深淵なるローグタリア 第四話② 先制攻撃
ローグタリアの中枢、皇帝の住まう城『歯車の檻』。
重厚な歯車を何千、何万とつなぎ合わせて形作られた異様な姿は、総司とリシアを圧倒するには十分だった。何とか城の塔としての姿を保とうとしているだけのちぐはぐな姿ではあるが、金属の重厚さが決して安っぽさを感じさせない。『果てのない海』へ向けた防壁と数々の兵装も相まって、どこか物々しい雰囲気に見えた。
総司とリシアは一応、レブレーベントよりの賓客として迎え入れられたものの、ヴィクターがすぐに慌ただしい喧騒の渦に巻き込まれてしまったため、到着直後は一旦、与えられた客室にて待機との命令が下った――――
「ご命令の通り、表向きはそういうことにしておきましたが」
皇帝ヴィクトリウスの右腕、アンジュ・ネイサーが、王座の前で静かにそう告げる。
「一体何の意味があるというのでしょう……? 彼らとは一刻も早く、今後の対応を……神獣王アゼムベルムなる脅威への対策を話し合うべきではないのですか。“レヴァングレイス”が盗み出された件も含めて」
アンジュの顔は明らかな呆れ顔である。
「使い道がなくとも国宝……それをその気になれば誰でも触れられるようなところに飾っておかれた陛下の手落ちには違いありませんし、彼らにそれを伝えるのが後ろめたい気持ちはわかりますけれど」
「やかましいわ! 別にそんなことで先延ばしにしておるわけではない!」
ヴィクターがかっと目を見開いて唸った。
ヴィクターの意識がマーシャリアから戻り、アンジュを説得して首都を発って、総司たちと合流し、シルーセンでの救出劇をやり遂げて帰ってくるまでのわずかな期間で、ローグタリアの秘宝“レヴァングレイス”は盗難の憂き目に遭った。
しかし、アンジュに言わせれば万全な警備体制であったとはとても言えない。ヴィクターは『歯車の檻』の最下層、一般の住民も気軽に立ち寄れる空間に “オリジン”を飾っていたのだ。最低限の警備は付けているものの、民衆の目を楽しませるために、他にもいろんな珍しい物品を飾って、半ば博物館のようになっている。
“オリジン”という単語一つにしても、広く民衆に知れ渡っているわけではない。その価値を真に知る者にしてみれば、他国に比べて管理の甘いローグタリアは格好の標的だった。
「そのことはともかくとしてだ。むしろオレは度肝を抜かれておるよ」
「そうは見えませんけれど?」
ヴィクターがシルーセンの村に赴く前、アンジュによって一時拘束されていた王座。
その椅子に座ることもなく、ヴィクターは腕を組んだままにやりと笑っていた。アンジュがまた呆れたようにツッコミを入れたが――――ギラリと気迫ある横顔を見せるヴィクターを見て、少しだけ表情を引き締めた。
「貴様も良く覚えておくことだ、アンジュ。レブレーベントの女騎士、リシア・アリンティアスの名を」
シルーセンの村でとんでもない戦いを制し、その足でソネイラ山の魔女の元へと向かった。セーレの今後を預ける話をつけて、首都ディクレトリアに戻る頃には、時刻は夕暮れに差し掛かっていた。
蒸気を上げる首都の街並みと、『果てのない海』を望む沿岸で佇む『歯車の檻』の不思議で雄大なる光景を、女神の騎士とその相棒がゆっくりと楽しむことはなかった。
エメリフィムからローグタリアへ渡る際に、マーシャリアという不可思議な空間に渡り、彼らはほとんど息をつく暇もないままセーレの救出へと乗り出した。旅路としてはほとんどノンストップ、わずかな休息の暇もなく、総司とリシアは動き続けている。
そしてようやく、彼らの旅路における「最後の国」、ローグタリアの首都に至ったというのに、彼らが足を止めることはなかった。
「侮っていたわけではない。むしろ短い付き合いではあるが、敬意を表するに足るだけの実力を示しておった……が、それでもオレの評価はまだ過小であったと言わざるを得ん」
――――カトレアが既にローグタリアに入っていることは間違いないと考えて良い。そして彼女の狙いが神獣王アゼムベルムの覚醒にあるのであれば――――
飛空艇ヴィンディリウス号の甲板にて、首都ディクレトリアに到着する直前にリシアが話した、彼女の考えを反芻し、ヴィクターはただ感服していた。
――――私たちが首都に入る前に、首都において必要な行動を済ませようとするだろう。そして、私たちが来たとなれば、私たちと同じ街に留まることを避けようとする。エメリフィムでソウシにギリギリのところまで追いつめられたという“敗北の記憶”が必ずそうさせる――――
「あの二人は正しく『神獣王への対応』をしようとしている。それも、最も迅速で強烈な対応をな……! そう、つまり――――!」
――――エメリフィムでは彼女自身が王家の傍にいることが出来たが、既にこちらは彼女に対し問答無用の姿勢を示している。万全を期するため自身は出来る限り私たちとの接触を避けつつ、中枢に密偵を放つぐらいやっていて当然だ。ローグタリアの中枢で、我々が首都に入ったという情報を流しておけば、必ず動く。やってみる価値はある――――
「あの二人は、この『最後の国』の冒険譚が始まったばかりの今日、すぐさま決着をつけるつもりなのだ!」
「……そううまくいくでしょうか? どこに潜伏しているかわからないのですから、動いたところで捕捉できないでしょう」
「ハッハー、無論一筋縄でいくとは思っておらん! むしろ空振りに終わる可能性の方が高かろうな。だが、打てる手を全て打つといったオレの言葉通りの策、嫌いではない! まずはこの先制攻撃の顛末を見守ろうではないか! 何か損をするわけでもなし、細かいことは後で話し合えばよい! そら、まずはもてなしの準備だ!」
「……はいはい、仰せのままに」
「……最悪とは、このことですね」
仮の拠点としていた宿屋を一歩出て、カトレアは心の底からそう言った。
夕暮れからそろそろ夜へと変わろうかという、明るさと暗さが同居する路地の端。
カトレアとディオウを睨みつけ、ゆっくりと歩いてくる人影が一つ。
「――――『城』からとにかく遠い宿をしらみつぶしに当たる。時間もなかったし、策としちゃあ大雑把だしな。流石にそううまくいくわけもないと思ってたが……」
蒼銀の魔力に、凶悪な殺気。
臨戦態勢。どころか、苛酷な戦いを乗り越えたばかりで既にトップギアに近い。
本気の女神の騎士――――その迫力は、エメリフィムで手痛い敗北を味わっているカトレアとディオウからしてみれば、震え上がるほど絶望的なもの。凶悪そのものの殺意が叩きつけられて、カトレアの首筋を汗が伝う。
巨大な剣を手に携えて、総司が不敵な笑みを浮かべた。
「物は試しでもやってみるもんだ。おかげで一番会いたいヤツに会えた――――よォ、傷は癒えたかよ、お二人さん」