深淵なるローグタリア 第五話② 一対の“オリジン”
その後も、ヴィクターの質問は「正体が露見した諜報員」に対する型通りのもので、シルヴィアの返答もよどみがなかった。既にアンジュが事前に聞き出していた話が大部分であり、リシアの言う通り、この場においては「事実のすり合わせ」以上の意味を持つものでもない。
話を聞くにつけ、シルヴィアがいかにその日暮らしで今まで過ごしてきたかが推し量れた。シルヴィアの話にはよどみがない――――どころか、よどみがなさ過ぎるぐらいだった。それは彼女があらかじめ用意していた嘘を話しているから、というわけではないらしい。
シルヴィアと同じくカトレアに金で雇われているディオウには、決して総司と相容れない部分があるにせよ、雇われなりの矜持があった。金を積まれて寝返れば、以降の仕事がなくなってしまう。そんな簡単で、しかしもっともな矜持によって、ディオウは総司とリシアに対して寝返るようなそぶりすら見せなかった。
シルヴィアは違う。ヴィクターに質問されればすぐに、自分が知っている限りのことはポンポンと口にする。そうしておいた方がこの場では間違いなく自分の利益になるという確信があり、それ故に迷いがない。
総司に制圧された瞬間に、総司の甘さに付け込もうとした時もそう――――従順である限り、ヴィクターは決してシルヴィアに危害を加えないだろうと。幼馴染故かはともかく、ヴィクターの寛容な、ある意味では甘い気質を見透かしている。そういう嗅覚に優れているのだろう。
本能的に「今誰についておくべきか」をかぎ分けるその嗅覚は、今日まで幼い身で、一人でも生き延びてきた彼女の強さでもあり、同時に、孤独でいるしかいない状況に拍車をかける「信用のおけなさ」の具現化でもある。
「――――ほう、まだ他に協力者がいるとな」
カトレアには、まだローグタリアのおける協力者がいる。その話の段になり、ヴィクターが腕を組んで少しだけ黙った。
「顔も名前も知らない。そうでしたね」
アンジュが確かめるように言うと、シルヴィアはすぐに頷いた。
「カトレアから話に聞いただけで、私も会ったことはないから。だからほとんど知らないけど……」
「……けど、何だ?」
「多分恐ろしく頭が良い。いや、どうだろう……頭が良いというよりは……全部、わかってる感じというか……うまく言えないけど……」
じっと聞き役に徹していた総司が、シルヴィアの言葉の微妙なニュアンスをくみ取って、視線をふっとリシアに移す。
シルヴィアが言いよどんだ部分を的確に言葉で表す術は、総司も持たない。だが、恐らく。最も近しい表現をするとすれば、“リシアと似た才覚の持ち主”。
単に「頭が良い」とした表現に訂正を加えたのは、そういう言葉で言い表しにくい何かがあるからではないか。リシアにもそのような才覚が間違いなく備わっている。単に聡明である、賢い、というよりももっと実践的な――――
「男か女かもわからんのか?」
「ヒトかどうかすらわからない」
「うぅむ」
シルヴィアの返答はまさに「知らない」者のそれとして完璧だった。
「ではもう一つ。カトレアは“オリジン”を手に入れたことで満足しておったか?」
「……随分と抽象的な言い方だけど」
シルヴィアが面倒そうにふうと息をつきつつも、軽く頷いた。
「多分そうなんじゃない? 少なくとも、ソウシが首都に入ったって聞いた時、即座に逃げようとしていた時点で、一応ここでのやるべきことは最低限やったっていう判断はしたんでしょ。多分だよ、多分」
「……ハッ! うむ、よかろう! 尋問はここまでだ!」
これ以上の追及は無意味と判断したか、ヴィクターは快活に締めくくった。このあたりの潔さはマーシャリアからずっと流石とも言うべき見事なもので、ヴィクターの号令で総司の思考もスパッと切り替わった。
「シルヴィアよ、本来であれば貴様は王都における暴力行為の実行犯であり、国家に敵対しようとする咎人の協力者でもあるということで、それなりに重い罪に問われてしかるべきだ。わかるな?」
「異論はない。後者は知らなかったけど。そこまで大袈裟なことをやろうとしてるんだね、カトレアは」
「ハッハー、実はそうなのだ。死罪が妥当とまでは言わんが、貴様には数日と言わず数年単位で牢に入っていてもらわねば示しもつかん。アンジュのためにもな」
アンジュは厳しい顔つきのまま、眉をひそめて事の成り行きを見守っている。
アンジュからシルヴィアに対しては――――努めてそう見えないように振る舞っているからこそ、気にしているのがよくわかるのだが、その逆は微塵もない。シルヴィアは、アンジュに対して「姉」に接するそれらしい態度を、これまで一切見せていない。
「しかしながら、だ! 貴様には得難い才能があり、尚且つこれから先にうってつけの役目も控えておる。貴様を牢に入れておくことと、貴様に仕事を与え達成させること、天秤に掛ければ利が大きいのは後者と見ておる。さあ、意思確認だ。乗るか?」
「仕事次第だよ。流石に中身を聞かずに頷けはしない。懲役食らってた方がマシな仕事かもしれないしね」
「うむ、道理だ。ただし考える時間はさほど与えんぞ。受けるかどうかこの場で即時判断せよ。では申し付ける。ソウシ・リシア両名と共に“海底神殿”へ赴き、そこに眠る国の秘宝“オリジン”を確保せよ。報酬は此度の罪状の取り消し! どうだ?」
「待った待った!」
それまでずっと黙って話を聞いていた総司が、慌てて立ち上がりながらストップをかけた。
「何だ急に」
「”オリジン“の確保って……”レヴァングレイス“はカトレアの手に渡ってしまってるんだぞ? カトレアがその、”海底神殿“ってところにいるっていうヴィクターの読みか? そういう話か?」
「いいや。言っていなかったな、そういえば」
ヴィクターはふっと笑って、事も無げに、とても大事なことを言った。
「我がローグタリアの秘宝“レヴァングレイス”は二つで一つ、『一対の“オリジン”』なのだ。カトレアが手にしたものは片割れに過ぎん。そしてこれは推測だが、カトレアはそのことを知らんと見た! それがこちらの強みだ!」
「見立てが甘いと思わねえか?」
「というよりは、らしくないと思ったな」
カトレアのこと、これからのこと。
詳細を話すのは、ヴィクターの「明日だ! 疲れた!」という鶴の一声により、明日の朝とすることになった。シルヴィアが”海底神殿”への同行を受け入れた時点で、今日の話は一区切りとなったのだ。
そもそもヴィクターはもちろん、総司とリシアは更に動きづめだった。マーシャリアから帰還したのち、勢いそのままシルーセンへ乗り込んで激闘を制して、その足でカトレアを捕まえようとすらして、疲労感がなかったわけでもない。
リシアはともかく総司は、いい加減頭の回転も良い具合に鈍ってきた頃だった。ヴィクターがそれすら察して、諸々の勝利の宴も歓迎の宴も先延ばしにして部屋で休むよう取り計らってくれたのはありがたいことだった。
『歯車の檻』の構造は複雑怪奇で、基本的に上層へも下層へも、あのゆっくりとしたエレベーターなくして移動は出来ない。同一フロア内もがちゃがちゃと歯車やら用途不明の機械仕掛けの構造が壁に天井にとひしめき合っていて、まるで巨大な迷路のようだ。アンジュによれば、全体像を把握しどのフロアでも少しも迷わないのは、ヴィクターとせいぜいもう一人、ヴィクターが“ばあや”と称した『歯車の檻』最古参の忠臣ぐらいだという。
アンジュに案内されて通された一室は、そんな騒がしい光景からはかけ離れた、とても静かな、『果てのない海』を望むことのできる、さながらホテルの一等客室のような部屋だった。他国の要人が来た時に宿泊する部屋としても使う客室だとのことで、肩書としては一国の騎士と騎士団長に過ぎない――――要は武官に過ぎない総司とリシアの身分からすれば随分なVIP待遇だ。
「”オリジン”が一対――――二つあるってのはまあ……多少びっくりしたとはいえ、それがあり得ないなんて言い切れるわけもなし。それはそれで良いとしてだ。だからって、それを『カトレアは知らないはず』とまで言い切るのは、どうなんだ?」
「シルヴィアの反応からそう読んだにしても、確証が持てるはずもないだろうにな」
二つで一対を成す、カトレアに奪われたものの他にもう一つあるという、“レヴァングレイス”について。
シルヴィアの証言一つで「カトレアが“レヴァングレイス”を一つ確保しただけで満足したようだ」と決定づけるのは危険に過ぎる。ヴィクターがそのリスクを認識していないはずがないし、ここで楽観に走る男でもないというのは、二人とも良く知っている。
「ヴィクターは少なくとも、俺なんかよりずっと思慮の深い男だ……何事も割と即断即決で、だからって決して短絡的じゃあない。そういう男のはずだ」
「ああ。何らかの意図があるのだろうが、今更私たちに何か隠すというのはどうも違和感がある。私としては――――」
リシアの目がすうっと鋭くなって、ベッドに腰かける総司の横顔を見据えた。
「お前が“後で話す”と言った考えと、何かしら関係性があるように思えてならない」
「……やっぱ気付いたか。もう俺じゃあお前を騙すのは無理っぽいな」
「当然だ。長い付き合いだしな。私に嘘を突き通すつもりがないこともわかっている」
リシアは苦笑し、窓際から総司の隣に移動して、自分もそっと腰かけた。
「あの場で咄嗟にごまかしただけだろう。もっともらしい言い訳を添えていたが不自然に過ぎる。ヴィクターやシルヴィアの前で話したくなかった“何か”がある。聞かせてくれ」
総司は頷いて、特にもったいぶることもなくすぐに言った。
「シルヴィアと初めて会ったあの瞬間、俺は間違いなくシルヴィアから“オリジン”の気配を感じたんだ」
「ッ……“レヴァングレイス”のか……!」
「いや、恐らく違う――――違うっていうか、その……『もう一つ』の方、だと思う。確証はないが」
「何?」
「カトレアが俺から逃げるために使ったものが“レヴァングレイス”だとするなら、シルヴィアから感じた“オリジン”の気配は別物だ」
「……なるほど。“レヴァングレイス”違いというわけだ」
「っつーかややこしいなオイ。どっちも“レヴァングレイス”だもんな。よし、カトレアに奪われた方の“レヴァングレイス”を仮に“レヴァングレイスA”とするぞ」
「エー?」
リシアがきょとんとして聞き返した。
「で、ヴィクターが『“海底神殿”に封印されている』とした方を“レヴァングレイスB”だ」
「何だというんだエーだとかビーだとか」
「記号だと思ってくれりゃいい。俺がわかりやすいように呼んでる。リシアは頭良いんだから俺に合わせてくれよ」
「また変な理屈を……まあいい、わかった」
リシアが呆れたように笑う。
「ではその“B”の方と思しき魔力を、お前はシルヴィアから感じ取った」
「ああ。けど、傍にいる時ずっとビリビリ気配がするってわけじゃあなかった。多分、俺はシルヴィアの“目”を見てそれを直感したんだ」
「シルヴィアの魅惑の双眸は、異性に働きかける『魔法』の要素が間違いなくある。それ故に解除も可能だ――――なるほど、つまり……」
「シルヴィアの目の力は、“レヴァングレイスB”によって齎されたものかもしれない」
「だとすれば、我々にシルヴィアを同行させようとするヴィクターの狙いはそこにあるのかもしれんな」
リシアが腕を組んで頷く。
「ヴィクターはシルヴィアの目の秘密を何か掴んでいるのかもしれん。それに“B”が関わっていることも知っている……それを私たちに話さない理由までは、わからないが」
「ヴィクターはまだ俺達のことを信頼しきっていない、とか」
「……さて、ヴィクターは、と言うべきか、それとも……互いにと、言い換えるべきか」
リシアが何か言葉を続けようとしたところで、部屋の呼び鈴が鳴った。
微妙な反響を伴うアンジュの声が、二人の元へと届けられる。
『お食事の準備が整いました。ご案内します』
『歯車の檻』の食堂は、ヴィクターが人払いを済ませておいてくれたのか、総司たちの他には誰もいなかった。
キッチンではガチャガチャとせわしなく鍋が動き回っていて、その中心に鎮座する背の低い老婆が忙しそうに調理を行っている。
とても背の低い、リック族と言われても納得するぐらいに小さなおばあさんだったが、動きは活発そのものだ。柔和な顔は、優しい老人特有の可愛らしさがあり、せわしなく手を動かす様はマスコット的なユニークさがある。
「紹介します。我らの厨房の主にして、『歯車の檻』で唯一の魔法医術者でもある忠臣、“ばあや”です。ばあや、こちらが陛下の仰っていた――――」
「はいはい、話に聞いてるよぉ」
ばあやはニコニコと笑いながら、総司とリシアをちょいちょいと手招きした。
「疲れてるそうだねお若いの。ほら、力の漲るものをたくさん作ったからね! たんとお食べ」
甲高い声は見た目によく合っていて、遥か年上に抱くにはちょっと不敬なぐらいの可愛らしさを覚える。リシアはぺこっと一礼して、ばあやが並々注ぐおかずの数々を受け取った。
「お世話になります」
総司が言うと、ばあやは目を丸くして面白そうに笑った。
「あらあら良いんだよぉ、畏まるんじゃないよ! あんた、ここ何年いないよ、あたしにそんな丁寧なヤツは! 面白い子だね、ほらお食べ!」
「そんなこともないと思うのですけど」
アンジュが苦笑すると、ばあやは相変わらずニコニコしたまま、
「あんたのそれは丁寧っちゅーより、心を許してないアレだからねぇ。寂しいよぉばあやは」
「そういうわけでもないのですけど! この話何度目ですか! 私はこれが普通なのです、ばあや」
「あらそうかい? そうだったかいねぇ……まあいいや、あんたもお食べ!」
「あ、いえ、私は――――」
「ほら!」
「……はい、いただきます」
『歯車の檻』最古参の忠臣、という話である。どうやらアンジュも頭が上がらないようで、勧められるまま食事を受け取り、ついでということで総司たちと共に食事を摂ることになった。
「おばあさんもどうッスか、一緒に」
「あたしかい? あたしゃ後片付けがあるもんでね! 何だい、話だけなら聞けるよ、ただし食べてからだよ! お行儀が悪いからね!」
総司の意図を見透かしたか、ばあやがスパッと笑顔で言い切った。
総司は仕方なさそうに笑って、リシアやアンジュと共に食事にとりかかった。ローグタリアの家庭料理が中心とのことだったが、非常においしく、スタミナのつく料理だった。
一通り平らげて、いつの間にやら机に並べられていた、レモンティーのような味のする冷たい飲み物を飲みながら、総司が改めて声を掛けた。
「シルヴィアの目の魔法……魔法だか何だかわからないけど。アレを解けるんスよね」
「おぉ、“魅惑”の呪いのアレかい? そうさね、あたしが解いてやった。カーライルのバカタレめ、隊長級がホイホイ呪いに引っ掛かってたんじゃあ世話ないね!」
ちょっとだけ柔和な笑みを引っ込めて、今度はぷりぷり怒っている。
「やっぱ魔法なんスか?」
「魔法には違いないね! しかしまあ普通のもんでもない。ありゃああの子にとっても呪いだ。比喩表現じゃないよ、正しくあの子に掛けられた“呪い”そのもの。外的影響さ、あの子本来の能力じゃあないね。どこのどいつにどんな呪いを食らわされたんだか知らないけどね」
アンジュはそのことを知っていたのか、少し険しい顔をして目を伏せる。
ヴィクターはシルヴィアの特性を「先天的なものではない」と言っていたが、どうやらその通りのようだ。魔法的な医術のプロであるところのばあやによる見立てでは、シルヴィアの目の特性は「外部からの何らかの魔法」によってシルヴィアに与えられた。
「……そっちを解くことは?」
「出来ないねぇ、あたしより数倍熟達した魔法使いでも、困難極まるだろうさ。一級品の呪いだ、手強いなんてもんじゃない」
ばあやはまた笑顔になって、総司に言った。
「ヴィクターが言っとったけど、あんた、しばらくシルヴィアと一緒に動くんだって?」
「ええ、ちょっとした冒険に出かける予定なんです」
「なら、シルヴィアの目にはあまり妙なことをしないようにしとくんだよ。ありゃあ、普通のヒトの手が及ばない領域にあるもんだ。下手にいじくり回すのはオススメしない。シルヴィアと深く結びついていて……絶妙な塩梅で“ああいう形”に落ち着いてると見てるんだ。だから、そっとしとく方が良いね」
少し深遠な物言いで、意図の全てを理解できたわけではなかったが、総司はこくりと頷いた。リシアもふむ、と思案顔だ。今聞いた情報を整理しつつも、結論としてはばあやの警告と同じく、「下手に何か働きかけるのは避けるべき」という考えに行き着く。シルヴィアの目については、ばあやの言葉もそうだし、総司の言う“オリジン”の気配にしてもそうだが、断片的な情報こそあるもののそのどれもが真に迫れるきっかけにまではなっていない。
「私としては、それが『魔法』であるならば、お前の左目の力が及ぶか確かめるのも一つの方法としてアリではないかと思っていたが……安易に試みるべきではなさそうだ」
「みたいだな……」
魔法に関する知識と経験が豊富らしいばあやの警告を鑑みれば、第二の魔法を仕掛けるというのはあまりにも強烈過ぎる手段だ。それが起爆剤になって、絶妙なバランスで成り立っている不可思議な力を悪い方向へ転ばせてしまう恐れがあるならば、「物は試し」でやってみるべきではないのだろう。
ばあやはふう、とため息をついて、アンジュにちらっと視線を流した。
「アンジュ、目のことは置いといても、シルヴィアのこと。ちゃんと面倒を見ておやりよ。放っといたらまた、フラフラどこかに行ってしまうよ」
「……ええ、わかっています。監視は怠りません」
「バカタレ、そういうこっちゃないよ。わかっとるくせにわかっとらんフリをするもんじゃない。ばあやには通じないよ」
アンジュがぐっと言葉に詰まる。
「家族ってのは大事にしなきゃいけないもんだ。それがわからないあんたじゃああるまい。後悔しないようにしんさい、ばあやからの忠告だよ」
「……はい。ありがとうございます」