深淵なるローグタリア 第四話③ 鮮やかなる襲撃者
カトレアとディオウが返答する隙もなかった。
地面を踏み割る勢いで蹴って、総司がすぐさま突っ込んで、一瞬でディオウが応戦する。
黒い剣を総司のリバース・オーダーの軌道に差し込んで、器用にギリギリのところで逸らす。技巧は見事、エメリフィムでも、ディオウはたびたび総司の剣を逸らして、攻撃を何とか防いでみせた。
だが、出来ることと言えばそれだけ。初手を防いだところで今の総司との戦力差は明白。応戦など愚の骨頂だ。押し負けるに決まっている。
「エメリフィムじゃ不完全燃焼だったろ、お互いな――――今日は最後までいこうじゃねえか!」
「勘弁願いたいが……そういうわけにもいかんのだろうな……!」
斬る覚悟を決めた総司との正面戦闘は、ディオウとしても何としてでも避けたい。選択肢としては「隙を見て逃げる」、ただそれだけだが――――
此度の戦闘、最初からトップギアの総司は、逃げに徹してなおも強敵だ。
「“ランズ・アウラティス”!!」
カトレアの反応も良かった。激流の槍を総司に向けて放ち、ディオウと総司を引き剥がしに掛かる。
総司の目がすぐさまカトレアの方を向いて、激流の槍を容易く回避するが、反撃に転じようとしたところでディオウが再度間合いを詰めた。
カトレアの攻撃からディオウが詰めるまでの間にタイムラグはなかったが、総司はそちらにも完璧に反応し、鋭く剣を合わせてディオウを迎え撃っている。
「やはり常軌を逸している――――!」
莫大な魔力、凄まじい膂力、それは最初からわかっていたことだ。レブレーベントで対峙した時から、カトレアは総司の強靭な身体能力を知っていた。
だが、エメリフィムでの戦いを経て、“そこではない”彼の異常性を確信した。
並外れた反応速度、反射神経。鋭敏な魔力察知能力と身体能力を十全に生かす、彼自身の反応の良さ。
総司の肉体的な強さはただ与えられただけのものであり、外部のアクションに対する反応速度までもが女神から付与されているわけではない。常人ならざる身体能力を使いこなすに足る天性の反応速度もまた、総司の強さの中核を成すものだ。それがなければ、強靭な肉体も持て余すだけだった。
各国の強力な使い手たちとの激闘を経て、その才覚は更に研ぎ澄まされている。とは言え、総司の弱点は、根底にある善性故に相対する敵の様々な事情を勘案してしまって、反応できていても判断が鈍るところにあったが――――
カトレアとディオウに対してはもう躊躇わないと心に決めているから、二人にとってはこれ以上ない脅威となる。
エメリフィムのギルファウス大霊廟での戦闘と、今回の戦闘の大きな差は、総司が最大火力である“シルヴェリア・リスティリオス”を撃てないという点だ。
甚大な破壊を伴う女神の騎士究極の一撃は、流石に首都の片隅である路地裏で撃つわけにもいかない。カトレアとディオウの活路はそこだ。
「君がそこまで読めるとは思えん」
剣をぶつけ合い、ディオウが仮面越しに声を絞り出す。
人気のない路地とはいえ、総司が本気で剣を振るえば苛烈な破壊が起きる。それ故にセーブした膂力での攻撃だが、それでもディオウにしてみればあまりに重い一撃だ。受け止めるのがやっとである。
「アリンティアス団長だな……!」
「ハッ! 思えば長い付き合いになったもんなァ。よくよく俺を知ってくれてるようで感激だよ。涙が出るぜ」
剣を囮に体を回転させて、総司の拳がディオウの腹部に決まる。ディオウは衝撃に体を貫かれながら吹き飛び、建物の壁に激突した。
リシアの今回の読みには、彼女の確かな成長も現れている。
元々、策としては総司の言う通りお粗末なもので、当たればもうけもの程度のものだった。カトレアとディオウがどこに宿を取っているか、などと言う細やかな調査が出来る時間がなかったのは間違いない。それでも打てる手を打とうと動いた事実も成長の一端だろうが、何よりも。
リシアは「『歯車の檻』から出来るだけ離れた位置」まで予測して見せた。彼女はレブレーベントにいた頃から間違いなく聡明な才女であったが、総司と共に旅を進める中で、自身が打ち立てる策にヒトの心の機微までも加えた。
エメリフィムのギルファウス大霊廟で「総司が本気で殺しに掛かってくる」という事実を叩きつけられ、最終決戦寸前の激突ではまさに、強すぎる女神の騎士によってギリギリのところまで追いつめられたカトレアの心理を読み切り、候補を絞ることに成功すると共に、情報が流れてからすぐに拠点を移そうとする動きすらも読み切った。
同時に、リシアの読み通りに事が動いたことで、ローグタリアの中枢にカトレアの息のかかった者が紛れ込んでいるという事実もあぶりだした。この策が空振りに終わってもせいぜい「徒労に終わる」という程度のローリスクでありながら、リターンはとてつもなく大きい。
だが、二つ。
リシアが今回の策に組み込めなかった想定外が二つある。
カトレアの手には既に“オリジン”が渡っていること。
そして、カトレアはその”オリジン”を用いて、総司への対策も進めていたということ。
「使わずに切り抜けることは出来ないようですね」
突如として、総司の背後にフードを被った何者かが現れる。音もなく、気配もなく、突然そこに降って湧いたかのように現れた人影が、高速で総司に迫った。
それと同時に、カトレアが藍色の光を帯びた三日月型の、アクセサリーのような何かを取り出して、魔力を注ぎ込んだ。
「チッ――――!」
一切の気配を感じさせなかった背後からの襲撃だったが、総司の反応はカトレアが「常軌を逸している」と称したように、異常なまでに早かった。研ぎ澄まされた感覚で攻撃を察知し、鬱陶しそうに舌打ちしながら、マントで隠れた手元から繰り出される正体不明の攻撃――――恐らくは何らかの刃物による刺突をリバース・オーダーで逸らせて、襲撃者を弾いた。
その一瞬が、カトレアに望みを繋がせてしまう。
総司にとってはなじみ深い気配、“オリジン”の気配が充満し、藍色の光がカトレアと、カトレアの傍に何とか戻ったディオウを包む。
空間転移の魔法――――何度か自分自身が転移“させられた”こともあり、感覚的な部分で覚えのある総司はすぐにその魔法の効力を察知した。
「申し訳ありませんが、あなたとの決着はいずれまた。さようなら――――」
察知してから、やはり早かった。カトレアが別れの挨拶を告げようとしたときには既に、眼前にまで総司の腕が、指が迫っていた。
その指先がカトレアに触れるまでほんの数センチというところで、“オリジン”によって発動した上位の空間転移魔法がカトレアとディオウを転移させ、この場から二人が消え失せる。総司は二人が消えた後わずかに残った、藍色の霞の中を突き抜けてしまった。
「くっそ……! 触れたはずだが……俺は対象外か……!」
指先には“オリジン”の魔力の気配が少しだけ残っている。藍色の光の範囲内に少しでも入れば、総司もカトレアたちと共に転移先まで行けるのではないかと踏んで飛び込んだのだが、魔法の性質のあてが外れた。
魔法を無力化する第二の魔法を使うという選択肢もあったが、 “ルディラント・リスティリオス”は左目を発動の起点としているものの、「視界に入った魔法を消し去る」のではなく、あくまでも魔法を無力化するエリアが広がっていくという力だ。総司が全力で飛び込むよりも早くカトレアの元に到達していたとは思えない。
いずれにしても、カトレアの手札に“空間転移”の魔法があると読み切れなかった以上は、どうあってもこの場では逃げられていた。レブレーベントでアレインと相対し、格の差を見せつけられた時であっても行使しなかった魔法だ。“オリジン”が手元になければ使えない魔法か、或いはローグタリアの“オリジン”そのものが内包する特殊能力。流石にそれを予期することは出来なかった。
どかっと派手な音がして、総司がぱっと振り向いた。
“ジラルディウス”の翼を携えたリシアが飛来して、フードを目深に被る襲撃者を地面に組み伏せた音だった。
「ぐっ……!」
「すまない、遅くなった!」
「いや、どのみち逃げられてた。“オリジン”がアイツの手にあるとはな……初見じゃ多分どうあがいても間に合ってねえ」
総司は悔しそうに顔をしかめつつも、冷静さを失ってはいなかった。
ここで捕らえられれば御の字だったことに間違いはない。そのつもりで本気で臨んだ。だが、カトレアが“オリジン”を手にしていて、その力をいくらか引き出して空間転移を達成できる、という事前情報がなかったからには、この場のコンタクトで捕らえるというのはどうにも無理筋だったようだ。
ただし、“初見では”無理だったというだけ。
「ミスティルほど自由自在ってわけでもなさそうだ……次は逃がさん。次があればだけどな」
ミスティルの“次元の魔法”ほど凄まじいものではなかった。次元の魔女ミスティルの空間転移は、まるで息を吐くように空間を超越する“鋭さ”があるが、カトレアの魔法は全くタイムラグなく瞬間移動を達成できるわけではないようだ。
ヘレネの予知を覆そうとするヴィクターの気概は素晴らしいものだと思うし、総司も彼の方針には賛同している。だが、“レヴァングレイス”すらもカトレアの手にあるという事実も併せて考えれば、やはり――――どうあっても、“この先”を賭けてカトレアと激突することは避けられない。
取り逃がしたことは痛手だが、結論としてはこの結果でも致し方ない。総司はため息一つ、折り合いをつけて、リシアの元へ歩み寄る。
リシアが組み伏せた襲撃者の前にざっと屈んで、総司が静かに言った。
「よォ、置いていかれちまったな」
「殺すなら殺しなよ。あなたに出来るなら」
襲撃者は絞り出すような声で答えた。総司の眉がぴくりと動く。別に、襲撃者の物言いに苛立ったわけではない。リシアが襲撃者を組み伏せた時のうめき声にも引っかかるものがあったが――――
「女だ」
押さえ込んでいるリシアが、総司の疑問の表情に言葉少なに答えた。体に触れているリシアは既にわかっていたようだ。
「道理で軽かったわけだ。失礼」
総司はため息をつきながら、ひょいっと襲撃者のフードを取り払った。
想定外に幼さの残る――――ソネイラ山で別れてきたセーレよりもほんの少し上ぐらい、エメリフィム王女ティナよりは幼いぐらいの銀髪の少女が、総司を鋭い目つきで睨んでいた。
見事なオッドアイだった。燃えるように真っ赤な右目と、透き通るような水色の左目。どちらの色合いもあまりにも鮮やかではっきりとしており、非常によく目立つ。心なしか発光しているようにすら見えるほど色鮮やかだった。
その「幼さ」が想定外だったようで、リシアが目を見張った。
リシアの予想として、カトレアが抱き込んだローグタリアにおける協力者は、『歯車の檻』近辺の中枢に携わる者である可能性が高いと踏んでいたからだ。これほど幼い子では、総司やリシアの動きがすぐに伝わるほど中枢に近いところに関わっているとはとても思えない。
この少女自身が稀有な才能を持ち、中枢に関われるだけの格を持っているのか、それともリシアが想定している「カトレアの協力者」はまた別に存在しているのか。リシアがそんな風に思考を巡らせている間に、総司が少女に声を掛けた。
「名前は?」
「答える義理はない」
「お前こそこの期に及んでカトレアに立てる義理なんざねえだろうが。この切り捨て方、何の情もないのは目に見えてる」
「……何が言いたい」
総司はにやりと笑った。
「さっさとあんな女裏切って、俺に付かねえかって言いたいのさ。一応、皇帝陛下のところには報告も兼ねて連れて行くが、お前がアイツをこの場で切って俺に付くって言うなら、恩赦を請う。ヴィクター――――ヴィクトリウス陛下ならちゃんと天秤に掛けてくださるだろうよ。悪い話じゃねえだろ?」
「コラ」
少女が目を丸くして、リシアが厳しい声を出した。
「勝手を言うな。私は反対だ。わざわざ危険を抱き込む必要はない」
「後で考えを話す。リシア、頼む」
「……全く……そうやって頼み込めば私が引き下がると思って……」
リシアはぶつぶつと文句を言いつつも、不承不承ながら頷いた。
「さて、もう一度聞くが……名前は? お嬢さん」
鮮やかな赤と水色の瞳を持つ少女は、しばらく総司をじーっと見つめていたが、やがてつまらなさそうに、言った。
「シルヴィア――――シルヴィア・ネイサー」