深淵なるローグタリア 第三話③ 千年前を辿った先に
ヘレネ・ローゼンクロイツは、総司からすれば”気兼ねなく全てをさらけ出せる“相手でもあった。
総司の事情を知り、総司が元いた世界を――――日本という国のことも含めて――――よく知り、総司の旅路を応援してくれる相手。
そんな相手だから、総司は以前に出会った時から再び今回出会うまでの間何があったか、これから何をすべきかを全てヘレネに話して聞かせた。
ヘレネは総司の話に聞き入り、リシアとセーレはその間、邪魔をしないよう「緑茶」に舌鼓を打っていた。緑色にこそ驚いていたものの味は問題なかったようだ。むしろリシアもセーレも味を結構気に入っていて、総司がカイオディウムからローグタリアに至るまでの長い旅路の話や、その過程で得た仮説をヘレネに話して聞かせる間、数杯お代わりしていた。
それとは対照的に異常に大人しかったのはヴィクターで、ヘレネが反応するたびにびくりと驚いているような、警戒しているようなそぶりを見せていたが、総司は敢えて気にしないことにした。
とにもかくにも、ヘレネの助言を仰ぎたい案件が目白押しだったからだ。
「……ディージング、か。馴染みがあるとまでは言わんが聞き覚えはあるよ。ドイツの家名だ。よくある名前、とまではいわんが、とりわけ珍しいというほどでもない」
総司の話を聞き終えたヘレネは、最も興味のあった部分について感想を述べた。
リスティリアを脅かす、総司にとっての“最後の敵”、スヴェン・ディージング。
ヘレネはファミリーネームの方に聞き覚えがあったようだ。
「確かバイエルンの方だったかな……いや、40年以上前の記憶だ。あてには出来ないね。日本でもそうだったろうが、地域に多い名前、珍しい名前って言うのはあっても、別に誰がどこに住んでたっておかしくない」
「バイエルンって言うと……ミュンヘンとかあの辺ですか」
「おや、よく知ってるね」
「いやいや、恥ずかしながらベルリンにフランクフルトにミュンヘン、ってぐらいッスよ、ドイツの地名でパッと思いつくのは。ケルンの大聖堂が有名ってのも知ってますが、場所なんて全然わかりません」
総司の元いた世界の話。当然、リシアたちにしてみれば「異世界」の話だ。内容がわかるはずもないが、リシアの表情は真剣だった。二人の会話を一言も聞き漏らすまいとしているようだった。
「でもそうか……ドイツ人なのか……」
「名前だけ聞けばね」
また一つ、スヴェンの情報が手に入った。特に彼の撃破に繋がる有益な情報というわけではない。ただ、総司はそれを知れたことを嬉しく思った。
「……辛い戦いも、厳しい戦いも乗り越えて、お前は見事この国まで辿り着いた。その果てにあるのが、お前にとっての恩人との殺し合い……しかもその恩人は広い意味での“同郷”ときたもんだ……女神も酷なことをするもんだよ……」
「……スヴェンが最後の敵だと確信した時は、荒れもしたんですけど。今はもう覚悟は決めてます。むしろこの役目を俺以外の誰にも譲りたくない。俺の手で終わらせたい。もらってばかりで少しも返せない恩に、少しでも報いるためにも」
「そうか……よく言った。以前出会った時もそれなりに良い目をしていたけれど、一段と良くなった」
ヘレネは頷いて、総司の話の、スヴェン以外の部分を一通り整理した。
「ローグタリアの“オリジン”を手に入れること、エメリフィムの“オリジン”の力を取り戻すこと。喫緊の課題はこの二つだね。そこに関しちゃ私よりお前たちの方が慣れているだろう。私も“オリジン”のことはさっぱりわからないからねぇ」
「はい、そちらは何とかなる、というか、何とかするしかないと思ってます。ヘレネさんに聞きたいのは――――」
「“アゼムベルム”。私が予知で見た、少女が呼び覚ます神獣の王。まあ、これも知識があるというほどでもないんだけど……」
ヘレネは緑茶を一口すすり、眉間にしわを寄せて、厳しい目つきで総司を見据えた。
「言わないのはお前にとってプラスにはならんだろうから、ハッキリと言っておく。“目覚めさせない”ままと言うのはあり得んだろう。お前は覚醒した“アゼムベルム”を倒さなければならない」
「……やっぱり、そうですか」
「失礼、ヘレネ様」
リシアが思わず口を挟んだ。
「そのように確信されておられる理由を伺っても?」
「私の未来予知は限定的で、任意に発動できるわけでもない不完全なものだが、一つだけ言えることがあってね」
ヘレネが残念そうに首を振った。
「見たい時に見れないのが難点だが、見てしまった予知は“外れたことがない”。私が見た予知の中では、姿は朧げだが確かに巨大な神獣王が目覚め、その上に“少女”が乗って――――女神の騎士に挑んでいた。結果までは見れなかったが……」
「外れたことのない予知の中で、目覚めていたアゼムベルムが確かにいた以上、アゼムベルムの覚醒は止められない。そういうことですね」
「考え方はいろいろあるがね」
ヘレネがため息をついた。
未来予知の使い勝手の悪さは、何もその発動条件が不明というだけではない。
「これをお前に伝えたことで、お前が目覚めを止める方向で動かなくなり、結果としてアゼムベルムの覚醒に繋がる……という見方も、出来なくはない。未来だ過去だと、“時間”に関する能力の厄介なところだ。何がどう転んだのか、終わった後の結果でしか語れん」
「いえ、お気になさらず。そんな気はしてたんです。直感ですけどね」
総司が気楽な調子で言った。
「神域に至る前に、カトレアとの決着もつけたいと思っていた。アイツは本気で俺の排除を目指してる。直接やり合うことに限れば、そこまで脅威でもないけど……覚悟自体は本物だった。中途半端に終わるとは思えない」
「……その少女にも何か事情がありそうだね」
「事情を聞くのはアゼムベルムを倒してからでも遅くはない」
「確かにね。さぁて、どういう順番で話すのが良いのかはわからんが……」
ヘレネが苦笑してヴィクターの方を見た。
「皇帝陛下。アゼムベルムのことを話すにしても、それ以外のことにしても。まずはあんたの話が必要なんじゃないのかい」
「……随分とソウシに肩入れしておるようだな、ローゼンクロイツ。ソネイラの魔女も丸くなったものだ。我が父は生前、貴様に随分と手を焼かされたというのに」
「アイツとはそりが合わなくてねぇ」
「フン」
ローグタリア王家の親子二代とヘレネには、何かしらの因縁があるらしい。だが、ヴィクターもここでそれを語るのは重要ではないと判断したようだ。ため息を一つついて、少し前に出て座りなおした。
「神獣王アゼムベルムとシルーセンは無関係ではない。まずはそこから語らねばならん。端的に言えば――――」
リシアとセーレも身を乗り出した。ヴィクターは彼らしくないほど神妙な顔で言った。
「シルーセンの村に“もともといた精霊”の力は、神獣王を抑え込む封印の礎として存在していたものだ。セーレの先祖がカイオディウムからローグタリアへ移り住むよりも更に昔から、ずーっとな」
千年前よりも更に昔の話であり、詳細な記録は残っていない。エメリフィムにおいてジグライドが言っていたように、神獣王アゼムベルムの存在そのものが伝説・伝承の類だ。今を生きる生命にとっては、女神レヴァンチェスカと並ぶほどの伝説的存在と考えても良いだろう。
ただ、ローグタリア王家にとっては――――伝承の域を出なかったとしても、他のリスティリアの民に比べればまだ「身近」な存在だった。
王家に伝わる伝承が、神獣王アゼムベルムの脅威とその封印の重要性を代々受け継いできたからだ。
発端は不明。二千年前か、三千年前か、それは定かではないが。
神獣王アゼムベルムはある日を境に女神レヴァンチェスカによって封じられ、数千年覚めることのない眠りについた。その封印の位置と具体的な内容――――その封印の一部に精霊の力が使われていることなどの詳細は、ローグタリア王家にのみ伝承として残った。
遥か昔のことであって、全てが完全に伝わっているわけでもないが、ローグタリア王家のみが知っているのは、アゼムベルムが女神によって封印された当時、最も力があったのが現在のローグタリア周辺の権力者だったから、だとされている。これについてはヴィクターも疑問を抱いており、他に理由があるのではないかと読んでいるらしいが、答えには至っていないという。
とにもかくにも、何らかの事件があって封印されることとなったアゼムベルムは、今なお覚めぬ眠りの中にいて――――
最早総司にとっての明確な敵となったカトレアは、その眠りを妨げ、何らかの方法で覚醒したアゼムベルムを使役しようとしている、というわけだ。
「シルーセンにとって、かの地にいた精霊は守り神に等しい存在だったろうが……此度の事件でその力は悪用され、それ以外に方法はなかったとは言えど、残念ながら消滅することとなった。これによって、アゼムベルムを封じる枷の一つが綻んだわけだ」
「枷の一つ……ってことは、まだ封印はあるんだな?」
「うむ。と言うのも、オレもそこがよくわかっておらんのだが」
ヴィクターが顔をしかめた。
「“シルーセンの村の封印だけが例外的”だと言っても過言ではないのだ。他の封印には共通点があるが、シルーセンだけが特殊でな。封印は全部で七つあるが、もしかしたら“七”という数字そのものが重要だったのかもしれん。それ故に無理やり七つ目を作った……いや、定かではないが。とは言え安心するが良い、セーレよ!」
セーレが暗い顔をしているので、ヴィクターが元気よく言った。
神獣王アゼムベルムの詳細はわからないものの、女神が手ずから封印したという伝説が残るほど力の在る存在であり、更にはヘレネが「総司と激突することになる」と語ったものだから、何か邪悪で強大な化け物なのだろうという予想はつく。
そんな存在の封印が、自分の故郷の者たちによって壊されてしまったに等しい、という話を聞かされたのだ。明るい顔など出来ようはずもないが、ヴィクターは意に介していないようだった。
「一つ綻んだところで支障はあるまい、何せ封印はあと“六つ”もある! しかもそれはローグタリアだけではなく、聞いて驚くが良い、このリスティリアの各国に分かれて存在しているのだ!」
リシアがヴィクターの言葉に反応し、何事かを冷静な表情で思案した後――――かっと目を見開いて、戦慄する。
「しかもその封印はそう簡単には解けん場所に刻み付けられておる! どの国も、最も大事に扱うであろう場所にな! 既に滅んでしまったルディラントのものだけはもしかしたら損なわれておるかもしれんが、それでもまだまだ五つもあるのだ。貴様の命と封印一つ、無論重いのは貴様の命で間違いないとも。そもそも貴様は何も悪くないのだ、気に病むこともないぞ」
「……そういうことか……」
リシアがぽつりと呟いた。
「リシア……?」
「……ヴィクター、残念だが……というより、申し訳ないが」
「うん?」
「封印は“残り一つ”だ。各国に分散されていた封印は全て、破壊されていると考えて良い」
「……なに?」
ヴィクターが眉をひそめてリシアを睨んだ。それまで黙っていた総司もリシアを見た。
「どういうことだ、リシア?」
「気づかないか?」
リシアが真剣な表情で総司を見つめ返す。
「ヴィクターの言う“各国に刻まれた封印”があった場所は――――かつて女神さまの領域と接続できた場所。六つの国に一つずつ存在した“聖域”だ」