追憶のマーシャリア 第三話② ローグタリアの光と影
ローグタリアの機械文明の発展は、ヴィクトリウス・ローグタリアの治世よりも遥か昔から始まっている。
ローグタリアは魔法文明を決して否定しておらず、特にヴィクトリウスの治世の少し前からは、機械と魔法の高度な融合により豊かな生活を達成するという、他国に類を見ない発展を成し遂げてきた。
だが、現代の「両文明の融合的発展」という方向性が打ち出されるまでは確かに、どちらかと言えば「機械」に傾倒――――というよりは、魔法文明から少し距離を置くような傾向があった。
それは千年前の事件に起因する。当然現代ほどではないにせよ、当時から、総司の故郷で言うところの「からくり」的な分野で高い技術を持つ職人気質な風土のあったローグタリアは、主として「乗り物」で他国よりも多大な戦力を有していた。
その最たるものが、現在はレブレーベントでも使用されている空飛ぶ船だ。ローグタリアは魔法の力を駆使して、ドラゴンなどの力ある有翼生物の手を借りずとも空を駆ける船を創り上げていた。魔法と後に機械文明に通ずる技術力の比率で言えば、7:3ぐらいのバランスだったという。
その技術がカイオディウム事変の折、ロアダークによって悪用された。
ロアダーク自身は魔法を駆使した上での破壊者であり、策謀と暴力に長けていたが、最初から全てを得ていた万能の天才というわけではなかった。頭脳明晰でもあったロアダークに、ローグタリアの技術は着想を与えてしまった。
秀でた頭脳も持っていたロアダークは、ローグタリアの技術を取り入れ最大限に悪用する術を見出し、千年前当時では圧倒的とも言える空中船団を創り上げて世界に牙を剥いた。
海上国家であり、優れた防御力を誇っていたルディラントも、空を制するロアダークの軍勢を前にしては厳しい戦いを強いられ、そのまま押し潰されてしまった。
破壊的な魔法に特化した一人の魔法使いに、技術が加わったことで起きた凶行。その悪逆に自国の技術が惜しみなく投入されたという事実。これらの条件が、当時のローグタリアの民に「魔法に対する忌避感」を抱かせるに至り、且つ、当時の為政者に「他国に技術を教えること」の危険性を認識させた。
現代においても「機械文明においてはローグタリアが抜きんでている」と目されながら、かの国の技術があまり国外に出ていないのは、このような歴史背景がある。
そしてセーレの出身地である「シルーセン」の村は、千年前以降のローグタリアにおいて日陰に身を置くこととなった、魔法文明を主とする場所だ。
歴史上の大事件によって影に追いやられた魔法は、ここ二百年ほどに渡って明確な迫害があったわけではない。しかしながら千年前の事件直後は、変わらず魔法を生活の軸として置き続ける考え方に対して、ローグタリア国内で苛烈な「否定」が存在した。
魔法の実力は本人の研鑽はもとより、天賦の才にも大きな影響を受ける。そしてその才能の「天井」をこの世の誰も知らないのである。
魔法を極める天才が現れる可能性。想像を絶する傑物が出現する可能性。それはすなわち、魔法を主軸に置く限り、第二のロアダークが誕生する可能性に直結する。
千年という長い時間の流れがあって、そうした警戒は今に至って薄れているが、千年前時点ではそうもいかなかった。当時の軋轢と遺恨は薄まりながらも消えることはなく、現代にまで残り続けている。シルーセンの村は、ローグタリアの光と影を象徴する存在でもあるのだ。
「オレや近年の皇帝の治世において、“機械も魔法も、正しく使うことで常にヒトの文明の味方である”という考え方を主流にしたつもりではある。だが、どちらの立場においても相反する思想が存在するのは事実だ」
ヴィクターは重々しく言った。
「機械に頼るべきではないという思想も、かつて大きな過ちの遠因となった魔法を信頼すべきでないという思想も存在する。ローグタリア皇帝の役割とは、それらの思想を清濁併せて全てのみ込んで、それをおくびにも出すことなく臣民に変わらぬ安寧を齎すこと。オレの五代ほど前の皇帝から、ローグタリア皇帝はそうした役目を担うものと定義されてきた」
「両文明の融和」の象徴たるローグタリア皇帝という役割。人格の底までは知らずとも、総司の目には、ヴィクターはまさに適任に思えた。象徴としてのカリスマ性、他国に技術供与をしながらも、その程度を精密にコントロールするバランス感覚。底を知らないというより底が見えないヴィクターの才気はきっと、歴代ローグタリア皇帝の中でも傑出したものだ。
だが、為政者の常として。
全ての民の動向を一つ残らず把握し、一切の取りこぼしをしない、などという芸当は出来ない。
大きな器を持ったヴィクターですらも取りこぼしたローグタリアの影の部分。
セーレを苦しめるものは、そこにうごめいているのである。
「シルーセンの村、その近郊の魔法信奉者は、そうした歴代皇帝の治世に異を唱える者たちの集団だ。とは言え常日頃敵対していたわけではない。相反する思想であれど、対話は十分に行ってきたつもりだし、連中の反応も敵意に溢れたものではない。それなりに制御できていると思っていた……自惚れだったのだな、セーレ」
リシアに抱きしめられたままのセーレは、たださめざめと泣いていた。ヴィクターの横顔に刻まれた憤激の念に、戦闘力としては圧倒的に上であるはずの総司が身震いした。
これまで出会ってきた各国の為政者や、国の中枢にいる者たちと同じだ。戦闘力や頭脳の聡明さ・優秀性と言った言葉では言い表せない、為政者としての気迫、裂帛。上に立つ者のオーラ。女王エイレーンや王ランセムにも通ずる、総司では一生かかっても得ることが出来ないかもしれない「何か」。ヴィクターもまたその「何か」の持ち主であることがよくわかる。
最も敬愛する“女王”と、最も尊敬する“王”に通ずる何かを感じるとはつまり、総司からすれば最大限の畏敬の表れでもある。
一般人とは明確に違うとはいえ、未完成な部分も多いアレインやフロル、ティナの一段上。為政者としての器とはまた違った意味での偉大さを醸し出すクローディアとも一線を画す――――真に上に立ち、平時であろうと非常時であろうと民衆を導く、別格の器。
「酷ではあろうが、落ち着いたら話して聞かせよ。シルーセンで起きていることを……貴様が、オレに求めたいことを。ことここに至ってようやくわかった。オレは今この瞬間のために、マーシャリアにいるのだ」
ヴィクターの声は決然としていた。リシアがそっとセーレを離したが、セーレは立ち上がれなかった。
「……精霊顕現の、遥か上位」
重苦しく、虚ろな声が響く。
総司の目が見開かれ、対照的にヴィクターの目は細く、鋭さを帯びた。
「不可能な儀式、意味のない儀式――――“彼ら”が目指しているのは」
涙にぬれた顔を押さえて、身震いしながら恐怖を堪えるように。
セーレは恐る恐る、言葉を発した。
「遠きハルヴァンベントではなく、リスティリアを内から統べる――――“新たなる女神”の創造よ」
儀式の内容全てを、セーレが知っているわけではない。
セーレにとってその儀式は、シルーセンの子供たちに多大な犠牲を強いるものであり、犠牲を強いておきながら決して達成されないものである。その事実さえ認識していれば、恐れ、逃げようとするには十分だった。
魔法の才覚に秀でたセーレは、無意味な儀式の依り代として祭り上げられ、囚われの身となり、少しずつ体と魔力そのものを蝕まれてきた。
詳細はセーレも知らないが、すぐさま「生贄」としてしまっては依り代たるセーレの体が壊れてしまうのだという。数え切れない「子供たち」の犠牲の上に、儀式の実行者たちはようやくそのような結論を出した。結論そのものも全く無意味だということには気づかないままに。
それ故に、苦痛はじわり、じわりと、真綿で首を絞めるように、静かに、しかしとめどなくセーレに与えられ続けた。
セーレ曰く、「自分ではない何かが体に入ってきて、自分を追い出そうとする感覚」に、もう二年近くにも渡って冒され続けてきたのだという。
総司はもちろん、リシアもヴィクターも全く知識を持たない、「神を創り出そうとする所業」。その内容と実行者の理念は、この場では最重要項目ではないだろう。
セーレの精神は二年の歳月を経てほとんど毒されつくし、体と精神の繋がりが希薄になった。既にわずかの猶予もないその特殊な状況が――――体と精神が通常「夢」と呼ばれる状態以上に乖離しやすくなっているセーレの現状が、彼女の精神がマーシャリアに迷い込むという巡り合わせを齎すに至った。
幻想のルディラントが救世主の手によって旅立ちの日を迎えるほんの少し前、セーレはマーシャリアにやってきた。“哀の君”マティアは通常通りに、セーレの選定を行い、ここに来るべきではない意思として現世に送り返そうとして――――
セーレから必死の懇願を受け、遥か昔から見果てぬ未来まで続く“哀の君”の役目を一時的に放棄し、他の“魂”も、意思も、全てを巻き込んでマーシャリアを停滞させた。
「いつまでもこうしてはいられないことぐらい、わかってた」
消え入るような声だった。
リシアの手が総司の肩に置かれる。優しくも力強い手つきだった。
そうしなければ、総司を落ち着かせることが出来ないとわかっていたから。今にも怒鳴り散らしそうな総司を押さえる役目は、最早リシア以外には担えない。
「いつかこんな日が来るって……帰らなきゃいけないヒトが、ここに来て……私もちゃんと、現実と向き合わなきゃならないって、わかってたのにね……」