深淵なるローグタリア 第五話④ 町医者兼歴史研究家
「……俺達は灯台の中に入った……はずだよな?」
「うん。間違いないよ」
「あーでも、俺そういや灯台って遠目に見たことはあったけど、中に入るのなんて人生初めてだ。そうか、灯台の中ってのはこうなってんのかァ」
「ううん、そんなことないよ。気をしっかり持って」
現実逃避しかけた総司の背を、シルヴィアが冷静な表情のままポンポンと叩いた。
寂しげに佇む何の変哲もない灯台の中は、暗灰色の石と金属で構築された巨大な四角い通路になっていた。
まっすぐと見える範囲では出口が見えない。時折不規則に意味不明に、石や金属がガチャン、ガチャンと稼働して、何か機械的な働きをしているらしいのだが、その働きの結果も目に見える範囲にはなかった。当然、空に向かってまっすぐ伸びていた灯台の入口を開けた先に、このような通路があるなどということは、物理的にあり得ない。何か魔法的な作用が働いていることは間違いない。
魔法の痕跡があるかもしれないから気を張っておくようにと、リシアから注意喚起を受けた総司が、全く気づけなかった魔法的な作用が働いた結果、総司たちは不可思議な通路に放り出されているのである。
そもそも、灯台の扉を開けた先にこのような光景が広がっていたら、普通は扉を開けたまま中に入らずに動きを止めてしまう。そうならなかったのは、総司が先頭を歩きリシアがしんがりを行く三人が全員扉の中に入り込んでしまうまで、物置のような寂れた光景しかなかったからだ。
入った途端に見える景色は様変わりして、振り向いてみれば扉は既に消え失せた後。暗灰色の壁がズン、と退路を断つのみだ。
しかも四角い通路は、ただ延々と続いているだけではない。細部で何事か動いているのももちろんだが、何よりも床が姿を変え続けているのが難点だ。
急に穴が開いて下に落とされる、なんてことも十分考えられる。こういう時の最適解は――――
「リシア」
「“ジラルディウス・ゼファルス”」
罠がありそうなら飛び越えてしまえば良い。光機の天翼を背に負ったリシアが、総司とシルヴィアの体にさっと手を回した。総司もシルヴィアもある程度の跳躍は出来るが、空中での動きが自由自在というわけではない。不測の事態にも対応できるようにするには、リシアに飛んでもらうのが一番だ。
「ッ……これは……」
シルヴィアは翼を携えたリシアの姿を一度見ているはずだったが、あの時はまだ敵対した状態で、しかも押さえつけられていた。見ただけで、観察が出来たわけではなかった。
改めてリシアの姿を観察し、その力の脈動を間近に感じて、シルヴィアが驚愕に目を見張る。
「……凄い。そっか、“あの”女神に愛されてるのは、ソウシだけじゃないんだね」
「ほう」
リシアがぴくり、と目ざとく反応した。
「興味深い物言いをする……まるで既知の仲――――会ったことがあるかのようだ」
「別に。言葉の綾だよ、気にしないで」
シルヴィアがふっと小さく笑って、リシアにがしっとしがみついた。
「よろしくっ」
「……まあいい。行くぞ!」
「頼んだ!」
“ジラルディウス”発動中のリシアは、自在な飛翔という特権も強力だが、本人の能力も大幅に向上する。二人を抱えても苦もなく飛翔して、ギュン、と一気に暗灰色の通路を突っ切る。
だが、しばらく飛んでも一向に通路の終わりが見えて来ない。当然、リシア一人の時に比べれば飛行速度は遅いが、それでも相当なスピードのはずだ。しばらく飛んで、首都ディクレトリアを端から端まで突っ切れるぐらいの距離は飛んだ頃合いになっても、見える景色が全く変わらなかった。
リシアはもう少し飛んでから見切りをつけて、がちゃがちゃと動き続ける床を見極めて、動きの少ない位置でスタッと着地し、二人を下ろす。
リシアとしては既に予想がついていたことではあるが、ふと後ろを振り向いた。
相当な距離、通路を突っ切ってきたはずなのに――――灯台の扉の代わりに出現した壁が、三人の背後五メートル程度のところに変わらず存在している。これまで飛んできた通路全てが、なかったことになっている。
リシアの視線が総司へ向けられた。総司は肩を竦めて首を振る。
わかりやすい魔法の気配はどうやらないらしい。とは言え何らかの、古から続く魔法の仕掛けには違いないだろうが、どこかで何かが発動してこういう状況になっているわけではなく、空間そのものの特性なのだろう。
リシアは仕方なさそうに小さく頷いた。
「どうやら楽はさせてもらえないようだ。罠に気を付けながら、踏破するほかない」
「だと良いけどな」
総司が困ったように眉をひそめた。
「“飛んで突っ切るのが違反行為”であって、“歩いて行くのが正解”だったならまだいい。キツイのは“問題はそこじゃない”って展開だ。飛ぼうが歩こうがこの通路には終わりがない、なんてことになればお手上げだぜ」
「最後の手段だが、その時はお前の左目に頼る」
リシアが総司の言葉に即座に答えを返した。
「現状、何もわかっていない状況で、強烈過ぎる効力を持つお前の左目の力に頼るのは憚られる。何が起きるかわかったものではないからな。だが、最後の最後、もうどうしようもないとなれば試してみよう。最終手段があるだけ幸運だった」
「なるほど。わかった、とりあえず行ってみるか!」
総司たち三人は、ひとまず床を歩いて通路の先を目指すことにした。
「ソウシの左目に頼るってのは、どういう意味?」
ガチャン、ガチャンと動いて、時折消えたりする床をひょいひょいと跳ねて先へ行きながら、シルヴィアが聞く。
「俺の左目には“魔法を無力化する魔法”が宿っていてな。ほとんどの魔法を消し去ることが出来るんだ」
「えっ……それかなり凄くない……? 無敵だろそんなの」
「ただこの力は本当の意味で“問答無用”なんだよ。範囲もそこまで繊細に制御できない。敵味方問わず、消しちゃいけない魔法も関係なく、全部消すんだ。この場でそれが最善なのかどうか、今はまだ判断がつかない。だから最終手段なわけだ」
シルヴィアは納得したように頷いた。
「そんな大層な魔法が使えるのに、ソウシには飛べる魔法はないんだ?」
「ねえな。俺はある程度なら空中を蹴って動けるけど、ここはそれやるにはちょっと狭い。空はリシアの領分だ」
「へえ……うん?」
常識外の回答が来て、シルヴィアが首を傾げたが、それ以上は追及しなかった。
総司の悪い予感は当たってしまった。“踏破する”ことも、どうやら正解ではない。リシアが飛行した距離と同じぐらいは進んだはずなのだが、やはり景色は変わらないし、少し落ち着いたタイミングで後ろを振り向いてみればやっぱり壁がある。これでは体力はもとより精神がやられてしまう。
「……ふむ」
リシアが足を止めて、何かを悟ったようにじっと床を見据える。
ガチャガチャと形を変え続ける床には時折穴が開いて、その先は真っ暗闇で何も見えない。リシアの視線はそこに固定されて、十秒ほど動かなかった。
「どうするよ……それなりに時間も経ってるし、いつまでもここでぶらついてるわけにもいかねえ。やっぱ使うか?」
総司の左目に、じわりと時計の文字盤のような紋様が浮かび上がった。だが、リシアはパッと手を挙げてそれを止めた。
「そう言えば私たちは、『横』へ進みたいのではなく、本来『下』に行きたいのだったな。目的地は“海底神殿”なのだから」
「……そういうことか。なら行ってみるか。危ない気もするがそれしかねえもんな」
「ここはヴィクターが示した“海底神殿”への入口だ。即座に命を落とすような仕掛けがあるとは考えにくい。ルディラントで見た通り、かつては女神さまに会いに行くための場所だったはずだ」
「“聖域”の仕掛けもそうだが、カトレアが先回りしてバカやってないと良いがな」
「並大抵の仕掛けでは、私とシルヴィアはともかくお前には通じまい。考えたくはないが、お前さえ無事なら最悪の最悪は免れる。このままここで一生歩き詰めというわけにもいかないしな、やってみる価値はある」
「……わかった。決まりだ、お前に従う」
「……危うい気もするけど」
シルヴィアが考えながら静かに言った。
「今度こそ私を先に行かせて。多分、こういう時のための私だ。別に何かあったって恨んだりしない」
「ダメだ」
「どこまでも甘すぎるよ。大丈夫なのそんなことで」
「っていうかお前を先に行かせる意味がねえよ」
総司が笑いながら言った。
「さっきまでの話の通り、この通路を飛んで行ってもダメ、歩いてもダメで、試せる手段としちゃあもう穴に飛び込むしかないわけだ。要は“この穴の先に何があろうと”俺達にはこうするしかない。様子見なんてするだけ無駄だ、どうせここに飛び込むしかないんだから」
「……そうかもしれないけどね」
「そんじゃまあ――――行くぞ!」
総司がヒュッと飛び降りて、リシアも迷わずその後に続く。シルヴィアもすぐに二人を追いかけて穴に飛び込んだ。
リシアの想定は、三人の身にすぐさま危険が及ばない、という意味では当たっていたのだが、しかし穴の先に何も仕掛けがないわけではなかった。
真っ暗な穴に落ちてすぐ、三人は海の中をすーっと軽やかに沈んでいくという不思議な体験をした。
間違いなく水中で、息も出来ない状況なのに苦しくはなかったが、本来なら浮力が働いてどうあがいても水面に浮かんでいってしまうはずなのに、体はどんどん落ちていく。
ざあっと色とりどりの魚の大群が目の前を通り過ぎたり、サメともイルカともつかぬ牙を持つ巨大な魚が落ちゆく三人の頭上を優雅に横切ったりと、なかなか楽しい光景を眺めながら、総司は自分の体が何か不思議な力で沈むがままに身を任せていたが――――
海底というほどでもない、まだ日光の届く深さで、海の底を這うように広がる巨大な石造りの建造物が見えてきたあたりで事態は起きる。
何故かリシアだけがすうーっと総司たち二人から離れ始め、碁盤の目のように広がる石造りの建造物の、全く別の位置に到着しようと動き始めたのだ。
総司は慌ててリシアの方へ手を伸ばしたが、気付いた時にはもう手の届かない位置にまで離れてしまっていた。
リシアは冷静で、総司に「大丈夫だ」と手を軽く振って合図し、総司と同じように体が動くままに任せた。総司は一時焦りこそしたものの、無意味な抵抗と悟って動きを止める。リシアであればそうそう大事には至らない――――むしろシルヴィアがはぐれなかったことを幸運と思うことにした。
海底にそびえる“神殿”の全容は、ゆっくりと海を落ちていく総司には把握できなかった。それほどに巨大で、海の底に無限に広がっていくようにすら見える巨大さだった。
碁盤の目のように巡る石造りの建造物――――それは恐らく、先ほどまでいた四角い空間と同じ「通路」だ。“海底神殿”そのものは海の中で全てがむき出しになっているのではなくて、内部でヒトが過ごせるように囲われているのだろう。
千年どころか悠久の時を海の底で過ごしてきたであろう建造物である。通常なら内部に空間を作っておいたところでとっくにどこか綻んで水が入り込み、全て海水で満たされているだろうが、そこはリスティリアの神秘の神殿だ。恐らくは何の問題もなく、内部には空間が広がっていて、ヒトが過ごせるだけの酸素と、“聖域”特有の魔力が満ちているのだろう。
やがて総司とシルヴィアが神殿の上部に辿り着くと、白く輝く魔法の陣が浮かび上がって、二人は石をすり抜けた。
体を動かしていた不思議な力もふっと消えて、二人は重力に引かれて石造りの床にスタッと着地する。
内部構造は、先ほどまでいた通路と非常によく似ているが、比べ物にならないぐらい通路そのものが巨大だ。しかも今度はただひたすらまっすぐ続いているわけではなくて、上から見た通り碁盤の目のようになっているから、横にも通路が伸びている。
“聖域”らしく女神レヴァンチェスカの魔力に溢れた空間――――だが、総司は“海底神殿”の様相に感想を抱くだけのゆとりがなかった。隣に立つシルヴィアも、呆気に取られてぽかんとしていた。
「――――これはびっくり。男女で逢引きするような場所でもないと思うんだけど……迷子かい、お二人さん?」
まさかそんな存在がいるかもしれないなんて、全く想定していなかったのだが、“海底神殿”には先客がいたのである。
よれた白衣のようなマントを羽織り、手提げ袋一つの軽装で“海底神殿”の通路の壁の前に佇む、すらりとスタイルの良い女性がそこにいた。頭の後ろで縛ったツンツンとした赤い髪が特徴的な、けだるげな美女が。
「いえ、迷子ではありませんが……失礼ながら、ここで何をされてるんです?」
総司は動揺を隠しきれないまま、しかし努めて冷静に問いかけた。いつでも剣に手を伸ばせるよう、最大限に警戒しながら。
女性は薄い笑みを浮かべて、ひょいと白いタバコのようなものを取り出して口にくわえながら、特に警戒心を感じさせない声色で事も無げに答えた。
「あたしは町医者兼歴史研究家ってやつでね。最近この場所のことを知って、いてもたってもいられず来てしまった。リスティリアの歴史を紐解くのに、ココほど有用な場所はない。キミらもココに来たからには知っているはずだ。そうだろう?」
「……ソウシ・イチノセと言います。そちらは?」
「おっと」
口にくわえたタバコのようなものに、女性が指先に魔法の炎を灯して火をつけた。タバコの煙とは違う、薬草をいぶしたようなほのかに安らぐ香りが漂った。
「参ったね。年長者のあたしの方が礼を欠いてしまった。無礼をお許しよ、ソウシ少年」
ふーっと煙を吐いて、女性が総司の挨拶に言葉を返す。
「あたしはリズ。さっき言った通り、ココには歴史研究家として来ている。まあ一応怪しい者じゃないと言っておくよ。信じる信じないは、キミらに任せるけどね」