眩きレブレーベント・第四話⑤ 不思議な邂逅
王都にして水の都シルヴェンスは、今日も活気に溢れていた。王女アレインとの短い会合の後で、総司は王都をゆっくりと見物することとなった。
リスティリアに来て、リスティリアの民がいる街を見て回るのは初めてのことだ。
改めてみると、やはりここは本当に異世界だった。時々明らかに「ヒト」でない者も、ごく普通の日常に溶け込むように街を歩いている。白亜の街並みはシエルダにも通じるところがあり、やはり欧州のそれに似ている。総司も映像でしか見たことのない、日本とは様相の違う景色だ。
物理法則に逆らい流れる水が、ふわりと飛んで総司の頬を撫でた。これも魔法の為せる業か。女神の修行で多少は心得があるが、全ては戦うための力だ。生活に根ざした魔法というものを総司は使えない。見るもの触れるもの、全てが新鮮だった。
リシアから「報酬だ」ということで、多少は金を貰っていた。通貨の名は「リーグ」というらしい。総司の元いた世界とは違って、リスティリアでは通貨は共通だという。一部の国では、通貨そのものの価値が極端に低い――――その国の民が、リーグと言う通貨に価値を見出さないということもあるそうだが。
総司はその金を頼りに、適当な食事処に入ってみた。
リスティリアの文字を読むことには困らなかったが、名称を見ても何が出てくるやらわからないことが多々あった。とりあえず肉が出てきそうなメニューとエールを頼んでみる。
元いた世界では17歳の身だった。父を抜きにして食事を摂るとなれば、ファーストフード店かファミレスぐらいのものだった。こういう酒場のような食事処に一人で入って、少なくともレブレーベントでは総司の年齢でも合法である酒を頼んで、というのは、何となく気分が高揚するイベントだ。
「――――こんにちは。いえ、そろそろこんばんは、でしょうか」
喧騒の中で、明らかに自分へ向けられた声を聞いた。
総司は特に驚かなかった。リスティリアに来て、女王やリシアと出会ってから何度も反省してきたことだ。
安全であると確信が持てなければ決して警戒を解いてはならない。総司の鋭敏な魔力に対する感覚も、総司自身が緩んでいれば機能しない。
酒を飲もうが、休日と思ってうろついていようが、一人で行動するからには、油断するわけにはいかなかった。
城を出てからここまで、尾行されていることにはちゃんと気づいていた。
「隣、よろしいですか」
短い金髪に、サファイアのようなブルーの瞳――――素朴な可憐さを漂わせる女性が、総司の隣の席を引いて、静かに尋ねた。
「ええ、どうぞ」
混雑しているわけではないが、それなりに賑わってた。周囲の喧騒も程々にあり、二人に気を留める者は多くはなかった。
「……どれぐらい前から、気付いていました?」
「城を出てすぐぐらい、だったと思う」
「そうですか」
少女の口調は穏やかで、どこか感情がこもっていなかった。敵意があるわけではないが、親しみがあるわけでもない。含みを持たせるアレインとはまた異質の、真意を悟らせない声色だ。
白と蒼を基調とした動きやすそうなバトル・ドレス。生粋の騎士ではない。露出はリシアより多めだが、魔法と剣技を織り交ぜて戦うための身軽な装備。つまり彼女もまた、日々戦いに身を投じる者だ。
総司の分の食事が届いた。少女もエールだけ頼んでいた。
「最初に忠告しておかなければなりません」
一口、酒をぐいっと飲んで、少女は顔色一つ変えずに切り出した。
「あなたの旅路の果てに、あなたが望む未来はない。リスティリアに生きる一人として、リスティリアの民としての人生を……残り僅かな期間ですが、謳歌すべきです」
「出来ない。俺はもう、自分の誓いを覆すわけにはいかない」
肉料理は絶品だった。高級と言うわけでもないだろうが、外で食べる食事は格別に思えた。元いた世界のハンバーグに似ているが、口にしたことのない独特のスパイスがよく効いていた。
「女神に絆された男は皆、悲惨な末路を辿ります。あの瞳に魅入られて、幸福でいられた者はいません。女神にとって、あなたは駒に過ぎない」
「まあ、あいつが何考えてるかなんて、確かに本当のところはわからないけど」
総司もエールをぐいっと飲んで、笑いながら言った。
「俺がどうするかは俺が決めるさ。で、あんたは? 俺のこと知ってるみたいだけど」
「私はカトレア。リスティリアの行く末を憂う一人です」
「カトレア、俺の知らないことを知ってるな。俺が今喉から手が出るほど、とにかく情報が欲しい状況にあるってことも知ってる。そうだな?」
カトレアの頬に、ピリッと、焼き付くような感覚が走った。
総司はもう、笑っていなかった。
「何者だ。吐いてもらうぞ」
「……ここで暴れたら死人が出ますよ」
カトレアはエールを飲み干して、小銭をカウンターに置き、立ち上がった。
「あなたはきっとそれを嫌うでしょう。私は構いませんが」
「……そうだな。間が悪かった」
「ではこれで。いずれまた会うことになるでしょう。あなたが私の忠告に従ってくれれば、そんな心配もないのですが」
カトレアは気配を消し、喧騒の中をすり抜けて店を出ていった。
総司はじっとジョッキを持ったまま、動けずにいたが――――
「お兄さん、まだ飲むかい?」
カウンター越しに店主に問われて、はっと我に返る。
「ああ、頼む」
「しかし、美人さんだったねぇ。知り合いか?」
中年の店主がにやにやしながら聞いた。総司は首を振って、
「いや、初めて会ったよ。よく見かける顔じゃなさそうだな?」
「そりゃもう、俺も初めてさ。アレイン様ほどじゃあないが綺麗な子だった。あんな子がシルヴェンスに住んでるならすぐ噂になりそうなもんだ。貴族令嬢ってわけでもなさそうだけどねぇ、あの格好は」
カトレアと名乗る金色の少女は、総司と会うためだけにわざわざ足を運んできたということだ。
アレインだけではない。リスティリアには女神の危機を知り、総司の存在を知り、様々な思いを巡らせる勢力がいくつか、もしかしたら“いくつも”ある。
女神はリスティリアの「優秀な者たち」と言ったが――――
それは甘いかもしれないな、と総司は眉をひそめた。確かに、アレインにせよ先ほどのカトレアにせよ、普通に生きている者たちとは違う、傑出した何かがあるのは確かだ。
確かだが、そういう「傑出した者」が全て、女神を救うため、リスティリアに安寧を齎すために行動してくれるとは限らない。
「そう言えば言ってたなぁ……」
“私の愛の届かない存在もいる。”
“そんな単純なことを見落とした――――”
もしかしたら、愛が深く信じすぎるということが、彼女の欠点なのかもしれない。
「しかしまあ、やっぱりアレイン様には敵わんね。何よりこう……スタイルが」
「おぉ、不敬罪じゃないの?」
「下々の下世話な酒飲み話よぉ、許してくれるさ。昔はたまーにこの店にも来られてたんだぜ」
「えっ」
食事も美味しいし、にぎやかで良い店だとは思うが、それでもこの店は「庶民」の店だ。王族がふらりと立ち寄るような場所にはとても思えなかった。
「バルド団長に連れられてな。もう数年前までの話だが。アレイン様は丁度お前さんが食べてるのと同じ、リリザの肉料理が好きでな」
リリザ、とはレブレーベントの田舎街の名前だ。シエルダのように王都から離れた「地方」というやつだが、畜産と農業が盛んで、おいしい特産品がいくつもある。
「今のカッコいいあの御方も好きだが、あの頃のよく笑うアレイン様も素敵でね。しかしお綺麗になられ過ぎた。こんなとこに来られちゃ目立っちまっていけねえわな」
「……俺はシルヴェンスに来たばかりなんだけど」
「おや、そうだったのかい? 悪いね、昔なじみみたいに」
「いや、ありがたいよ。聞かせてくれ。王女様のことはあんまりよく知らなくてね。聞いた話じゃ、女王陛下とあんまり仲が良くないとか」
リシアやカルザスに聞いた、アレインの過去と女王の怒り。店主は苦笑して、
「ま、陛下はものすごい御方だ。おかげでアレイン様もものすごいわけだが、ちっと陛下が厳し過ぎたんじゃねえかと、俺は思うね」
意外な言葉だった。
アレインがその美貌で勝ち取っていた民衆の人気は、彼女が実力を見せつけた出来事の時に陰ったと聞いたが、そうではない者もいるようだ。
総司にお代わりのエールを渡して、店主は続けた。
「王家ってのはそのへん、俺ら庶民にはわからん大変さがあるんだろうがね。陛下とアレイン様はお二人とも凄いが、種類の違う凄さっていうのかな。水と油みたいなもんだ」
水の都にあって、アレインは“油”というのは、うまい表現だとも思った。
誰もが認める本物の天才だが、誰もが感じる異質さがある。
「王女様は、民を想う人だと思う?」
総司が聞くと、店主はすぐに頷いた。
「いろいろと妙な噂もあるがね。あの御方は、民のために体を張れる人だ。それだけは間違いないと思うよ」