眩きレブレーベント・第四話③ アレインに聞け
「まさかたった数日でこの場所に辿り着くなんてねぇ。これ以上ないほどの幸運だわ。流石エイレーン、もしかして全てお見通しかしら」
悪戯っぽく、妖しく微笑む彼女は、二人で過ごした時のままだ。レヴァンチェスカは総司の無事を心から喜び、彼がリスティリアで早速、素晴らしい人脈に恵まれたことを祝福した。
「レヴァンチェスカ……」
「あら、なぁに、救世主どの。感動の再会で言葉もないのかしら? いいわ、存分にこの私を愛でて――――」
「テメェ一発殴らせろ!」
「ええええ何でぇぇ!?」
総司が本気で拳を振りかぶったのを見て、レヴァンチェスカが慌てて距離を取った。
「せ、せっかくまた会えたというのに殴らせろとは何事よ!? 女神に対する敬意が足りないわね!」
「うるせえこのダ女神! お前、お前なぁ……!」
拳を固めたまま、総司は体を震わせる。
「お前には……文句を言いたいことが、山ほどあるんだよ……!」
レヴァンチェスカの表情が陰る。総司はきっと彼女を睨んで、
「肝心なことは何も教えていないし、何よりシエルダのことだ! 正直、お前はかなり先まで見えていたとしか思えない! なのに俺を“間に合わせなかった”!」
思いのたけをぶつける。
レヴァンチェスカとの再会が嬉しくないわけではない。だが、喜び以上に憤りが勝った。
「あと1日でも……もしかしたら、たった一時間でも良かったんだ! ほんの少し早ければ、俺は……助けられたかもしれないのに……!」
「……それは無理よ。私は運命に抗うためにあなたを呼んだわ。それでも、抗えないものもある」
「ッ――――お前……!」
「そもそもうまく行き過ぎているのよ。あなたの旅路はここまで、あまりにも順調過ぎるだけなの」
憤る総司とは対照的に、レヴァンチェスカは冷静だった。眉根を寄せ、心の痛みを堪えながら、総司に言い聞かせるように。
彼の納得は得られなくても理解は得ようと、レヴァンチェスカは続けた。
「あなたがリスティリアのどこに墜ちるのか、どんな道筋を辿るのか……レブレーベントがあなたの始まりの地となったことは、私の想定の中でも最高よ。これ以上ないほどの開幕と言っていいわ。でも……あなたにとっては、とても苛酷なものだったようね」
彼女の言う最高の開幕は悲劇の中にあった。物語の始まりと同時に、救世主は打ちのめされてしまっていた。
「そしてその苛酷な試練は、あの悲劇は、序章に過ぎない」
そんな彼に、更に残酷に、冷酷に、女神は現実を突きつける。
「私が“かの者”の手に囚われたことで起きる綻びは、この先どんどん大きくなる。ここまでは順調だった――――この先は、そうはいかないかもしれない」
「……あんなことが、そう何度も起きてたまるか……!」
「まさか本当に、本気でそう思ってる? 事実を振り返ってみなさいな。“たった一体の魔獣”に街が滅ぼされたのでしょう」
その通りだ。活性化した魔獣が一体だけ、好き勝手に暴れることを、恐らく数時間程度許しただけで、一つの街が終わりを迎えた。
あまりにも苛酷だが、いともたやすく起きる悲劇でもあるのだ。
「あなたや、一緒に来た可愛いあの子が走り回ったところで、全てを救うなんてできない。もしも、あの地獄が何度も繰り返されることを避けたいと言うのなら――――」
レヴァンチェスカの目がぎらりと光る。この目の光は、総司を鍛え上げていたあの頃と同じ、とても厳しく優しい光だ。
「屍を乗り越えて進みなさい。“諸悪の根源を絶つ”以外に、全てを救う方法はないわ」
エイレーン女王と同じセリフだった。レヴァンチェスカを取り戻し、リスティリアに再び安寧を――――
もともと、そのために呼び出された存在だ。救世主としてこの世界に呼ばれ、鍛えられ、放り込まれた。どうかこの世界を救ってくれと懇願され、受け入れたつもりだった。
だが――――総司は肩を落とし、弱々しい声で言った。
「……正直に言っていいか?」
「……ええ、何でも」
「後悔してるんだ。安請け合いしてしまったことを……」
自分の力が強大であることを知った。そう簡単には負けない力があることを自覚している。
けれど、どれほど強大な力を持っていても、何も出来ないこともあると――――非情な現実もあるということも、同時に知ってしまった。
どんなに強くても、女神の加護を受けていても、総司の手から零れ落ちてしまった命はもう二度と戻らない。もしも、あんな悲劇がこれからも目の前で続いていくなら、きっと心が持たなくなる。力があると自覚しているからこそ、それでも何も出来ないやり場のない憤りに、押し潰されてしまう。
「……ビオステリオスに誓ったのではなかったの? 私のことを必ず助けると」
「誓ったさ。確かに誓った。でも、何も……何も出来ていない。誓いに成果が伴ってないんだ。俺はこの世界に来てから、自分一人じゃなんにも出来ていないんだよ。これからどうすればいいのかも、全部、幸運に恵まれて、良い人に出会って、示してもらっただけだ。俺自身は何も出来ちゃいない」
総司は首を振り、肩を落としたまま、年相応の弱音を吐いた。
「何もわからず、ヒトが出した答えに飛びついて、流されるままここに来た。こんなに……こんなに自分が何も出来ないなんて、思わなかった」
単なる少年に過ぎない彼にとって、無力さを突き付けられるというのは、厳しい試練でもあった。
青少年にはありがちなことだ。自分がいつも正しく、その気になれば何だってできる根拠のない全能感があり、それ故に青春を楽しむことが出来る。これが普通の日常であったなら、それも若さの良いところだったのかもしれない。
しかし、彼に与えられた試練は、若いだけでは乗り切れないもの。世の中にはどうしようもない現実があるのだと、多感な少年の心に容赦なく叩き付ける残酷な旅路。
総司のここまでの旅路はそのまま、まだ若い彼に、何も出来ない無力さを教え込むだけの道のりだった。
「……ふふっ、ちゃんと少年なのねぇ、あなたも」
「あのな、俺は真面目な話を――――」
「なぁにを自惚れとるか、このバカチン!」
レヴァンチェスカが怒鳴って、総司は思わず身を竦ませた。
「私がいつあなたに、“一人で全部やれ”なんて言ったのよ!」
総司が目を見張った。レヴァンチェスカは腰に手を当ててふくれっ面をしながら続けた。
「ヒトが出した答えに飛びついたって? 上等じゃないの! あなた一人じゃ答えが出せなかったのなら、頭が良くて知識のあるヒトの知恵を借りれば良い、何も間違ってないじゃない! 流されるままここへ来た? 流された先が最高のルートだったのだから、自分の天運を喜べば良いわ!」
レヴァンチェスカはさらに続ける。
「あなたには確かに、我が加護を与えたわ。その力はリスティリアにおいて並ぶ者のいない、異世界の民としての特権。けれどね、力そのものはあなたに及ばなくても、リスティリアにはあなたよりも優れた者がたくさんいるわ! それを頼もしく思うならともかく、そんな風に比べて卑下することしかできないなんて、情けない! しゃきっとしなさいよ、しゃきっと!」
レヴァンチェスカは両手で総司の顔をバチン、と捕まえる。衝撃が加わって、目の前がちかちかした。
「頼れる仲間がいることを幸運に思いなさい! 己の幸運に感謝して、頼って、あなたが与えられた以上のものを返しなさい! ヒトは支え合わなければ、世界救済どころか“ただ生きていくこと”さえできない! そんなこと、あなたならよくわかっているはずでしょう! 心の支えを失ったから、あれほど死にたいと願ったのでしょう! それでも違う誰かの支えがあると感じていたから、自分の命を絶つことが出来なかったんでしょう!」
レヴァンチェスカは、ぐにぐにと総司の頬をこねくり回し――――優しく微笑んで、続けた。
「ここからよ。ここからなの。あなたにしかできないことが必ず出てくる。まだあなたの出番じゃないだけ。出番が来たらその時は、ここに来るまであなたを支えてくれた人達に、全身全霊で報いなさい。さあ、背筋を伸ばして堂々としろ、我が騎士よ!」
もう一度優しく頬を叩いて、レヴァンチェスカがパッと離れた。総司は言われた通り、一度ぐーっと胸を張って、レヴァンチェスカを見つめ返した。
「……悪かった。情けないところ見せたな」
「いーえ。……シエルダの悲劇がそれほどあなたの心に刺さっているのならなおのこと、自分を卑下している場合じゃないわ。そうでしょう」
「ああ、その通りだ。そうだった――――“どんな手を使ってでも”、だったな」
「あら、よく覚えていたわね。そうよ。たとえリスティリア中の民に頭を下げてでも私の元へ辿り着いて、シエルダの真の仇を討ちなさい。そのついでに私も助けてくれるかしら」
「何言ってんだ。お前にも恩がある。必ず助ける」
「その誓い、今度こそ信じるからね。頼りにしてるわよ。ほら、女神さまですら誰かを頼りにしなきゃいけないんだから、あなただって頼っていいのよ、多分」
レヴァンチェスカが笑いながら言う。そんな場合ではないはずだ。彼女は恐らく“諸悪の根源”に囚われて大ピンチのはずだが、それでも彼女はこうして笑っている。
それは総司のことを、心の底から信じているからだ。
「さて……そろそろ時間ね」
またレヴァンチェスカの体が透け始めた。やはり、ここにいるレヴァンチェスカは、共に過ごしたあの時間と同じ、単なる思念体だ。
「あなた達がオーブと呼ぶもの、 “オリジン”はこの部屋の先にあるから、忘れずに持って帰るのよ。それと……ま、心も多少は強くなったようだし、良いでしょう」
「ん? 何だ?」
「あなたに与えた力の封印の一つを解くわ」
「……え? え、何だそれ!?」
流石に聞き流すことも出来ず、レヴァンチェスカに詰め寄る。
「どういうことだ? 封印?」
「ここで話すにはまだ早い事情があったのよ。最初からあなたに全ての力を与えるわけにはいかなかったの。というわけで」
パチン、と指を鳴らす。
途端、総司の体に電流が走った。痛みはないが、形容しがたい衝撃だ。確かにこれは、言葉にするとすれば、“眠っていたものが呼び覚まされる”かのような――――
「力を一つ、あるべき場所へ“返す”としましょう。使い方には十分気を付けるようにね。ああ、そう、ついでというわけではないけれど」
レヴァンチェスカの体が霞んだ。
天井の高いこの部屋そのものも、光を失い、白さを失っていく。
「ぐっ……!?」
痛みはない電流が頭に流れ、意識が揺らいだ。
まだ、レヴァンチェスカには聞きたいことが山ほどあった。
今彼女がどういう状況に置かれているのか、何をすればいいのか、答えが欲しかった。だが、もう時間がないらしい。
「リスティリアに現存する大国の中で、レブレーベントだけが、原初の名を変えて今の世界に在るのよ。正しき名前こそ、ここと同じ“シルヴェリア”。その変遷の理由は――――そうねぇ、エイレーンでも良いけれど……」
意識が遠のく。沈みかける夢の中で、レヴァンチェスカの声だけが脳裏に響いた。
「せっかくだから、アレインに聞いてみなさい。いいきっかけになるわ、きっとね」