深淵なるローグタリア 第四話⑤ 魅惑の双眸
アンジュ・ネイサーは、ヴィクトリウス皇帝陛下の側近であり、同時に幼馴染でもある。
そして総司を襲撃したシルヴィア・ネイサーは、彼女と血の繋がった実の姉妹だ。それ故にヴィクターもまた、シルヴィアのことはよく知っている。
姉のアンジュと違い、妹のシルヴィアの人生が、苦難に満ち溢れたものであったことも。
「“異性を虜にする魅惑の双眸”――――言葉だけ聞けば何とも耽美で羨望を集めそうな力だが、男女の愛がいつでも爽やかなものでないことぐらい、貴様らもわかっていよう」
愛憎とはよく言ったもので、愛と憎しみは紙一重、或いは表裏一体の側面を持っている。当事者間のそれに加えて第三者の妬み嫉みも併せれば、シルヴィアを取り巻く環境が苛酷なものであったことは想像に難くない。
異性間の愛に付きまとう「爽やかではない部分」を、シルヴィアは今もって幼い身で、しかももっと幼い頃から、嫌というほど見せつけられ、味わわされてきた。
それが故に姉とは道を違えた。皇帝陛下のすぐそばに仕えるという、俗にいう「まっとうな道」の中でもまさに王道を歩む姉とは裏腹に、シルヴィアは孤独を強め、金で雇われて違法な仕事をこなしたり、自ら盗賊の真似事をしたりして過ごしていた。
姉のアンジュも彼女を放っておいたわけではないが、いかんせん彼女の特性はリシアの読み通り「オート」で発動する。『歯車の檻』に招き入れれば諍いを生むことぐらいわかっていたし、それがあるからシルヴィアはどんな組織にも長居できず、孤立するほかないのである。
年の頃は14歳――――信頼できる大人と共に過ごして当たり前の年齢。最も多感な時期に歪んだ愛欲に晒され、醜い争いの渦中に身を置き、最終的には孤独でいるしかなかったシルヴィアは、カトレアにしてみれば手頃な駒だったことだろう。
何故シルヴィア・ネイサーにそのような特性が備わっているのか、それは誰にもわからないことだった。ネイサーの家系はアンジュもそうだが、特別魔法に秀でた家系でもないし、伝統的にそのような特性を受け継ぐ家系でもない。
ヴィクター曰く、シルヴィアの「魅惑」の特性は先天的なものではないとのことだ。少なくとも彼女が2歳・3歳といった極めて幼い時分においては、そのような特性は見られなかったためだ。いつの間にやらシルヴィアがその特性に目覚めていて、ヴィクターも一時、自覚のないままシルヴィアの虜になっていた時期があるという。
「少なくとも、ヴィクターが今現在シルヴィアの虜になっていないからには、シルヴィアの瞳に秘められた力は解除が可能ということか」
「であろうな。オレもよく覚えておらんが、何かしら魔法によって我に返った記憶がある」
「魔法によって……?」
リシアは目をすうっと細めて、何事かを思案した。
「……それで、ソウシ」
思考を回していたものの、そのことについては口にせず。
リシアは総司へと話の矛先を向ける。
「“後で考えを話す”、そう言っていたが」
「おう。あぁ、いや……悪い、考えはあったんだが……」
総司はばつが悪そうに頭を掻いた。
「ヴィクターの話を聞く限りじゃ、間違っていた……かもしれない」
「構わない。聞かせてくれ」
「……カトレアの切り捨て方を見て、シルヴィアにはさほど重要な情報を与えていないと踏んだし、シルヴィア自身の重要度みたいなものも、そんなに高くないと考えたんだ。だから引き込むのだってそう難しくないと……けど、今聞いた話じゃ、シルヴィアを置いていくことも狙い通りだったんじゃねえかって……」
カトレアがシルヴィアの特性を認識していなかったという可能性も否定は出来ないが、低いようには思える。
そう考えると、カトレアはわざとシルヴィアを残し、総司に『歯車の檻』まで連れて行かせたという方がむしろしっくりくるように思えてならないのだ。それほど、シルヴィアの持つ特性、魅惑の双眸は強烈なものだ。咄嗟の判断だったが、自分は間違っていたかもしれない――――そんな風に言う総司に対し、リシアは冷静に首を振って言葉を返した。
「もしもお前の推察通り、カトレアがシルヴィアを切り捨てたのは予定通りだった、とするなら、我々にしてみれば事態は好ましい方向に転んだと言える」
「……そうか? どうなんだろうな、俺には自信がないが……」
リシアは総司に甘いが、総司の判断が間違っていたとするならそれをきちんと指摘した上で、次善の策を講じようと提案するだろう。しかし、リシアは――――総司自身はそこまで思考を深めていなかったとはいえ――――総司の咄嗟の判断が、現時点で全て間違っていたとは言い切れないと評した。
「同性であればシルヴィアの特性に影響されない――――そしてシルヴィアが、孤独の身で荒んだ心持ちでいるのなら、そこに付け込んでもっと効果的に“使う”方策がいくらでもあったはずだ。あの場であっさりと切り捨てて、カトレアにとっての敵陣である『歯車の檻』に投入するよりも、より強烈で凶悪な使い方がな」
「ふむふむ、なかなか面白い議論だな、二人とも」
ヴィクターが大袈裟に頷きながら笑った。
「しかし、いずれにしても確たる結論は出まい。オレから言えることは、ソウシよ、貴様が気に病むことは特になさそうだと、それぐらいだな。シルヴィアの特性を知るこのオレが、追い返さずにひとまずは我が居城へ招き入れる判断を下しておる。そこから先はつまり、何が起ころうと責任はオレのものだ。貴様が背負うものではない」
「ッ……悪い、ヴィクターに気を遣わせるつもりはなかった」
「ハッハー、下らん! 今更妙な気を回さんで良いわ! さて、次の話だ! と言って、これに関しては貴様らには詫びるほか――――」
ヴィクターがぱっと話題を切り替えようとしたところで、ゆっくりとした動きのエレベーターが稼働し、下から誰かが上がってきた。
総司たちの元へ現れたのは、二人のヒト。
一人は皇帝陛下の傍控えであるアンジュ・ネイサー。
そしてもう一人は、目元を布でがっちりと覆われた状態のアンジュの妹、シルヴィア・ネイサーだった。