受け継がれる/憧れを超えるエメリフィム 終話① 勝利の宴はささやかに
考えても仕方のないこと、とリシアが表現したのは、あながち間違いでもない。総司の頭をよぎる最悪の仮説を立証する術はないし、今ああでもないこうでもないと考えを深めたところで、何か建設的なアイデアが浮かぶわけでもない。
己の愚かさを呪った総司ではあるが、いつまでも塞ぎこんではいられない。思考を回すべき先は別にある。
決意を語ったものの、総司も改めて覚悟を決めなければならないのだ。
ローグタリアを超えた先、女神の領域ハルヴァンベントで待ち受ける、あまりにも虚しい最終決戦に対して。
リシアだけがハルヴァンベントに残される可能性に関しては、もう死に物狂いで「何とかする」しかない。もとより共に死んでくれと頼んだ身である、自分だけが帰って来れる可能性に辿り着いたところでそれに縋りつくつもりは毛ほどもなかった。
二人で一緒に帰ってくる。死を覚悟した総司の思考は、「最終決戦の後のこと」については、いつしかそのように切り替わっていた。
そしてそれは“気が早い”というものだ。
根本的な問題がその手前に控えている。
決意をどれだけ口にしたところで、スヴェンを本当に「斬れるのか」という、絶対的な難題が。
――――“覚悟を決めた”という言葉一つ唱えるぐらいなら、年端のゆかぬ子供でもできるわ!――――
「そっスよねぇ、王よ……何から何まで、あんたの言う通りだ、クソッタレ……」
在りし日の偉大なる王の言葉を思い出し、総司はぽつりと呟いた。
「飯食ってる間もずっとその顔だったな、あんた。なんかあったのか」
王城の塔の上で物思いにふける総司の元へ、ステノがふらりと姿を現した。
ティナとの会食に招かれていたステノとは、夕食を共にした。様々なわだかまりはあれど、エメリフィムの復興にはヴァイゼの協力と一時休戦とが必要不可欠だ。ステノがティナの提案に乗って会食を行うことは、他種族に対しても大きなアピールになる。
とはいえ、形式ばった場が随分と苦手らしいステノは、歓談の席も程々に、さっさと退散していた。
これからのエメリフィムを創るため、明るい未来を語るティナとの夕食の席に、総司も同じく長居する気にはなれず、ステノとほとんど同じタイミングで席を外していた。
ようやく取り戻されたティナの明るい笑顔は、今の総司には眩しすぎて、自分のせいでそれを曇らせたくなかった。
「……一人にしてくれ」
「つれないこと言うなよ……されるまでもなく一人きりのあたしをちょっとは気遣え」
「……確かに」
ステノにしてみれば、「敵地」とまでは言わないまでも、総司の元いた世界で言うところのアウェーであることは確かだ。木造りのジョッキに注がれたエールを総司に渡して、二人で塔の上、月を眺めながら酒をあおる。
ステノにしてみれば、カトレア・ディオウのコンビを相手取った時から、総司は気を許して大丈夫な相手という位置づけだった。そして彼以外に、ステノの心が休まる相手が王城にはいないのである。
「で? 何かあったのかって」
ステノが気楽な調子で聞く。野外で風にあたりながら酒を飲む方が、城の一室でお上品に料理をつつくより性に合っているらしく、会食の時よりよほどのびのびとしていた。
総司はぐいっと一口エールを飲んで、しばらく黙っていた。ステノに話すことでもないが、しかし、酒で少しだけ魔が差したか。全く事情の知らない誰かの意見を、聞いてみたくなった。
「俺には、憧れたヒトが二人いる」
気分よさげに、ステノは総司の話に耳を傾ける。
「どちらも俺を助けてくれて、導いてくれた男だ。あの二人との出会いがあったから、俺は今日まで走って来れた……でも、そのうちの一人は、どうやら俺の敵らしくて……斬らなければならない相手だと、わかった」
「……へえ」
「ステノならどうだ。斬れるか?」
「さぁて、そんだけじゃ何ともって感じだな」
言われてみれば当然とは言え、総司は少し顔をしかめた。
「やっぱ話すんじゃなかった」
「からかっちゃいないっての。情報が少なすぎるだろ、訳わからないよぶっちゃけ」
ステノが総司の肩を軽く小突いた。
「そんでまあわからんなりに聞くけど、『助けてくれて、導いてくれた』理由ってのは何なんだ?」
「……あん?」
「だーから、その“恩人で敵でもある男”ってのがさ。“敵”だってのにあんたを助けた理由は何かわかってんのかって」
「……いや」
“真実の聖域”で、もしもスヴェンに出会っていなければ、総司とリシアはルディラントの真実に辿り着くことはなかった。最初にぶつかったあの迷宮のような場所で、今も彷徨っていたかもしれない。
王ランセムであれば、何らかの方法で最終的には総司に“オリジン”を託したかもしれないが、そこまで甘いヒトと言い切ることは出来ない。王ランセムは優しいばかりではなく、総司に確かに試練を与えていたし、結末はきっと変わっていた。
何よりもあの一連の冒険譚がなければ、総司の救世主としての成長があり得なかった。総司の現在を形成する芯の部分に、王ランセムと共に確かにスヴェンがいるのだから。
「わからねえ……」
「なるほどな。さっきの質問の答えだけど、斬るね。やるね。あたしなら」
「……軽く言うもんだ」
「だって、お前に斬ってほしいんだろ、そのヒトは」
総司が目を見開いた。ステノをバッと見るが、ステノは気楽な調子で月を眺めていた。
「だから助けて導いたんだろ。あんたになら斬られても良いって、そういうこったろ。全然話の全容はわからないけどさ、今聞いた限りじゃ、それ以外になんか理由ある?」
ネヴィーの前でスヴェンの名を出して、確信を得てから。
その考えに至ったことはなかった。総司にとっては全く思慮の外だった。
怨嗟の情念が導くままに、女神にすら牙を剥いた男。世界の全てを憎むかのように、残虐な所業をいくつも遂げて、遂に神域にまで至った男――――
そんな男に、まさか“その感情”が残されているなんて、考えもしなかった。
「……そう思うか」
「そりゃホントのところはわからないけどね。あたしにはそう思える」
穏やかな風が吹いた。
それは、総司にとっての言い訳かもしれない。都合のいい解釈、願望に過ぎない憶測。
それでも、総司の心は少しだけ軽くなった。
「……王家とは仲良く出来そうか」
「さあ。そう簡単な因縁でもなくてね」
「ティナを頼む」
「んっ」
ジョッキを運ぶ手を少し止めて、ステノが困ったように眉根をひそめた。
「……あんたに言われちまうとねぇ……」
「きっとうまくやっていける。ステノなら」
「善処するよ。この場はこれで許してくれ」
ふとヒトの気配がして、二人が言葉を切った。
「ここにいたか――――おや」
リック族が手ずから作った大きなガラス瓶にエールを入れて、総司を探していたらしい男が一人。
ジグライドが塔の上にまで登ってきて、ステノを見て意外そうに目を丸くした。
「君も一緒か」
「どーも」
軽い挨拶を交わし、ジグライドも二人の傍に腰かけて、ちょうどよく空いていた二人のジョッキに持ってきたエールを注ぐ。
三人で軽く乾杯して、ジグライドが総司に言った。
「アリンティアス団長に話を聞いた。無論、他には口外していない」
「……そうか」
総司が静かに頷いた。
「君の雰囲気があまりに妙だったのでね。私が問い詰めた。彼女を責めないでやってくれ」
「構わねえ」
「……君には感謝している。それこそ、君にどのように告げればこの想いが伝わるかわからないほど……万言に尽きせぬ感謝の念を抱いている」
ジグライドは、正直に、自分の気持ちを言った。
「君がいなければこの場もあり得なかった。まさに英雄の所業だ。君の行いは……賞賛されるべきものだと思っている」
「何だよ急に」
総司が苦笑する。ジグライドはにこりともせず、続けた。
「君の情の深さからすれば……君を待ち受けるものがどんなに苛酷か、少しは推し量れるというものだ。耐えがたい試練と思う。君にしか乗り越えられないもので、しかし君が一人で乗り越えるにはあまりに……残酷だ」
言葉を選び、苛酷な運命に突き進む若者に、何か少しでも助けになるように、ジグライドは語る。
頭が良く皮肉屋なところはあるが、決して冷たい人間ではない。エメリフィムでの一連の事件を通して、ジグライドのわかりにくいが優しい気質を、総司ももう十分に理解していた。
「心は折れていないか」
「……ああ。正直、キツイけどな。でも……今更、俺も退けやしねえ」
総司もまた本音を吐露した。ジグライドは少しだけ頷いて、
「一人では無理でも、君とアリンティアス団長ならば、乗り越えられない試練などない。無論、これは私の勝手な期待だ。君には重荷になるかもしれんが……君らを見た皆が、きっと同じように思うだろう。それだけのものを、君らは示した」
ジグライドはコホン、と咳ばらいをして締めくくる。
「リスティリアのために、などとは言わん。私はただ――――君らがまた、このエメリフィムにやってくることを望んでいる。ただそれだけだ。すまんな、うまく言葉が……」
「いや」
総司はふっと笑って、もう一度ジグライドと杯を合わせた。
「十分だ。ありがとう」
「……なんだよ、男に慰められる方が嬉しいのかあんたは」
「何だその拗ね方」
ステノの不満そうな言葉に苦笑で返す。ステノはフン、と鼻を鳴らして、
「良いけどね、別に。んで、次はどこに行くの」
「ローグタリアだ。最後の国だ」
「なんだ、もう最終盤だったのか。王女様に聞いたけど、なんか国の秘宝を集めてるんだっけ」
総司の羽織る上着の背には、レブレーベントの紋章が刻まれている。当然、それを知るステノはふむ、と訳知り顔で頷いた。
「あんたのとこの同盟国だ。形だけとは聞いてるけど。あそこの皇帝は変人だけど話の分かる男だし、この国で起こったなんやかんやに比べれば拍子抜けするぐらい、すんなり事が進むかもな」
「軽々に言うものではない」
ジグライドが厳しくたしなめるように言った。
「イチノセの旅路はそう容易いものではない。激励するのは良いが、油断を誘うような物言いは褒められんな」
「知らないもんよ、詳しいことは」
ジグライドの厳しい言葉をさらりと受け流して、ほろ酔い気分のステノが笑う。
「ヴァーデン、あんたこそ、知ってることを今の内に教えといてやったらどうだい」
「君に言われるまでもない」
元々これが目的だったのだろう、ジグライドはどこからともなく、羊皮紙を何枚も重ねてノートのようになった分厚いメモ書きを取り出して、総司に手渡した。
「私が知る限りの全てをまとめておいた。具体的にはローグタリアに関すること、アルマが従えていたあの二人に関すること、そして君の旅の終着点に関すること。最後については伝承が主となっているがね、アリンティアス団長とよく精査してくれ。使えないと思えば無視すればいい」
「助かる。ありがたく」
「これぐらいしか出来んものでな……“レヴァンフォーゼル”は力を失ったままのはずだが、もう一度“アンティノイア”に行くか?」
「いや、あそこはもうほとんど破壊されてる。不確かだけど、ローグタリアの“聖域”に賭ける。そこもダメならまあ、後は自力で何とかするしかねえな。一応、俺の力は取り戻せたわけだし、芽がないわけじゃない」
リスティリアに存在する、“かつて女神と接続できた場所”は、ローグタリアにあると思われるそれを除いて、全てが破壊されてしまっている。
全ての力を失ったわけではないという場所もあるが、完全な形で残っている可能性があるとすればローグタリアだけだ。
「エメリフィムで出来る限りの準備を整えてから出発すると良い。アリンティアス団長にも先ほど釘を刺したが、君らはこれまでなかなか行き当たりばったりだったようだからな。何事も、終わりが近づいた時こそ躓きがちなものだ」
「……甘えるとするよ。そうのんびりもしてられねえがな。さて」
総司はジョッキに残ったエールをぐいっと飲み干して、ジグライドにずいと突き出した。
「飲みなおしだ。一応、勝利の宴だからな!」
「これだけでは足りんな。調達してこよう」
「あたしの分も頼むよー」
「君は手伝――――いや、そうか、君も客か。仕方あるまい……」