深淵なるローグタリア 第六話④ 想定外の再会
真っ白な砂浜で、先に目を覚ました総司が、“次元酔い”の感覚に少しだけ気分の悪さを覚えながらも、未だ意識を取り戻さないシルヴィアを抱え、木々生い茂る陸地の方へと歩いていた。
雲一つなく晴れ渡る青空と、透き通る美しい海、白い砂浜が続く海岸線。高級リゾートの浜辺を独り占めしているかのような最高のシチュエーションだ――――異常な事態に巻き込まれてここへ来たのでなければ、総司ははしゃぎまわっていたかもしれない。
木陰に上着を敷き、寝息を立てるシルヴィアをそっと寝かせて、総司はふーっと息をつく。
自分自身が何に巻き込まれてしまったのか、一体何が起きたのか。思考の整理が追いつかず、全く事態を把握できていないが、ひとまずは総司もシルヴィアも生きていた。
服が濡れていないところを考えても、海に流されてここへ流れ着いたというわけではなさそうだ。
総司にとってあまり得意ではない“次元酔い”の感覚があったことからも、二人は何らかの“空間転移”の魔法によって現在の地点に飛ばされたと考えられる。
恐らくは「島」。だが当然、まだまだ全容は把握できていない。目に見える範囲では、ヒトの手が入っていない砂浜と穏やかな森とが広がっているだけ。
ただ、感覚的な部分で――――魔力の気配に敏感な総司にはわかる。
“海底神殿”をはじめとする各国の“聖域”と同等か、それ以上に濃密な女神の魔力を感じる。この島もまた神秘の中枢。“女神の領域”に近しい場所だ。しかもこれまで訪れた“聖域”よりも、その魔力が更に強烈に感じられる。
「やあ、目が覚めたようだね」
総司がバッと振り向いて、傍らに置いたリバース・オーダーを引っ掴んだ。
濃密な魔力の中で、他の気配が紛れてすぐに感じ取れなかった。
声を掛けてきたのは、露出の多い野性的な衣装を身に纏う長髪の女性。
健康的に焼けた肌と抜群のスタイルが刺激的な美女であり、鋭い目元にコバルトブルーのアイシャドーを施していることも相まって、総司の感想としては原始的な暮らしの残るどこかの部族の女性、というような印象を受ける。胸元と腰から下を隠す衣装は踊り子のようにも見えるが、はた目にもわかるほどよく鍛えられ引き締まった体つきが、彼女が「戦う者」であることを主張している。しかし少しばかり栄養が足りていないのか、どこかやつれているようにも見えた。
総司は最大限に警戒したが、女性のあまりによどみのない声の掛け方に違和感を覚えた。その違和感がきっかけとなり、やがて何かに気づいたように間の抜けた顔でじーっとその女性を凝視して――――
「初めまして。私はディネイザ。冒険家だ。この場所には秘境探索ということで――――えっ、なに?」
くすっと、思わず笑いを零してしまった。急に総司が笑い出したので、ディネイザなる女性は戸惑ったように言葉を切った。
「あぁ、いや……“擬態”はアニムソルスの特権かと思ってたよ。久しぶりだな、“ウェルス”」
ディネイザは目を見張り、しばらく硬直した。それから諦めたようにぽりぽりと頬を掻き、照れ臭そうに笑った。
「……下手だった?」
「アニムソルスにも言ったんだが、俺とお前らの魔力は質が似てるからな。この場所のせいで気づくのは遅れたが、集中すれば流石にわかるし……まあ、話の切り出し方が不自然だし」
「おかしいな、君のいつものやり取りを真似たつもりだったんだけど」
声を掛けて、すぐさま挨拶と自己紹介、それに自分の目的までスラスラと。
なるほどこれまでの総司の旅路と、総司が行ってきたこと――――初めて出会った傍からすぐ話を切り出そうとする相手に対し、自己紹介が先だと言って警戒を示してきた総司の癖のようなものを知っていて、彼女は――――否、かの神獣はその“習わし”のようなものを踏襲しようとした。しかしながら、よどみのなさ過ぎるその行為が逆に不自然極まりなかった。
ヒトとのコミュニケーションに慣れておらず、自然体というものがわからない。しかし、ヒトの心の機微を愛するアニムソルスよりもずっと、総司に対する親しみを感じさせる態度。
どこか倫理的な部分で相容れないところがあるアニムソルスよりも、総司との距離を近く感じさせるぐらいには、かの神獣は親しみやすく、ヒト基準で見ても好意的だった。
真実を司る獣・ウェルステリオス。ルディラントで邂逅し、一度は敵対したものの、最終的には総司を導いてくれた神獣の一角だ。
「ちょっと騙せるか試しただけで、騙しとおすつもりもなかったんだけどさ」
ウェルスはふふっと笑いながら言い訳した。
「こんなにあっさり見破られるとはね。難しいや」
そんな風に言いながらも、総司の指摘に少し訂正を加える。
「“擬態”ではないんだ。私も想定外だったよ。まさか丁度いい器がこんな場所にいてくれるなんてね。この体は“借り物”だし、さっき名乗った名前と身分は、この体のものなんだ」
「えっ……大丈夫かよそれ?」
和らいだ表情になっていた総司だったが、途端に険しい顔つきになった。
「お前らの器なんて誰でもなれるわけじゃないだろう。ジャンジットだってエルフの子に意識を移していたし、普通のヒトじゃあ――――おっ?」
ウェルスがすっと耳元を指で示す。
ティタニエラで見たエルフたちほど長くはないのだが、耳の先端が尖っている。
普通のヒト族ではない。エルフか、或いはそれに近しい亜人族だ。
「身分証みたいなものも持っていたし、ちゃんとした冒険家ってやつなんだと思うよ。詳しくはわからないけど……エルフの血が混じった子だ。影響はないと思う」
ミスティルもその母もそうだったが、ヒトがティタニエラに踏み入ることは過去千年に渡り例のないことであっても、その逆は全くないというわけではなかった。エルフたちのごくごく一部が、ティタニエラを抜け出して他国の地を踏んだ事例は多少は存在している。
その事例の一つ、ということだろうか。ウェルスの言う通り詳細は不明だが、耳の形からしても確かにヒト族ではないようだ。
「ディネイザ、だっけ? 何だってこんなところに……」
この島の詳細はまだわかっていないが、強烈な女神の魔力をびりびりと感じさせる“聖域”に近しい場所である。通常、訪れるような場所でないのは間違いない。
「それは全く。ただちょっと弱り始めていたようだね。意図してここへ来たわけではないのか、来たはいいものの帰れなくなったのか」
最初に彼女を見た時に、少しやつれて見えたのは気のせいではなかったようだ。
「まあ、それは私の用事が済んだら本人に聞けばいい。本当に――――久しぶりだね、ソウシ。また会えて嬉しい」
やはり“意思を愛でる獣”アニムソルスよりも、ウェルスの方がずっとヒトらしい所作をしていた。総司にすすっと近寄って、ディネイザなる女性の体で総司を優しく抱きしめる。
「お、おい、お前の体じゃないんだから」
「一度は君を傷つけてしまったこともそうだけど、何より……“あの日”、君に辛い選択をさせた。ずっと謝りたかった」
「……馬鹿言ってんじゃねえよ。お前には何の責任もないだろ」
総司は少しだけ、体の持ち主であるディネイザに気を遣いながら、髪を優しく撫でた。
「悲しい別れだった。でも、それ以上に最高の出会いだった。俺が自分で終わらせることを選んだ。そしてその選択に後悔はない。二度と謝るな。王に失礼だ」
「うん、うん」
そっと総司を離して、その頬に触れる。ディネイザの顔の良さもあるがそれ以上に、ウェルスの気持ちが伝わって、どこか神秘的に見えた。
「無事で良かった。もう少しだね」
「もう少し、か」
総司は苦笑して、
「お前がいてくれなかったら、もう少しだったのに盛大につまずいてしまったと絶望してただろうな。何が起こったのか全然わからなかったけど、多分助けてくれたんだろ。ありがとな」
「君を助けることは、自分を助けることと同じだ。礼は要らない」
すっと立ち上がり、ウェルスの表情がきっと険しくなる。
「リゼット、だったっけ、あの赤毛の女」
「ああ。アイツは何をしようとしたんだ?」
「強制転移だ」
総司にも聞き覚えのある言葉だ。大聖堂デミエル・ダリアの礼拝の間が有する能力と同じ。つまりは、総司をどこか遠くへ強制的に転移させ、ローグタリアという「盤上」から退場させようとした、と言ったところか。
しかし、それは総司からすれば無意味にも思える。
総司をローグタリアから排除して、例えば一番遠いレブレーベントへ送り込んだところで、時間稼ぎにしかならない。数日時間が稼げればそれでいい、とでも考えたのだろうか。どうにも理にかなっていないというのが正直な感想だ。
「俺をどこに飛ばそうとしてたのか、わかるか?」
総司の質問に、ウェルスが少し言いよどんだ。迷った末に、ハッキリと言う。
「君がかつて居た世界へだ」