深淵なるローグタリア 第四話④ けだるげな協力者
「お帰り、カトレア。彼はどうした?」
「それなりの一撃をもらったもので、簡単な治療を。単なる打撲です、すぐ戻るでしょう」
乾いた血のようにくすんだ赤色の髪が特徴的な、鋭くどこか胡乱な目つきの女性が笑った。
赤い髪は随分と硬そうで、無理やり後ろで一本に縛っているが、残念ながらまとめきれずにツンツンとしている。葉巻をくわえけだるそうに、よれた白衣のようなマントを纏って、ビーカーにも似たガラスの器を手にする姿が恐ろしいほど似合っていない。
「へえ~。キミと彼はなかなかのもんだと思うんだけど」
粉末をいくつか手に取り、さらさらと目分量で調合しながら、赤い髪の女性は楽しそうに笑う。
「それが一発貰って尚、尻尾巻いて逃げるしかないとはね。相当強いな、キミの宿敵は」
湯を沸かし、調合した粉末を溶かし込んでカップに注いで、カトレアにすっと手渡す。
「即効性はないが魔力の回復を多少は早められるだろう。飲んでおきな」
「ありがとうございます」
「けど自業自得だよ」
ピン、とカトレアの額を指で軽く弾いて、女性がからかうように言う。カトレアはばつの悪そうな顔でうつむいた。
「キミの宿敵が“来るまでに”首都を離れた方が良いと、ちゃんと助言しただろう。年長者の助言には従っておくべきだ」
「……そんなに変わらないはずですが」
「二つ三つでも上は上さ」
「何ですか、楽しそうですね、リズ」
カトレアは少し拗ねたような調子でなじる。リズは相変わらず愉快そうに笑った。
「なぁに、キミにも年頃らしいところがあるんだと思ってね。おかげでまだ私は、お役御免にならなくて済みそうだ」
「目的の完遂にはあなたの力が必要です」
リズは自分の頭を指でとんとん、と小突いた。
「知ってるよ。キミの言う通り、向こうにはココの切れるのがいるらしい。けど安心しな、こっちにもいるからさ」
「頼りにしていますが、くれぐれも――――」
「それも心配無用。あたしはキミの方が面白いと思って付いてる。絆されて裏切るようなことはしないよ。いっぱしの研究者としてはキミの目的の方が面白みがある――――世界を救うなんてふわっとした正義よりはね。あぁそう、裏切りと言えば」
リズがふと思い出したように話を変えた。
「あの子は置いてきたの?」
「ええ、もう十分です。彼女は支払った金に対してよくやってくれましたし、情報としてはさほど与えていませんので――――“彼”の甘さであれば、処刑されるようなこともないでしょう」
「金で作る関係性のイイところだね。お互いこざっぱりしてて好きだよ、あたしは。けどまあキミもそれなりに性格が悪いね」
リズが葉巻をふかして、カトレアを見据える。
「あの子の特性を考えれば、“ただ置いてきただけ”では済まないだろうに」
「……さて、どうでしょう。恐らく“彼”には通じないでしょうが」
「ふふっ、ま、その辺も踏まえて組み立てるとするか。ディオウが動けるようになったら作戦会議といこう。楽しくなってきたねぇ、ありがたいことだ」
会話の始まりから、一旦の区切りまでずっと、リズの口元には不敵な笑みが浮かんでいた。
その笑みを見て、カトレアはすうっと目を細める。
ローグタリアにおける“協力者”、首都ディクレトリアから程近い街・デルナで魔法を駆使した町医者、且つ魔法の歴史の研究家として生活する女性、リズ。家名はカトレアも知らない。もしかしたら彼女にはないのかもしれない。
カトレアとリズの「協力関係」は、別に最近始まったというわけではない。女神の騎士がエメリフィムに辿り着く前には既に、賢者アルマと縁を繋いでいたように、リズとも少し前から縁があった。エメリフィムにおいて女神の騎士と激突し、浅からぬ傷を負ったカトレアとディオウにとっては、リズが協力者であったことは幸運だった。
いや、それよりも更にカトレアにとって僥倖だったのは、リズが驚くほどの「変人」だったことだろう。飄々として本心を見せない彼女の興味関心は、リスティリアの「通常のヒト」が持つ倫理観とはかけ離れたところに向けられる傾向があるようだった。
「救世の道を歩む」女神の騎士を面白みにかけると判断し、ある意味では人道から外れた道を歩むカトレアの行く末を面白いと称する。各国の為政者が次々に女神の騎士に絆されてその旅路を支持する以上、カトレアに協力するリズは世界に対する反逆者に近いが、本人は何も気に留めていない。
どこか厭世的で、偽悪的。それでいて面倒見のいいところもある不思議な女性。カトレアはリズのことを好意的に思ってはいるが、自分のやろうとしていることが決して「正道」ではないことを自覚しているが故に、その自分に対して好意的であるリズのことを完全には信頼できていなかった。
「……ええ。この先の手順の確認も必要です。よろしく、リズ」
それでも、ローグタリアにおいてリズの力は不可欠だ。短い付き合いでもひしひしと、彼女がいかに聡明であるかは理解している。
魔法のみならず頭脳も優秀であった賢者アルマが、女神の騎士ではなくその相棒のリシア・アリンティアスを高く評価していたのはカトレアも承知している。戦闘能力的にも既に、リシア単独でカトレアを上回って余りあるだろうが、厄介なことにリシアはそれに加えて頭も良い。
戦力差は神獣王で埋める。が、計略面ではカトレアでもディオウでも、リシアを上回るには足りない。だが、リズがいれば――――
襲撃者シルヴィア・ネイサーを連れて『歯車の檻』に到着した総司とリシアは、不思議な待遇を受けていた。
リシアが先頭に立ち、『歯車の檻』の最下層の警備に当たっている衛兵に事の次第を報告したのだが、三人がすぐにヴィクターの元へと通されることはなかった。リシアの報告から数分経って、ローグタリアの女性兵士たちが数人がかりで三人を囲み、まずシルヴィアを拘束した。総司は反対の声を上げたが、女性兵士たちに「手荒な真似はしないから」と説得を受け、シルヴィア本人も何を察しているのか全く無抵抗だったものだから、最終的にはシルヴィアと引き離されてしまった。女性兵士たちの話では、彼女の話は彼女の姉であるアンジュ・ネイサーなる女性が聞くことに決まった、とのことである。
国宝を盗み出し悪用しようとする存在に対する助力、と言うのは確かに罪には違いないだろうが、それにしてもヴィクターらしからぬ、有無を言わせぬ対応である。マーシャリアから今に至るまでの付き合いだ。思い切りの良さはもちろん知っているが、ヴィクターがそんな問答無用な行いをするというのは違和感があった。
ガチャガチャと方々の歯車が動き、総司の元いた世界で言うところのエレベーターのような無骨な装置が、総司とリシアを上へ上へと運んでいく。総司が知るエレベーターよりは速度も緩やかだったので、二人は少しだけ会話を交わす時間が取れた。
「皇帝陛下の傍控えの妹、か。思ってたより複雑な話になりそうだな」
「ああ。しかしだからというわけでもなかろうが、ヴィクターにしてはこの対応……」
「そうだよ、らしくねえよな? 俺もそう思った。何か読めるか?」
「……気になることはある」
総司が目で先を促すと、リシアはすぐに続けた。
「ここに来るまで、シルヴィアは何度かお前を興味深げに――――どこか驚いた様子でじっと見つめることがあった。それに、私の言葉には一切応じていなかったが、お前には……金で雇われてのこととは言え一応敵対していたにも関わらず、案外素直だった」
「あー、まあ、確かに」
温情を掛けた総司に感謝してのこと、と言うだけでは済まされない違和感。リシアの言う通り、ここに来るまでの道中、総司とシルヴィアの会話そのものは、それなりに「弾んだ」と言ってもいいぐらいのものだったのだ。リシアは続けて、
「率直に言えば、まあそろそろそういう年の頃だろうし、詳細はともかく鮮烈な出会いだったからな。お前に惚れたのではないかと思っていた」
「冗談だろオイ。ガキだぜ。いや俺も世間的にはガキの年齢だろうけどよ、輪をかけてだ」
「少なくともセーレよりは上だろう。十分あり得る年頃だ」
リシアが少し微笑みながら言葉を続ける。
「だが、このヴィクターらしからぬ、有無を言わせぬ厳重な対応に関連付けるとすれば、別の理由があることになる。何か驚いたような、意外そうな顔でお前を度々見つめていた挙動と、先ほどの連行……まだ仮説の段階として聞いてほしいが」
「言ってくれ」
リシアは一拍置いて、自分の考えを述べた。
「彼女には、“男性に対し何かしらの悪影響を与える”特性がある、と見た」
「……アイツを連行しに来たのが女性兵士ばかりだったからか」
「そしてそれは恐らく、彼女自身には制御が出来ないものだ。自動的に発動する何らかの効力……だがその特性が、外部から及ぼされる影響への耐性が高いお前には通じなかった。彼女からすればそれが驚くべき事態だった……というのは、考えすぎと思うか?」
「いや――――」
「ハッハー! 最早空恐ろしさすら覚えるぞ、リシアよ! 気味が悪いと言い換えても良い! おっと誤解するなよ、褒めておるのだ!」
ゆっくりとした動きのエレベーターがゴウン、と揺らいで停止し、ヴィクターの根城へと辿り着いた。
リシアの最後の推理が聞こえていたらしく――――エレベーターの前で待ち構えていたヴィクターが、相変わらずの大仰な身振り手振りで二人を出迎えた。