眩きレブレーベント・第四話④ アレインに聞く
「ソウシ!」
リシアの呼びかけに、総司はハッと目を覚ます。
慌てて体を起こしてみれば、そこは二人で共に踏み込んだ広間だった。
踏み込んだ時の明るさは既に失われ、魔法の火が壁際で寂しげに照らすだけの、暗い大広間だ。
「だ、大丈夫か? 体に痛みは? 違和感は?」
「あぁ、いや、大丈夫だ……俺は……?」
「部屋に入った瞬間気を失ったんだ……覚えていないのか?」
「……なるほどな」
女神との邂逅は、いみじくも総司が言った筈だが――――やはり一筋縄ではいかないらしい。苦笑して立ち上がり、剣の無事を確かめた。
「悪い、問題ないよ」
「ないはずがあるか。ソウシ、隠し事はなしだ。嘘はつかない、そういう約束だっただろう」
リシアが厳しい顔で詰め寄った。確かにその誓いを立てた。総司はどうしたものかと迷ったが――――先ほどの女神との会話を思い出す。
頼れるものは頼れ。“それ”があることを、幸運と思え。
「……レヴァンチェスカと会ったんだ」
女神の忠告に従い、そして己が立てた誓いに従い、総司はリシアに、レヴァンチェスカとの会話の一部を聞かせた。さすがに、自分が情けなくも弱音を吐いたことまでは話す必要がないと思ったが、女神の幻影と出会ったという事実は、協力者であるリシアに隠すべきではないと思い直したのだ。
「――――気になるな……わざわざお前に伝えた、国名変更の理由、か……」
「リシアも知らないのか?」
「恥ずかしい話だが……私が学んだ祖国の歴史の中に、そんな事実はなかった。しかも、女神さまは『アレイン様に聞け』と仰ったのか……」
「その前に女王陛下の名を口にしたということは、王族しか知らないってことだろうな」
「うぅむ……しかし女神さまのご忠告だ。何も意味がないとも思えん」
リシアはうん、と頷いて、
「ともかく、“レヴァンクロス”の確保だ。恐らくはこの奥にあるのだろう。回収して城に戻り、アレイン様か……お時間があれば陛下にも、尋ねてみよう」
「おう。ま、ここで考えても仕方ないわな。さて……」
広間の奥の、簡素な扉を見やり、総司が目を細めた。
「何が出てくるやら、まだ油断できたもんじゃない。気を失っておいて言えたもんじゃないが、気を引き締めていこう」
「私が先に入る。お前に万が一のことがあってはまずい」
女神が突如来訪した、とは言え、一度気を失って倒れている総司を気遣い、リシアが進み出た。
ひんやりとした、心が洗われるような、神秘的な部屋だった。
およそ、世界の命運が託されている重要なアイテムがあるとは思えない、こぢんまりとした部屋の中心に、その台座はあり、そのアイテムはあった。
女神の領域に至る聖なる鍵――――レヴァンクロス。
その正体は――――
「……剣……」
黒と銀の刀身を持つ、両刃の剣。柄の部分に埋め込まれた紺碧の宝玉から、莫大な魔力の気配を感じる。
「間違いないな」
吹き抜ける風のような清涼な魔力。神秘的な空気はあの剣が創り出している。紛れもない、あれは女神の力が宿った聖遺物だ。
総司がそっと手に取って、台座から引き離す。特に何のアクションもなかった。
「……とりあえず、リシアが持ってて」
「何故!?」
総司がすっと剣を差し出すと、リシアがずざーっと後ずさりした。
「いや、俺もう凄いの持ってるし……」
「べ、別に武器として使うわけでもあるまいし! 私が持つには荷が重い、ソウシが持ってくれ!」
「良いから良いから。俺が身軽な方が良いだろ、帰りの安全的な意味でも」
「それはそうかもしれんが……何と恐れ多い……」
何故か総司に恭しく頭を下げ、リシアがそっと剣を受け取る。鞘のない剣だったため、リシアは携帯していた袋に入れていた、長めの布を取り出して、剣を大事そうに包んだ。万が一の負傷に備えて持ってきていたものだが、思わぬところで役立った。
「首尾は上々、と言ったところだな。よくやった。レヴァンクロスは城の研究者たちに預けてある。イチノセと触れあって何の反応もないのは予想外ではあったが」
「あ……ええ、そうですね」
ビスティーク宰相の言葉に、リシアが一瞬だけ躊躇ったが、すぐに答えた。
レヴァンクロスと触れ合う直前に総司は女神と会い、大事なことを告げられているのだが、この場で話すべきではないと直感が告げていた。
「魔獣の活性化に関する情報はあまりなかったか」
「ええ……残念ながら、あの聖遺物が何らかのかかわりがあるとはとても思えません。神殿までの道のりでこそ、数え切れないほどの魔獣と交戦しましたが、神殿内部は平和そのものでした」
城に戻り、ビスティーク宰相に事の顛末を報告するのはリシアの役目となった。総司はリシアと別れ、ひとまずはアレインが彼に託した「カイオディウム事変」の本を読むと決めたのだ。
「あの聖遺物、どうなさるおつもりで?」
「イチノセの来訪と共に、レヴァンクロスが強力な魔力を発し始めたことは事実だ。その事象を一通り観測した後、救世主の手に戻すこととなる。とは言え、イチノセは既に強力な神器を持っておる……どういう処遇とするかは、陛下のお心次第となろう」
「……女王陛下に、御目通り願いたいのですが」
「陛下は今、城を離れておられる。戻られたら連絡を入れよう。ご苦労、アリンティアス、しばし休め」
「ハッ」
リシアが頭を下げ、執務室を出ていくと、ビスティークは深くため息をついた。
「全く……お転婆が過ぎるといずれ、痛い目を見ますぞ、陛下……」
同じ頃、総司はリシアには内緒にしたまま、アレインの部屋を訪ねていた。
正直、本を読むよりも彼女に直接聞いた方がずっと効率的だと思っていた。リシアの前でそんなことを言うと、彼女はやたらとアレイン王女のことを警戒しているようだから黙っていただけだ。
「こんばんはー。総司ですけどー」
「あら」
ドアをノックしながら総司が声を掛けると、部屋の中から意外そうな声がした。
「これはこれは。入っていいわ」
アレインの許しを得て、総司は「失礼します」と声を掛けながらドアを――――
「何で半裸ァァァ!」
半分開けて、すぐさま閉めた。下着の上から、下着が透けるような薄いネグリジェを着ただけの王女をバッチリ見てしまった。アイドル的な人気をかつて博した絶世の美少女に相応しく、とても目に優しくないスタイルだった。
「別に、自室なんだから楽な格好で良いでしょう。良いから入りなさいな、私は気にしないから」
「俺が気にするんでもうちょっとなんか着て!」
「もう……王女に対してなんてわがままな……」
いろいろと言いたいことはあるものの、そこは相手が王女である。総司はぐっと押し黙った。
「着たわよ。入りなさい」
「……ホントに着た?」
「何疑ってるの。撃つわよ」
「何を撃つ気だよ」
ドアをそーっと小さく開けて中を見ると、ちゃんとスカートと薄手のセーターを着たアレインが、手にバチバチと雷を宿して凄惨に微笑んでいた。
「待て待て待て!」
慌てて部屋の中に入り、扉をバタン、と強めに閉めた。アレインは満足そうに頷いて、雷をふわりと消し去った。
「結構。紅茶は嫌いなの。コーヒーでも良い?」
「ああ、いや、お構いなく。……しかし、良い部屋だな」
年頃の乙女らしさは感じないが、王族らしく豪華絢爛に飾るでもなく、ダークブラウンを基調として質素にまとまったセンスの良い部屋だった。天蓋付のベッドがあるわけでもないし、無駄に宝石がちりばめられたりもしていないのだが、高級感がある。
「ありがと。適当に掛けなさい。暇をつぶせるようなものはないけどね」
アレインは手際よくコーヒーの準備をして、慣れた手つきで総司に差し出した。
こういうのは給仕の役目、と思っていたのだが、アレインは随分と生活力があるらしい。王族らしからぬ印象を受けた。
「……へえ」
椅子に腰かけ、足を組んで、アレインは品定めするように総司を見た。総司は観察されていることに居心地の悪さを感じ、わずかに身じろぎする。
「……なんだよ」
「別に。顔つきが良くなったと思ってね。イイコトがあったみたい」
「よくわかるな……」
「良くなったと言うより、普通に戻ったと言った方が正しいのかしらね。あなた、昨晩まで酷い顔色だったもの」
自覚はなかったし、アレイン以外の者も気付いていなかったことだったが、アレインだけはわずかな変化を見逃していない。
それは彼女が、総司に興味を抱いてよく観察していることの証明でもある。
「シルヴェリア神殿に行ったと聞いたわ。私に聞きたいことがあるんでしょう」
「……そうだ。アレインに聞くべきか陛下に聞くべきか、迷ってはいたんだけど」
「王族しか知らないこと?」
「ああ。多分な。レブレーベントの名の由来――――いや、名前が変わった理由。知ってるか?」
アレインは妖しい笑みを浮かべ、
「リシア……は、あり得ないか。ビスティークなら知っていてもおかしくないかもだけど、彼から聞いたの?」
と、総司に尋ねた。総司は迷わず答えた。
「レヴァンチェスカだ」
「……そう……ええ、あなたが言うならそうなんでしょうね」
アレインはしばらく考え込んだ後、一人で納得したように息をついた。
「レブレーベントは確かに、シルヴェリアと言う名前から変わった新しい国の名前よ。その理由は、その名を冠する王族の一人が、大事な時に責務を放り出して姿を消してしまったから。とっても大事な時に、全ての責任を放り投げて、皆の前から姿を消した……それで混乱したのは、かつてのシルヴェリアだけではなかったわ」
アレインはよどみなく、王族しか知らない過去を語る。代々受け継がれていくものなのだろう。恐らくは、軽々に外部に漏らしていいような話ではなかったはずだが、アレインに迷いはなかった。
「世界全体を巻き込むような不祥事のせいで、我が国は名前を変えることとなった。シルヴェリアを忌むべき名前として、神殿の名称にだけ残し、捨て去ることになったの」
「……その、大事な時っていうのは……」
「カイオディウム事変。一冊渡したでしょ。読んだ?」
「それがまだまったく……」
「そんなことだろうと思ったわ。まあ、一千年前の大事件と思っておけばいい。あの本もいくつかの推測を考察する文章が大半で、大したことは書いてないし」
コーヒーを一口啜り、アレインは再び口を開いた。
「その時何があったのかまでは、王族にも伝わっていない……知っているのは、その名前ぐらいかしらね。忌まわしき名、ゼルレイン・シルヴェリア」
バチン、と脳裏に稲妻が走る。総司は一瞬顔をしかめたが、すぐに取り繕った。
その名を聞いた瞬間、言い知れない悪寒が走った――――
「カイオディウム事変にも、女神さまが関わっていたっていう推測もあるわ。それは推測でしかなくて、定かではないけれど。どう? ちょっとは参考になった?」
「ああ。ありがとう。少なくとも、俺が知らない情報だ」
「そう。なら交換ね。どうだったの、レヴァンクロスは」
「レヴァンクロス? んー……確かに、レヴァンチェスカの魔力は感じたな。けど、まあ、思っていたより普通だった。豪華でカッコいいけど、普通の剣だな」
「……剣?」
アレインの目がギラリと光った。総司は思わずぎょっとして、
「え、何だ、どうした?」
「私の知るレヴァンクロスは、決まった形を取らずに宙を漂う、不定形の銀の塊。剣の形をしているだなんて、知らなかった」
「……本当か? リシアに聞いてもらえばわかるが、本当に剣だったぞ。黒と銀の、両刃の剣だ」
「へえ……あなたが来たからかしらね。その変化は面白いわ」
アレインの笑みは独特な雰囲気を纏っている。
もともと顔立ちは美しいものの、「可愛らしい」と表現される部類ではない。どちらかと言えばクールな美形だ。
それ故に、彼女が口元に浮かべる薄い笑みは、どこか冷たくも見えてしまう。
与える印象が誤解なのか、それとも彼女の本質なのかまでは、総司にはわからない。
「でも良かったじゃない。あなたにとって重要な代物が、こんなに首尾よく手に入った。出足は好調ってところかしら」
「……ずっと気になっていたんだ」
「あら、なに?」
「一度見せてくれたあの目の光。俺のことを知っているという事実。良い機会だ、教えてくれ。アレイン、一体何を、どこまで知ってる」
アレインは笑みを崩さないまま、総司の視線をまっすぐに受け止めた。
「私は女神の敵ではないわ。でも、あなたの味方かと言われると、どうかしらね?」