深淵なるローグタリア 第五話⑤ 女神の騎士リシアへ問う
「少し強引な手段を取ってしまったわ。驚いたことでしょう。ごめんなさいね、リシア」
「お気になさらず。すぐにわかりましたので」
総司・シルヴィアの二人と引き離されたリシアは、彼らと違い“海底神殿”の真ん中あたりに吸い寄せられ、内部へと入った。
声を掛けてきた相手に対して、リシアは冷静に言葉を返す。
海中を不思議な力で移動している途中に、総司たちを捉えるものとは全く質の違う力の介入を受けたが、リシアはその時点で、「力」の主を察知していた。
濃密な魔力の最中にあっても明確に感じ取れた、女神の魔力。エメリフィムで遂に邂逅するに至った“女神レヴァンチェスカ”の力が自分を呼んでいることは、総司と引き離された時点で既に理解していた。
「ソウシが気付かなかったのは、女神さまのご采配でしょう。ご説明願えるのでしょうか。ソウシではなく、私を呼びたてられたことについて……」
“海底神殿”の中心部は、真四角の巨大な部屋であり、部屋の端から中心に掛けて巨大な段差が下って、中央には総司の元いた世界で言うところのピラミッドのような構造物があった。暗灰色の石で造られ、全体的に薄暗い。
リシアが到着したのは部屋の端、段々に下っていく巨大な階段の最上段であるが、ピラミッドの頂点よりは位置が低い。リシアはレヴァンチェスカと共に、ピラミッドの頂点を見上げるような格好で立っていた。
「ふふっ。あなたもあなたでやっぱり曲者ね。白々しいわ。わかってるくせに」
レヴァンチェスカがいたずらっぽく微笑む。リシアはちょっと目を見張った後、苦笑して軽く頭を下げた。
「女神さまをからかうつもりはありません。ただ……思い当たる理由はあるものの、私からそれを指摘するのは少々不敬かと」
レヴァンチェスカは微笑んだまま、目線でリシアに先を促す。答え合わせをするように、リシアは言葉を選びながら言った。
「エメリフィムにて一応――――あなた様とソウシの間にあるわだかまりは解けた、とは言え。ソウシはあなた様の答えに心の底から納得したわけではなかった。あなた様が直接伝えきれない“情報のさわりの部分”をまた、あなた様が今伝えられる部分だけでも伝えようと努力されるほど、冷静ではない話し合いになる可能性がある」
「言葉を選んでくれてありがとう。でもハッキリ言ってくれて良いのよ。そう、要はちょっと気まずいの」
レヴァンチェスカもまた苦笑し、困ったように眉をひそめながら言った。しかし言葉とは裏腹に、口調そのものはどこか嬉しそうだ。
自らが見初め呼び立てた女神の騎士の成長を、喜ぶように。レヴァンチェスカの表情は慈愛に満ちていた。
「それと、あなたともゆっくり話してみたかった。総司抜きで、女同士でね」
“女神”たるレヴァンチェスカとリシアに、同じ「女性」として語れるだけの共通の価値観があるかはさておき。
レヴァンチェスカがリシアと話してみたかったというのもまた本音だろう。これまでそういう機会はなかった。
レヴァンチェスカにとって総司は“リスティリアの意思ある生命”ではない特別な存在であり、リシアは普遍的なリスティリアの民。
リシアを特別視して話そうとすることは、“女神”として――――下界の生命にとっては良し悪しあるにせよ、常に平等であるレヴァンチェスカのスタンスを多少崩しているということになる。
「エメリフィムでは驚いたわ。希薄になっていた感情を思っていた以上に取り戻し、あれほど強くなっているなんて、はたから見ているだけではわからなかった……総司は私の想定をはるかに超えて、リスティリアへの愛に溢れた真なる救世主として大成しようとしている」
「……それほど、王ランセムとの出会いが強烈だったのです」
「導いたのはあなたよ。ルディラントへも、最後の国へも、あなたが手を引き遂に辿り着いた……リスティリアの代表として共に歩むあなたが、リスティリアの生命の価値を示し続けてきた。救世主が最後の試練に挑めるのは、リシア・アリンティアスがいたから。あなたもまた――――総司と同じ“我が騎士”と思っているわ。あなたが総司と共に歩んでくれることになって、本当に良かった」
「勿体ない御言葉です」
リシアが恐縮して目を伏せる。レヴァンチェスカはリシアに改めて向き合うと、真剣な表情で告げる。
「“我が騎士”リシア」
「ハッ」
「率直な意見を聞かせて。総司は――――スヴェン・ディージングを、斬れると思う?」
本題の一つ。レヴァンチェスカはリシアに対して、総司に告げたのではまた諍いになりそうな、ちょっとした情報を与えようとしていたが、それよりもずっと確かめたいことがあった。
総司の旅路のほとんど全てを把握しているレヴァンチェスカが唯一、完全には把握しきれず、確信を持てない部分。
すなわち、“最後の敵”スヴェン・ディージングと女神の騎士の関係性。その間にあるかつての親愛と信頼の程度。総司が彼に並々ならぬ憧憬の念を抱いていることは女神とて承知しているが、その度合いはいかほどのものか。
軽々に「斬る」選択に飛びつくことを強固に拒み続け、結果的に「何とかしてきた」救世主が、最後の最後でその選択に挑む時、絶対に「斬る」以外の選択肢が存在しない状況下で。
振るう刃に迷いが生じないと、言い切れるのかどうか。
エメリフィムの旅の最終盤で、“最後の敵”の解に至った二人。レヴァンチェスカは当然のように、二人の解答を把握していた。
導き出した答えを誤魔化す意味も、最早ないと判断している。リシアは眉をひそめてぎゅっと目を閉じ、思案する。
「……つまり、我らが辿り着いた“解”は間違っていないと、お認めになるのですね」
「ええ」
リシアにしては、愚鈍な問い。
わかり切ったことを確認せずにはいられないのは――――総司だけでなくリシアもまた、信じたくなかったからだ。既に確信に至っていようと、総司と同じように、それが間違っていてほしいと願った。
その淡い願いを、女神レヴァンチェスカは即座に、無情に切り捨てる。
「あなた達は見事辿り着いた。総司の最後の敵は“スヴェン・ディージング”。千年前、ロアダークを討ち滅ぼし、リスティリアを救ってくれた――――知られざる救世の英雄よ。そういう意味でも総司の先輩と言っていいわ」
エメリフィムにおいて確認した、総司とリシアの共通認識。女神のお墨付きもあれば疑いの余地もない。
リシアは聞かずにはいられなかった。
「女神さま、まず私の質問に答えてはいただけませんか」
「答えられるかはわからないけれど、質問を許しましょう。聞かせて」
「スヴェンの目的を教えてください。あの男が、女神さまを害するという凶行に走るその理由を」
「……あなた達は、その解にも辿り着いているはずだけれど」
レヴァンチェスカが慎重に言葉を選んで、リシアに疑念をぶつける。
「私が知りたいのは“その先”です」
総司とリシアが立てた仮説――――“最後の敵”は「殺した相手の能力を奪う権能」を有しているという情報から、その目的を「女神レヴァンチェスカの権能を奪い取ること」だと読んだ。
その狂った所業を達成しようとするのがスヴェン・ディージングであるのならば、リシアが知りたいのはまさに「そこ」だ。
スヴェンは女神レヴァンチェスカの権能を奪って、“何をするつもりなのか”。
「ごめんなさい、やはり答えられないわ。それに関しては私も推測だけどね、スヴェンは彼自身の願いを口にしたことはないから。彼の心の内の全てまでは知らないけれど……でも正直、これしかないという確信に近い答えを持っていて――――それを伝えてしまったら、総司はもう……」
「……いえ――――十分です」
レヴァンチェスカが目を細めた。
言い過ぎた、と悔やんでいるようにも見えるがしかし、実際のところは“レヴァンチェスカのせいではない”。
リシアはリシアで、彼女なりの回答を持っていたのだ。レヴァンチェスカの反応は、リシアに確信を与えるには十分だったが、それがなくとも既にリシアには見えていた。
“救世主の怨敵”が掲げる野望は何かという、彼と彼女の旅における最大の謎の答えが。
「……もし、“最後の時”に……ソウシとスヴェンが相対したとして」
レヴァンチェスカの問いに答えるべく、リシアも本音で語った。
「何かしらスヴェンが、ソウシの情に訴えるようなことを口にすれば……間違いなく、ソウシは戦えない。それがスヴェンの嘘であれ、ソウシを封じる方策であれ、振るう刃に必ず迷いが生じると断言できます」
レヴァンチェスカも同じく、きゅっと目を閉じて小さく頷く。
「そう、わかったわ。ありが――――」
「そして私の知るスヴェンであれば――――ソウシが憧れたスヴェン・ディージングならば、そんなことはしないでしょう」
レヴァンチェスカがぱっと目を開いて、リシアを見つめる。
「むしろあの男は、ソウシと本気で激突し、完璧な決着をつけることを望む。希望的観測かもしれませんが、私たちがルディラントで出会ったスヴェンは、そういう男だと思います。申し訳ありません、根拠のない信頼ですが……」
リシアは首を振りながら続けた。
「スヴェンはルディラントでも、私たちを導くように接していた。勝手な憶測でしょうが、今にして思えば、あれではまるで――――」
「あなた達に、自分を止めさせようとしているかのようだった?」
レヴァンチェスカが続く言葉を引き取った。リシアは頷きもせず、押し黙るのみだった。
「……そうね。私の知っているスヴェンも、そういう男よ」
レヴァンチェスカは寂しそうにそう言って、遠くへ、遠い過去へ想いを馳せるように視線を上げ、虚空を見つめる。
「“こちら”に来た時からずっとそう……傍目にはそう見えないのにね。ああ見えて、決めたことも生き方も、どうしても曲げられないヒト……曲げられないまま今に至るのならば、そうね……きっと、あなたの言う通りなのでしょう……」
しばらく、沈黙が広がる。
レヴァンチェスカは長い沈黙の後で、話題をパッと切り替えた。
「ありがとう。別の話をするわ」
「かしこまりました」
「“アゼムベルム”は既に覚醒している。カトレアが本気になれば、“暴れさせる”だけなら今すぐにでも可能な状態にあるわ。けれど、カトレアがアゼムベルムを制御したいと望むなら、最後の鍵がまだ足りていない」
「お待ちください」
リシアがすぐに話を遮った。
「アゼムベルムの“封印”――――この“海底神殿”の封印はどうなっているのです? ここが最後の砦という話では……」
「ええ、“完全な状態”ではないわ。けれど、カトレアの手に“レヴァングレイス”がある以上、不完全な状態であっても覚醒させることは可能よ。そしてその不完全な状態でも、アゼムベルムの力はリスティリアを滅ぼすに十分な規模……総司とあなたが力を合わせても、ハッキリ言って勝負にならないわ」
レヴァンチェスカは首を振って続ける。
「カトレアはアゼムベルムの制御を望んでいる。だからまだ、『目覚めさせる』のを躊躇っているけれど―――― “海底神殿”の破壊が叶わず、最後の鍵の確保も不可能とどこかで断じれば、きっとアゼムベルムを解き放つでしょう。彼女も彼女で哀れな身の上……それが何を齎すのか、想像することしか出来ないから……」
「……カトレアはスヴェンの関係者なのですか?」
「カトレアの系譜はルディラントとサリアに縁があるというのは話した通りよ。私も全てを知っているわけではないけれど、スヴェンは限定的だけど、下界に干渉している節があった……どこかで、何かを吹き込んだのかもしれないわね。確かなことが言えなくてごめんなさい。まあ、あなたなら断片的な情報に踊らされることなく、きちんと答えを得られるでしょうけどね」
リシアは恐縮しつつも質問を続けた。
「“最後の鍵”とはつまり、“レヴァングレイス”の片割れのことですか」
「ええ」
「それは今どこに? この“海底神殿”にあるという話で我々は――――」
キィン、と不愉快な音が響き渡って、リシアの体がぐらついた。
耳障りで、脳を揺らされるような不愉快な金属音。レヴァンチェスカの干渉が限界を迎えたことを告げる「タイムリミット」の音だ。
「――――間ね」
レヴァンチェスカの声が途切れた。恐らくは「時間ね」と静かに告げたのだろうが、既にリシアの耳に、レヴァンチェスカの声の全てが届く状態ではなくなっていた。
「これからも――――をよろしくね、リシ――――」
レヴァンチェスカの声がブツン、と途切れ、その姿が掻き消える。
リシアはきゅっと唇を結んで、しばらく悔しそうに膝をついて項垂れていたが、すぐに思考を切り替えた。