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リスティリア救世譚  作者: ともざわ きよあき
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憧れを超えるエメリフィム 第八話③ 虚しい勝利、虚しいこれから

「自分が壊れているという自覚はあるのか?」


 奇しくもそれは、女神レヴァンチェスカが救世主にしたのと、全く同じ問いかけだった。


「わしはヒトの情念を喰らう。つまりは、ヒトが持っているべき情念の色を、形を識るということだ。ヒトが持ちえる情念の容量もな」


 問いかけられた男は、答えない。


「貴様は“欠落”し、且つ“決壊”している。持つべき情念を持たぬヒト、欠落を抱えたヒトの行く末は、道筋は違えど同じだ。わかっておるか、『――――』。それは無意味な行いだと」


 問いかけたレナトゥーラの半身が消し飛んだ。蒼炎に塗れた半身が、すぐさま彼女の形を作り、修復していく。


「このわしをここまで完全に顕現させたのは見事。無意味故にこそ暗く輝く情念よ、貴様の在り方はいずれ矛盾する――――何故かわかるか」


 問いかけられた男にとって、あまりにも煩わしい口はしかし、閉じることはない。他ならぬ彼自身によって、レナトゥーラは完全そのものの顕現を成し遂げたのだから。


「貴様の気質は“怨嗟”に沈む己を決して許さない。哀れな英雄もどきよ、愚かな復讐者の成り損ないよ。貴様の旅路の果てに、貴様の望む景色は待っていない」


 理解しがたいヒトの感情に、ただ彼女なりの敬意だけがある。それ故にレナトゥーラは不器用な誘導を仕掛ける。


 見るべき景色は、すぐそばにあるのだと。


 怨嗟に塗れた彼に、彼女のわかりにくい示唆が届くはずもなかった。


 どこかで何かが、少しでも違えば。ヒトの一生涯に限らず、この世はそんなことばかり。


 レナトゥーラがもう少し、“自分には理解できない感情”の色と形を識ろうとしていれば。誰かが誰かを想う気持ちの伝え方を、間違っていなければ。


 彼を想う誰かの存在に、目を向けさせることがわずかにでもできていれば。


 レナトゥーラに限らず、彼に関わる多くのヒトが、掛ける言葉を間違えたか、或いは言葉を掛けられなかった。


 どこかで、何かが、少しでも――――









「リシアァ!!」


 道は開いた。


 トバリの体が蒼炎に飲まれて吹き飛ばされ、彼女が甚大な傷を負うのが見えた。情け容赦の欠片もないレナトゥーラの一撃をその身に受けながら、トバリが命を賭して繰り出した一閃が、レナトゥーラの腕を二本、確かに消し飛ばした。


 これまで繰り返してきた瞬間的な再生が明らかに遅れたのを、レナトゥーラ自身が感じ取った。


 怨嗟を喰らう獣であればこそ、その理由をすぐに知る。


 エメリフィム中から搔き集められたヒトの暗い情念が薄れている。


 レナトゥーラと英雄たちが激闘を繰り広げる最中、王都では、王女ティナ・エメリフィムとヴァイゼ族の指導者ステノ、タユナ族の巫女リズーリ、それに片目だけ高速で再生し、動けるようになった側近のシドナが、安全な場所で落ち着けるようにと国民たちの誘導と統制に駆け回っていた。


 彼女らが窮地に立たされることなく、民のために動いているという事実が、エメリフィムの国民たちを勇気づけ、それはレナトゥーラの元へ彼女の好ましからざる色を届ける。


 単独で今のレナトゥーラを撃破できる者は、総司はおろかこのリスティリアに存在しない。かつてティタニエラにおいて顕現した精霊の現身を、ジャンジットテリオス単独では撃破は叶わなかったように、完全顕現の一歩手前にまで達したレナトゥーラの力は、恐らく四体の神獣すらも上回る。


 だがそれは、あくまでも一個の生命同士のパワーバランスに過ぎない。レナトゥーラが相手取るものは、矮小な一つの生命ではなく、繋がり強靭さを増す生命の群体だ。


 彼らは彼女の好ましからざる輝きを胸に秘め、その輝きは彼女の好む色へ褪せることもなく。


 覆らないはずの格の差を、今まさに覆そうとしている。


 目にも止まらぬ閃光と化したリシアの突撃を、残る二本の腕が受け止める。


 止めきれるものではなかった。二本の腕が消し飛び、再生が遅れる。わずかに迸る深緑を見て、レナトゥーラが笑う。再生の遅れは、ただ彼女にとっての「餌」の質が落ちたからというだけではない。


 千年前、“カルネイズ・イラファスケス”を以てしても制圧し切れなかった、“イラファスケス”ととことんまで相容れない力。


 準備が出来ていなければ、レナトゥーラの忌まわしい力を止める術はなかった。逆を言えば準備さえ整えば、彼女の力はレナトゥーラの力を阻害するに足る性質を持つ。


「相変わらず小賢しいことよな、ネヴィー……しかし見事。此度の抵抗もまた、意味を成した」


 レナトゥーラの眼前まで、幾重にも折り重なる「紅蓮の魔法陣」が展開された。


 ジグライドが創り上げた岩の足場を起点にして、剣を取り戻した救世主が、太陽のように輝く刃を引き絞るように構える。


「ハッ――――この期に及んでまだ、力なき王女の非力な炎でこのわしに挑むか!」

「見くびってんじゃねえよ、この力は、エメリフィム最強の意思の具現だ!」


 レナトゥーラの嘲りに、総司はきっぱりと言い切る。


「テメェのその陰気な炎が、ティナの紅蓮の輝きを――――上回ることはない!!」


「抜かせ駄犬め」


 究極にして至高の輝きを眼前に、レナトゥーラはこれまでで一番深く、嗜虐的な笑みを浮かべた。


「焚火にも満たぬその炎で、このわしを燃やし尽くせるものか――――かわすまでもないわ、掛かって来い!!」


 炎のような魔力が収束し、やがて一直線に放たれる。


「“シルヴェリア・リスティリオス”!!」


 紅蓮を纏う流星、群青から漆黒と化したソラへ昇る恒星の如き灯火。


 怨嗟の沼から抜け出して、新たな門出を迎えるエメリフィムを彩るに相応しい、エメリフィム王家が湛えるべき紅い煌めきが、レナトゥーラに激突する。


 暗く沈む蒼炎を突き破り、総司が翳す煌々としたオレンジ色の刃が、レナトゥーラの腹を深々と突き刺した。


 その様を見て「よくやった」と喜んだ者は、誰一人としていなかった。


 総司がレナトゥーラを確かに捉え、突き刺した瞬間、回復不全に陥っていた四本の巨大な腕が再生を遂げ、指先全てに蒼く黒い炎を灯しながら、総司とレナトゥーラを共に包み込み始めたからだ。


 総司が離れようとしたが、剣が抜けない。


 かわそうともしなかったレナトゥーラのそれは、つまり挑発に近かった。総司が真っ向から勝負することを好むと見て、小細工を弄することなく自分の懐へと誘い込んだ。


 柄から手も離れず、総司はそのまま、巨大な体躯から徐々に、元の二メートル程度の女性体へと縮み始めたレナトゥーラの本体にすうっと抱きしめられる。


「決着は我ら二人で着けようではないか――――なぁ、救世主よ」

「ッ……テメェ――――!」


「“ザリアヴォイド・イラファスケス”」


 蒼炎は、蒼を失い、黒々とした炎とも闇ともつかない、不定形の水のような姿となり。


 空間が靄がかった黒の炎に侵食され、それは球形に広がっていく。


「ソウシ!!」


 リシアが救出を試みようと、黒い闇で構成される球体へ突っ込もうとした。


 ネヴィーが呼び出した木々のツルがリシアの体を捕らえて、何とかその場に押し留める。


 リシアの膂力であれば引きちぎることも出来ただろうが、ネヴィーが止めることの意味を理解していた。


 近づいてはならない何か。総司が囚われた闇の牢獄は、触れてはならない忌まわしい力に満ちている。


「近づいてはダメ」


 ネヴィーは、レナトゥーラの一撃で昏倒してしまったトバリに、深緑の魔力で癒しの魔法を掛けながら、傍に着陸してきたリシアに厳しく警告した。


「アレは常人が触れてはならないもの。歴代の才ある使い手たちを蝕み続けた、“イラファスケス”がため込む情念そのもの。触れれば正気ではいられないわ」

「しかし、それではソウシが……!」

「ソウシは普通とは違うでしょう。恐らくだけど、あの子は――――」


 ネヴィーがすうっと目を細める。


 その視線の先にあるのは、“ザリアヴォイド”なる魔法によって生じた黒い球体に向けられていはいない。今ではない過去の遠い記憶へ向けられている。


「千年前とはまた違う意味で、レナトゥーラの“天敵”なのでしょうね。大丈夫、助けるわ」










 聞くに堪えない怨嗟の声が、空間を埋め尽くすようにして木霊する。


 耳をつんざくような悲鳴と呪詛。恐怖と憎悪、積み重なっていく怨嗟。千年の時を超えて総司に流れ込んでくる、常人なら発狂しかねないヒトの暗い情念に、全身を焼かれる。


 とめどない怨嗟の叫びを、苦痛の悲鳴を全身で受け止めて、総司は――――


「じゃかあしいわコラァ!!」


 両腕をばっと振り上げて、負けず劣らず怒鳴り散らして、それらを即座に吹き飛ばした。


 総司が怒鳴ると同時に、怨嗟の声がかき消され、静寂が訪れる。


 上下左右の感覚も不明瞭な空間で、目に見える足場もない中で、固い何かに降り立って、総司はふーっと息を吐いた。


 またしても意図せずして、総司の左目には“ルディラント・リスティリオス”の輝きが小さく宿っており、総司の姿は赤々とした服装から、白と黒を基調とした元の姿へと戻っていた。


 第二の魔法は強力無比ではあるが、精霊級の存在が齎す別格の魔法を完全に消し去るまでには至らない。総司の左目は今、“ザリアヴォイド・イラファスケス”への対抗措置として発動したわけではなかった。


 彼に与えられた反逆の魔法は、彼の心に呼応して表に出てきただけだ。


「ここまで来て幻覚で何とかしようってか? つまらねえ真似するじゃねえかよ」

「気付いておらんのか、己の『欠落』を」


 漆黒に沈む空間の中で、何故かハッキリと、レナトゥーラの姿が見えた。


 巨大化し始めていた体は総司と同じ程度の背丈にまで落ち着き、不気味な腕のガードもなく、ふわふわと浮かび足を組んで、総司に笑みを見せている。


「ヒトが持つべき情を識るわしには、貴様の歪さがよく見える……悲しい生き物だな、貴様らは。凡俗の域を出るには何かが欠けていなければならんとは。初めから欠けているか、それとも自ら捨て去ったのかの違いはあるようだが」

「……話がしたいってのか? 今更?」


 総司が怪訝そうにレナトゥーラを睨んだ。


「たわけ、“したい”のではない。“それ以外にもうどうしようもない”から、最後に抵抗しておるだけだ」


 レナトゥーラは相変わらず笑っていた。


「貴様はまさに不倶戴天――――わしの天敵。わしには勝ち目がないようだからな」


 総司が目を見張った。レナトゥーラはクスクスと笑って、


「ヒト並の感情がある振りをしている。わしには見えるぞ。貴様はそれらの情を“一度失って”、取り戻した気になっているに過ぎん。そして尚も決定的に欠落している。わしが好む怨嗟の情念が、それを感じるだけの心が」


“感情が希薄になったわけではないわ。あなたはきっと、感性が乏しくなっていたのよ。より具体的に言えば、『心動かされる』ことが少なくなった”


「持つべき情念が欠落したヒト。持つべき容量を超えて情念を抱きすぎたヒト。そのいずれも行く末は悲惨だ。わしはよぉく知っておる」


 かつて女神に指摘された、一度は失われかけた総司の情。それを的確に見抜いて、レナトゥーラは言葉を続ける。


「まぁ、それが功を奏したとも言えようなぁ。その欠落はわしに対する特攻でもある。因果なことよ――――かつてわしを下した男は、その情念がこのわしをすら上回った。かたや今代、わしを下す男は、そもそもその情念がないと来た。よく似ておると言ったが訂正しよう。貴様らはまるで正反対、あまりにもかけ離れておる」


 レナトゥーラは、総司に対する敗北を既に認めていた。総司にとっては予想外なことだった。


 レナトゥーラと総司のパワーバランスは、圧倒的にレナトゥーラが上だ。


 リシアとトバリ、ネヴィーとジグライド。今のエメリフィムに存在する戦力を惜しみなく投入して、それでもなおレナトゥーラを打倒するには至らない。


 半ば、倒せないとすら思っていた。あらゆる攻撃がレナトゥーラには通じない上に、もしもレナトゥーラが本気で勝ちにこだわれば、そもそも総司たちの攻撃に律儀に付き合う必要もない。


 渾身の“シルヴェリア・リスティリオス”をかわさなかったのは、レナトゥーラの気まぐれだ。総司にとっては「ここしかない」というタイミングだったが、レナトゥーラはその気になれば回避できたはずだ。


 それをしなかったのは、彼女がどこまでも「人間臭い」存在だったから。


「かけ離れておるが、匂いが似ておる。これもまた因果というものか……わしは異界のヒトに勝てぬ運命――――おっと、運命などと、あの女神に絆されたようなことを言うてしもうたわ」


 逆さに浮いてすいっと総司の顔の前に滑り、レナトゥーラは相変わらず愉快そうに笑う。


 対する総司は、衝撃的な表情で、レナトゥーラの暗い眼差しを見つめ返していた。


「……そういう、ことか……」


 総司が自ら出した“答え”とはまた違う“答え”を、見出した。


 己の望みを叶えるためとは違う、総司がリスティリアに来た価値、その意味、理由。


 思えば、総司にその問いを最初に投げかけたのはレブレーベントの女王だった。その後、娘のアレインにもっと強烈に叩きつけられた疑念に対し、ルディラントでの旅を乗り越え、カイオディウムに至って総司は答えを見出したつもりだった。


 その答えとはカラーの違う一つの「解答」。恐らくは、「正答」。


 総司がリスティリアに呼ばれ、異世界の民でありながらリスティリアを救うために戦う根本的理由。


「千年前、お前を呼びつけて――――最後は切り捨てた、そいつは――――!」



「ハハハハハ!!」



 レナトゥーラは笑う。


 今まで通り、いや、今まで以上に、凄惨に、残虐に。



「貴様が歩むは救済の旅路などではなかろう! 要は“同郷”の尻ぬぐい、貴様の旅路の果てに待つのは、“この世界に何の関係もない者同士の殺し合い”だ! 貴様が征くのに理由など不要――――何故なら貴様は、貴様の世界の代表として! 余所を巻き込んだ愚か者を糾すために進むのだから!!」



 総司と同じ、異界の民。


 総司が元いた世界からリスティリアに渡った異邦人。


 最後の敵の正体は、リスティリアの外からやってきた、総司と境遇を同じくする「同類」なのだ。


「良い色になった……貴様には欠落した感情故に、貴様の“怨嗟”を望むべくもないが、しかしその失望と絶望は悪くない……虚しい旅路に膝をつける弱さがあれば、いくらか心も軽くなろうが――――」


 総司の眼差しをまっすぐに見つめ返して、レナトゥーラは「それでよい」とばかり笑みを深める。


「そこまで堕ちはせんようだな。半端な強さ、故にこそ哀れ。至極残念だ――――貴様を待ち受けるあまりに虚しい殺し合い、立ち会ってみたかった……! 欠落したはずの貴様の情念が再び燃え盛る時を、この目で見てみたかった……! なぁ教えてくれ、貴様の口から聞かせてくれ。今、どんな気分だ、なぁ?」


 レナトゥーラが、長くしなやかな指で総司の頬に触れた瞬間、総司の心に久しく芽生えることのなかった「暗い情念」が、一瞬燃え上がりそうになった。


 だが、その時は訪れない。


 深緑の魔力がざあっと流れ込んで、レナトゥーラを総司から引き剥がした。


 深緑の魔力に包まれながらも、レナトゥーラは高笑いを続けた。


「忘れるな、貴様の旅路に誉れなどない。あるのはただ“在るべき姿へ戻す”ことへの責任だけだ! あやつを殺す寸前にでも伝えてやってくれ――――千年の果てに待つ貴様の虚しい結末は、実にわし好みであるとなァ!」


 最後まで減らず口を閉じることなく、レナトゥーラが深緑に飲まれる。


 “ザリアヴォイド”の闇が晴れ、世界に色が戻ってくる。


 リバース・オーダーに貫かれたレナトゥーラが、蒼炎をまき散らしながら落ちていく。


 空中に投げ出された総司は、動くことが出来ず、重力に引かれて落下するのに身を任せていた。指先一つ、動かせる気がしなかった。


 そんな彼の体を、相棒であるリシアが力強く捕まえる。


「よくやった――――よくやったぞ、ソウシ……!」


 蒼炎が爆発し、暴風を生み出す。レナトゥーラの姿が掻き消える。


 相棒の惜しみない賛辞を聞きながら。


 総司は、あまりにも後味の悪すぎる勝利の余韻に全く浸れず、ただ脱力するばかりだった。


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