深淵なるローグタリア 第四話① スタートラインに立ったばかり
わざわざセーレとヴィクターを連れて、ヘレネの元を訪れた理由はもちろん、ヘレネにセーレの面倒を見てもらえないかと打診するためだった。
総司自身がヘレネの意見を聞きたい事柄もあったが、それだけなら四人で来る必要はない。この四人でヘレネのところへ来た今回の訪問の、主題と言ってもいい案件だった。
「構わないよ。金の融通ぐらいはしてくれるんだろうね、皇帝陛下」
ヘレネはあっさりと、総司の頼みを聞き入れた。
「私、ここでお世話になって良いの?」
「お前が良ければ、私は構わんよ。お前にとっても悪い話ではない。少なくとも、皇帝陛下の傍にいるよりは魔法の修行がはかどるだろう。魔力量は人並み以上だがてんで不器用だからね」
「やかましいわ。だがまあ良い、セーレを預かってくれると言うならば多少の無礼は水に流そう」
辛辣な言葉と裏腹に、ヴィクターの表情は明るかった。
「もちろん、こんな寂れた場所で引きこもるのもつまらん話だ。時々街に出るとしよう。お前の勉強のためにもね。身の上を聞いた限り、シルーセンの外のことはあまり知らんのだろう」
「……ありがとうございます」
「畏まらんでいいよ。これからは共に暮らすわけだしね。“ラヴォージアス”の継承者とは多少の縁もある……ただし甘やかしはしないよ。身の回りの世話を全てしてやれるほど私も若くない」
「大丈夫、それは村でもやってたことだから」
「ほう、頼もしいね」
ヘレネとセーレの相性は、総司の予想以上に良さそうだった。年齢の割には大人びていて、聡明さも感じさせるセーレは、ヘレネの気に入るだろうとは思っていたが。
ヴィクターの立場からして、天涯孤独の身となったセーレに付きっ切りというわけには当然いかない。首都ディクレトリアはただでさえ、セーレにとってはアウェーとなる土地だ。まだ幼い身でありながら苛酷な境遇に置かれてしまったセーレを託す相手として、街の喧騒から離れたところにいるヘレネは適任だ。
ヘレネにとっても孫のような年齢のセーレである。既に隠居して久しいのだろうが、大切に面倒を見てくれるに違いない。
それに、総司の予想通り――――且つ、ヴィクターが覚悟を決めた通りならば。
首都ディクレトリアは近いうちに「戦場」になる可能性が高い。総司としては何より、ただでさえ残酷な行いと熾烈な戦いの渦中に置かれていたセーレを、また戦いの場に置きたくはなかった。
セーレは、リシアがエメリフィムで語った“条件”に見事に当てはまる存在だ。
伝承魔法の担い手でありながら、その覚醒にはまだ至っておらず、総司の第五の魔法の礎とする条件を完璧に揃えた存在――――ティナ・エメリフィムと同じような存在。これから先の戦いに備えるならば、セーレはローグタリアにおける総司の行動の拠点となるであろう首都に置いておくべきかもしれない。
総司はその打算を捨てた。これ以上、セーレをまるで何かの「道具」のように使うことは、是が非でも避けたかった。
「セーレをよろしくお願いします、ヘレネさん」
「任せな」
一通り、ヘレネと話すべきことは話した。
総司たちは雑談もそこそこに、ヴィクターの飛空艇で首都を目指すため、出立の準備を始める。本当はセーレの無事を祝って宴会でもしたかったところだが、セーレ自身がそんな気分でもないだろうし、歴史あるシルーセンの村が滅んだとあっては、皇帝であるヴィクターもこれ以上の寄り道は許されない。
家の外に出たセーレは、寂しそうに総司とリシアに抱き着いたが、「付いていきたい」とわがままを言うことはなかった。相変わらず年齢にそぐわない落ち着きようだ。
総司が、ヘレネに託すと決めたことの意味をよく理解している。
「本当にありがとう……この恩は一生忘れないわ。きっと、ここから先も大変なのでしょうけど……どうか、無事でいてね、ソウシ。リシアもよ」
「おう。また遊びに来るさ。そんな深刻そうな顔すんなって」
「困ったことがあったら私たちを呼んでくれ。必ず力になる」
「うん。二人とも、頑張って」
名残惜しいが、いつまでも感慨にふけってはいられない。
飛空艇ヴィンディリウス号に三人が乗り込み、少しずつ地上から遠ざかっていく。
セーレはずっと、空に向かって手を振り続けていた。穏やかな笑みを浮かべるヘレネも、セーレが満足するまで傍に立っていた。
「……十歳かそこらの時、あんなにしっかりしてた覚えはねえな、俺は」
飛空艇が飛び立ち、首都を目指して進み始め、セーレの姿が見えなくなった。
総司がぽつりと呟くように言う。
「故郷を滅ぼされて、友達も頼れる大人もみんな失って、見知らぬ土地で赤の他人と過ごすことになって……それでも俺達の心配してる」
「……何もかもが遅すぎた。全てを救うにはな。それでも何とかあの子の命は救うことが出来た。ひとまずはそれで良しとするしかない」
総司の言葉に頷きつつも、リシアが決然とした表情で言った。
「セーレがせめてこれからの人生、平穏に過ごせるように――――我らは我らに出来ることをしよう」
リスティリアの危機を救う旅路は、遂に最終盤に差し掛かった。
最後の決戦で総司が負ければ、セーレのみならず全ての生命の未来が閉ざされる。
それはそれとして、このローグタリアにおける戦いもまだまだ始まったばかり。まだ話に聞いているだけとはいえ、これまでで最も強大な敵が控えている可能性が非常に高い。
負けられない理由は、五つの国を経て十分積み上がった。決意を新たにするまでもない。これまで歩んできた道のりを無駄にしないためにも、最後の最後でつまずくわけにはいかない。
目指すはローグタリア首都・ディクレトリア。前哨戦と言うにはあまりにも苛烈に過ぎる戦いを切り抜けて、総司たちはようやく、最後の国の冒険譚、そのスタートラインに立つ。
世界に点在する「封印」は七つ。
かつて女神の領域と接続できた各国の聖域と、シルーセンの村の封印。既に六つの封印は破壊され、残すところたった一つ。
神獣王アゼムベルムの覚醒は、女神の騎士の撃破を目論むカトレアにとっては最後の切り札であると同時に「本命」の策でもあるが――――カトレアにとっても、女神の騎士の行動によって六つの封印が破壊されてきたという事実は「想定外」であった。
「あなたの調査結果を信じるのならば……」
カトレアの表情は、彼女にとっては最高の形で事が進んでいるにも関わらず、とても険しかった。
「“力を集めるだけでは足りなかった”。アゼムベルムの覚醒に必要なのは何よりも、各国に散らばった封印を破壊することだった……そういうことですよね」
「はい。あなた方が集めておられた“悪しき力”をどれだけ注いだところで、封印が万全であれば意味を成さなかったでしょう」
ローグタリア首都・ディクレトリアの外れ。酒場と宿泊施設が繋がった小さな宿の一室で、カトレアはローグタリアにおける「協力者」と言葉を交わしていた。
ディオウと同じく、金で雇っただけの協力者である。とは言え、皇帝ヴィクトリウスのカリスマは特に首都ディクレトリアにおいては強力無比で、金で心を動かせそうな人員を探し出すのも容易ではなかった。
ローグタリアの中枢に近づける人物でなければ、神獣王アゼムベルムという伝承上の存在に関するローグタリアの記録を調べることなど出来ない。カトレアにとって、フードを目深に被って顔を隠すこの「協力者」との繋がりを得られたのは幸運だった。
「……“彼”は今どこに?」
「つい先ほど、皇帝陛下と共に首都に到着したとのこと。まだ接触はしていません」
「そう――――ありがとう。引き続き内部で調査をお願いします。私が把握している事実と、あなたの調査結果に相違があるなら、すぐに報告を」
「畏まりました。“彼”との接触については?」
「過剰に避ければ怪しまれます。当たり障りのない程度に」
フードを被った「協力者」は軽く頷いて、足早に出て行く。
「僥倖。図らずも天運が味方した形だが。何をそう憤る?」
気配を消していたディオウが、険しい表情で虚空を睨むカトレアに声を掛ける。
「手間が省けたことを喜ぶべきだろうに」
「……各国の“聖域”が封印の基盤となっているなら、少なくともカイオディウムとシルーセンの村の封印は私の手には余るものでした。他の国のものは、局所的かつ物理的な破壊だけなら爆薬でも使えば何とかなったかもしれませんが……“ラーゼアディウム”の撃墜とシルーセンの“精霊”の撃破、この二つは、私にはまず不可能です。つまり、“彼”がいなければ私の本命の策も達成し得なかったということになる」
「それが気に入らんと?」
「まるで全てが女神の思い通りのようではないですか。私がアゼムベルムを覚醒させ、“彼”に挑むことすらも……!」
カトレアにとって最後の切り札であり“女神の騎士”排除の策の本命。神獣王アゼムベルムの覚醒に必要な手順が、誰あろう“女神の騎士”自身によって、“彼”の旅路の最初から正しく、順序良く踏まれてきたのだとしたら。
そのこと自体が、女神レヴァンチェスカが“彼”をこの世界に呼んだ時から決まっていた“歩むべき正規ルート”なのだとしたら。
神獣王と“女神の騎士”の激突――――その結末すら、女神にとっては――――
「フン。今更つまらんことを気にするものだな」
「……何が言いたいのです」
「女神の思惑通りに事が進んでいるというなら、それを捻じ曲げることこそ君の目的だろうに。これまでもずっとそうだったはずだが、残念ながらこれまでは女神の選択を邪魔できるほどの影響は与えられなかったと。ただそれだけだろう。この世界の『絶対』に挑む所業だ、生半可な訳があるまい」
カトレアは少しだけディオウを睨んでいたが、やがて表情をやわらげた。
「……そうですね。わかってはいるのですが」
「連中が首都に来たとあれば、留まるのは危険だな」
「はい。拠点を変えます。彼らが来たのもそうですが、何より――――」
カトレアはピン、と何かを指で弾いて弄んで見せた。
「そろそろ、“国宝を盗み出した賊の話題”で騒がしくなってしまう頃合いですからね」