深淵なるローグタリア 第二話② 天変地異
冷たくあしらわれても、めげるような性格はしていないのが総司である。
ネフィアゾーラを追いかけるべく、第五の魔法によって獲得した“ラヴォージアス”を操り、総司も空へ、黒い結界の外へ躍り出た。
“ラヴォージアス”による重力制御と、それによる飛翔は大変な難易度だった。単に空を飛ぶというよりは、自分に自然とのしかかってくる重力を弱めたり強めたりして空中で姿勢を保つという、凄まじいバランス感覚が必要だったのだ。
一瞬でゼロにしてしまえば総司の体は彼方に吹き飛ぶ。物理学に決して明るくない総司も、自分の体で感じ取る浮遊感からそれを理解している。あくまでも、エメリフィムで出来るようになった圧倒的な膂力による推進を補助する使い方しか出来ない。一朝一夕にも満たない現状ではやはり、自由自在な空中移動は不可能だった。
躍り出た先で、天変地異を見る。
この世の終わりみたいな光景だった。雲もないのに魔力だけで、雷鳴が轟くかの如き轟音が響き渡っていて、濃密すぎる魔力の激突が稲妻のような光を生み出している。
強烈で凶悪な力の激突は空振と地震を生み、シルーセンの村の周辺、その大地に亀裂を生んでいた。
ヒトとヒトとの激突ではそうそう起こり得ない、激突するだけで大地への破壊すら引き起こす頂上決戦。ヒトの身でその域まで達した戦いは、ゼルレインとロアダークの対決ぐらいだろうか。そして此度の激突は、その二人よりも「存在の格そのものが上」の生命によるものだ。
その最中で、空から落ちてくるように、ドラゴンのような異形の怪物に向かっていく小さな影が一つ。
ネフィアゾーラはぼろきれのような衣装をバタバタと風にはためかせながら、空中で異形の怪物と渡り合っていた。
禍々しい六つ首のドラゴンは、淡い水色の魔力を球体状にして纏い、ネフィアゾーラが容赦なく繰り出す「圧」から身を護りながら、未だ健在の光の鞭を縦横無尽に走らせて、小さなネフィアゾーラを捕らえようと狙っている。
総司たちを脅かした行動を制限する呪いも、ネフィアゾーラには通じていないようで、既に戦局は力業と力業のぶつけ合いへ移り変わっていた。
ドラゴンが吼える。空中で不可思議な光の炸裂が起きる。その炸裂の最中を、ネフィアゾーラが弾丸のように突っ込んでいく。
肉薄する両者の強烈過ぎる魔力が衝突した瞬間、空間に亀裂が走ったかのように光が拡散して、両者とも大きく弾かれる――――見たところ、その繰り返し。
遠距離での“ラヴォージアス”が牽制以上に機能していないから、何かしら「もっと強烈な魔法」を至近距離で叩き込みたいネフィアゾーラと、それを決して許さない六つ首のドラゴンとの”つばぜり合い”だ。
女神仕込みの剣術も、シドナ仕込みの体術も、極まったその道の専門家からすれば付け焼刃程度のものだろうが、天性の運動神経故か、戦闘における総司のセンスそのものは決して悪くない。
戦局を遠くから眺めれば、「ネフィアゾーラが怪物に触れられるほど接近する」隙を作ることが出来れば、そこに勝機を見出せると直感した。
淡い水色の、球形の防御壁を突破する術と、ドラゴン自身の抵抗の時間を数秒で良いから奪うこと。前者はネフィアゾーラが何とかすることに賭けるしかないが、ネフィアゾーラ自身が何度も突撃をかましている以上、彼女には突破の目算があると見ていいだろう。ならば総司の役目は――――
「ソウシ!」
“ジラルディウス”の翼を背負い、リシアが総司を追いかけて飛翔してきた。
六つ首のドラゴンに、セーレに構う余裕は最早ない。そう判断してリシアも加勢に出てきた。ネフィアゾーラと全力で戦わなければ、敵の側にも負けが見える戦い。全く勝ちの目がなさそうな戦いだったが、そういう状況にようやく持ち込めたのだ。
「やることは一つだ!」
総司が叫ぶ。
「ネフィアゾーラをあの化け物に近づけさせる――――手が触れられる距離にまで! そのための道を俺達で開く!!」
「わかった!!」
別々の方向へ飛ぶ二人。ネフィアゾーラが気付いて、ほんの少しだけ、薄い笑みを浮かべる。
『レヴァンチェスカが捕まえた男にしては、割と根性があるのね。でも――――』
ドラゴンの方へ突撃しようとしていたネフィアゾーラが方向を変えて、自分に近づいてくる総司の方へ飛んだ。
総司がぎょっと目を見張るや否や、ネフィアゾーラが総司の腹部にそのまま体当たりをかまし、彼の体をギュン、と彼方へ持って行く。
直後、ドラゴンの六つの首の内、三つが総司を狙いすました魔力と呪いの波動を放った。ネフィアゾーラのおかげで、総司は何とか回避することが出来た。
「うぉっ――――」
『片時も気を抜いてはダメよ』
ネフィアゾーラが総司をぽいっと空中に放り出しながら、淡々と言った。空中で「止まる」という形での姿勢制御がまだおぼつかない総司は、懸命に“ラヴォージアス”をコントロールしながらネフィアゾーラの言葉に耳を傾けた。
『アレは私たちを殺すためなら何でもやる。そういう存在。どんなものが飛んでくるかわかったものじゃないわ、手を出すなら心して掛かりなさい』
「了解……! 俺とリシアで道を作る、見逃さないようにしてくれ!」
『へえ――――ま、期待しないでおくわ。言った通りよ、勝手になさい。私も勝手にやる』
ネフィアゾーラが飛び、次いで総司が強烈な蹴りを繰り出して直進する。襲い掛かってきた波動をかわし、一気に六つ首のドラゴンに挑む。
「――――ハッ! 今日世界が終わると言われたら、信じてしまいそうな光景だな!」
天変地異の如き激闘が遠目に見える位置まで、ヴィクターとセーレも足を運んでいた。卵の殻のように割れた漆黒の結界の外では、ヒトの領域を容易く飛び越えた戦いが繰り広げられ、その渦中にヒトの代表たちが飛び込んでいく。
「 “ある程度の想定はしていた”が、オレの想像力などたかが知れていると思い知らされたわ。セーレよ、どちらが勝つか賭けでもするか?」
「……ネフィアゾーラの言っていた通りね」
セーレが非難するような目でヴィクターを睨んだ。ネフィアゾーラや総司と激突する六つ首のドラゴンを指さして、叫ぶように言う。
「“アレ”を知っていたんでしょう、ヴィクトリウス……!」
「ハッハー、待て待て、誤解だ。“あんなもの”は知らん。誓って、シルーセンの連中が試みようとしていた儀式のことも、事前に知っていたわけではない」
ヴィクターが真剣な表情で答えた。
「オレが知っていたのは、シルーセンの村に“何があるのか”。それだけだ。連中の非道なる行為が、オレの知っているモノによくない影響を齎すであろうという想定があった。その結果が『想定外』、というよりは想定以上というわけだ」
「……知っている、モノ」
「本来、ここにあったモノは貴様らシルーセンの民にとって守り神に等しい存在となるはずだった。それを起爆剤によからぬモノを呼んだのは、ここにいた大人たちだ。そして――――貴様を護ろうとしたネフィアゾーラもまた、ある意味では余計なことをした」
「彼女の一部が喰われたことを言っているの?」
セーレが声を荒げた。
「彼女は私をずっと助けてくれてたの、あなた達と違って」
「客観的事実を述べただけだ。理解しているとも。オレがしっかりしていれば、そもそもこんな事態にはならなかったとな」
巻き起こる天変地異、その最中で化け物と渡り合う三つの光。皇帝ヴィクトリウスは、それを見ていることしか出来ない。その事実への歯がゆさが感じられる声色で、セーレはわずかに怒りを引っ込めた。
「……ネフィアゾーラは、“アレ”を楔と呼んでいたわ」
「うむ、流石よな。見立ては正しい。精霊級の力でなければ留めおけぬ力を封じるための楔の一つだ」
「その楔を今、破壊しようとしている」
「構わん」
ヴィクターが力強く言った。
「遅かれ早かれこうなっていた。我がローグタリアが……いや、遥か遠きスティーリアよりも更に前の時代から、世界中の生命が目を背け続けてきた、言うなれば世界の負債というやつだ。どうやら今代が返済期限らしいな。これも巡り合わせよ。どのみち“アレ”をこのまま捨て置くなど出来るはずもない」
ヴィクターはセーレを振り向き、ふっと笑った。
どこか覚悟を決めたような、決然とした笑みだった。
「たとえ我らがここに辿り着かなかったとして、“アレ”はいずれ世界の有志によって討伐される運命にあった。事が起こってしまった以上はな。むしろ運が良かったのだ――――ソウシとリシアという絶大な戦力と共に、いずれの脅威も迎え撃つことが出来るのだから」
「……あなたが皇帝になってから、首都ディクレトリアはいろいろと慌ただしかったと聞いているわ。何故か『果てのない海』の方に向けて、装備を整えたって。それはもしかして、『脅威』に備えるため?」
「さて、オレはこう見えて小心者でな。護りの硬い寝屋でなければ熟睡できんのだ」
ヴィクターは少し冗談を交えて言いながら、激闘の光景へと視線を戻した。
「その備えも、ここで奴らが負ければ全て水の泡。オレもセーレも死んで終わりだ。先のことはまた後で話すとしよう。あの二人はもちろん、セーレにも知る権利がある。今更隠したりはせんよ」
「じゃあもうすぐ聞けるのね。楽しみにしているわ」