの最後の報告を聞くや否や、すぐさま『歯車の檻』を飛び出した。


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