深淵なるローグタリア 第三話① 狂気の裏に潜む策謀
異形の怪物の敗因は、最初から最後まで徹底的に「セーレ」に執着したことだった。元々この地に“いた”とされる精霊と、異界召喚術によって呼びつけられた異なる世界の神性、そしてネフィアゾーラ曰く“もっとまずいモノ”が混じり合った複合的な怪物。
ごちゃ混ぜになった存在に、儀式の根幹としてあった「異なる精霊を喰らい、存在の格を上げる」という目的意識が強烈に刻み付けられた結果、怪物はセーレに執着する哀れな捕食者となり、最大の脅威であるネフィアゾーラを迎え撃つに足るだけの強さを発揮できなかった。
裏を返せば、それがなければもっと苦戦を強いられていたということである。あまりにも強すぎた異形の怪物が本領を発揮してしまえば、この決戦は更なる熾烈を極め、総司やリシアが五体満足で終えられるような結末は迎えられなかっただろう。
「ネフィアゾーラ!」
漆黒の結界は既に消え失せ、シルーセンの空は青く晴れ渡り、悲劇の少女の新たなる門出を祝う。
その陽光の中で、決戦の最大の功労者であるネフィアゾーラの姿が、黒い霧と共に少しずつ消えようとしていた。
朧げに霞みゆく小さな背中に、セーレが叫ぶ。ネフィアゾーラの肩がぴくりと動いた。
「ありがとう……本当に……! 私、魔法の修行頑張るからね!」
ネフィアゾーラが振り返る。微笑を浮かべたまま、涙混じりに叫ぶセーレの声を、愛おしそうに聞いて、次の言葉を待っている。
「頑張って、頑張って、いつか! 今度は自分の力であなたを呼んで見せるから! その時は、いっぱいお話ししましょう……! 今回話せなかったことを、たくさん!」
『ええ――――待ってる。でも無理はしないこと。大丈夫、キミには間違いなく資格があるからね。……無事でよかった』
優しく穏やかな声だった。
ネフィアゾーラの姿は黒い霧と化して風に乗って空へ吸い込まれ、かの“精霊”は在るべき場所へ戻って行く。
今代の“ラヴォージアス”の正統継承者であるセーレが――――ネフィアゾーラ曰く、「資格を持つ者」が、真髄に至るその日まで、彼女は下界の外でまた揺蕩うのだ。
精霊ネフィアゾーラの本気によって姿の変わったシルーセンの村に、ようやく静寂が訪れた。
確かに平穏は訪れたが、それがセーレの身に起きた悲劇の全てをなかったことにするわけではない。
親しい者は残らず死に、故郷そのものも失ったに等しく、彼女はまさに天涯孤独の身となった。
ネフィアゾーラの魔法によって瓦礫の山と化した自分の家に、セーレは一旦足を運んだものの――――何もかもを失ったという事実を二年越しに実感し、その場から動けなくなっていた。
彼女の心を救えるような慰めの言葉も見つからず、傍にいたところで何も出来ない。総司とヴィクターはリシアにその場を任せて、セーレが落ち着くまで離れることにした。
ヴィクターはセーレが落ち着いてから、シルーセンの村に関する彼の知識を話すと誓った。しかしその前に様々なことを「確かめねばならない」と言い、彼が探す何らかの証拠を見つけ出す時間も必要だった。
瓦礫の山と化した村周辺を探索しようと思えばヴィクター一人ではとても無理で、総司の腕っぷしが必要になる。男二人は崩れ落ちた村に繰り出して、ヴィクターの探し物を探すことにした。
「まさかとは思うが」
ヴィクターの記憶を頼りに、儀式発動の中心となったに違いない村の集会所を目指す道すがら。
ヴィクターはおもむろに言った。
「“何も出来なかった”などと、下らんことを考えておるのではあるまいな?」
図星をつかれて、総司が肩をびくりと跳ねさせる。ヴィクターはやはりそうか、と言わんばかりに笑った。
「ハッ! 図体の割に女々しい男よ。『ネフィアゾーラがいなければ勝てなかった』、『自分一人で救うことなど出来なかった』。大方そんなところか」
「……心でも読めるのか。流石皇帝陛下だな」
「マーシャリアにいた頃から思っておったよ。貴様はざっくばらんに見えて存外に繊細、それにともすれば卑屈な一面を持っているとな。何となれば“女神の騎士”たる貴様の力は借り物であって、自らの研鑽で手に入れたものではなく……研鑽の経験が欠如する貴様には、肝心なところで自信がないからだ」
ヴィクターは大袈裟な身振り手振りで両手を広げ、総司に笑顔を見せた。
「故にこそ前提が抜けておる。ネフィアゾーラがいなければ勝利はない、それは事実だ。だが、貴様がいなければそもそも召喚そのものが達成されておらんだろうが。良いか、セーレは未だ“伝承魔法”の覚醒には至っておらんのだぞ」
総司が目を見張った。
第五の魔法は伝承魔法の使い手の力を借り受け、女神の騎士の魔力で以てその力を行使する魔法だ。
総司の操る第五の魔法がなければ、当然、資格はあれどまだ真髄に至っていないセーレではネフィアゾーラを呼び寄せることが出来ず、先の戦いは敗北していた。
何かが欠けていれば負けていた。存在の格が違う強敵との戦いはまさに紙一重だったのだ。マーシャリアでセーレと出会い、彼女の救済を決めた総司がいなければ、セーレはきっと――――
「何にせよ貴様は見事、世界すら脅かしかねない怪物を相手に勝利を収めたのだ。いつまでも辛気臭い顔をするでない……陰鬱な顔をして良いのはセーレだけだ。せめて我らは、あの子に代わって前を向かねばなるまい」
「……その通りだ」
総司は頭を振って、気を取り直した。
村の集会所は無残に潰れていた。総司が手早く瓦礫を取っ払って、村人たちが儀式を執り行っていた地下室へと歩を進める。
地下へ続く通路も崩れ落ちていたが、土や瓦礫をある程度排除すれば、何とか通れる程度ではあった。
「連中が目指したのはあくまでも、“精霊を超える上位存在”の創造だ、というのが、ヴィンディリウスでも語ったオレの読みだ」
「ネフィアゾーラがセーレに話した内容も考えると、多分その通りなんだろうと思うけどな?」
セーレの家に行く道中で、彼女とネフィアゾーラの短い会合の話も二人は聞いていた。
この地に元々いた“精霊”と、異界召喚術によって総司の元いた世界から呼びつけられた何か、それに加えて“もっとまずいモノ”までもが混じり合った異形。
その異形が最後の最後まで“ラヴォージアス”継承者であるセーレの魂を喰らおうと執着したという事実。村人たちの目論見通り、あの異形は“精霊を喰らう精霊”としての性質を最後まで保ち続けていたようにも見えた。
「いいや、細部で読みを外している。そうとしか考えられん」
総司の楽観的な意見を、ヴィクターはバッサリと切って捨てた。
「あの怪物が本当に“精霊を喰らう”目的意識を植え付けられていたなら、それこそセーレに執着したことの説明がつかん。目の前にいたのだぞ、まさに喰らおうとする“精霊”そのものがな。何か計算外のことが起こって何かが狂った。そのはずなのだ」
「……ネフィアゾーラが強すぎたから、術者を喰らって根本から全て奪おうとしたってのは?」
総司の思いつきに、ヴィクターは言葉を返さなかった。
その理由は総司もすぐにわかった。別に総司との軽い談義を面倒に思ったわけではなく、言葉を失っただけだったのだ。
地下の秘密の集会所には、干からびた遺体がいくつも転がっていた。完全に水分を失って干上がったミイラのような姿になっていて、総司はかつて始まりの街・シエルダで見た光景以上のおぞましさを覚えた。
シエルダで怒りに支配された時よりも冷静に、その光景を眺めることが出来たからかもしれない――――吐き気すら覚えたが何とか堪えて、目を背けずに集会所を観察する。
干からびた遺体のいくつかは小さい子どもだった。セーレがあの化け物に蹂躙されていた祭壇に近づくほど子どもの数が多かったが、全てがあの場所に集められていたわけではなく、ここにもいたようだ。
「ッ……理解できねえ……よくもこんな……!」
「不要だ。リシアも言っておっただろう。ここまで行き過ぎた狂信を理解しようとするだけ無駄だ。オレにも多少は女神を信仰する心があるが、到底理解が及ばぬ。ましてや、信仰になじみがないと話していた貴様にはなおのことであろう。この所業の理解に心を砕く必要はない」
ヴィクターがきっぱりと言い切った。
「……やはりな」
ヴィクターは状況を注意深く観察して、周辺に散乱する書物を手に取り、パラパラとめくってわずかに頷く。
「これは、あの異形の怪物が呼び出された儀式とは“また違う儀式”による被害だ」
「どういう意味だ?」
「見ろ。厳密には“途中で変わっている”と思われる。読めばわかるぞ」
ヴィクターが示した書物の一つは、「文献」ではなく「記録簿」だった。
そこには、狂気に走ったシルーセンの村民たちが行った儀式の過程が記されていた。
総司はじっくりと、数分と言わず十分以上も無言でその記録簿を読み進め――――最後まで読んだ後、もう一度ざーっと全てに目を通し、ぱたんと閉じた。
「“異界召喚術”の記録がない……どころか、何だ? これを見る限り、全部この場所で完結してないか……?」
記録簿を見る限り、ヴィクターが最初に予想していた“精霊に精霊を喰わせる”儀式は、全てこの地下の集会所で行われていたとしか読み取れなかったのである。
生贄とされてしまった子どもたちの遺体がこの場所にあるのもその意味では納得だった。この場所こそが儀式の起点だったから、儀式に必要な生贄もここに集められ、「使用」されていたのだ。
ではあの祭壇の惨劇は何だというのだろうか。セーレもまさにあの場所で囚われの身となっていたし、シルーセンの村の他の犠牲者たちも祭壇を中心として広がっているように見えた。
何よりネフィアゾーラの証言と矛盾しているのが、“異界召喚術”のことが一切記載されていない点だ。総司が元いた世界から“よくない何か”を呼びつける儀式について全く言及されていない。これではまるで――――
「途中から“何かが介入した”――――或いは、“誰かが”介入した。儀式の内容と目的そのものが捻じ曲げられようとして、恐らくは失敗した。ハッハー! 道筋が読めたわ、我ながらなかなかのひらめきだ!」
「……待ってくれ。ヴィクター、何が見えてる? 悪い、全然追いつけてないんだが」
「さて、確証を得るにはまだいろいろと足りんが、オレの考えを述べるとだ」
総司が混乱しながら聞いて、対照的に落ち着き払ったヴィクターが答えた。
「“女神の騎士”を排除するための手段として、シルーセンで行われていた儀式を利用しようとした輩がいたのだ。それだけ魔法に秀でておきながら、無垢なる幼子の命を消費するような悪辣な儀式を止めようともせず、更に悲惨な形で悪用した外道がな!」