深淵なるローグタリア 第六話① ”海底神殿”最下層を目指して
「カトレアの関係者と見ても良いんですよね」
「おっ」
単刀直入な問いに、リズは楽しそうな笑顔で応えた。
「駆け引きも何もナシってことかい」
「状況的にそう疑うしかありませんから」
総司はリズから目を離さずに言う。
「あなたがどれだけそれらしい言葉を並べたところで、俺はそういう目でしか見ない。なら言ってしまった方が互いに話が早いかと思いまして。あなたがそんなにわかりやすい反応をするとは思ってませんでしたけど」
「あたしも、キミがどう出るか楽しみにしてたところでね」
リズはクスクスと笑い、小さく頷く。
「ま、キミの言う通り、疑うなって方が無理があるし、実際どっちでもやることは変わらないもんね。あたしが白でも黒でも、キミはあたしと一緒に行くしかない。白ならキミの知らない“神殿”の情報を教えてもらえるかもしれないし、黒なら目を離すわけにはいかない。もっとも――――」
リズの目だけは、笑っていない。
「キミに“疑わしきを斬る”選択があるなら話は別だけどね。ないんだろう、キミには」
「ええ」
総司が即答した。
「現時点で、斬ると決めている相手は何人かいますが、あなたをその中に入れるかどうかはこれから判断することです」
「キミにとっての“敵”に与する者であってもかい?」
「はい」
力強く、即座に。リズはついに目元も笑わせて、パンパンと軽く手を叩いた。
「参った参った。わかったよ、腹割っていこうじゃないか。お見込みの通り、あたしはカトレアの協力者。ただココに来てキミらと合流したのは、別にあの子の命令じゃあない」
「……アイツも厄介なのを引き込んだもんだ」
「あたしにはあたしの、あの子にはあの子の目的がある。まあそこは良いじゃないか、重要なのは今だ」
「俺達は“レヴァンフォーゼル”が欲しい。カトレアが持っているものとは別の物が。ココにあると聞いてきましたが、ご存知ですか?」
「“あたしが持っているのかどうか”という意味の問いなら、持っていないね。そしてココにあるのかも知らない。ただ、『一段下』への行き方なら知ってるよ」
リズは笑顔のままだ。彼女にとってはこれこそが本題だった。
「キミが求めるものがもしもココにあるのだとすれば、『最下層』ということになるだろう」
「『最下層』……?」
カトレア曰く、“海底神殿”の全容は、その名の通り「海底」の砂の中に埋まっており、水中を移動する際に見ていた碁盤の目のように広がる石造りの建造物は「第一層」に過ぎないのだという。
総司の目的である“レヴァングレイス”の片割れがあるかどうかはともかくとして、“聖域”にとって重要なものがあるとすればそれは「最下層」だ。つまり、総司たちはこれからどんどん「下」を目指して動いていくことになる。
リズは総司にとっての敵陣営には違いないが、本人の自己申告通り「歴史の研究家」でもあるようだ。その部分に偽りはなく、リズは歴史の探求のため幾度となくこの“海底神殿”を訪れては、『一段下』よりも更に下の領域へは踏み込めずにいた。
「ココは歴史の研究家にとっては情報の宝庫でね」
リズは楽しそうに“海底神殿”の価値を語る。
「古くから機械文明を発展させてきた我が国も、元を辿ればココから零れ落ちた技術を使っているんだ。古来から存在する“海底神殿”の内部にふらっと現れた未知の機構、未知の技術をローグタリアの技術者が解き明かしてきた。矛盾してるよねぇ、ヒトが及びもつかない大昔の建造物の方が、リスティリア現世の遥か先を行く技術を内包しているんだ。あたしはその矛盾の秘密をどうしても確かめたい――――あたりは付けていても、確証が欲しい。だからキミらと接触した」
リズの意図を流石に測りかねた総司は、正直に聞いた。
「どういう意味です?」
「あたしでは『下』へ行けないが、その理由は、あたしが『招かれざる者』だからだ。けれどカトレアに聞いた限り、キミはまさに『相応しき者』。キミと共に行けば、あたしはまだ見ぬ『下層』へ行けるかもしれない。それが、カトレアに不利に働くとわかっていながら姿を晒し、キミらと共に行こうとする理由さ」
真意かどうか、確かめる術はない。だが、リズの目と口調は本気のそれだ。
どことなく、彼女の心の内がいくらかわかったような気がする。カトレアに与するのも、本質的には今の言葉に近しい狙いがあるから――――つまりは、リズが知りたい何らかの歴史、「過去にあった事の真相」に近づくため。
リズの行動理念は、カトレアとはまた違った厄介さが見え隠れしている。
「……あなたの目的に、“レヴァングレイス”の確保は含まれていないと」
「女神に誓ってね。信じる信じないは委ねるよ。『一段下』への行き方と天秤に掛けてくれ」
「……わかりました」
総司はふーっとため息をついて、言った。
「あなたは俺達を連れて『一段下』へ行く。期待に応えられるかはわからないけど、付いてくることであなたが見たことのない『さらに下』へ行けるかもしれない。そういう旅になるわけだ」
「正気?」
リズを睨みつけながら、シルヴィアが警告するように鋭い声を出した。
「ソウシが出来ないなら私がやろう。ここで殺すか、最低限動けないようにして捨て置くべきだよ」
「おぉ、怖いことを言う。麗しきシルヴィア・ネイサー、可憐さにそぐわない気迫だね」
目深に被ったフードの下で、シルヴィアの美しい双眸が敵意に燃えた。
「貴様……」
「何で知ってるのか、なんて野暮な問いはナシにしてくれ。あたしはしがない町医者でもあってね、それ故にちょっと素行の悪い連中も看てやることがある。キミがらみの荒事、耳にしたのは一度や二度じゃないよ」
シルヴィアとしては、そういう人生を送ってきた自覚もあるし、今更否定するものでもないが、総司にハッキリと聞かれたい話でもなかった。ばつが悪そうに総司から顔を背けるシルヴィアだったが、総司は腕を組んで憤然と言った。
「別にそれは今どうでもいい。話を戻します」
「……へえ、もしやと思ったけど」
リズが興味深そうに総司を見つめた。
「彼女の“瞳”、キミには作用していないのか。なるほど、カトレアの言う通り、ただのヒトとは一線を画すようだね」
「話を戻すと言いました。まずシルヴィア、お前の警戒はもっともだろうが」
総司は淡々と告げた。
「リズを殺す選択肢は、さっき言った通り俺にはない。甘いと思うならそれでもいいよ。ただ、この場は俺に従え。お前は皇帝陛下の命で、俺を“手伝う”立場のはずだ。そうだよな?」
「……了解だ、ご主人。けど下手な真似してきたらうっかり手が滑ることもある。それは構わないね」
「お前に任せるよ」
「怖いねぇ、別にキミらの命を取ろうとか、そんなことはつゆほども考えちゃいないよ。そもそも興味がないからね」
「わかっています。あなたが興味を持っているのは、俺に協力するにしても、カトレアに手を貸すにしても――――その先。あなたの見たいものが見れるかどうか、それだけでしょうから」
リズの笑みの真意は、やっぱりわからない。しかしひとまず、総司とシルヴィアは、カトレアの協力者であるリズと共に“海底神殿”を探索することとなった。
「――――で、何だってカトレアに協力なんてしてんだ」
「おや、急に乱暴じゃないか」
「敵対陣営だしな。礼を払うのも馬鹿らしくなってきた」
てくてくと隣を歩きながら、総司がぶっきらぼうに言った。
一応、年上と思って丁寧に接していたものの、総司にとっては憎い相手でもあるカトレアの協力者となれば、そろそろ馬鹿丁寧に話すのも疲れる頃合いだった。
「キミの言う通り、あたしが見たいものを見るためさ」
「だからそれを聞いてんだよ。あんたは“何が見たくて”カトレアに手を貸してる? アイツがこの国でやろうとしてることも知ってんだよな」
「あぁ、もちろん。そうだねぇ、あたしが見たいものは二つある」
リズは歩みを止めないまま、楽しそうに語る。
「一つは『歴史の真相』。そしてもう一つは『この世の果て』だ」
「……『この世の果て』ってのはつまり、女神の領域のことか」
「いいや、そうじゃないよ。言葉通りだ」
「……言葉通り」
総司はふとシルヴィアを見た。シルヴィアはリズを睨みつけることで忙しいらしいが、総司の眼差しを受けて首を振って「わからない」と示した。
「今のところ、カトレアの目的に協力すれば“どちらも見れそう”でね。だから手を貸してるってわけだ」
「カトレアの目的ってのは」
総司が鋭く言葉を挟んだ。
「“この国での”目的か? それとも“アイツの最終目標”か?」
「んー……ナイショ」
「……あんたが見たいものが、“俺に協力しても”見れる可能性は?」
「片方は見れるかもしれないし、知れるかもしれないね。でも、もう片方はまず間違いなく見れない」
「俺がカトレアの野望の全てを潰したら、どっちも見れずに終わるんじゃないのか」
「それは困るね」
敵対している陣営同士の会話とは思えないぐらいに軽妙で、リズも少しも警戒感がなかった。
総司が荒っぽい真似はしないという確信があるのか、それともそうなったところで別の良いと考えているのか。恐らくは後者だろう。
総司が甘さを捨ててリズを攻撃するというリスクを選び取ってでも、リズは『まだ見ぬ下層』へ進みたいという誘惑に従ったのだ。
総司としても、シルヴィアには偉そうに言ったものの、自分の判断については未だ迷っている部分も確かにある。
カトレアがローグタリアにおいてやろうとしていること、すなわち神獣王アゼムベルムの顕現――――もしも、リズが欠かせないファクターなのだとしたら、ここで潰しておくことは決してマイナスには働かないだろう。
だが、冷静に考えるにつけ、それはないと思わざるを得ない。
もしもリズがそこまで重要な人物だったのなら、リズがここに来るほどの自由を与えられているとは思えない。リズ本人も、「神獣王の顕現が自分の目的に不可欠」で、且つ「神獣王の顕現には自分自身が不可欠」なのだとしたら、こんなリスクのある行動には出ていないはずだ。
それでもリズはここで、ローグタリアにおける“オリジン”と“神獣王”を巡る舞台から排除した方が良いのではないか。その疑念はいつまでも尽きないが、しかし今もって事を起こす気配が欠片もないリズを後ろから斬れるかと言われれば、総司には出来ない。
「そう言えば、聞いた話じゃキミの連れは”リシア”という女の子だと聞いていたけど、今日は一緒じゃないのかい?」
「ここに入ってくる前にはぐれた。別の場所から入ってるはずだ、多分な」
「へえ、そいつは気がかりだね。どういう仕掛けに引っ掛かったんだろう。誰かと一緒に来たことはなかったからなぁ、初めて聞く現象だ。一つの入口につき人数制限でもあるのかね」
「まあ要らねえ心配だ。アイツはアイツで何とかする」
「へえ、信頼してるんだね」
「アイツは俺ほど甘くはないからな。合流した時アイツをどうやって口説くか考えといた方が良いぞ」
「そこはキミに任せたいところなんだけどね」
「――――ココだ」
リズがぴたっと立ち止まる。変わり映えのしない通路をてくてくと歩いた先の、何の変哲もない一角。総司は首を傾げるしかなかった。
「ココって言われても。何かあるか?」
きょろきょろ見回してみても、何か特別なものがあるわけではない。魔法の気配には鋭敏な総司だが、仕掛けの気配を感じることもない。
「“ない”んだよ。だからだ」
リズが小さな手荷物袋の中から何か取り出した。伸縮する金属の棒、警棒のようなものをピシッと伸ばして、通路の一角の床に当てようとした。
警棒がすいっと、あるはずの床を貫通する。総司が目を丸くした。
「……幻影か」
間違いなく「床が続いているだけ」にしか見えない。慎重にリズが示した床石に近づいて、すっと手を触れようとしてみると、総司の手も貫通する。魔法の気配も一切感じさせないまま、そこには「隠された通路」が存在していた。
しかも相当狭く小さい。20㎝四方の床石四つ分程度しかない。総司の体格でも潜り抜けられるものの、入ってしまえばほとんど身動きが取れなくなる。先がどうなっているのかがわからない。
「随分と地味な仕掛けだな……」
「そうだねぇ、“何を目的としているのか”がよくわからない仕掛けだ。床の石が“あるように見せかけている”ということは、隠す意図があるんだろうけど……でも、普通に歩いてれば通らない隅っこの方ではあるけど、可能性はないわけじゃない。半端だよね」
「そもそも頻繁にヒトが来る場所でもないし、この程度で十分と考えたんじゃねえのか」
「そりゃ“今”基準ならね。遠い昔のことだけど、千年ぐらい前はそれなりに来訪者もいた場所のはずだ。ここが正規の道筋だとすれば、この隠し方は理にかなってないね」
「……後付けされた仕掛け、とか」
「同意見だ」
リズがちょっと感心したように頷いた。
「最初からあった仕掛けじゃないと踏んでる。元々はこの小さな穴どころか、もっと大きなちゃんとした『下へ続く道』があったんじゃないかとね。それを、“必要な時に”下へ行けるよう改造した誰かがいる」
「あんたではなく、か?」
「キミがあたしをどこまで信じるかはともかく」
リズはくすっと笑いながら言った。
「これほどの歴史的価値を持つ建造物に手を加えるというのは、あたしの立場からすればあり得ないねぇ」
総司は試しに、幻影の床の向こうに顔を突っ込んでみた。シルヴィアが慌てて四つん這いになった総司の体を支えた。
「何も見えん……」
「ねえちょっとさ、そういうことするんなら一言言ってからにしてくんない?」
「この下がどうなってるかって話なら、毎回違うんだよね。それに、あたしもこの『一段下』にしか行ったことがない。ってことで、出来ればキミらに先に言ってほしいんだけど」
「ふざけるな」
シルヴィアが首を振りながら言う。
「どう考えても貴様が先。さっさと落ちて安全を確かめて来い」
「だって、それじゃあいつもと変わらないかもしれないじゃないか」
リズが不満げに言った。
「せっかくキミらという一風変わった要素を連れて来たんだから、いつもと違う反応を期待したいじゃない。ね、頼むよ」
「……一応、そういう取引だったしな」
「成立したとは言えないよ」
シルヴィアが厳しく言った。
「この穴が“本当に『一段下』に繋がっているか”証明できていないだろ。『一段下』に連れて行く代わりに『その更に下』にも行けるかも、ってのが取引だったはず――――いやそもそも、敵とわかってる女との取り決めを律儀に守る意味がわかんないけど」
「おいおーい、ここまで来てそりゃないよ」
リズが困ったように眉根を寄せる。
「そこはほら、信頼関係っていうか? あたしはキミらと敵対したいわけじゃないんだし」
「付いてる相手が既にソウシの敵なんでしょうが」
「カトレアの味方であって、ソウシくんの敵ってわけじゃない。そういう立場で頼むよ。ここまで怪しい動きもなかったろ?」
「そんな虫のいい話が――――」
「まあ確かに、だ」
総司がシルヴィアの肩を押さえて言った。
「“いつも通り”に『一段下』止まりだと、俺達も困るっちゃ困る。シルヴィアはリズを見張っておけ。俺が行ってくる」
「またそんな――――!」
「どのみち、俺達だって進むしかない。なに、ヤバかったら飛び上がってくるさ。じゃ、頼んだぞ」
「ちょっと!」
シルヴィアの制止も虚しく、総司はひょいっと穴に飛び込んでいった。
「……苦労するね、キミも」
「うるさい、気安く話しかけるな。ソウシが優しすぎるだけ、図に乗るな」
「いやいや、意外だなと思っただけさ」
リズがシルヴィアを見つめた。シルヴィアは強気に睨み返していた。
「キミの“双眸”が効力を持たない相手――――入れ込むのもわからんでもないが」
「黙れ」
「忘れない方が良いと思うけどね。たとえ“彼には”通じなかったところで――――キミの瞳の力は、必ず彼の人生をも狂わせることになるよ。彼の周りから始まって、ゆっくりと彼の世界を壊すことに――――」
シルヴィアの目がぎらりと光って、ひゅっと腕が振り上げられた。
「おーい、下は大丈夫だ!」
穴の奥底から総司の声が響いてきて、シルヴィアの手がぴたりと止まる。
「って言ってもこれ、『一段下』って次元じゃないと思うんだが! いつもこんなんだったのか!? リズ、とにかく降りて来い! あんたの意見を聞かせろ!」
「何だって!」
リズが嬉しそうに声を上げて、ざっと穴の縁に座って足を入れた。
「すぐに行くから、着地は任せるぞソウシくん!」
「ッ……! あーもう、どいつもこいつも!!」
子どものようにはしゃぎながら飛び降りていくリズを追いかけて、シルヴィアもすぐに穴に飛び込んだ。