閑話前章・巡り会うハルヴァンベント 最後の敵は
「――――ルディラントが……落ちた……?」
時のエメリフィム王ギルファウスは、深刻極まりない報告を、森の妖精ネヴィーに届けた。筋骨隆々の体躯が、いくらか縮んでしまっているように見えるほど、消沈しているのが見て取れた。
聖櫃の森にて、ネヴィーと会話していた大賢者レナトリアもそこにいて、ネヴィー以上に言葉を失っていた。やっとの思いでネヴィーが絞り出した、報告を繰り返す一言を、雷に打たれたような表情で聞いていた。
背の高い、漆黒に深い蒼が入り混じる長髪の、麗しい美女。歳の頃は二十代後半といったところだろうか。顔立ちはアルマに似ているとまでは言えないが、目元にどこか面影がある。魔法使い然とした漆黒の衣装に身を包む彼女は、アルマと違って動きやすい形に改造していない。取り乱していなければ、年相応の落ち着きと色気を感じさせる魅力的な女性だった。
「ああ。ロアダークが攻め込んだ。ゼルレイン殿下が救援に向かった時には既に……」
「……サリアは……?」
大賢者レナトリアが、震える声でギルファウス王に聞いた。
「エルマは……? ランセムは!?」
ギルファウスが首を振る。レナトリアの顔が憤怒に歪んだ。
「あの優男はどうしたというの! こういう時のために、ルディラントに……!」
「敗北したとのこと……サリアと二人でロアダークを相手取れていれば良かったのだが……聞くところによれば、その時に限って一時、シルヴェリアに戻っていたそうだ。そしてルディラントに戻った後、単独でロアダークに挑み……」
ギルファウスがまた首を振る。その所作はスヴェン・ディージングの敗北を告げている。レナトリアは拳を握り固めて震わせ、怒りに満ちた声を絞り出した。
「ッ……ロアダーク……!!」
レナトリアが踏み出したところで、ネヴィーが鋭く声を掛ける。
「ダメよ、レナトリア」
「止めないでネヴィー……! 隣国に攻め込んだとなればもうこれは“戦争”! ロアダークは――――カイオディウムは世界を敵に回したということよ! 私が行かなければ……!」
「ええ、あなたの言う通り、これはスティーリア未曽有の危機よ。だからこそ冷静に――――」
「サリアが負けるような奴を相手に、私とゼルレイン以外の誰が戦えるというの!?」
レナトリアが叫んだ。
カイオディウムに不穏な動きがみられて以来、それまで結託しなかったスティーリアの各国が、徐々に情報を共有し始めていた。
ルディラントの守護者サリアの名は、各国の中枢にいる者たちの耳には届いている。その強さはゼルレインに次ぐとまで言われており、カイオディウムの実質的な支配者らしき猛者、ロアダークを単独で相手取れる可能性もまことしやかに囁かれていた。
しかし現実はそう甘くなかった。ロアダークはサリアを上回り、ルディラントは滅んだ。
「自分の飼い犬がやられたとあっては、ゼルレインも黙ってはいない……すぐに反転攻勢を仕掛けるはずよ。そこに私も加わる! 目にもの見せてやるわ……!」
大賢者レナトリアは、伝承魔法“イラファスケス”の継承者であり、総司とリシアが生きる現代までにおいても歴代最高の使い手である。当然、それのみならずあらゆる魔法に長けていたからこそ「大賢者」の通り名を冠するわけだが、彼女の本質は“イラファスケス”と親和する。
暗い情念に支配されぬよう、己の内側に蓄積するそれを度々「外」へ取り出してきたが、裏を返せば、彼女は“イラファスケス”の継承者として正しく、暗い情念を燃やしやすい性質だったということでもある。
ただしそれは「悪」であることとイコールではない。レナトリアはあくまでも「善なる者」であり、それこそが彼女の不運だった。
つまりは矛盾。才能が齎す性質と、人格が持つ性質の矛盾が、彼女の心を、ただ生きているだけで削っていた。“イラファスケス”の情念を「押さえなければならない」のだという彼女の責任感が、彼女を、人生を通じて追い込み続けていた。
ルディラントの滅亡、ロアダークの凶行の報せを受けたレナトリアの憤激は凄まじく、彼女がギリギリのところでコントロールしてきた怨嗟の情念を、もう止めようのない次元にまで燃え上がらせ、必死で押さえつけていたものが溢れ出た。
そしてそれが、ロアダークが齎したのとはまた別の悲劇の始まりだった。
「結果的にレナトリアは暴走してしまったの。“イラファスケス”に囚われ、アルマと同じように狂気に囚われた……私は止め切れなかったわ……彼女には幼い子もいたのにね……」
総司は、泡沫の霊殿の瓦礫の上に座り、片膝を立ててネヴィーの話を聞いていた。ぎゅっと目を閉じ、そういうことか、と一人納得する。
最初にネヴィーから話を聞いた時には気づけなかった。
触媒としての“レヴァンフォーゼル”に怨嗟の熱を叩きこんで、レナトゥーラを召喚した者。総司にとっての“最後の敵”と思しきその男によるレナトゥーラの召喚は、通常あり得ないはずだ。
たとえ触媒があったところで、“最後の敵”自身は“イラファスケスの継承者”ではないのだ。どれほどの怨嗟の情念を持ち合わせていたのかは知らないが、そもそもそんなことは関係がない。“彼”は使い手ではなかったのだから。
だが、違う。総司はもう一つ情報を持っている。
その男が、“殺した相手の魔法を簒奪する異能”を持っているということを知っている。だからようやくつながった。
「レナトリアの暴走を、“最後の敵”が止めた。レナトリアを殺すことによって」
ネヴィーがぎゅっと、沈痛な面持ちで目を閉じる。
「そして“ヤツ”は奪い取った……“イラファスケス”の魔法を……」
レナトゥーラを従え、最終決戦に望んだ“最後の敵”だったが、レナトゥーラは決戦後にエメリフィムに牙を剥いた。“忘却の決戦場”で怨嗟を更にため込んだレナトゥーラの侵攻を、ネヴィーが食い止めた。
ネヴィーとレナトゥーラの因縁はその時のものだ。戦う力を持たないネヴィーだったが、レナトゥーラと相容れない力を持っていて、その進撃をいくらか止めることに成功した。
そして――――後始末をつけにきた“彼”が、獲得した“イラファスケス”の魔法によって再び封じ込めたのである。
「……“彼”もまた、元々は善なる者であったことは間違いないわ……けれど、ルディラントでの悲劇が彼を変えた。“イラファスケス”にも取り込まれない、深い怨嗟の化身へと」
ネヴィーが目を開き、じっと総司を見つめた。
「きっとあなたはもう……気付いているのよね」
ネヴィーの言葉に、総司もまた目を閉じ、眉根を寄せる。
全てが繋がり、総司はふーっと大きく息を吐いた。
「……俺にはそいつの名を口にすることが出来るんだ。当たり前だよな、俺から奪ってしまったらそれはもう“答えになってしまう”。アイツも無意味な抵抗をするもんだ……けど、何となく……アイツがそうした理由が、わかった気もするよ」
覚悟を決めて。
総司は、静かに告げる。
「“スヴェン”」
総司と同じく、ネヴィーの話を聞いて解に至っていたらしいリシアが、総司から痛ましそうに目を背けた。
「俺の“敵”は――――ルディラントの悲劇を経て、復讐者と成り果てた……スヴェン・ディージングだ」
ルディラントで見た最後の光景で、総司もリシアも確かに“そこまでは”見ていない。
サリアがロアダークに殺される瞬間は確かに見た。だが、スヴェンは“倒れていた”だけだ。
増援が辿り着き、恐らくゼルレインと思しき女性が彼を介抱しようとしていたところで、滅びの光景は途切れていた。
スヴェンの最期は、見ていないのだ。
“異世界から召喚された”存在という情報によって、ルディラントで見聞きした「スヴェンとゼルレイン」の関係性をようやく見出すことが出来た。
ヘレネ・ローゼンクロイツを召喚した高位の魔法使いは、ヘレネの召喚を遂げたと同時に灰になった。異世界からヒトを召喚するという行いは、名の知れた魔法使いであっても命懸けの所業だという。
しかし、ゼルレイン・シルヴェリアならば。
当世最強の魔女であれば、可能だった。
推測の域は出ないものの、ゼルレインは当時不穏な動きを見せていたカイオディウムに対する、対抗措置の一つとして召喚魔法を行使した。恐らくはその頃から、“異界の人間は特殊な力を得る”という伝承のようなものが、知る人ぞ知る情報として世界のどこかに存在していたのだろう。
狙い通り、“特殊な異能”を持って召喚されたスヴェン・ディージングは、シルヴェリアの戦力として対ロアダークの戦線に加えられた。
シルヴェリアからルディラントへ、客将として出向を命じられ、その時にサリアや王ランセムと縁を繋いだのだ。
ゼルレインは、ロアダークがもしも先手を打って動き出すとしたら、最初から自分と激突することを避けると読んだ。ルディラントにスヴェンを置き、サリアと連携させた上で、同じ大陸にあったティタニエラにも二人を赴かせ、狂気の進撃に備えて着々と地盤を固めていった。
そしてそれら全てが徒労に終わったのだ。
そこにカイオディウムで得た情報、「ゼルレインですら制御出来ない存在」のことを照らし合わせれば――――
ルディラントの滅亡以後、暴走するスヴェンを止められないゼルレインの悲哀が、目に見えるようだ。
ロアダークの子孫であるレスディールは、両親の狂気を早くから感じ取って身を隠した。しかし、他の名のある魔法使い達は、例えばロアダークによる恐怖支配故か、或いはエルテミナの巧みな人心掌握術によってか、ことごとく戦線へ駆り出されたのだろう。
そして伝承魔法の継承者たちがスヴェンに徹底的に蹂躙され、魔法を簒奪され、カイオディウムからは全てとはいかないまでも、多くの伝承魔法の系譜が失われることとなった。
レスディールの反旗によって、世界を脅かした元凶そのものである“ネガゼノス”が難を逃れた一つであるというのは、何とも皮肉なことだ。
千年前、異界の地で絶望に沈んだ男。
女神のふざけたメッセージに怒り、拳を振り下ろしたあの激情は、千年経った今もなお、消えることはなかった。
サリアが彼を愛していたように、きっと彼もまた――――それ故にこそ、止まれなかった。
仇敵ロアダークを討伐した以後も彼の暴走は止まらず、女神にすら牙を剥いた。彼の暴走を止められないゼルレインは、彼と共にハルヴァンベントへと渡った。恐らくは、彼を召喚し悲愴に満ちた運命に放り込んでしまった、その責任を果たすために――――
「やはりお前も至っていたんだな……その可能性に……」
「今度ばかりはお互い様ってことで、『嘘をつかない』約束のことはナシにしようぜ。っていうか嘘をついてたわけでもねえんだけどな……どっちかって言うと……」
「口にしたくなかった。信じたくなかった。そうだな、その通りだ」
「ああ」
リシアの率直な感想に、総司が気楽に頷いた。
エメリフィム城、誰もいない訓練場の中央にて、立てられた丸太を前に。
月明かりだけが照らす中、総司とリシアは“最後の敵”を想い、語る。
「スヴェン……そうか、スヴェンか……あぁ、あの男には理由がある……女神さまを恨む理由も、この世界を憎む理由も、十分……」
「ルディラントを超えて以降、俺達以外でその名を口にしたのはクローディア様だけだ……デミエル・ダリアの痕跡は、俺とは無関係に、早くに消していたかもしれねえがな……思い出として残ってるクローディア様から不自然に言葉を奪うほどには、レヴァンチェスカにも確証がなかったんだろう。アイツが“知った”のはその後、ティタニエラの聖域に行った時だからな……ネヴィーやエルテミナから奪ったのは、アイツの悪あがきみたいなもんだろうよ」
旅路が進むにつれて、総司は“最後の敵”に関する情報を次々に得ていった。
その中で生じる疑念に対し、レヴァンチェスカが抵抗を見せても、最早それは止められない。
“彼”以外にあり得ないと、確信が募るばかりだった。
総司の疑念と確信は、レヴァンチェスカの最大の誤算だ。
女神レヴァンチェスカにとっても、総司が「ルディラントを訪れる」ことは――――そこで「出会ってしまうこと」は、想定外だったのだから。
いい方にも悪い方にも、総司の旅路は女神の想定を超えている。レヴァンチェスカの言葉の真意はひとえにそこにあると言っても過言ではないだろう。
総司がスヴェンに情を持ってしまえば、リスティリアはいよいよ滅亡を免れなくなる。せめて彼が旅路の途中で膝をつくことのないよう、“最後の敵”の正体をひた隠そうとしたが、女神を以てして、“大いなる運命の流れ”は止められない。
大罪人スヴェン・ディージングの痕跡をいくら消したところで、“彼”を知ってしまった総司は、千年前の情報を得るたびに“彼”との繋がりを見出し続けてしまった。
デミエル・ダリアの隠し部屋からスヴェンの名を消したのは、総司に伝えないためというよりは、スヴェンの名誉のためかもしれない。総司ではない後世の誰かに、彼の名が間違って伝わってしまうことを避けた。
レヴァンチェスカには間違いなく、“彼”への負い目があったから。
ここに至って、総司から女神への誤解もいくらか解けた。最初からわかっていたことではあるが、女神が“最後の敵”の名を総司に教えなかった理由に、何らかの悪意や策略など当然存在しない。
虚しい抵抗に過ぎなかったのだ。どうせ旅路の果てに“彼”は待っていて、いつか行き会ってしまうのに、それでも女神はそうせざるを得なかった。
総司の人格の根底にある善性を知り、リスティリアに来てからの総司の芯を形作る、基盤となる部分に、王ランセムと共にスヴェンがいることを知るレヴァンチェスカだから、虚しくも必死で抵抗したのだ。
こんなに悲しい戦いをさせるつもりなんてなかったのだ。ただスヴェンは総司にとって、救世主にとっての怨敵であるだけのはずだった。
「スヴェンが“お前の元いた世界”の住人というのは、確かなのか」
「レナトゥーラの言葉をどこまで信じるかって話だが……俺も詳しくはねえが、『ラテン語』ってのは俺の世界の言語の一つだ。異世界の住人から聞いてなきゃ知りようがないはずだ」
総司がふーっとため息をついた。
「心のどこかでな……そうじゃねえかと、思ってたんだ」
総司は、もうどこか諦めてしまっているのか、投げやりな口調で言った。
「……ルディラントで出会ったスヴェンは、“本物”」
「ま、常識が通じる相手じゃねえんだろうが、“真実の聖域”から出られなかったのは、アイツは再現された存在ではなかったからってこったな……してやられたぜ、あのヤロー」
「……いや、恐らく……王ランセムはきっと……」
リシアは、今は遠きルディラントへ想いを馳せる。
“真実の聖域”から出られないという制約ではなく、“幻想のルディラント”へ入れないという制約なのだろうと、思考をまとめる。
既にハルヴァンベントへと渡ったスヴェンは、“聖域”の力が及ぶ範囲内でしか下界に干渉できないという可能性も大いにあるが、それ以上に。
スヴェンが“世界を脅かす怨敵”であると看破した王ランセムが、幻想のルディラントへの来訪を許さなかったのだ。
この愚か者めと、スヴェンを叱責するかの如く。
サリアとの再会を許さなかった。
総司に告げなかったのは、あの頃の総司に“リスティリアへの想い”がなかったから。
ほとんど確信していたのだろうが、総司に伝えるわけにはいかなかった。リスティリアにきて間もない総司に、最後の最後で斬らなければならない相手がスヴェンだと教えてしまえば、総司の心がそこで折れてしまった可能性がある。
優しくも、厳しい。王ランセムのかつての叱咤激励は、まさにその通り現実となって総司の前に現れている。
“どうしてもそうしたい”のだと思える理由がなければ、総司の刃が“最後の敵”に届くはずがない。縁を繋いだ者たちのために戦うと、総司が決心していなければ、きっと――――
リシアがハッと気づいた時には、総司は訓練の的となる丸太の前に立って。
大きく拳を振りかぶっていた。
「斬れるわけが――――ねえだろうがよォ!!」
ズドン、と一撃。
轟音と共に蒼銀の魔力が衝撃波となって、丸太を吹き飛ばす。
「ふざけんな、ふざけんなっ――――ふざっけんな!!」
全ての的を蹂躙し、暴れ回って、総司が感情に任せて怒鳴り散らした。
「何でルディラントで俺を手助けしたんだ! 何で“負けんじゃねえぞ”なんて励ました! テメェあん時、どんな気持ちで、俺を――――サリアを……!!」
ぶつける場所を失った拳が再び振り上げられた時、リシアがぱっと総司の腕を捕まえる。
リシアは、ルディラントで、剣をひたすら殴りつけていた総司を止めたのを思い出していた。
「落ち着け。誰か来てしまう」
「知るかそんなもん!」
「ソウシ」
「ッ……わあってる……!」
感情の高ぶりを抑える、いつも通りのやり取り。総司は乱暴に腰を下ろして、がっくりと項垂れた。顔を手にうずめて、弱々しい声で吐き捨てる。
「斬れってのか、俺に、スヴェンを……! 笑えねえよなんだそりゃ……! サリアを斬ったこの手で……スヴェンまで……!」
サリアはどこまで知っていたのだろうか。それが正しいと信じサリアを斬ったこの手で、スヴェンまでも斬らなければならないのか。総司の慟哭は、変えようのない未来に向かってあまりに空虚に響くだけだ。
「……お前に、出来ないなら」
リシアがレヴァンクロスにそっと触れて、力強く言った。総司とは対照的な、芯のある声だった。
「私がやろう」
「ッ……」
「冗談でも慰めでもない。最後の一撃は私に託せ。お前にとって――――リスティリアに来たばかりだったお前にとって、あの男や王ランセムがどんなに心強い味方だったか、私にもわかるとも」
どさっと総司の隣に腰を下ろし、リシアが続けた。
「お前のそれは弱さではない。だから私がやる。リスティリアの民として、リスティリアの未来を護るために――――悲しい復讐者を、私が殺す」
「……わかるんだよ、気持ちが……」
総司はぽつりと、呟くように言った。
「俺にはそこまでの強さがなかったから……自分も死にたいって、そんな風に思った。けどアイツは違った……アイツは俺よりずっと強くて……でもわかるんだ」
訓練場の土をかきむしる。顔を押さえる指の隙間から涙がこぼれた。
「憎いよなァ、惚れた女を奪った世界が……! 全部なくなっちまえってな……わかるよ……! 斬りたくない……何で、こんなっ……! でも!」
かきむしる手を拳に変えて、土を殴って。
総司の声に力が戻った。
「アイツが“俺と同じ世界”の住人だって言うなら……俺が、けじめを付けねえと、だよな……!」
「……ソウシ……」
「アイツを尊敬して、憧れたから……だからこそ、俺がやらねえと、だよな!」
涙を拭い、立ち上がって、総司は握りしめた拳を睨む。
サリアの顔が、王ランセムと王妃エルマの顔が浮かんだ。
きっとこの時のために、王は総司の背を叩いた。
今の総司を満たすのは、ルディラントの者たちだけではない。王ランセムが彼に託したルディラントの誇りと共に総司の器を満たすのは、“縁を繋いだ者たち”への愛だ。
“最後の敵の心臓に、刃を届かせるに足るもの”が、空っぽだった器をちゃんと満たしている。
だからこそ。
「ありがとな、リシア――――大丈夫だ」
リシアも立ち上がり、総司と正面から向き合う。
その瞳をまっすぐ見つめ返して、きっぱりと。月明かりの中で、相棒の前で、総司は決意を口にした。
「スヴェン・ディージングは俺が斬る……俺がこの手で、終わらせる」
総司のことを強くなったと、女神は評した。
元々強いわけではない心を、歯を食いしばって奮い立たせる強さがあると、リシアが評した。
スヴェンのことを強いと評した彼に、リシアは真剣な顔で答える。
「お前も強いよ、ソウシ。強くないなどと、口が裂けても……よく……よく、言った」
リシアも、ふっと涙がこぼれそうになるが、何とか抑えた。総司に見せたくなかった。
「最後まで、私も共に征こう。せめて苦しい結末の時に、お前が一人にならないように」
「……そのことなんだけどな」
総司はふと、情けない顔になって、リシアに告げる。
「カイオディウムでお前に……一緒に来てくれと言ったのは、間違いなく俺なんだが……あの言葉、撤回させてくれねえか」
「……なんだと……?」
総司の言葉に、リシアは目を見張って、慌てた様子で声を荒げた。
「今更何を言っているんだ! 私に来るなと言いたいのか!? 何故!?」
「……ハルヴァンベントに渡ったスヴェンが、本当に“真実の聖域”にいたんだとしたら……エルテミナの言葉は、間違ってることになるだろ?」
総司が冷静に言った。いつの間にか、感情的になる側と冷静な側とが入れ替わっていた。
「……確かに、一方通行と言うのはいささか語弊があるとも思うが……しかし、あの時のスヴェンは『本物』ではあっても、『本体』だったかどうか、定かではないぞ。女神さまがなさっているように、思念のようなものであったかもしれん」
「仮に『本体』だとしたら、で話すけどな……俺とスヴェンの共通点って言えば、一つしかない」
「……“異世界”の民」
「そうだ。ハルヴァンベントから『戻ってくることが出来る』のは、もしかしたら、“異世界の民”であることが条件かもしれない。考えてもみろ」
総司はリシアの肩を掴んで、真剣に訴えた。
「俺の考えが当たってるかなんてわからねえよ、でももしもの話だ! もしこの仮定が当たってたら、俺は戻れてもお前は戻れないってことになる……! 無理だ、それは俺にはマジで無理だ!」
「……なるほどな……」
「だから、お前とはローグタリアでお別れだ。そこから先は一人で進む。その……お前には散々世話になって、来てくれって言ったのも俺で、申し訳ないんだけど――――」
「下らん」
パン、と、肩を掴んでくる総司の手を軽く払って、リシアは心から下らなさそうに言った。
「なんっ――――」
「もとよりお前に付いてきた時点で、命懸けであるなど百も承知。ふとひらめいた程度のお前の推測に基づいて、悲しい最後へ向かうお前の背中を見送れというのか? ふざけるな」
「オイ、俺は真剣に言ってんだ!」
「私も真剣だ。この期に及んで退けるものか」
「頼む、リシア、俺は――――!」
「推測に過ぎんし、誰にもわからんことだ」
リシアはポン、と総司の肩を叩いて、気楽に言った。
「せめて祈るとしよう。お前の推測が外れていることをな。もし当たっていたらその時は……私のために、帰る方法を一緒に探してくれ。それで良いさ」
「ッ……ぶん殴ってでも置いていくと言ったら……!?」
「出来んよ」
少なくとも、最後の敵がスヴェンだと知り取り乱した総司の感情が、いくらか落ち着いたことを確認したリシアは、その場から立ち去ろうと歩きながら言った。
「お前には出来ん。私は知ってる。ただでさえいろいろなことが一気にわかり過ぎたんだ。混乱している最中、今考えても仕方のないことにまで気を回すな。さあ、そろそろ夕食の時間だ。ティナ様の招待をむげにするわけにはいかない」
何の含みもない笑顔で、リシアは軽やかにそう告げて、訓練場を去っていく。
総司は再びどさっと腰を下ろして、また手に顔をうずめ、自分の愚かさを呪うようにため息をついた。
「俺はなんて……なんて軽はずみな……!」
今度こそ、自分の選択の結果が間違っていたと自覚している。
リシアに決心を与えてしまったのは総司だ。最悪の可能性を露ほども考えていなかった。
二人とも戻れないのではなく、どちらか一方だけは戻れる可能性。総司は自分で自分を特別だなどと思ったことはないが、しかし現実として彼はリスティリアの他の生命とは一線を画す存在だ。
カイオディウムで、リシアに「一緒に死んでくれ」なんて、格好つけたセリフを告げる前に、きちんと考えるべきだった。総司の懇願はそのまま、リシアにとっての呪いとなってしまった。
総司に言われてしまっては、たとえ自分だけが死ぬかもしれない未来を提示されようと、リシアが引き下がるわけがない。
自分の相棒がどんなにイイ女か、総司はもう知っている。
「あぁ――――最悪だ……やらかした……」
エメリフィムの旅は、総司にただ絶望を与えるものでしかなかったのか。
一度リシアの胸に響いてしまった言葉を、取り消すことなどできはしない。
思慮がイマイチ足りていないことはわかっていたが、今度ばかりはそれを言い訳にする気にもならない。他の誰のせいでもない、ただただ総司の責任だ。総司は自分の愚かさと無力さに嫌気が差して、シドナが夕食の席へと呼びにくるまで、がっくりと項垂れていた。