深淵なるローグタリア 第七話① 次なる局面へ
てっきり、ウェルステリオスの頭の上にでも乗って優雅に空の旅を満喫できるとばかり思っていた総司の期待は、しっかりと裏切られた。
総司が思っていたよりもずっとヒトのことがわかっているらしいウェルスは、「突然巨大な化け物が現れたら街が大混乱になる」と言って、『果てのない海』から首都ディクレトリアまで海の中を移動した。
水中で呼吸など出来ない総司たちは、ウェルスの本体の口の中に入って連れられてきたわけである。
当然ウェルスの口の中にばくっとくわえられてしまえば中は真っ暗、ウェルスから解放されたディネイザも、元々弱っていたらしいこともあって気絶しているし、シルヴィアは相変わらず目を覚まさないしで、話し相手もいない。
カイオディウムの端、“忘却の決戦場”にて出会った長寿の魔獣ヴィスークが言っていたが、神獣は魔力を介して直接ヒトと意思疎通を図る方法を取らない。エルフやそれに近しい器を借りたり、『場』の力を借りて幻を見せたり、その程度が関の山だ。総司と神獣たちの魔力は同質なのだから別に大丈夫かもしれないのだが、ジャンジットもウェルスもそこは不確定要素ということで一線を引いている。
よって総司は、体感では二時間程度の間、真っ暗闇で、話す相手もいない状態で、ウェルスが連れて行ってくれるままに任せ、ただじーっとしていたのである。
伝説の生物に乗って移動する、なんていうワクワクする表題からは信じられないぐらいにつまらない旅であったことは言うまでもない。
「二度とごめんだ……」
首都ディクレトリアの民衆に見つからぬよう、少し離れた整備されていない海岸に下ろされた総司が、心からそう言った。既にディネイザの体を解放しているウェルスから言葉が聞けるわけではないが、大きな頭だけ海から出したウェルスが、どこか申し訳なさそうな表情に見えた。
ウェルスに下ろされた海岸からは、首都ディクレトリアが遠方にわずかに見える。総司の足であれば、すぐに戻ることが出来る程度の距離だ。
「とはいえ、だ。ありがとなウェルス。おかげで助かった。……話しそびれたんだが」
ウェルスが瞳をぱちくりとさせる。
「俺はきっとこの国の旅の終わりで、神獣王アゼムベルムと戦うことになる」
覆そうと動いても、恐らくは覆せない「予言」。最善を尽くすというヴィクターの方針にはもちろん賛同しているものの、総司の心の中では既に覚悟を決めていることもであった。
神獣王の名を聞いて、ウェルスの気配もにわかに変わる。
「手を借りたい。お前とジャンジットの力が必要になる。ビオスとはちょっと会っただけで、お前やジャンジットほど縁を繋いだとは言い難いし、アニムソルスはとても信用できたもんじゃねえ……ジャンジットを口説いて、二人? で何とか来てくれねえかな」
ウェルスは、「手を借りたい」という言葉に対しては了承の意を示すような頭の動きをしたものの、「ジャンジットを口説く」ところについてはどこか自信がなさげに見えた。
細かい機微については、言葉を交わせないために把握しきれないが、ウェルスの気持ちもわからないでもないと総司は思う。
ジャンジットは「ウェルスに説得されて助力する」という形に収まりそうにはない。助力するかどうかは自分で決めて、しないと決めたら誰が何を言ってもしないだろうし、すると決めているならウェルスが説き伏せに行くまでもなく勝手に来るだろう。
総司は苦笑して、
「とりあえずお前のことは、あてにしていいか?」
ウェルスは二度、三度と頭を縦に振った。それだけでも凄まじい戦力の増強だ。神獣ウェルステリオスの力を身を以て知る総司にしてみれば、これほど頼もしい援軍もなかなかない。
「本当に助かるよ。正直この国じゃあまだわからないことだらけだけど、特にアゼムベルムに関しては未知数過ぎてな……お前が一緒に戦ってくれるなら、こんなに心強いことはない。頼りにしてる!」
総司がぐいっと拳を突き出すと、ウェルスは頭の先をコツンと総司の拳に当てた。そのままどこか名残惜しそうに、総司に一瞥を送りつつ、すうーっと音もなく海の中へ消えていく。
総司はその姿を見送って、平地に寝かせたシルヴィアとディネイザを抱え上げようとした。
「大丈夫」
総司の手を、シルヴィアがパシッと掴んだ。
「おお!」
総司が嬉しそうに声を上げる。
「目が覚めたか! どうだ、調子は?」
「ホント……ごめん。迷惑を掛けた」
記憶が飛んでいるわけでもなさそうだ。“隔絶の聖域”最深部でのことを覚えているようで、シルヴィアは申し訳なさそうに謝りながら体を起こした。
「お前が何をどうやったって、防げた事態だったとは思えねえよ。謝らなくていい。動けるか?」
「うん、問題ない。無事で良かった……」
シルヴィアは周囲を見回した。
「ここは? っていうか、このヒト誰?」
当然、状況を全く把握できていないシルヴィアが質問を重ねる。総司はディネイザを抱えながら答えた。
「首都ディクレトリアに近い海岸だ。このヒトのことも含めて、ここまでの経緯は話せば長くなるんだが……ひとまず危機は脱してる。話は後にしてとりあえず戻るぞ。ほら、あっちに首都が――――」
総司がふと言葉を切った。シルヴィアは首を傾げて総司を見つめ、それから総司の視線を辿って、遠くに見える首都ディクレトリアの方へ目を向けた。
「……煙……?」
ぽつりとシルヴィアが呟く。
遠くに見える首都と、海岸にそびえる『歯車の檻』の姿は朧げだが――――総司の目にもシルヴィアの目にも、首都ディクレトリアの内部、複数個所から、黒煙が上がっているように見えた。
「ッ……急ぐぞ! 何かヤバいことが――――」
ピン、と、気配が変わる。
起き抜けの割にシルヴィアの反応は早く、それ以上に総司が早かった。
総司の動きに合わせてシルヴィアが飛び起きて、総司が預けてくるディネイザの体を受け取り、支える。それと同時に総司はリバース・オーダーを振りかざして、突如として飛来する脅威を迎え撃った。
「ぜぇあ!」
漆黒の物体が飛来し、迷いなく総司へ突っ込んできた。剣を振り抜いても両断は出来なかった。
総司に弾き飛ばされて空中を飛び回る、異形の怪物の姿が見える。
甲虫のような硬い体躯に獣のような獰猛な顔を持ち、刃のような四つの足を振りかざす、全長三メートル程度の魔獣。翼ではなく虫の羽に近い機構を持ち、それによって空を自在に動いている。
その瞳に宿る輝きを総司は知っている。危険で凶悪な目の光には見覚えがある。
「“活性化”――――!」
「避けて!」
シルヴィアの号令と共に、総司が横っ飛びに身をかわした。
魔獣が振り抜いた刃のような足から、目に見えない何かしらの「斬撃」が飛んで、海岸の砂浜を深々と切り裂く。
シルヴィアがディネイザの体をそっと下ろし、バッと臨戦態勢を取った。
「こんな魔獣見たことない――――けど滅茶苦茶強い……! こんなのが、何で急に……! 援護するよ、何とか出来る!?」
“活性化した魔獣”、しかも相当個体としての力が強い魔獣である。既に臨戦態勢、明確な殺意と敵意を持って襲い掛かってきているということもあって、言い知れぬ恐怖がシルヴィアを襲う。一応、これまでの人生で多少なりとも修羅場を潜ってきているシルヴィアは、恐怖で動けなくなるということはなかったものの、まともに戦って勝てる相手でもなさそうなことは悟っていた。
「問題ねえよ、援護も要らねえ。下がってろ」
だが、魔獣の凶悪で強烈な気配を前に「勝てそうにない」と感じているのはシルヴィアだけ。当然ながら、“女神の騎士”はそうではない。
魔獣が再度総司へ突撃を仕掛け、総司が剣を構えて迎え撃つ。
魔獣の体は総司とすれ違うと同時に、蒼銀の光と共に縦にすっぱりと両断され、ずしゃっと砂浜の上に落ちた。血しぶきを飛び散らせることもなく、魔獣の体がすうーっと霧のように消えていく。
シルヴィアが呆気に取られて目を丸くした。
「えぇぇ……つっよ……」
ゴウッと蒼銀の魔力を迸らせた総司が、肩越しに消えゆく魔獣を振り返った。
ただの魔獣ではない――――普通の「生物」ではない。何か異常なことが首都で起こっていて、その余波が飛んできた。詳細はわからないが、あまりよくない事態が巻き起こっていることだけは確かだろう。
そしてこの魔獣――――姿形から便宜上「魔獣」と見なしていた異形の怪物に対し、総司だからこそ感じられる違和感があった。
「間違いなく“活性化”……けど魔獣っつーよりは……」
凶暴で“とにかく不愉快”な気配は、活性化した魔獣に酷似した特徴ではある。
しかし、この甲虫のような生物がそもそも「魔獣なのかどうか」に自信が持てなかった。不愉快な気配を除けば、この不可思議で不気味な生物の気配はむしろ――――
ついさっきまで傍にあった気配に近い。
「つっよぉ……」
シルヴィアからすれば、出会ってしまった時点で死も覚悟しなければならないレベルの敵性存在だ。事も無げに切り裂いて、達成感もなくその散り様を冷静に観察している総司に対して、シルヴィアは呆けたように同じ感想を繰り返した。ごく一般的な能力値のシルヴィアにしてみれば当然の反応でもある。
救世の旅路を歩む総司もリシアも、「普通」と呼ばれる領域からは遥かに逸脱した強さを誇る。レナトゥーラをはじめとして、これまで相対してきた敵対存在もまた異常な次元の強さを持っていただけであって、「普通」のレベルからして強いと感じる程度の敵では最早相手にならない。
今回の敵が、この個体「のみ」であるならば何の問題もないが、しかし。
もしもこれが「群れ」で首都を襲っているのなら――――
「動けるな、シルヴィア」
未だ目を覚まさないディネイザの体をぐいっと抱え上げて、総司が厳しい声で言う。
「恐らく首都にもこいつらがいて、街を襲ってる。あの煙は多分そういうことだ。首都に入ったら、このヒトを抱えて『歯車の檻』へ走れ。首都までは俺が運ぶ」
「今のヤツ一匹だけだった、とかはないかな」
「それはない」
シルヴィアの希望的観測を、総司が一言で切り捨てた。
「リシアは俺より判断力がある。いつまでも“海底神殿”にいるはずがないから、恐らく首都に戻ってるはずだ。そんで、アイツがいるなら今のヤツ一匹程度の力じゃ、そこかしこで火の手が上がるほど好き放題はできない。リシアでも手が回らないぐらい大量にいるか、もっと強いヤツが首都を襲ってるかだ」
「……了解。自信はないけどね……私にしてみれば、今のヤツ一匹でもばったり出会ったら致命的だ」
「面倒見る余裕があるかは行ってみなけりゃわからん。死にたくなきゃ死ぬ気で何とかしろ。ただし逃げるのはナシだ。俺の“手伝い”、そうだよな」
「はいはい、わかりましたよご主人」
二人は首都ディクレトリアめがけて疾走する。
シルヴィアは流石の身のこなしで、総司の移動速度に何とか付いてきた。魔力を繊細にコントロールして、身体能力を一時的に引き上げる術を体得している。
地を強く踏んで、首都ディクレトリアの端に飛び込む。大きな集会所のような建物の屋根に着地した総司は目を見張った。
そこかしこで悲鳴が聞こえて、予想通りにあの甲虫のような怪物が飛び回っているのがすぐ目に入ってきた。
そしてその数は、想定よりも遥かに多かった。十匹二十匹の次元ではない。視界に捉えられる限りでも百・二百の単位だ。住民を襲い、建物を破壊し、迎え撃とうとする兵士を蹴散らして、好き放題に大暴れしている。
総司はディネイザを下ろすと、すぐさま近くにいた怪物から順に攻撃を仕掛けた。蒼銀の魔力が飛ぶ斬撃と化して、数匹を一気に切り裂いていく。
「シルヴィア!」
総司の号令を受けて、手はず通りにシルヴィアが、ディネイザの体を捕まえて離脱しようとした。
しかし、動けない。異形の怪物の数が多すぎる。シルヴィアではこの中の一匹にすら敵わないのだ。突破口を自力で開けないから、隙を見てこの場を離れるという選択がなかなか取れない。
「ダメ、抜けられるところがない!」
「くっ……!」
近づいてくる怪物を剣の一振りで薙ぎ払いながら、総司が瞳をぎらつかせる。
住民の避難もうまくいっていないようで、視界に入る限り人々の避難を援護してはいるものの、恐らく大量の取りこぼしがある。
いや、そもそも総司が来るまでの間に、きっと何百と犠牲になっているだろう。
もちろん、戦っているのは総司だけではなく、『歯車の檻』の兵士たちも果敢に怪物に挑み、住民を護ろうと奮戦している。何か所かでは押し返しているし、発達した機械兵器を用いて、空中にいる怪物たちを打ち落としているのも見える。
だが、首都内部にまで入り込まれてしまっている現状、住民たちにほど近い場所にまで入り込んでしまった怪物を砲撃できないでいる。首都の外部から飛来する怪物に対しては、ヴィクターが整備させたという、『歯車の檻』の近くにある城壁の上にある、大量の破壊兵器たちも活躍するだろうが、首都に向けて撃つことは出来ない。
「キリがねえ……!」
逃げ出す住民たちに当たらないように、シルヴィアとディネイザに攻撃が及ばないように。様々な制約が課せられた現状、総司には「向かってくる敵を蹴散らす」以外に出来ることがなかった。
これはもしかしたら、自分の明確な弱点かもしれない――――どうにかこの状況を好転させられないものかと思案しながら、総司は自らの力を顧みて、思う。
女神レヴァンチェスカから与えられ、“聖域”を経るごとに解放されてきた総司の切り札、神域の魔法“リスティリオス”には、思い返せば「大量の敵を一度に相手取る」類のものがない。可能性がある手段と言えば、対多数戦闘に向く魔法を“エメリフィム・リスティリオス”で借り受けるぐらいか。
どれもこれも、「女神の騎士でなければ対処が出来ない」状況に向けた魔法なのかもしれない――――個々の戦闘力でみれば、“女神の騎士”に及ぶべくもない異形の怪物たちとの戦闘。総司自身の負けはまずないのに、状況としては驚くほど追い込まれている。
「リシアはどこだ……!? せめてアイツがいてくれれば、何とか……!」
「――――よくわからないけど。ひとまずあの羽虫どもを抑えれば良いんだね?」
女性の声が響いた。総司の背筋にゾクッと寒気が走る。
強烈な魔力、強力な魔法の気配。全く種類は違うが、しかし、魔力の気配に敏感な総司だからこそわかる。
この力の質は、“彼女”に似ている。
伝承魔法の一段上、精霊ではなく“女神の奇跡”を下界にて達成するヒトの領域を超えた魔法。
“古代魔法”の覚醒者、ミスティルと同系統の力――――!
「“シンテミス・ディアメノス”!!」
天が輝き、降り注ぐ大量の『楔』。剣のような杭のような、鎖のついた「封印の楔」が首都へ降り注ぎ、的確に怪物だけを捉えて地面へ、建物へ打ち付けていく。
漆黒の杭に所狭しと、白銀の文字で何かが描かれた、不可思議な楔。異形の怪物を何十体と瞬く間に「封じ込めた」魔法の使い手は、目を覚ましたディネイザだった。胸の前で組んでいた手をパッと解放し、ふっ! と強く一息吐いた。
「ディネイザ……!?」
「私の名前を知ってる」
ディネイザは冷静に、総司を見つめて言った。総司が言葉に詰まるが、ディネイザは別に、総司を今この場で問い詰めようとしているわけではなかった。散々な状態になっている首都にも視線を走らせ、一人で小さく頷いている。
「どうやら君が、私をあの島から連れて帰ってきた」
「申し訳ないんスけど、その辺は今一言二言で話せるような事情じゃなくて……!」
「良いよ。こんな状況じゃあ当たり前だ」
体の感触を確かめるように、バキバキと指やら手首やらの関節を鳴らしながら、ディネイザが言った。
「本調子ではないな。まあ、許容範囲だね」
ズン、と再び、強烈な魔力が迸る。
少しばかりやつれて見える程度には、ディネイザはあの島での遭難により体力を消耗していたはずだが、しかし。
彼女の「実力」からすると、現状を打破するぐらいのことは、多少やつれていたところで造作もないのかもしれない。
「あの島で餓死するのを待つばかりだったからね。どんな事情があろうと、連れ帰ってくれたのなら君は恩人だし……根無し草の私であっても、街がこんな目に遭ってるところへ居合わせてしまえば、流石に見て見ぬフリは出来ない。手を貸すよ。行こう」