深淵なるローグタリア 第二話③ 天秤が傾く時
「……狙いは……何だ……?」
激化する戦闘の最中、リシアが違和感に気づいた。
重力制御によって自在に空を駆けるネフィアゾーラと、光機の天翼によって超高速戦闘をこなせるリシア。そして、不可思議な力で二対六枚の翼をはためかせず浮遊する六つ首のドラゴン。
ネフィアゾーラの狙いがドラゴンに近接することであり、敵もそれを認識し防御に重きを置いている以上、戦局は苛烈な「空中戦」の様相を呈して当たり前のはずだ。
その中で総司はどうしても不利になるだろうが、直線的な推進力だけで言えば遅いわけではない。自在に動けなくとも何とか食らいつくような形で、リシアと共にネフィアゾーラの援護をする。そういう戦闘になって然るべきだというのがリシアの読みだった。
だが、ドラゴンの方が驚くほど動かない。ネフィアゾーラに対し抵抗しているし、事実として致命的な一撃を決して受けないよう立ち回っている。巨大な図体の割に、狂気的な咆哮を上げる割に、驚くほど理性的な立ち回りだ。
それほどの理性と知能を有するのだからなおのこと、さして動き回ることもなく、この場に留まり続けながらごく限定的範囲でのみネフィアゾーラを迎え撃っていることに、リシアは違和感を覚えたのだ。
「狙いか……それとも、“制約”か……?」
ネフィアゾーラの勝利条件がもしも総司の読み通り“肉薄し、接触し、強烈な一撃を叩きこむ”ことだとして。
ドラゴンの側の勝利条件が見えない。ネフィアゾーラと同じく、至近距離でしか使えない必殺の手札があるのだとすれば、ドラゴンもネフィアゾーラの攻撃を受けながらその機会を探っているのだと読める。
問題はその読みが外れていた場合だ。
狙い、或いは制約が、別のところにあるのか。
あるとすれば、どこにあるのか。終わりの見えない千日手のような戦いになりつつある、激しい戦闘の最中で、リシアの思考がどんどん深まって――――
「馬鹿か私は……!」
可能性の一つに辿り着く。致し方ないことではあるが、手を誤れば大変なことになる戦闘の最中、リシアの思考は戦闘以外の方面に対し鈍っていた。
「“セーレ”以外に何があるんだ――――!」
ネフィアゾーラがぶつかり、総司が飛ぶ斬撃を繰り出して敵の防御を削ろうと試みる中で、リシアが叫んだ。
「ソウシ!!」
総司がすぐに気付いて、空中を蹴りリシアの頭上まで引いてきた。
「セーレの元へ戻ってくれ! 恐らく、“カイオディウム・リスティリオス”でなければ――――!」
リシアが最後まで言い切る前に、彼女の言葉を背に受けながら総司はもう飛んでいた。
リシアの思考を、彼女が得た気づきを疑うことはなかった。
つまりリシアが思い至ってから最速に近かったが、しかし、決して間に合ってはいなかった。
『――――行きたいのね』
リシアが叫び、総司が反応して飛ぶ少し前。
ネフィアゾーラの黒ずんだ顔半分から黒い靄が発生して、ネフィアゾーラが寂しげに呟いていた。
『良いわ。行ってあげて』
「ッ……何だ……!?」
ヴィクターがセーレの前にさっと出て、接近してくる異様な気配から隠そうとした。
六つ首のドラゴンではなく、その前の幼体。
ヴィクターと同じぐらいの大きさしかない、怪物の分身が、薄気味悪い笑みを浮かべながら地を滑るようにヴィクターとセーレの方へ向かってきていた。
六つ首のドラゴンへと変貌を遂げる前の、ヒトのような肌色の体躯ではなく、おぼろげな青白い光によって構成された輪郭。
極上の餌らしいセーレに固執する怪物が放った刺客。幼体の姿から翼がなくなっており、蛇の如き動きだった。
怪物にとってのセーレの価値は、ネフィアゾーラの迎撃と同時並行で再びセーレの確保を目指すぐらいに高かった。
総司とリシアがネフィアゾーラの援護に加わったのをしっかりと待って、セーレの方へ牙を剥いた。理性と知能が高いというよりは狡猾だった。
「このっ……行かせはせんぞォ!」
ヴィクターが体を張って幼体の前に立ちはだかろうとするが、威勢のいい言葉とは裏腹にガクン、と膝が落ちて動けなくなった。
脳と神経が揺さぶられ、視界がぐらつき体の自由が利かなくなる。
ネフィアゾーラが召喚されてからは鳴りを潜めていた呪いが襲い掛かって、ヴィクターが動けなくなった。
「くっ……小癪なっ……!」
ヴィクターをかわし、幼体は、ヴィクターと同じく自由を奪われたセーレへと向かう。
異様な執着、何が何でも獲物を逃がさないという執念。
怪物の狡猾さを思えば、「セーレを完全に喰らう」ことが、ネフィアゾーラを無力化することに繋がるとも直感しているのかもしれない。
“エメリフィム・リスティリオス”によって総司が借り受けた力が、仮に発動中に“分け与えた者”が死んだ場合にどうなるのかは定かではない。が、当然避けたい事態だ。
もしもセーレが死ぬことによって“ネフィアゾーラ・ラヴォージアス”がその効力を失ってしまえば終わりだ。
異形の怪物と張り合える“精霊級”の戦力を失えば、この戦いに勝ち目はなくなる。
そういう現実的な勘定を抜きにしても、セーレを失うことはあってはならない。ヴィクターは何とかして体を動かそうとしたが、強烈な呪いの前に気合ではどうにもならなかった。
「逃げろセーレ!」
セーレが目を見張る。
ニタニタと笑みを浮かべる幼体が、がぱっと大口を開けてセーレの眼前に迫ろうとしたまさにその時、セーレの視界は黒い靄に覆われた。
身長の割にはちょっと太り気味で体格のいい、子供の姿を形作る靄が、セーレと幼体の間にふわりと割って入った。
「コーディ……?」
青白い光で構築された幼体の体が、両手を大きく広げるようにして立ちはだかる子供の姿の靄にぶつかり、ばふっとわずかに弾かれた。
黒い靄は途端に青白い光の侵食を受けて、ざあっと掻き消える。
ほんのわずかな時間だった。何かにぶつかったものの、大したダメージもない幼体が、にやりと気色の悪い笑みを浮かべて、不愉快な眼差しを再びセーレに向ける。
だが、その一瞬が必要だった。
「“カイオディウム”――――!」
尋常ならざる速度を持つ“女神の騎士”にとって、“絶対に間に合わない”運命を覆せるだけの時間だった。
「“リスティリオス”!!」
幼体の横を滑り、振り向き様に一閃。罪裁く大太刀は幼体を完璧に切り裂いて、その魔力を消し飛ばす。
セーレへの執着と、そのセーレを喰らうために怪物がしていたことを止めた手段。もしも怪物がセーレに再び牙を剥こうとするならば、それを止めるには同じ手を使う必要がある。リシアの読みは見事に当たって、大太刀の効力は絶大だった。
物理的にではなく、魔法的に、精神的に。
“魂”という、不明瞭で不確かなものを喰らうべく放たれた思念のような分身。そこに「直接的に」ダメージを与えられる“カイオディウム・リスティリオス”による影響は、リシアの予想も超えて――――
六つ首のドラゴン本体にまで及ぶこととなる。