憧れを超えるエメリフィム 第八話④ エメリフィムで何があったのか
「……ついにレナトゥーラをすら上回ったか……いよいよ、手が付けられんな」
蒼炎がこの世から消えることはなかった。
現実感のない、余韻に浸れない決着の最中、誰もが見逃した。
大きな爆発と共に消え失せたレナトゥーラの蒼炎、怨嗟に塗れた魔力が、ディオウによって回収されていることを。
ディオウが掲げる大剣は、本来は武器として扱うものではない。どちらかと言えば祭事に用いられるもの、封印を役目の主とする道具である。
カトレアとアルマの協力関係は、互いに互いを騙しながら、最終的にどちらが利を得るか、というドライなものだった。
というより、元々カトレア側の利をアルマが気にするはずはなかった。彼女は狂気に塗れていて、まともな交渉が可能な相手ではなかったからだ。
アルマは自分の目的、すなわちレナトゥーラの完成による「レナトリア超え」を成し遂げる過程で、どうあっても邪魔になる総司の弱体化をカトレアに対する報酬とした。
カトレアは小間使いの見返りとして、総司を倒すための場をもらう。結局のところは取引というより、凶行に及ぶアルマのおこぼれを拾うという形だった。
だが、それはあくまでも“仕方なく”そういう取引とした、というだけの話である。
もとより、カトレアは“レヴァンフォーゼル”をさっさと総司に渡して、エメリフィムを早々に立ち去ってもらうつもりだった。
元々の取引内容は、“イラファスケス”の魔力の一部を分け与えてもらうことと、“レナトゥーラ”完成のための小間使いの交換。
カトレアの第一の目的は、レナトゥーラが持つ怨嗟の蒼炎、“イラファスケス”の魔力を得ることだった。
カトレアにとっては、ローグタリアでの本命の計画に必要な“イラファスケス”の魔力を得ると共に、もう一つ利があったはずだった。
レナトゥーラが完成し世界に牙を剥けば、救世の旅路の最中にある総司は決してそれを無視しない。うまくいけば、ローグタリアでの本命の計画を始動させると同時にレナトゥーラをもぶつけて、総司を挟み撃ちにできた。
それが頓挫したのは、“レヴァンフォーゼル”こそがレナトゥーラ召喚の触媒であり、アルマが砕いてしまったから。アルマの心にカトレアへの気遣いも、その契約への誠実さもあるはずはなく、カトレアはアルマが元々計画していた総司弱体化の策に乗っかる以外に方法がなかった。
急場しのぎの小細工で何とか総司を孤立させることには成功したが、所詮は急遽変更せざるを得なかった計画の中で組み立てた、ハリボテに近い策略である。それでもアルマの見事な魔法によって総司を窮地に追い込むことには成功したものの、結局は想定外の覚醒を遂げた総司を前に、為す術もなく敗走した。
強大な力同士のぶつかり合いとせめぎ合いに翻弄された弱者の結末として、エメリフィムでの敗北は実にお似合いと言える。
カトレアは決して強者の側ではなく、時代の傑物足り得る器は持ち合わせていない。運命すら味方につける救世主と渡り合うには、あまりに非力な少女でしかない。
「……レナトゥーラは全く本気ではなかった――――いえ、語弊がありますね」
服はボロボロになり、心身共に疲れ果てた様子で、カトレアは静かに言った。
「どういうつもりかわかりませんが、アレは最後まで“ヒト”の真似事をしたまま彼と戦い抜くことを選んだ……“精霊”として戦っていれば、そもそも勝負になっていないのに」
「……天変地異すら恣意的に引き起こす、下界の理の外にいる者。確かに、呆気ない最期だった。 “イラファスケス”はヒトに染まり過ぎるのか。だが……」
ディオウが少し、窘めるように言った。
「その事実で以て、救世主の脅威性を低く見積もるのは、この期に及んで往生際が悪いと見るがな。奴に弱点があるとすれば、年相応の甘さだった……どうやら我々にだけは、その甘さを捨ててくれるようだ。厄介なことに」
「わかっています!」
カトレアは体育座りをして、自分の脚に顔をうずめた。
「……私との契約、破棄しますか?」
細い声で聞く。ディオウはフン、と鼻を鳴らした。
「まあ、此度の戦いを振り返ってみれば、“付く相手を間違えた”としか言いようがないが」
カトレアが無言でぎゅっと唇を真一文字に結ぶ。ディオウは剣をヒュン、と消して、
「選んだのは己自身。自己責任にほかならず、何より金も貰っている。今更あちらに尻尾を振ったところでな――――最後まで付き合うとも。君の心がまだ折れていないのならば」
「……ありがとう」
「珍しいこともあるものだ」
壊れた仮面の下で、ディオウが笑った。
「傷が癒えるのを待ってはいられん。何本か骨も折れているが、動けんほどではなかろう。ローグタリアへ渡ろう」
「……はい」
エメリフィムに刻み付けられた傷跡は深く、容易に全てが元に戻るわけではない。
王家を中心とするヒト族や、タユナを中心とする王家周辺の亜人族と、それまで表立った交流のなかったリック族、敵対していたヴァイゼ族は、賢者アルマとレナトゥーラによって齎された傷跡を癒すため、一時的な結束を見た。
だが、火種は何も消えていないどころか、王家としては護りの要である賢者アルマを失ったことで、これから先は茨の道となりかねない。ただでさえ、王家とは敵対関係にあったヴァイゼ族の大半の者たち、事情を知らない者たちにとっては、此度の大騒乱は王家に仕える魔法使いの暴虐が齎したものだ。事情を説明したところで、納得いかない者は多数いることだろう。
それでも、希望は繋がれている。ヴァイゼ族の今代の指導者であり、ジグライド曰く最も話の分かる相手であるステノが、今回の騒動を経て王家と縁を繋いだことで、エメリフィムはにわかに、これまでの「布武の国」とは違う様相を呈するきっかけを掴んだようにも見える。
ティナの理想とする「調和する統治」が目に見える形となって表れるのは、今はまだ先のこと――――混乱する国をとにかく元通りにすることで手いっぱいの彼女は、しばらくはそこまで先を見据えられないだろう。
しかしきっとエメリフィムは大丈夫だ。エメリフィムで最も強い志を持つ少女の傍にはちゃんと、頼れる側近が控えている。
これからのエメリフィムを憂うのは、今の総司の役目としてはいくらか外れる。
「……君を助けることは叶わなかった……すまない」
アルマの暴虐は人々に知れることとなり、当然、人目に付く場所に墓を建てることも叶わない。
王城の地下、かつてアルマが拠点としていた空間に、ひっそりと、簡素な十字の墓がこしらえられた。ジグライドの行動をティナが黙認することで成立した墓。訪れる者はきっとごく少数となるだろう。
ジグライドは、大やけどもまだ癒えない体を引きずってアルマの墓を作り、その前に胡坐をかいて静かに頭を下げた。
「“助けて ジグライド”。なるほどの。お主はあの時から、アルマが何か良からぬ力で狂ってしまったことを知っておったわけじゃな」
静かに詫びを入れるジグライドの隣にそっと腰を下ろし、とくとくと酒を杯に注ぎながら、リズーリがしみじみと言った。
「惚れておったのじゃなぁ……そちらは気付いておったのか?」
「いいや……そんな素振りは、私の知る限りなかったはずだ。いや、うむ……あてにはなるまい、恋心はおろか、あの子の苦しみにすら気付いていなかった私の感覚では……」
「何じゃい弱気な……しゃんとせんか」
リズーリがずいと杯を押し付ける。ジグライドは一瞬迷った後、受け取って、ぐいっと一気に飲み干した。
「あの指輪の意味がようやっとわかったわ。いや、頭をよぎりはしたのじゃが。何のことはない、お主への贈り物。それ以上の意味などなかったのじゃな」
「……レナトゥーラは、恐らく本気ではなかった。私も知識でしか知らんが、精霊とはあれほど“ヒトのように”力を振るうものではないはずだ。もしかしたら……」
「レナトゥーラに取り込まれたアルマの意思が、何らか作用したのかもしれん。ハッ、今となっては誰もわかり得ぬこと。お主らしくもないぞ、考えても仕方のないことを」
「……確かにな」
リズーリが注ぐ酒を再び受け取って、ジグライドが聞いた。
「表はどうだ」
「なーに、しばらくはしっちゃかめっちゃか、というやつじゃろ。それもまた仕方のないことよ」
リズーリは自分も酒をあおりながら気楽な調子で言った。
「しかしリック族の連中がティナの味方をするのは僥倖じゃ。王都の復興、連中がいなかった場合より恐らく五倍は早いぞ。あれよあれよという間に家を建てていきよる。ま、建て直す過程で何やら要らん装飾まで付け加えとるから、アレでも余計な時間が掛かっとるようじゃがな」
「要らん装飾?」
「ティナとソウシじゃよ、炎と二人を象った看板じゃ」
「……彼ららしいな」
「ティナも忙しく復興の指揮を執っておるぞ。誰かさんの傷の治りが遅いせいでな」
「む」
ジグライドが顔をしかめた。
「決戦の折に無茶しおったうえ、治りきらん内からちょこまかと動き回りおって。ちっとは大人しくせんか。それを言いに来たのじゃ」
「……今は君もいる。心配はしていない」
「はん、別にわらわがバリバリ檄を飛ばしても構わんがの」
リズーリはよっこらせと立ち上がって、意味ありげにジグライドに流し目を送った。
「ティナはお主がおらんとイマイチ調子が出んようじゃ。早めに戻ってやれ」
「何を……」
一瞬、リズーリの言葉の意味がわからなかったようだが、話の前後がジグライドの中でばちっとつながって、鈍い彼もようやくその真意を理解した。
「……君の勘違いではないのか」
「おーおー、己の感覚が信じられんと言った舌の根も乾かぬうちに無礼な男よ。信じるかどうかはお主の自由。ま、個人的見解を述べれば、似合いと思うがの」
「リズーリ」
立ち去ろうとしたリズーリの背に、ジグライドが声を掛ける。
「イチノセの様子は?」
「あぁ、あの子なら――――」
「浮かない顔ね。せっかく、決戦に勝利したというのに」
ギルファウス大霊廟の中枢、泡沫の霊殿。崩れ落ちた巨大な都市一つを象る不思議な空間に、総司とリシアは足を運んでいた。
レナトゥーラとの戦いで大きく消耗したネヴィーは、草木が創り出すゆりかごの中で深緑の魔力に包まれながら、総司とリシアを迎え入れた。
聖櫃の森の主であるネヴィーにとって、王都フィルスタルまで出向いて、更には戦いの助力をするというのは、総司の想像を絶する無茶だったらしい。泡沫の霊殿でかつてネヴィーと邂逅した時は、彼女の存在感がもっと大きかったはずだが、今はかなり小さなものになっている。
「悪いな、疲れてるだろうに」
「構わないわ。千年前のことを聞きたいのね」
レナトゥーラとの決戦から二日。動き出したエメリフィムの中にあって、総司もリシアも復興に手を貸そうとしていたが、リック族の驚異的な働きを前にしては、二人が手伝ったところで大きな進展はない。むしろティナと彼らの邪魔になると考えて、二人は情報収集にあたることにした。
“今”に繋がる千年前を、総司が知る限り最もよく記憶する存在。
事の中心にはいなかった、と語るティタニエラの大老クローディアよりも、千年前の事件を知る者。
ネヴィーの知識はきっと、総司が手繰り寄せられる数少ない情報の糸だ。
「知っている限りのことを教えましょう。けれど、“彼”の名を伝えることは出来ないわ。どうやら愚かしい妨害が入るようだから」
「わかってる。それについてはアイツにも確認した。教える気はないらしい」
「……全く」
ふう、とため息をついて、ネヴィーが言った。
「彼女らしからぬ愚行だけれど、何か意図があるのかしらね。昔からそう。秘密主義というより、要らないことに気を回し過ぎるの。嫌いにならないであげてね」
女神レヴァンチェスカをちょっとなじりつつも、最後には総司に「嫌いにならないで」と頼むあたり、ネヴィーの優しい性格がうかがえる。
「私が知る過去が、あなたにとってどれほど役に立つかはわからないけれど……」
そしてネヴィーは語り出す。
千年前、大賢者レナトリアに何があったのか。
怨嗟の熱を喰らう獣とどんな因縁があったのか。
“最後の敵”と思しき男が、何をしでかしたのかを。