追憶のマーシャリア 第二話② 散り散りの試練
ルディラントの民の魂、王ランセムがこの世に楔の如く打ち込んだ残滓の存在まで、“哀の君”マティアの思惑の中に入っていたのかどうかは疑わしい。
そもそも、彼らは全て魂の「残滓」をもとに、限定空間内でのみ肉体を再現された奇跡の存在であって、その残滓すらもがマーシャリアを通るに値したのかどうか定かではない。今回の奇跡は、マーシャリアの法則はおろか、「命」の法則にすら足を踏み入れるもので、総司たちにとってみれば理解不能な領域に達している。
しかし理解する必要はないのだ。彼らが確かにここに存在し、総司たちを導いてくれた。その事実が目の前にあった以上、それが既存の法則に当てはめてあり得るか、あり得ないかを論じるのは不毛な話である。
既に疑念など一切なく、総司とリシアは迷いなく二つの光の導きを追いかけ、ヴィクターはそんな二人を信じて追従し、セーレはそんな三人に置いていかれまいと付いていくほかなかった。
が。
「ずおう!」
「あっぶねえ! オイもうちょっと気を付けろヴィクター!」
「ハッハー、いやすまんすまん……おぉ、死にかけたわ。何度目だ?」
城の中は迷宮じみており、同時にトラップだらけだった。侵入者を排斥するという強い意思に満ち満ちた、総司とリシアがいなければ容易く落伍者が出る強烈な罠の数々。
外観とは明らかに形状の違う内部の一つ、円柱状の空間で空中に浮かぶ足場を登っていく場所では、支えとしていた足場が急に消えたり、細かく振動する足場に悪戦苦闘したり、ヴィクターとセーレは何度も落ちそうになり、そのたびに総司とリシアが捕まえた。結局今は、総司がセーレを抱えて、リシアと共にヴィクターをフォローしながら上へあがっているところである。
「フゥム、流石のオレも肝が冷えっぱなしだ。この高さ、マーシャリアに死の概念があるかは定かではないが、この頼りない足場に全てを託すには……」
「弱音吐くんじゃねえ! 皇帝だろ!」
「皇帝は全能ではないわァ! 貴様さてはオレのことをだいぶ低く見ておるな!?」
頼りない足場の「ステージ」を切り抜けたと思えば、次はそこら中から剣やら斧やらがとびかかってくる長い廊下を攻略することとなる。
古典的なトラップが多いが、全てに殺意が滲み出ている。だが、ふわふわと前方を行く恩人二人の魂は、全くペースを落とさない。
総司とリシアであれば問題ないという全幅の信頼。その信頼に応えるように、総司もリシアも驚異的な対応力とコンビネーションで、普通なら何度でも死んでいるであろう罠の数々を攻略していく。
“哀の君”が与える試練など、二人には何ら脅威ではない。先を行く二つの魂から“哀の君”へそれらを見せつけるための、どこか反抗的なメッセージであるかのようだ。
「うおう!」
廊下を転がり出た先で、巨大な石像の腕がヴィクターに向かって振り下ろされ、ヴィクターはからくも逃れた。
そしてヴィクターが体を起こし目を向けた次の瞬間には、石の巨像は総司とリシアによって無残にも切り裂かれていた。
「おぉ……!」
「下らねえ」
古典的な罠や妨害の数々を潜り抜け、総司がフン、と鼻を鳴らした。
その声色には心底うんざり、という感情もあるものの、決して慢心はしていない。むしろ疑念と警戒心を含んでいた。セーレをそっと床に下ろし、不満げな声を漏らす。
「こんなもんで俺達の何を測れるつもりだ?」
「確かにな……」
レヴァンクロスを抜き放ったまま、リシアが頷く。
「お前を“女神の騎士”と認識しているなら、こういう“わかりやすい脅威”をぶつけることに意味がないのはわかり切っているはずだ……」
「それは深読みが過ぎると思うがな!」
ヴィクターがぱちぱちと手を叩きながら言った。
「並の戦士では、これまでの罠全て命に関わるものだった。それを手すさびの如く対処する貴様らこそ規格外のそれよ。もっと誇ってよいぞ、オレが許す! なあセーレよ!」
「え、ええ、そうね。少なくとも私とヴィクトリウス様だけだったら百回は死んでるわ」
「ハッハー、これこれ幼子よ! 他人行儀な呼び方をするでないわ! 親しみを込めてヴィクターを呼ぶがいい!」
「込めたくないわよ、親しみなんて」
辛辣なセーレの言葉も何のその、ヴィクターは意気揚々と、廊下を出た先のだだっ広い空間に目をやって腰に手を当てた。
「頼もう!!」
見たところ扉もなく、ただドーム状の仄暗い部屋が広がるだけ。ヴィクターの威勢のいい声にも、返事をする者はいない。
「なあ何で戦えねえくせに勝手な真似すんの? 縛り上げて運んでやろうか皇帝陛下」
総司がニコニコしながらガッとヴィクターの肩に手を乗せた。あまりにも力が強かった。
「ハッハー、よいではないか! いや、よくはないな。何も起こらんのでは手の打ちようがないぞ?」
「うるせえ」
バシッとヴィクターの背中を叩いて、総司がすいと部屋を見回す。
放射状に広がる床の紋様に、何か特徴的な形はない。これまでリスティリアで見てきた国や建物に似た模様があったわけでもない。
ドーム状の天蓋にヒントがあるわけでもなく、導き手たる二つの魂は部屋の中心でふわふわと浮いているだけ。
手が詰まるはずはない。総司にもリシアにも確信めいたものがある。
“あの二人”がここへ導き、慌てた様子もなく動かない時点で、ここまで歩んできた道は正解だという確信。
総司はこの城での一連のアトラクションじみた道のりを、“真実の聖域”にも似た試練だと感じていた。
奇跡のような仮初の再会を果たしたルディラントの皆の魂と、そのルディラントで行き会った試練によく似た道のり。
ヴィクターの言う通り深読みが過ぎるだけなのかもしれないが、総司は、“哀の君”が与えたいのは「力を試すだけの試練」ではないのかもしれないと思い始めていた。
「とりあえず、寄ってみようぜ」
総司の合図で、四人が総司を先頭に連れ立って部屋の中心部へ移動する。
そして二つの導き手たる魂と触れ合う距離まで近寄った瞬間。
また何の予兆もなく景色が変わり、真っ暗闇となった。しかも、今度はこれまでと事情が違った。
警戒する暇もなく、他の三人が消え失せて、総司は一人になってしまった。何も見えない暗闇の中で、すぐそばにいた三人の気配が消えてしまったのを感じ取り、総司がきっと目を鋭く細める。
「ッ……! これは――――」
“覚えのある魔力”の気配、“邪悪に過ぎる”感情を背後からあてられて、総司が振り向く。
振り向いた瞬間、景色がまた様変わりした。より“直接的”な景色の中へ、総司は迷い込むことになる。
ルディラントの王都、ルベル。夕暮れ時の黄昏、紅蓮に染まり上がる美しい街並みの最中。
振り向いた先にいる男を見て、総司の背筋に寒気が走った。感じ取った魔力の質を、間違えるはずもない。
様々な事情が、条件があったことは間違いないがそれでも、リスティリアにおいて最も総司の命に迫った魔法の気配。
伝承魔法“ネガゼノス”の、忌まわしくも圧倒的な力の奔流である。
「ロアダーク――――!」
はげ上がった頭の大男が、“あの日”と同じ黒いローブのような衣装を纏い、“あの日”と同じ場所に立っていた。
総司がリバース・オーダーを抜き放った。蒼銀の魔力を回し、迎撃態勢を取る。魔力の取り回しも、手先の感覚も普段と同じ、全く問題はない。
ロアダークの魂までもが、”哀の君“の身勝手によってこのマーシャリアに留め置かれたというのだろうか。そうだとすれば「千年」の牢獄が続いていることになり、先ほど出会ったルディラントの皆の魂も全て囚われ続けていたことになる。
だが、違和感がある。総司は、“ディノマイト・ネガゼノス”の光を宿して突撃してくるロアダークを見据え、確かな違和感を覚えていた。
「――――何だそりゃ……?」
迫りくるロアダークの突進と右ストレートをかわし、その腹にリバース・オーダーを横なぎに当てる。
切り裂くには至らなかったものの、総司は野球のバッターのように思いきり剣を振り抜いて、ロアダークの体を大きく吹き飛ばし、ルディラントの街並みへ、家屋の一つへぶち当てた。
「ベルの方が万倍強え――――テメェ“ハリボテ”か」
ロアダークは物言わず、総司に続けざまに向かってくる。
蒼銀の魔力を剣に流して、総司が再びぐっと構えた。
ロアダークの子孫であり、当代の“ネガゼノス”の使い手であるベル・スティンゴルドが操る“ディノマイト・ネガゼノス”と比べるべくもなかった。
ベルのそれは速度も威力も一級品、彼女自身の身体能力の高さと戦闘技術の高さもあって、総司が相手でなければ常に必殺の攻撃力を持っていた。
今相対するロアダークは、動きも緩慢で魔法の威力も全く伴っていない。
この程度の相手にサリアが敗北を喫するはずがない。総司は多少の怒りも込めて剣を振り抜き、今度こそロアダークを切り裂く。
黒い霧となって消えていくロアダークを見据えつつ、次に何が起こるのかとしばらく警戒したが、特に何事もなかった。
息をつき、ルディラントの景色に目をやる。懐かしいとはいえ、黄昏のルディラントに良い思い出はない。まさに総司が今立つこの場所で、ルディラントの守護者は命を落とした。
「……この景色は、お前には毒じゃねえのか」
青と金の光が総司に付いてきていた。光は総司の周囲をゆっくりと旋回し、ふわふわとどこかを目指して移動を始める。総司はすぐ、その後ろに従った。
二度と訪れることがないはずの場所だ。多少の感慨を覚えずにはいられない。
とはいえ、いつまでも物思いに耽るわけにはいかない。他の三人とはぐれてしまっているのは由々しき事態だ。
リシアはまず問題ないという信頼があるが、ヴィクターとセーレはそうもいかない。総司と同じような荒事に巻き込まれていたら大問題である。何らかの力を隠していないという保証はないが、二人の実力が総司の見立て通りなら、今の「偽ロアダーク」程度の相手ですら脅威に過ぎる。
「まあ焦ったところで、お前に付いていく以外にできることもねえんだけど。頼んだぜ」