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リスティリア救世譚  作者: ともざわ きよあき
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追憶のマーシャリア 序章③ 哀の君マティア

 麗しい金色の長髪に、虚ろな左目と、右目を覆う眼帯が特徴的な、すらりと背の高い美女が、ゆっくりと坂を下る。


 彼女の歩みに合わせて、徐々に灯りが消えていく。まるで彼女に見つかりたくないと、彼女を避けるように。


 ボディラインが浮かぶ、体にぴっちりと吸い付くゴムのような素材の、黒とグレーの衣装を身に纏い、指の先まで黒に覆われた彼女は、切れ長の眼差しを通りの隅々にまで走らせた。


「……そんなはずはない」


 坂を下る途中で、はたと足を止める。端正な顔立ち、感情のない目に、ほんのわずかに驚きの色が宿り、『彼』がいた場所を見つめ、呟いた。


「レヴァンチェスカがここに……? 馬鹿な……あり得ない」

『だがこの気配、あの女神のものに酷似している。わずかに質は違うが……』


 おぼろげな、消える寸前の炎の如き灯りが、彼女の背後ですうっと形を作った。刺々しい体躯の四本脚の獣だ。オオカミにも似た顔つきで、その口元が声に合わせて動いた。


『海の香りがする……なるほど、“アレ”に引き寄せられたか。だからさっさと手放せと言うのに。お前の身勝手がこの事態を招いた』

「……あぁ……来てしまったのね……どうして……」

『どうするつもりだ。お前が自らの使命に立ち戻らぬ限り、リスティリアは滅ぶぞ』

「……わかってる」


 わずかに灯されていた光が、ごうっとうねりを上げる風と共に残らず掻き消える。


 紫がかった暗闇の中で、彼女はもう一度、静かに呟いた。


「わかってる」











 なだらかな坂の傾斜に沿って立つ、一言で言うなれば「秘密基地」のような住居だった。


 適当な鉄板を重ね合わせてごつごつとした形に造られた家とも基地ともつかないそれは、石造りのそれなりに洒落た家が立ち並ぶ大通りでは目立っただろうが、裏路地を何本か曲がった先にある区画では、形だけ見ればさほど悪目立ちもしない。


 スラム街のような区画で、瓦礫や端材を頼りに造られた家が、そこら中にあるからだ。


 とはいえ、あくまでも「形だけ見れば」目立たないというだけである。少女が三人を連れてやってきたその住居以外に灯りはなく、「誰かがいそう」なのはこの場所だけ。それでも少女は、この家に到着すると安心したように息をついていた。


「――――私の名前はセーレ。いつここに来たのかはもう覚えていないわ。随分長くいると思う」

「フゥム、興味深い。記憶が摩耗するほど遥か昔ということか? しかしそれでは道理に合うまい幼子よ」


 招き入れられた部屋は、総司が見たことのない、よくわからない石造りの置物や、枯れ木で出来た杖が散乱していた。椅子らしいものもなく、総司たちは手近で手ごろなサイズの置物に腰かけて、不思議な少女・セーレとようやく落ち着いて話が出来た。


 セーレの名乗り、そして端的な説明に対し、すぐさまヴィクターが口を挟んだ。


「幼子を疑うというのはオレの流儀にいささか反するが、そうせざるを得ん。“随分長くいる”、この言葉の具体性によってはな」


 ヴィクターはやはり、正しい。総司とリシアも気づいてはいたものの、少女にしか見えないセーレにすぐさまその疑念をぶつけるのを躊躇ってしまった。


 もしも「長くいる」という言葉が、「何年もいる」という言葉に置き換えられるとすれば、セーレの見た目の説明がつかない。


 例えば五年、この摩訶不思議な空間にいたとして、セーレが二十代や三十代という見た目であったなら納得感もある。少なくとも言葉尻一つとらえていきなり疑うような真似はしなくてよかった。


 しかしセーレの見た目が「せいぜい十二歳」程度となると話は別だ。五年前にここに来たなら当時七歳、十年の月日が流れていたら当時二歳である。見たところたったひとりだ。このよくわからない異次元空間のような場所で、年単位で生き永らえてきたというのは信じがたい。


「そうね、ここの時間の流れが“あなたの常識通り”なら、正しい疑問」


 セーレはそう言って、ふと総司に聞いた。


「ところで喉は渇いてる?」

「え? いや、別に」

「おなかは減ってる?」

「……いや、特に」


 亡霊たちとの戦闘もそこそこに長かった。ここまで来る道中でそれなりに走り息切れもあったが、喉の渇きは特に感じない。


「ハッ、なるほど。そういうことか、誤認しておったわ」


 バチン、と大きく指を鳴らして、ヴィクターが核心をついた。


「“意識”の世界か! してやられた、言うなれば“夢”に近しい! この体、オレのものであってオレのものではない、そういう話であろうセーレよ!」

「おおむね正解よ」


 総司とリシアが顔を見合わせる。


 ここに来る直前の記憶に乏しいのは、意識だけを持って行かれているから。合点がいくというほどのこともないが、強制的に睡眠状態に陥ったような話であれば、「本体」としての総司やリシアが拉致されたというよりは納得のいく話だ。


 剣もあり、魔法も使える。だがそれは「本体」としての能力の行使ではない。


「意識……けどもし本当にそうだとするとまずいじゃねえか! 得体の知れない場所に俺達の体は置きっぱなしってことだろ!?」

「これは……かなり大変な状況かもしれん……!」


 事の重大さはとんでもない。何の因果か、どういう理由かは全て置いておくとして、セーレの言う通り意識だけがこの空間にさらわれているというのなら、本体としての二人は地図にない「大地の角のような山」に取り残されているということだ。


 無防備な二人の体が魔獣に食い荒らされでもしていたら、抵抗できないまま命が尽きる。考えたくもない終わり方である。


「……大丈夫そう、には見えるけど」

「何でそう言い切れる?」

「うまく言えないけど、あなた達二人と、あなた」


 総司とリシアをひとくくりに、ヴィクターは別に。セーレは意味ありげに二人と一人を分けた。


「“ここに来ることになった理由”が違うような気がするわ。あなた達二人は誰かの意思でここにきている。きっと、その誰かがきちんと匿ってくれているんじゃないかしら」

「……眉唾物だな……落ち着けたもんじゃねえが……」


 総司はガシガシと頭を掻いてため息をついた。


「何にせよ“そうでなかったとして”何が出来るんだっつー話か……!」

「参ったな……しかしそこまでわかるものなのか、セーレ」


 リシアが不思議そうに聞いた。


「君には、我々に見えないものが見えている。それはこの場所に長くいるがために見えるものなのだろうか」

「ええ、恐らくね。ここは“自分”と“自分以外”の境界線がとっても曖昧な場所。あなた達もその内慣れると思うわ。まあ、慣れるほど長くいるべきではないと思うけれど」

「ハッハー、待て待て! その論でいくとオレはどうなるんだ、見立てを教えよ!」

「あなたは……偶発的ね、多分。何でか知らないけどここにいるわ。別にいなくても良いのにね」

「ハッ! 流石オレ、既存の枠に収まらん男と言うわけだ!」


 なんでもポジティブに解釈する性格らしい。ヴィクターはやれやれ、と言わんばかりに肩を竦めた。


「さてセーレよ、貴様の身の上についてはこれ以上問うまい。どうやら話したくないことがあると見たが、誰にでもそういうものはある! 不問とするぞ!」

「あら、どうも」

「しかし別の事象を問わねばならない。先ほどのことだ」


 ヴィクターがずいっとセーレに迫った。


「“何かが近づいてきていた”はずだ。そして貴様はそれを危険視して、我らを遠ざけようとしてくれたと見受ける。アレは一体なんだ?」

「……“哀の君”よ」

「“哀の君”……?」

「そう。“哀の君”マティアの御成り」


 マティアという名をセーレが口にした瞬間、部屋の気温が明らかにぐっと下がった。そんな気がする、というレベルではない。鳥肌が立つほどに寒くなった。


「名をみだりに口にしてはいけない。“哀の君”と呼ぶのが無難ね」

「ハッハー、道筋が決まったな!」


 ヴィクターがもうおなじみとばかり指を鳴らし、威勢よく言った。


「……だな」


 ヴィクターの威勢に、総司もこくりと頷く。


「“哀の君”との接触は必須だ。手繰れる糸はそこしかねえ」

「まだあの大通りにいるだろう! リシアはセーレと共にここで待機だ、まずは男二人で挑もうではないか!」

「よぉし行くか」

「ただし斬った張ったとなれば任せたぞソウシ!」

「おぅ――――いや待て、じゃああんたは何しに付いてくるんだ……?」


 ざっと立ち上がる二人を、リシアが呆れたような声で引き留めた。


「そう急ぐな二人とも、大事なことを聞きそびれている」

「最も重要な事項は聞けたぞ!」

「“哀の君”とまともに話し合いが可能なら、何故セーレはすぐに引き離そうとしてくれたんだ」


 総司とヴィクターが顔を見合わせ、無言でその場に座りなおした。


「何かある。そうだな、セーレ」

「ええ。あなた達に説得できるとは思えないわ。“哀の君”は役割を放棄してる。放棄してでも貫きたい意思がある――――彼女の心を変えるのは、至難の業と言っていい」

「やはり物知りだなセーレ。さて、ではその役割とは何かを問うとしよう」

「……私の質問に答えてくれたら、答えてあげる。だってそうでしょう、私ばかり聞かれて、平等じゃないわ」

「ハッハー確かに! これは失敬、許そうとも! 何が聞きたいのだ幼子よ、ちなみにオレは肉付きの良い女性が好みだ!」


 随分と間の抜けたカミングアウトをするヴィクターに、セーレが鋭く言った。


「ヴィクターだなんて、どういう了見なのかしら、“ヴィクトリウス”様」


 時間が止まった、と錯覚するほど。


 不気味な静寂が、四人を包み込んだ。


「……偽名、か? そうなのか?」


 総司がぎろりとヴィクターを睨みつける。


 ヴィクターは彼らしく、誤魔化すことはしなかった。


「違うな、むしろ抜けておるのは貴様らの方だ。ヴィクターとは日常でも使っておる愛称よ。故に最初に言ったはずだ、オレのことはヴィクターと“呼ぶが良い”とな!」

「ッ……テメェ――――」

「危険はないわ」


 にわかに殺気立った総司に、セーレがビシッと言った。


「何で言い切れる」

「ヴィクトリウスの名、リシアは聞き覚えがあるようだけど?」


 セーレの言葉通り、リシアは目を見張り、雷に打たれたような顔をしてヴィクターを見つめていた。


「……知ってんのか、リシア?」

「知ってるも何も……お目にかかるのは初めてだが、ヴィクトリウスとは――――」


 リシアはさっと、今更ながらレブレーベント流の臣下の礼、手を後ろ手に組み背筋を伸ばす姿勢を取りながら、呟くように言った。


「ローグタリア皇帝陛下の御名前だ……!」


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